淡々としたブログにも心惹かれる


「タルタルソースも空を飛ぶ揉め事ってなんで起こるの?」を読んで。


見ず知らずのブログ管理人が揉め事に巻き込まれているのを見ても手助けしたいという思いは持たないが、矢張り私も知り合いなどが揉め事に巻き込まれていたとしたら手助けをしたいと思う。特に、相手が言っている事に疑問を感じ、それを指摘したくなる事が此れまでにも何度もあった。だが、私は論客ではないので何の手助けにもならないだろうな。それに恐らく、明らかに「それはおかしいと思うぞ」と指摘したとしても、相手は全く取り合ってくれないだろうし、得てしてああいう揉め事の最中の当事者はほとんどの人が冷静な判断が出来ていないように見受けられる。
筆者が「ガチンコで殴り合いでもしてくれとか思ったりもする」と言っているように、二人だけで好きなだけ言い合えばいいのじゃないか。それこそ言葉で殴り合うといった感覚か。


はたして揉め事の一つや二つも起こらないような淡々としたブログはおもしろいのだろうか?プログラムのように淡々としたブログと何が違うのだろうか?不和こそが、人間らしさを見せてくれるものであり、ブログを面白くするスパイスであるのかもしれません。


確かに私も不和が全く無い関係には疑問を感じる人間ではある。全く喧嘩をしないからいい人間関係なのだと信じているわけではない。だが、だからといって全く喧嘩をしない関係全てを否定するわけでもない。喧嘩をしない人間達も素晴らしい関係を持続させている人々もいる事は確かなのだ。私の知り合いにもそういう関係を続けている者はいるから。
だから、不和だけが人間らしさを見せてくれるとも私には言い切れない。
そして、他の者はどうあれ、私に限りブログを面白くさせるスパイスは不和ではない。たとえ99人がそう言ったとしても、私だけは揉め事を起こしているブログには魅力を感じないな。
書いている内容が過激であっても、100%揉め事が起きるわけではない。それは誰も相手をしないくらいに詰まらないからと人は言うかもしれないが、時にはそういうブログにも私は心惹かれる場合もある。そして、淡々としたブログにも心惹かれる時もある。

そのツボに嵌る感覚がもしかしたら私は他の人とは違っているのかもしれないな。

意思表示はきちんとしておくべき


「他人の不幸は蜜の味 トラックバック放置はNGなのだろうか?」を読んで。


結論から言うとNGではない。勿論、それは私がそう思うだけであり、NGであるという意見の人間もいるだろう。その理由は筆者が書いている事にも書かれている。


 書いてくれる人としては、コメントの方が気軽で、記事書いてトラックバックを飛ばす方が大変だと思うのです。大変という言い方はおかしいけれど、労力がかかってるというか。考えをまとめる時間も含めて。


トラックバックを送る側の人間は、その記事を書き上げるのにコメントとして書くよりもある程度力を入れて書いているのではないかと思うからだ。もし私がトラックバックを送ったとしたら、一言「読みました」というコメントだけでも欲しいと思う。それは別に自分のコメント欄でなくてもいい。はてなブックマークのコメントでもいいかな。
筆者はそれが反対意見だったとしても反論はしないと言っているが、私が筆者を人間関係が希薄だなと感じる所以はそこら辺にあるのかもしれない。
別に熱くなって反論するから人間関係が希薄ではないというものでもない。
ある程度「僕はそうは思わないのだが」と軽く反論するのも時にはあってもいいと思う。そういう反対意見を相手に提示しなければ、トラックバックを送った相手は色々と考え込んでしまうのではないか。それは私だけか?(笑)
私は例えばトラックバックに限らず、自分はこう思うと書いて相手が何も反応をしてくれない場合「同感と感じてくれたみたいだ」と「むかついたらしい?」との狭間で深く考え込んでしまう。だから一言でも「読んだ」と返してくれれば、同感かそうでないかは分らないがむかついたわけではないらしいと胸を撫で下ろすのだ。


だが、こうやって筆者が「こういう事なんだよ」という記事を書く事は良い事だ。筆者にトラックバックをスルーされた人は、これを読んだら恐らく安堵するのじゃないかな。


〔追記〕筆者からコメントを頂いた。


「はてなブックマーク - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 意思表示はきちんとしておくべき」のコメントを読んで。


反論しないケースっていうのは、「どうでもいい」というより「僕も精神状態によってはそう思うよ」という、自分の範囲内のTBに対してね。


精神状態によっては「そう思う」となる時もあり「そう思わない」となる時もあるという事か?
自分の範囲内のTBで言う所の「自分」は筆者の事か?
説明しにくいと筆者が言っている通りなのか、それとも私が読解力に欠けているからなのか、私には筆者の言わんとする所が分らない。申し訳ない。