走るパンネロ

コミ通のアレね。
思いがけず伊藤剛さんに反応していただき、普段はありえないアクセスが集中して驚いているところ。だって今はFFに忙しいんだもん。漫画もほとんど読まずネットもブクマ巡りで終わって、いや、たまに例の件の経過を確認して石舘氏のコメントに、俗に言うバカの壁を痛感したけど、まあやはりあれを読んでちょっと一言いってやりたい人がいて、あー自分だけじゃなかったんだと一安心。
元々は鶴岡法斎氏とその周辺のブログから例のレビューの存在を知って読んでみたら、つまらないというのは勝手だが、しかしまあドキュメンタリーへの無知はもちろんリアリティへの無邪気な言及といろいろな突っ込みどころがあってびっくりですよ。
で、華麗にスルーすることができたわけなんだよ。丁度FFも面白くなってきたところだったし。多くの人はバカだのアホだの呆れたり、こういう人もいるんだ・伊藤剛さんが言うように、売れるということはこういう人にも読まれるということなんだと喜ぶこともできよう。でもなんつうか、ちょっと危機感も感じたのである。
先日に竹内一郎氏の本についての話で、あれ書いた後に、他の紙屋研究所さんとか漫棚通信さんとかのレビューを読んで、この竹内氏がまかりまちがってゲーム脳がどうとか言う人みたいにテレビに出て来て手塚=ストーリーマンガの起源とか持論を解説と称して語り始めたらどうしようって。なんかよく知らないスタッフが本の帯にだけ反応して今度番組でマンガを特集するんですけど解説してくれませんかとか、なんかクローズアップ現代に出て来てあれこれ電波飛ばしたらどうしようっていうどうでもいい杞憂があったのね。
石舘氏のレビューは、私にとって本当にテレビに出てきた竹内一郎氏のようなものなの。だから、これはいかんと、誰かにたしなめていただきたいと思ったのである(放送作家らしいんで、作家と名の付く人の言葉なら傾聴してくれるかもしれんし。なんかコメント欄では素人風情がうるせーみたいな印象抱いたので)。テレビの影響力はバカに出来ないからね。今回の件は失踪日記吾妻ひでおに関心ない人は端から眺めつつ、こんなのお互いどうでもいいよと思っているだろうけど、あのレビューに一切のコメントもトラバもなければ、何も知らない人にとっての失踪日記の評価はあのレビューになっちまうかもしんない。
まあしかし笑ったのは、多くのコメントにレスを返さず、いやそれは別に構わないんだけど、そもそも多すぎて一つ一つ返信できないだろうし。でも「面白いと感じなくても最後まで読んで批判する、という、マンガの世界では貴重といえる『批判』を、『可能性が高い』マンガの未来の為に役立ててほしい、と考えています。」とさらって言ってしまうのがまたすごいなー。確かに一人でも自分の文章をきっかけに作品に触れたり、新しい知見を与えれればいいなーと漠然と思っているけど。自信あるんだなー。自信ある人ってうらやましいよ。
あとね、失踪日記の中で失踪以前の自分のことも描かれてあるにもかかわらず、それについて全く触れずに自分は作者の背景を知らないから云々というのにも違和感あった。読めば知ることが出来る情報があるのに、読まない。見ているのに見えない・気付かないと見えないものってあるけど、読んでも読んでない・気付かないと読めないものもあるんだね。いい勉強になったということでFFの続きでもしよ。