斜陽のフィギュアスケート2

 シンクロナイズドスケーティングをご存じだろうか。世界選手権もシングル等とは別の単独開催であるため、以外に知らない人もいるだろう。1896年のシングル等の世界選手権から約100年を経た1988年に、ISU(国際スケート連盟)に認められ正式種目となった最も新しい種目である。

シンクロナイズドスケーティング世界選手権は2000年から始まった。以降、2008年まではスウェーデンフィンランド、そしてカナダが表彰台を独占している。2009年に米国、2015年にはロシアが現れる。直近の2018年4月、1位と2位はフィンランドスウェーデンが、8位入省圏内に米国・カナダ・ロシアが、そして日本は13位につけた。
http://www.isuresults.com/results/season1718/wcsys2018/CAT001RS.HTM

この流れを見て思うのは、シングル等であった歴史が短期間に再現された、という事だ。フィギュアスケート自体は確立されているから、期間的に凝縮されるのは自明だろう。注目すべきは、シングル等で黎明期をになった北欧がまたも構築者となり牽引役にもなっている、という事だ。100年もあったというのに、カナダは存在するものの、日本はもちろん北米もロシアもいない。

最近フィギュアスケートを見始めた人にとっては、北欧などは弱小国としか映らないかもしれない。スポーツの括りとして順位がある以上、一面としては正しい。しかしよくみて見ると、別な面がある事も分かる。礎を築く事が得意でそれを「楽しむ」北欧の彼らにとって、修行僧のようなトレーニングが中心となった時期というのは、退屈で強い興味を見い出せないだけではないのか。現に、新しいルールや新しい技を次々に生み出すシンクロにはこれだけ力を注いでいるではないか。

さらに全体で言うと、北米が得意なのは運用であると分かる。ロシアは北米と同じ傾向ながら、閉じた世界を持ち独自色を強くする。そして日本やアジアはやっぱりただの参加者だ。ゼロから構築しルールを整備をする北欧、運用する北米・ロシア、そして日本以下アジア。これらは階層構造であり、順位における変遷ともなってきた。

以上の推測が成り立つとすると、フィギュアスケートは斜陽にある。北米が頑張っている内はいいだろうが、片輪の米国はビジネスが絡まないと奮起しない。平均化が進んだ現状ではスター選手の登場も見込めず、今後盛り上がる気配も今の所見えない。ロシアは運用担当の北米に対する追加要素でしかない。

彼らもまた飽きてきた時にどうなるか?日本、正確には日本ISUは先頭になってもお金を出すしか能がなさそうだ。日本以外のアジアも無理だし、お金を出さない分それ以下でもある。「インフラ」はお祈りもせずに天から与えられるものではないし、小人が勝手に維持修復してくれる訳でもない。頭を使わず労力も出さない者は、結局流されて終わる。北欧や北米・ロシアからすれば、愚かに見えるのはもちろん、悪質な消費者にも映っているかもしれない。


#カナダはそれでも成長したが、日本は成長できなかった。本当に情けないし、見ていてイライラする。

斜陽のフィギュアスケート1

以前から感じてはいた。そして2018年平昌五輪をみて、その思いを強くした。

ユーロ・北米・アジアの五輪参加人数について、その割合を表にしてみた。ユーロ選手権参加国はそのまま、四大陸選手権参加国を北米とアジアに分けた形だ。男女通じてアジアの国の選手が初めて優勝したトリノ五輪(2006)の1つ前、ソルトレイクシティ(2002)から直近のものまでになる。

これを見ると、概ねユーロは減少、アジアが増加と分かる。北米も増えているように見えるが、米国とカナダの2か国でしかないため誤差は大きく、実態は年ごとの差はあっても全体としては横這いといったところだろう。

一方、その国別表彰台はどうか。一見するとアジアが増え、北米は横這い、そしてユーロは女子が復活で男子は減少となっている。

各エリアの中身について具体的に見てみる。ソルトレイクシティ(2002)の頃までは、考えにくかった国が参加してきている。ユーロで言えばスペインやラトビアに加え中東のイスラエルカザフスタンウズベキスタンが特徴的、アジアについては韓国・フィリピン・マレーシアが注目に値する。一方表彰台を見ても、西欧が影を潜め、日本がいきなり数を増やした。ロシアはバンクーバー(2010)を境に男子と女子が入れ替わったような形であるが、同国の育成が量産体制となった今は、以前のエリート選抜とは中身を異にしている。特に女子は、詳細は割愛するがトリノ五輪以前とは別物と言ってよい。

全体に、黎明期(北欧と中欧)とその後の成熟期(西欧と東欧)を飾った国々は消え、代わりにそれまで存在感がなく不毛とまで呼ばれた国がぞくぞくと参加するようになった。しかし彼らはあくまで”参加者”だ。”基盤を作る者”でも”ルールを作る者”でもなく、”運営者”ですらない。実際、そういった新しい国は自国で選手を育てる事さえ出来ず、人的・環境的に時に丸ごと他国のリソースを借りるのだ。日本はこれらの国の中では古株だが、やはりこれまでさんざんお世話になってきたし、今も振り付けは相変わらずほぼ他国頼りだ。そして何より、ルール作りにもシステム作りにも寄与しないどころか運営にも関われないままでいる。莫大な投資と時間は一体何だったのか。

つづく

天才は誰か

前回エントリで、天才の定義は「生まれつき持つ優れた才能」に加えて「きわめて独自性の高い業績を残した者」と紹介した。ここ50年位のシングルフィギュアスケーターから挙げるとするなら、キム・ヨナだろう。それより以前、殊に1960年代より前の世代になると判断は難しくなるが、音楽に合わせて滑るフリースケーティングを考案したジャクソン・ヘインズ(米国)や世界選手権で女性であるのに男子シングル2位の成績も持つマッジ・サイアーズ(英国)もまた加えて良いかもしれない。いずれも現役時より出色で、引退後もフィギュアスケート界に大きな影響を及ぼし、またその発展や普及に貢献してきた者たちだ。様々なものを吸収できる柔軟性を併せ持つ事も、3人に共通する特徴といえる。期せずして、大体100年に1人といったペースになる。

話をキム・ヨナに戻す。彼女の業績を見てみると、ジュニア時代から引退まで1度も台落ちしていない。これだけでも大変な偉業である。しかし何より、フィギュアスケートがその歴史をして、連綿と追い続けた欧州系のコンパルソリーを端とする「技術」と米国系の音楽に合わせた興業から発展した「芸術」の融合を成功させた-難解な共通解を解いたと言ってもよい-事が特筆に値する。順位こそ1位にならずとも、2008-2009年シーズン以降、実際並ぶ者はいなかったと言っても良い。

きわめて独自性の高い業績はどうか。母国のフィギュアスケート環境におけるあらゆる資源刷新やクリケットという一大クラブというよりシステムの契機となり、シングル女子のジャンプ構成モデル(ショートに1回、フリーに2回のセカンドトリプル)を生み、全体にスピード保ったままプログラムを実行してみせ、自身の強みを研究した上でプロトコル対応する方法を提示し、ショートプログラムでジャンプのミスをしない事の重要性を証明する、など数多くの業績を残した。これらはソチ五輪後における女子シングルのベースモデルとなり、それは今なお続いている。男子シングルにも強い影響を及ぼし、共通して「新採点プログラムが要求するもの」の理解普及へ具体性を持たせる事にも貢献する事となった。

さらに言えば、国の期待をただ一身に背負って勝ち続け且つ重要な試合でミスしない精神力の強さ、衣装とリンクしたプログラムの設計概念をこれ以上ない形で表現する象徴的な決めポーズの確実な実施、そして何より最初から最後まで水の流れるようなしなやかで優美な一連の動き、と単なる試合に収まらない非常に作品性の高い演技をするスケーターでもあった。技術的側面を強くして換言すると、卓抜した総合的制御能力といえる。

それにつけても世の皮肉よ。

天才の安売り

至る所にある現象で、日本では特に狭い世界とされる所で起こる。
政治界や経済界などはもちろん、将棋界やスポーツ界でも。

日本スケート界にもある。女子シングルなら伊藤みどり荒川静香安藤美姫、男子シングルなら佐野稔・本田武史高橋大輔あたりが特にそう呼ばれただろう。もっと言うと、全日本選手権に出るレベルにもなれば、2人に1人位の確率で経験あるかもしれない。いずれにせよ、自分に言わせれば全員天才ではない。

天才の解釈は人によりマチマチだが、定義は「生まれつき持つ優れた才能」に加えて「きわめて独自性の高い業績を残した者」といった所だ。後半の”きわめて独自性の高い業績を残した者”もポイントの1つであり、故に上記6人はやはり違うと言える。そもそも、これ程の事を成す者がポンポン生まれようはずもない。一方、今の現役含めて、日本スケート界から天才が今後出る事もまたないだろう。

何故、天才の安売りは横行するのか?1つは興業として盛り上げるためだ。メディアがよく使う。この事に限らず頭を使わなくなった日本人は、そういったセンセーショナルな単語や表現を、餌をもらう雛鳥が如く待ってさえいる。もう1つはスケート界はとても狭く、異常な言動をしても変に思われにくい事だ。中にいる者は世間知らずで乏しい知識から言いやすい言葉を連呼しているに過ぎないのだが、外にいるものはよく知らないため特に取沙汰しない。

両方知っている者から見ると、はっきり言って滑稽だ。

コーチや審判の能力

指導力の事についてではない。後天的に身に着けた能力の事だ。

回転椅子に乗せたりジャンプ中を超スローカメラで撮ったり、現役あるいはつい最近まで現役だった選手を対象に分析したものはそれなりにある。一方でコーチや審判については見た事がない。が、彼らも十分凄いと思う。年を取ってもあまり変りないようにも見えるが、定量的・定性的に実態がどうであるか分析結果を見てみたい。低下しない訳ではないだろうけど...それも含めて、謎は現役選手より大きい。

まず動体視力。ジャンプはもちろん、ステップやターンなど本当によく見ているなと感心する。しかし、一般にこの能力が高いとされる卓球選手に見せても、同じように見えるとはとても思えない。卓球は行って戻っての単純な直線運動をする球体を、概ね正面側から見る。対してフィギュアスケートは、「回転しながら回転するという惑星運度みたいな動き」をするのに加えて、「前後左右エッジを様々な角度から」捉えなければならない。スピードこそ卓球に及ばないが、比較して大量の情報を同時に処理する必要がある。

もう1つは、氷面へエッジで円などを描く能力だ。コンパルソリーをたっぷりこなす時代を経た世代だからか、人間コンパスよろしく実に見事に描く。地味ながら、最初に見た人は「へー」と、きっと思うはず。まさに職人芸。どの程度まで習得したらこうなるのだろう。

最後に、今や皺や白髪の混じりでリンクに佇む彼らの背筋は、同世代に比べてピンと伸びている。まあ、審判を氷上で見る機会は、ぐっと減ったけれど。見慣れて普段は忘れているけど、やはり往年の選手なんだな、とふと思い返しながら眺めている。

流石ですよね。

解説者、コーチ

改めてと初めてと、両方について書く。

【解説者】
フィギュアスケート人気が定着し、我も我もと現役時に大した活躍の出来なかった元選手らまでが、小遣い稼ぎをする場となり果てた。頭数が増えた分、これまでの「お前が言うな」はともかく、「曖昧で煩いだけ」からアンタッチャブル浅田真央の引退により、関わりない分にはバリエーションも増えた。まあ小学生から中学生かせいぜい高校1年生になった、という程度で大勢には大した変わりはない。

Webや雑誌に寄稿する事も増えた。文章レベルは本職ジャーナリストでさえ、ああなので割愛。内容について見ると、ライト層にはマニアックだろうし、マニアには情報が遅すぎたり今更な上に薄すぎる。スポーツライターは揃って洞吹きでしかない。コーチのものは、「成る程、だから強い選手に育てられないんだろうなあ」といろんな意味で思う事しばし。

フィギュアはルールが細かく多く、解説は確かに難しいと思う。しかし、あれだけ本数こなしてこれか、と聞く度イライラさせられる。結局は解説なしで見るのが一番良い。


【コーチ】
カナダなどと違い、日本では名乗ればコーチになれる(インストラクター協会という、職業ギルドみたいなのはある)。見た目の華やかさと裏腹に、苛酷かつ危険である上に高額な費用を要するスポーツであるため、コーチ教育は殊に必須であるはずなのだが、日本人がそもそもルールや仕組を作るのは下手な事もあり、制度化されず今に至る。また、体系的に理論立てて指導できる人が殆どいない。教則本が極端に少ないのも頷ける。

リンクという外も禄に見えない”象牙の施設”で幼少時より長時間過ごし、親の躾や義務教育も不十分なまま大人になった人たち。故、非常識な言動も多い。スポーツ界始めこういった特殊世界に住む人たちには、我々一般社会の方から資格と言う名の再教育と”ある枠”をはみ出させないための制度を敷かない限り、犯罪とされずとも常識から大きく外れた慣習の温床を生んだり時に実際に犯罪にまで行きつかせる事になる。フィギュア界もこれまで不正会計だの性犯罪など、度々事件を起こしてきた。これからも起こす、必ずだ。特に急激な人気が出た場合などは、持ち慣れないカネを間違いなく変な方向に使う。脱税を始め、驚きの内情だらけだろう。

我々が支払った税金から、毎年多額に投入されているのを忘れてはならない。何でも自由にさせるのは愚者のする事、如何なる人の集団にも規律と監視が必要だ。


うん、ちょっと真面目に書いてみた。

再始動

[氷シリーズ]をトリノ五輪の翌シーズンに書いた。早10年以上、まさに光陰矢の如し。
リンク内の様子も少し変わった。という訳で、改めて書いてみる。


【続・子供スケータ】
小学生位までの子供たち。女の子がやはり圧倒的ながら、男の子も確実に増えた。女の子の方が精神的成長が早い、と本当によく分かる不思議な挙動が、ほぼ例外なく男の子に見られる。始終左右にユラユラ揺れていたり、周りに全く気が回らないなど。年齢が少し上がってくると、”オレって恰好いいだろ?”という声が聞こえそうな態度を取るようになる、小さなナルシストにバージョンアップする。近い将来の上陸後(スケート卒業)が心配になってくる子供たち。いずれにしても女の子同様、「あわよくば」とか「TVに映るかも」など、邪念の多すぎる親の人型オモチャにして、本当はその親自身がやりたかった事の代理行為者。

【続・選手(っぽい)スケータ】
よく言えばフィギュアスケートの認知度が上がり、悪く言えば?ビジネスの小道具として普及し早くからスポンサーも付きやすくなった事などから、「私も」「僕も」とモチベーションは全体にトリノ五輪以前より高くなったであろう層。今時「TVに映る」、とか既に時代遅れにも関わらず、おそらく親も含めて世界が狭いためか未だに強い憧れを持っているようだ。まあいいから、学校へ行って勉強するように。

【続・インストラクター】
トリノ五輪以前と違い、全体に仕事にも困らず、本人のやる気と指導力次第で相当な高収入を得る人々。車や持ち物等がそれを証明している。フィギュア界だけでもないだろうが、税調が入ったらさぞかし困るだろうな、と容易に想像つく。キスクラ映像を見ても、それはそれは高級服を着ていらっしゃる。長久保コーチの後を継いだ女性コーチも、見る度に全身グレードアップしてますしね。単純計算で、3,000円/30分を土日8h平日5h週1休みとしても、月収は何と864,000円。派手な事をやっているのでそろそろ目を付けられそうだが、良かったですねー、とりあえず今は、財務省国税庁)がそれどころじゃなくて。まぁ、本当に好きじゃないとやっていられない商売でもあり、体力といい凄いなと素直にも思いますけどね。

【続・大人スケータ】
シングルでは男女とも強い日本選手のいる状態が続き、新参の人たちも増えた。

【続・女性大人スケータ】
女性は基本マメなためか、全体に技量が上がっている。とはいえ、子供のように劇的な上がり方はしないので、「分かる者が良く見れば」の範囲でもある。まぁ、そもそも週末位しか出来ないので致し方ないし、よく頑張るなぁと感心もする。一方で、通常ならテニスとかヨガへ行ってそうな普通の人たちに加え、二度見したくなる服装や常にマスクを着けたままという頭がオカシイ連中もまた増えた。
<オタク女スケータ>
スケートを題材にしたホモアニメがあったらしく、現実との境を区別できない変人たちまで進出。黒い靴を履き、自らオタク宣言する、なくした方が良い度胸を持つ人々。噂で聞いていた頃は半信半疑だったが、リンク上にて実際に生息を確認した。動機が動機のためか大した技量はない事から隅っこにいるため、思った程目立たないのが救い。

【続・男性大人スケーター】
やってみたいけど何だか恥ずかしい、から男子シングル選手が増えた事で敷居が下がり、思い立つ人も僅かながら増えてきた。身体も力も最もあるため、混雑するリンクでは本当に練習しにくそうで気の毒でもある。思うように練習できないのに、自分がみる限り特別イライラした様子もなく感心する。やはりジャンプを好むが、不思議と女性以上に癖が強い傾向にある。

【続・ホッケー野郎】
未だ存在するホッケーの練習をする大人の男性、またはその小集団。頭連中が何回五輪に出てもサッパリなので、大きな顔をしたくても出来ないチンピラ集団ともいう。相も変わらず、年齢を顧みない出で立ちと、その見た目ままに山賊のような言動をする。いい加減、卒業しませんか?

【横切りキッド】
コーンなどで区画されたエリアを、何故か毎度同じ進入角度とコースで横切る、ヘルメット装備の小さな子供。どう見ても親同伴でないとおかしいのだが、いつも独りで滑っている。

【横切り一般客】
コーンなどで区画されたエリアを、平然と横切るチャレンジャー。監視員などに注意されるまで、自分が何をしているのか本当に分かっていない頭の弱い人もいる。危ないですよ?

【続・一般客】
何故かコーンなどによる区画周辺すれすれを周回する人が多い。こちらにしてみれば、ジャンプ練習などで邪魔な人々。彼らにしてみれば、同じ料金を払っており文句を言われる筋合いはない。リンクが増える以外、根本的な解決方法はない状況に。シーズンオフ、別なスポーツが脚光を浴びる、フィギュアスケートの人気が下がる、の全てを心からいつも願う。一方で、結構高い確率で後頭部から転倒し、そのまま担架で運ばれる人もいる。救急車がリンク外にいても驚かなくなった。特に目先に重要な事がある場合、行くのは止めた方が良いと思う。


久しぶりだなぁ。