実録 亞細亞とキネマと旅鴉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

26-11-2011 (Sat) 東京フィルメックス第八日(参加6日め)/自宅70日め

[]2011年11月26日つぶやき 2011年11月26日のつぶやきを含むブックマーク 2011年11月26日のつぶやきのブックマークコメント

[]『これは映画ではない(In Film Nist)』(Jafar Panahi, Mojtaba Mirtahmasb)[C2011-26] 『これは映画ではない(In Film Nist)』(Jafar Panahi, Mojtaba Mirtahmasb)[C2011-26]を含むブックマーク 『これは映画ではない(In Film Nist)』(Jafar Panahi, Mojtaba Mirtahmasb)[C2011-26]のブックマークコメント

有楽町朝日ホールで、ジャファール・パナヒ監督、モジタバ・ ミルタマス監督の『これは映画ではない』(東京フィルメックス)を観る。第12東京フィルメックスの特別招待作品の一本。逮捕され、禁固映画製作や出国の禁止の判決を受けて控訴中のジャファール・パナヒ監督の、自宅での一日を描いたドキュメンタリー

この映画の上映は朝10時半からであった。すでにかなりおなかがすいている。映画はいきなり、パナヒの朝ごはん風景からはじまる。トルティーヤみたいなものジャムのようなものをつけて食べるパナヒ。今度は別のジャムをつけて食べるパナヒ。カメラは部屋に据え付けてあるらしいので、もちろん長回し。おいしそう。おなかが鳴る。もうやめて、いや、もっと観たい、そんな魅力的な光景ではじまる映画

そのあとも部屋に据え付けられているらしいカメラが、弁護士電話をかけて裁判のことなどを聞くパナヒを映しだすが、やがてパナヒはモジタバ・ ミルタマス監督電話をかけて呼びつける。映画を撮ることは禁止されているので代わりに脚本を読む、それを撮りにきてくれと言う。読まれるのは検閲に通らなかった脚本で、読むといいながら、絨毯を部屋に見立ててシーンの説明をするパナヒ。その脚本は、大学に受かったのに親から進学を反対されて監禁された女の子が、期日までに脱出して入学手続きに行けるか、という話に、通りから彼女の部屋のほうを見ている男の子が絡むという、かなりおもしろそうな内容。「続きが聞きたい」と思いはじめたとたん、「これで代わりになるなら映画を撮る必要がないじゃないか」と癇癪を起こすパナヒ。

ミルタマスブが帰ってしまうと、さっきまで判決で禁止されたことはやらないように慎重に行動していたパナヒは、iPhone撮影をはじめてしまう。やがて近所の犬を預かる騒動が持ち上がり、いったん預かったものの、飼っているイグアナとの相性が悪くて返却。ゴミ収集に来たアルバイト管理人(管理人親族)と話していると、今度は管理人がその犬を預かってあげることになる。iPhone管理人を撮っていたパナヒは、ついにカメラをもって部屋の外に出る。「犬騒動はどうなるのか、パナヒはこれから何を撮るのか、わくわく」と思ったところで映画は終わる。いつも続きが気になるところで話題が転換されてしまい、「きーっ」と思うのだけれど、結局なかなかおもしろかった。

iPhoneで手軽に動画が撮れる時代に、映画を撮るとは何なのか、映画とは何なのか、映画製作を禁止するとは何なのか…を問いかけつづける映画。『これは映画ではない』というタイトルをつけ、「映画」祭で上映される映画。パナヒを守るためには「これは映画ではない」と言うべきなのかもしれないが、これは映画である

ところで、パナヒ監督が、女房風俗で働かせて四畳半に住んでカップラーメンをすすったりはしておらず(そうだと思っていたわけではないが)、ちょっと趣味は合わないけれどけっこう豪華なマンションに住んで、メタボ気味な体型で、(画面には映らないけれど)ふつうに妻子がいて、イグアナを飼っていて、MaciPhoneを使っているのにちょっと驚いた。『ペルシャ猫を誰も知らない[C2009-21]でも、非合法音楽活動を行っている若者たちが裕福そうなのに驚いたけれど、やはり当局から目をつけられるのは、生活に余裕があって、高い教育を受けて、外国と接触があるような層である、ということなのだろうか。

また、近所との関係が良好なのにも少し驚いた。日本だと、「パナヒさんってお縄になったのよー。恐いわー。(子供に向かって)パナヒさんと話したり、遊びに行ったりしちゃ駄目よ」という感じになりそうだが、パナヒの隣人たちは、犬を預けにきたりするし、管理人は「逮捕の日も僕はここにいたんですよ。連行されるとこ見たんですよ」とかなんとか嬉しそうに話す。観ていると心温まる感じだけれど、もちろんパナヒの置かれている状況は決して心温まるものではない。

[]『我が道を語る(語路)』(賈樟柯、宋方、衛鐵、陳翠梅、陳濤、陳摯恆、王子昭)[C2011-27] 『我が道を語る(語路)』(賈樟柯、宋方、衛鐵、陳翠梅、陳濤、陳摯恆、王子昭)[C2011-27]を含むブックマーク 『我が道を語る(語路)』(賈樟柯、宋方、衛鐵、陳翠梅、陳濤、陳摯恆、王子昭)[C2011-27]のブックマークコメント

有楽町朝日ホールで、賈樟柯(ジャ・ジャンクー/ジア・ジャンコー*)プロデュースオムニバスドキュメンタリー、『我が道を語る』(東京フィルメックス)を観る。第12東京フィルメックスの特別招待作品の一本。

様々な領域で活躍する12人の中国人が、自らの困難とその克服について語るもの。登場する人物は次のとおり。

撮っている監督は、賈樟柯、宋方(ソン・ファン*)、衛鐵(ウェイ・ティエ*)、陳翠梅(タン・チュイムイ)、陳濤(チェンタオ*)、陳摯恆(チェン・ジーホン*)、王子昭(ワン・ツーチャオ/ワン・ズージャオ*)の7人。誰もふれていない気がするが、宋方は『ホウ・シャオシェンレッド・バルーン』[C2007-30]ベビーシッターのソン役で出ていた女性である

映画は、まず、各パートが短すぎて内容がうすい。88分の映画12人を扱うのは多すぎる。出演者と監督のどちらが先に決まったのか知らないが、せめて一監督一人にすべきだろう。全体的に内容も散漫で、困難を乗り越えるエピソードに絞るべきだと思う。また、各人が最後にまとめコメントを言うというアイデアはおもしろいが、内容が抽象的で凡庸すぎてしらける。内田吐夢版『宮本武蔵シリーズの錦ちゃんのコメントを見習うべき。

いちばん印象に残ったのは陳翠梅による王克勤のパートモノクロ映像がきれいだし、ハードボイルド雰囲気でよかった。宋方の2本(黃豆豆、張軍)も、対象が芸能関係だし、一度名を成したあとでさらにその先を目指す部分を描いていてわりとよかった。

プロデュース賈樟柯は雇われ仕事なのかと思ったら、若者希望を与えたいという目的の自身の企画らしい。この内容で希望を与えられるのか疑問だが、実際にネットで公開してかなり反響があったとのこと。それはたぶん、いまの中国では目標とすべき多様なモデルが十分提示されていないからではないかと思った。ちょっと前までは革命英雄みたいなものばかり提示され、いまは経済的な成功ばかりがもてはやされているようにみえる。だからNGOとか芸術家とか、政治経済とはちょっと別の世界モデルが新鮮なのではないかと思う。しかしながら、賈樟柯希望を与えたかった層(外資工場長時間労働させられて自殺するような若者)と実際に反響のあった層とはずれている気がする。

プログラムの質には定評のあるフィルメックスでこの映画が上映されることについて、疑問を呈するような声がけっこう聞かれるが、質をそろえることだけが映画祭役割ではないと思う。その映画祭が贔屓にしている監督の作品を全部観せるというのもひとつ役割ではないだろうか。賈樟柯は間違いなくフィルメックスが贔屓にしている監督だし、陳翠梅もそうなりつつあるかもしれない。わたしはとりあえず賈樟柯と陳翠梅と宋方の映画は観たいと思ってきたから別に文句は言わない。文句を言っている人は、「そりゃあいいんでしょう。フィルメックスでやるんだから」などとは思わずに、自分で判断してチケットを買うべきだと思う。

ところで、この映画ジョニーウォーカー提供で、賈樟柯は、内容が‘keep walking’というキャッチフレーズマッチしていると言っていたけれど、ジョニーウォーカーといえば『海辺のカフカ』を連想して、すごく邪悪な感じがしませんか?

[]『悪太郎』(鈴木清順)[C1963-11] 『悪太郎』(鈴木清順)[C1963-11]を含むブックマーク 『悪太郎』(鈴木清順)[C1963-11]のブックマークコメント

シネマヴェーラ渋谷の特集「鈴木清順 再起動!」(公式)で『悪太郎』を観る。20年ぶり二度め。

大正初期、神戸中学を退学になって豊岡中学に転校させられた紺野東吾(山内賢)を主人公にした青春映画で、豊岡中学での武勇伝と、岡村恵美子(和泉雅子)との純愛物語

鈴木清順映画にしてはヘンなところがほとんどなく、ヘンなのは下宿のおばさんのふみやこと小園蓉子と、上級生の野呂圭介ぐらい。モノクロ映像が美しい、非常に端正な映画である。東吾は軟派のお坊ちゃん文学青年なので、硬派を気取る上級生の風紀委員たちとことごとく衝突するが、ぜったいに自分の主張を曲げずに軟派を通し、しかも力ではなく口で上級生をねじふせる。これが、山内賢のもっている雰囲気も手伝って、とにかくさわやかで小気味いい。

そして、古い日本のしっとりしたたたずまいと、当時の流行西洋風なものとが混じりあった、なんともハイカラ雰囲気がいい。恵美子や芳江(田代みどり)の女学生風の髪型や袴や傘、ちょっとモダン着物や襖の柄、家の中のちょっとした洋風なものストリンドベリの『赤い部屋』に代表される西洋文学、恵美子たちが歌う「いこかもどろか♪」という『さすらいの唄』。無粋な学生服のなかでは、逆に東吾の袴スタイルのほうがモダンに映るし、下宿の縁側や文机、障子を通した光といったものも、今から見るとレトロな趣がある。雨の風情もすばらしい。

このハイカラ雰囲気は、美術木村威夫の力が大きいようだ。舞台兵庫県豊岡市だが、木村威夫インタビュー本『映画美術 擬景・借景・嘘百景』によれば、ロケ地岐阜栃木らしい。郡上八幡近江八幡にもロケハンに行ったようだが、撮っているかどうかは不明。一部の町並みや屋内など、セットもかなり大がかりに使われているようだ。

[]『くたばれ愚連隊』(鈴木清順)[C1960-60] 『くたばれ愚連隊』(鈴木清順)[C1960-60]を含むブックマーク 『くたばれ愚連隊』(鈴木清順)[C1960-60]のブックマークコメント

同じくシネマヴェーラ渋谷の特集「鈴木清順 再起動!」(公式)で『くたばれ愚連隊』を観る。

二枚目の主人公が特色ある地方に赴き、ヤクザ悪徳企業いやがらせで困っている一家を助ける、という、渡り鳥シリーズに代表されるパターン踏襲したもの地方淡路島、主人公は和田浩治だが、残念ながら和田浩治では魅力が乏しすぎてパターン化された物語をもたせられない。そのためか、主人公は偶然そこを訪れるのではなく、家から認められず行方不明だった名家の跡取りであることがわかったため、という設定になっており、それに母親探しと再会劇という母もの要素も加わっている。

この設定からしてマンガ的だが、コミカルな味つけでドタバタして笑わせつつ、母もので泣かせようという王道的趣向。しかし、コミカルな部分はそんなにおもしろくないし、母もの部分は和田浩治がマザコン全開で、反発も葛藤もないのでしらける。結局のところ、和田浩治ではもたないという映画