生命科学専攻学生が見た就職難

■Introduction
私は学生なので、働いている人が見ているリアルで広範囲な世界のことは知りません。インターネットのお陰で、多くの方と知り合うことができ、沢山お話をうかがうことはありますが、実感として知っていることは自分の立場から見た狭い世界のことだけです。しかし、最近特に世代の違う人と話していて、危機感を持つべきことに関心がなかったり、共感して欲しいところがわかってもらえなくて寂しいと思うことがあるので、誰でも閲覧できるこういうところに、自分の立場から見た世界をしばしば書いていこうかと思います。若者擁護な視点が多くなっていることをご了承ください。

最近、日本は大卒就職率や内定率が落ちています。私は大学院生博士課程前期(修士)2年生なのですが、生命科学系の大学院でも起こっていることは全く同じで、私の大学は名前を言えば大体の方に「ああ、あそこね」と言ってもらえる大学なのですが、学科に当たり前のように就職留年が出るようになりました。2010年入社の就活からガクっと就職活動は厳しくなったように思います。それまでは就職留年というと、研究室で耳にするものは希望の内定が取れなかったからやるというものだった(これ自体も国際的には異常なことですが)のですが、最近は全く正規雇用の内定が取れなくて泣く泣くという人が出てきました。しかし、中には、というか現役の教授でさえ、盲目的に「それは最近の学生の質が落ちているからだ」と思っている人がいます。確かにそういう見方はあると思います。今や大学生でも登校拒否や自分の人生に責任をもたない態度が広がっていることは確かです。しかし、「質」というのが学力と混同されている向きがあることに私は危惧を覚えています。

学力低下で就職難は説明できないと思う
ゆとりという言葉に代表されるように、実際に学習指導要領はこれまで度々易しくなるように改訂されていて、日本人の平均的な学力は落ちています。しかし、これまで日本のエリート層(この偏見染みた言葉は嫌いですが)などと呼ばれていた学習指導要領になど頭から従っていない私立中高で教育を受けて、一般受験で難関大学に合格した人々の学力は、落ちているとはいえ、その幅は比較的小さいと思います。そういった学校では学習方法は時流に逆らってむしろ常に発展しており、実践的な学力を学ぶ機会も増えています。現在起こっている就職難はこれらエリート層にまで拡大しており、これは明らかに学力低下だけで語れる問題ではありません。私はこの原因が本質的には景気低迷と、規制と不文律により既得権益者に閉鎖された労働市場を含めた日本の市場の永続的な縮小にあると思いますが、それに拍車をかける問題として、
1.大学の専門分野は就職に活かされるべきというやる気のある学生の誤解
2.労働は馬鹿らしいというやる気のない学生の存在
3.未だに序列と学歴保障が存在しているという学生全体の誤解
を感じています。カテゴライズをすると、どうしても齟齬が生じてしまうのですが、一つ一つについて考えていきたいと思います。
1.大学の専門分野は就職に活かされるべきというやる気のある学生の誤解
特に理系に顕著なのがこの考え方です。科学の常識が求められることはありますが、実際には新卒採用で専門的なスキルや知識が求められることはほとんどありません。生命科学に関しては、ほんの一部の製薬会社の研究職で求められるくらいだと思います。本当に専門的な知識が必要なポストは学位取得者や中途の採用によって補うのが一般的だと思われます。修士や学士は専門的な知識ではなく、与えられた課題をどうこなしたか、そこから仕事として一般化してどう自分は成長したかを問われるので、全くその会社の事業と関係なさそうな専攻の人が内定を得たりします。単純に専攻=将来の職という風に視野が狭められていた就活生は少ない職種を狙い、多くは落ちていきます。それどころか、その狭められていた視野の中で就活生は「夢」を持っているのです。「こういう仕事をして、社会の役に立ちたい!」「こういうことをして、こういう人を助けたい!」ところが、この夢は就活を通してことごとく否定されていくので、挫折によりモチベーションを失ってしまう学生が多く見受けられます。これはいわゆるやる気のある学生にありがちです。2009年入社の就活生までは、そういった専門職の選考が秋に終わってから、他の職の選考が始まっていたのですが、現在はほとんど全ての会社が年明けにエントリーシート→面接→5月始めに内定というプロセスを経るので、「専攻と会社は関係ないんだ」と気付いた頃には就活が一通り終わってしまっているという状態になります。また、これまで理系学生の決定的なパイプラインだった「学校推薦」が機能しなくなっています。学校推薦とは各大学に有名企業から比較的専攻と近い研究開発職に特別枠として採用人数が割り当てられ、内定時に入社を確約することを条件に学生を採用する採用方法です。以前は採用枠通りに内定がもらえたのですが、最近は最終面接で落とされたり、他の会社の採用を犠牲にしたのに内定がもらないということが起こっており、特別枠としての役割が弱くなっています。つまり、現実問題「自分の専攻を活かせる仕事は一握りしかない」ということを意識して早くから就職活動を始められないことで、それに気付いた頃には残された選択肢が限られている→留年や非正規雇用に就職という事態が起こっています。

2.労働は馬鹿らしいというやる気のない学生の存在
先述したように、現在の就職難は既得権益側による「若者いじめ」の様相があること、日本国家の財政はもうすぐ破綻するだろうことを盾に、「今働いても搾取されるだけ。どうせ稼いだ金の価値が近いうちになくなってしまう。親の資産や社会保障に甘えた方がいい」と半ば真剣に考えている人がいます。就職活動はもはや外面を判断するだけの既得権益者のゲームであり、自分は社会の一員として認めてもらえることはないという絶望感のようなものが漂っています。そのため、就職が決まらなくてもあまりあせらず、適当にフリーターになったりします。こういう人はマイノリティですが、大学院でも普通に見かけるようになりました。もちろんこのようにロジカルに問題を考えている人ばかりでなく、ただ単に「なまけ」や「甘え」から働くことを放棄している人もいますが、無意識下にはこういった絶望感があることは間違いないと思います。また、これら単なるなまけからこういった態度を取る人と現代社会への反抗としてのサボタージュを行っている人が混在していることが、起こっている現象を複雑化している向きがあると思います。

3.未だに序列と学歴保障が存在しているという学生全体の誤解
日本の教育は、ほとんどがネームバリューによる偏差値至上主義で成り立っています。2008年に共立薬科大学慶応義塾大学に統合されて名前が変わっただけで、偏差値が跳ね上がった現象がありましたが、あれは端的にそのことを表していると思います。そのため、就職活動においても、2ちゃんねるを中心にした偏差値ランキングが存在しています。例えネット上の企業ランキングを知らなくても、それに似たような序列のもとに就職活動をしている人が大変多いと思います。実際には就職活動には偏差値など存在していないため、この序列を安易に信用するわけにはいきません。しかし、意外とこの序列を鵜呑みにし、実際の会社の内情を知らないままに就活を進める人が沢山いるというのが実感です。そのため、どこどこの会社に受かった、受からない、内定をもらった、もらわない、で「勝ち組」「負け組」という根拠の乏しい偏見が生まれます。すると、本来は働くことを目的としていた就活が「勝ち組にならなければ意味がない」というものに変化していきます。そのため、前述の学生の考え方がエスカレートし、「専門を活かせてなおかつこれ以上の会社でなければ意味がない」「これ以上の会社に受からなかったら働かない方がいい」という考え方に陥ります。また、学歴保障の考え方も根強く、「これくらいの偏差値の大学だから、これくらいの会社に入れないといけない」という潜在意識や周囲の期待も色濃く残っています。学歴で採用してくれるところがあると無意識に思っている人もいます。確かに採用側も学歴でボーダーをかけているところはありますが、日本企業は海外の採用プロセスを自分達に都合のいいように最近は取り込んでおり、「学歴無視」を標榜した「有名大学生でも使えない人は入れない」というリスクヘッジを行っているため、基本的には会社とのマッチングが全てです。

■学生はリアリストたれ!労働市場よ変われ!
日本は旧態の序列に基づいた就職活動と外資系企業を中心としたグローバル視点の採用活動が混在した非常にややこしい労働市場が形成されています。そのため、これまでの序列に従った現象とこれまでの序列に逆らった現象が同時に起こっており、就活生は混乱し、世論も何が起こっているのかよくわからないという状態が今だと思います。ここで、学生に対して行いたいアドバイスは、
1.自分の専門性に固執しない。
2.労働市場の需要をつかむため、様々な業界・企業を早めに知る。
3.静的な安定を求めず、動的な安定を自ら創るという態度をとる。
ということです。
1.自分の専門性に固執しない。
自分が描いた夢は本当に実現可能なのか、その夢は偏った目線で創られていないか、リアリストとしての視点でもう一度見て、視野を広げて欲しいと思います。逆に言うと、これまでの自分の専門性を一度リセットして、本当にやりたいことは何なのかを考えてみるといいと思います。最近は、就活でよく自己分析を行います。そこで見つけた働くモチベーションを、自身の専門を度外視して実現していく方が、現代の働き方としてはやりやすいと思います。
2.労働市場の需要をつかむため、様々な業界・企業を早めに知る。
つまりは現実に存在している仕事をどんどん知って選択肢を増やして欲しいということです。もしかしたら自分の専門性を活かせる仕事が、全く興味のなかった業界にあるかもしれません。例えば、大日本印刷では印刷技術を応用した血管再生技術の開発などを行っているように、名前と一般的な知識からは導き出せない研究分野が転がっていることがあります。また、「こういう仕事があったんだ。こっちの方が向いてるかもしれない」ということもあるかもしれません。過去の研究室や先輩がどこに行っているかを把握して自分の目標を作るだけでなく、自ら世界を広げて行って欲しいと思います。アドバイス1と逆行する部分があると思われるかもしれませんが、まずはどんどん情報を仕入れて行くことが大事です。そして、その過程で自身の専門性に固執しないで選択肢を広げ、優先順位をつけて立ち向かっていく。もし専門性が武器になるなら、その時は専門性を武器にするということが大切だと思います。
3.静的な安定を求めず、動的な安定を自ら創るという態度をとる。
私は最早、日本企業に安定を求めることは間違っていると思っています。もちろんメガバンクを抱えているような財閥が潰れる時は日本経済がメチャメチャになってる時だと思いますので、その辺りの会社は政府が守るだろうから安定ということはあるかもしれません。しかし、今やその政府も財政が困窮している中、そのようなセーフティネットが現実に機能するのかも疑問です。これからは組織が変わっても自分が労働力として力を発揮していくという態度が大変重要だと思います。そして、安定した組織を自ら創っていくように心がける。大げさにいえば、社員とはいえ、自分をフリーランスのように捉えていくことが大切だと思っています。お前、働いてない癖に何言ってんの?という声が聞こえますが(笑)、安定した組織を手に入れるというよりは、それくらいの危機感と自主性を持って就職活動を続ける方が健全だと私は思っています。

私はこのように自身の身の置き場を労働市場に探していく作業が就職活動だと思っています。ところが、未だに学歴等による目に見えない序列や、終身雇用を守るために採用を規制する態度、新卒採用という今となっては機能していない就職慣行がこの作業を妨害しています。自分が行いたい仕事の実現のために研究やインターンやボランティアや留学や短期就職をして企業にアプライしても、ただ新卒で面接をうまく切り抜けただけの学生に負けていくのが日本です。そして、真面目な就活生は労働市場の閉塞感と、自分は実は何も求められていないという絶望感に包まれ、やる気のない学生は一体何が起こっているかもわからずにうまくいったり、こぼれてフリーターになったりしています。労働市場をもっと分かりやすく解放し、若者にチャンスを与えるだけで、自然とやる気のある若者は夢を持つようになるし、日本は発展していくと思うのですが、中々歯車は噛み合ってくれません。問題は複雑ですが、ひとつひとつ次の世代の足かせにならないように解決していけば、どんどん人が救われていくのが今の日本で、そうなれば相互理解によって絶望感はいずれ消えていくと私は思っています。

※追記 2010年11月27日午前1時
はてブのコメントで「専門性に固執しないなら学部で就職すればいい」とのコメントが多数見受けられます。仰る通りだと思います。しかし、現在の研究開発職の多くは修士卒が採用の条件になっています。理系の学生は研究開発を第一志望にする学生が多く、大学院への進学者が元々多いため、門戸を広げるために行かなくてはというノリの人が多いかと思います。また、私は専門に固執するなと言いたいのであって、放棄しろとは思いません。決して専門性の重要性を否定するわけではありません。特に大学院生に盲目的に自身の専門から離れられないで、「そういう仕事もあったのか」と後悔する人を何人も見ているので、まずは視野を広げることが大事という意味での意見だという風にご理解ください。