私に誠意が感じられるか?


「はてなブックマーク - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - つまりは私は意気地の無い奴なのだ」を読んで。


lovecall comment, trackback, communication そかな。本当に意気地なしの人は、こんな風に本音を語らず口をつぐんだままでいるんじゃないかなあ。こうしてエントリで表明するxuraさんは誠意のある人だと思っています。


以前、他の者に「あなたからは誠意が感じられない」と言われた事がある。不思議なものだ。私は今も昔も変わらぬのに、誠意があると言って下さる人もいる。人の感じ方は様々なのだな。


所で、私は当時、記事内でコメントを付けると自分語りをしてしまうと書いた。勿論、自分語りをしてしまうコメント欄は昔からよく知っている相手の場所にしか書かないので、相手に甘えて私は書くわけなのだが、相手の場所は私と相手だけが読んでいる場所ではない。当然、第三者も見ているわけだ。それを不快に思う者も矢張り居るのだろう。所謂「常連コメンテーター」が私という事になるが、そこに割って入って書き込みする者もなかなかいないのだろうな。それに気が付いた時、私はよく知らない他人の場所にはコメントが残せなくなってしまった。たとえ、相手が「大丈夫ですよ」と言って下さっても、私にはもうコメントは書き込む事は出来ない。更に、知り合いのコメント欄にも昔のような長さではなく、語りたいのをぐっと堪えて、極力短くコメントを書くようになってしまった。


私のブログは最初からコメントが出来ないようにしてある。誰の声も聞きたくないと思っている訳ではないが、もしかしたら私は心の底では、コメント欄での対話をしたいと思っていないのかもしれない。否定的なコメントであっても好意的なコメントであっても、一応は聞き入れて、自分は如何あるべきかを考えるきっかけとしたいとは思っているのだが、それについて対話をしていきたいとは如何やら思っていないようなのだな。そんな私である。とても誠意があるとは言えないだろう。矢張り、私は誠意のある人間ではないのだよ。


【追記】lovecall氏よりコメントを頂く。


「誠意が感じられない」と言う人もいる、xuraさんも「誠意のある人間ではない」と言う。 私は”自分と比べて”誠意のある人だと感じたのかもしれません。誠意の基準も様々ですなぁ。


私には氏の方が誠意のある人間に見えるよ。そうだね。確かに基準は様々のようだ。恐らくこう言えるのではないかな。如何でもいい相手から「誠意が無い」と言われてもそれほどのショックはないが、この人からは言われたくないという事もあるな、と。そして、私は「誠意が無い」とその人に言われて暫く立ち直れなくなったものだった。私には誠意があるという事が如何いう事なのかが分からないらしい。だから、自分では自分らしく振舞っているつもりなのだが、それを誠意が無いと否定されたら、どうしようもない。難しいものだ。