映画「デスノート 前編」感想

映画「デスノート 前編」
監督:金子修介 脚本:大石哲也
音楽:川井憲次 撮影:高瀬比呂志 照明:渡邊孝一
美術:及川一 録音:岩倉雅之 編集:矢船陽介
主演:藤原竜也 松山ケンイチ瀬戸朝香 香椎由宇 細川茂樹戸田恵梨香 藤村俊二 鹿賀丈史

 漫画原作映画ということで、「デスノート 前編」鑑賞。
 正直面白かった。期待してなかった分を差し引いても、また荒い演出や難のある台詞回しという欠点を考慮しても娯楽作品としてとても楽しめた映画だった。とりあえず、映画を楽しみにしている方々は以下の文章でネタバレするので退避よろしく。ということはつまり、映画は原作とは違う展開を見せるということなので、原作既読の方々もご注意を。



 個人的には監督が金子修介という時点で期待する要素がなかった。前々作・前作の出来があまりにひどすぎる……というかおそらく監督自身にとっての汚点だろうだけに、それと特撮だけの人という印象もあったし、なんかリュークが火を噴いたりするんじゃねーだろうなといらぬ心配をしていた(いやまあ前々作でホリプロの某を主役に映画を撮ったからこその監督起用だったのかね)。ホリプロが企画に絡んでいるということで、ここは主役の月を演じる藤原竜也ホリプロに所属している関係かもしれんが(松山ケンイチホリプロだし)、同じくホリプロの、おそらく一押し女優だろう香椎由宇が原作に登場しないキャラクターで出演するという報に接して、またも芸能プロダクションのごり押しで話が歪められちまうのかと絶望に近い気分だった。脚本に至っては「マッスルヒート」に続く2回目の映画となる大石哲也が担当、これが出演者が気の毒なほどつまんない映画だったので今回も駄目だろう、私の中で「デスノート」は駄作というのはほぼ決定事項だった。じゃあなんで観たかっってそりゃ藤原竜也お気に入りだし、香椎由宇かっこいいし、もうそんだけだったな。
 で、本編。映画のタイトルは片仮名で「デスノート」、原作「DEATH NOTE」とは峻別されているようだが、タイトルバックは英語表記だった、どっちやねん。まあいいや。冒頭は極めてオーソドックスかつ形式的というか記号的というかわかりやすさを並べて、映画の世界がどうなっているのか、主人公がどのような立場なのかを簡潔に説明する。次々と死んでいく犯罪者たち、しかも皆心臓麻痺ということでもキラ神話が生まれる。キラとは何者か、どのようにして殺すのか、ノートに名前を書く→ニュース報道でその名前の犯罪者の死を伝える、という場面がいくつか続くと、主人公・月(藤原竜也)の登場である。
 大学で警察庁を目指して法律などを学ぶ学生という設定。月の恋人・詩織(香椎由宇)も同様の設定だ。いきなり原作にいない人物の登場に戸惑いはしたが、断言しよう、この役はこの映画とって欠かせない存在である、ホリプロすまぬ。詩織の役どころはバスジャック遭遇、そしてラストの南空ナオミ瀬戸朝香)との対決と物語の中核に居座っており、月の残虐性を煽る一翼もになっている。前半では月とキラについて議論をするが、原作ではリュークだけだった話し相手が、キラに反感を持つ代表者たる詩織として、法律を学んでいるからこそ起き得る自然な会話が成立している。彼女の設定は原作では父・総一郎(鹿賀丈史)をはじめ警察関係者やL(松山ケンイチ)が負っていたけど、恋人に分担させることで、詩織の言動が常に月を責めているような緊迫感を醸してもいる。そしてその荷を軽減された総一郎は、仕事にいそしむ父という像が明確になっている。原作では、ちょっとあんた内部事情漏らしすぎって感じだったからな。
 だけどまあひどい演出がないでもない。街中で懐からノートを取り出し広げて、犯罪者の名前を書き込む場面は月の天才性が台無しだ。隠せよ、忍べよ! リューク(CG・声は中村獅童)と遭遇する場面もなんだかなー。道の真ん中なんだよ。しかもノート抱えたまま。部屋の中でいいじゃん。これは改悪としか思えん。無用心というか配慮が足りないというか、ノートを持つことの意味が映画では重要視されていないから、ノートに触れたら死神が見えるという設定から予想される出来事がほとんど端折られている。だから中盤のバスジャック、ここはほぼ原作に沿っているから既読者には問題ないが、未読者には唐突感があったかもしれない。まあ理解できない場面ではないんだけど。原作みたいにリュークがぺらぺらと説明しない、犯人が拾った紙切れを見詰めて感心するリュークという程度の具合に抑えられている。
 またノートを拾う直前に、法律の虚しさみたいなものの表現として、無罪になった殺人者に会って逃げるように去り六法全書を投げ捨てる場面がある。わかりやす過ぎて私が恥ずかしくなってしまったが、だけどと言うか。だからこそ、原作を知らない人にとっても作品の主題やそこから派生する関心(自分がデスノートを持ったらどうするとか、悪人は殺して構わないとか)に思考が向きやすいということかもしれない。作品論云々ではなく、それこそ劇中の月と詩織のような議論が鑑賞者の間で起こりえるということだ。
 さて、しょぼい警察内部の施設は置いといて、序盤の山場となるLとの最初の対決・原作では第2話に当たる一連の場面は、内容をわかっちゃいるけど気分が高まった。オーロラビジョンによる大掛かりな撮影が想起できる。好きな漫画が実際に動いているっていう感動があった。だが、バスジャックからレイ(細川茂樹日系人という設定らしい)の殺害も原作どおりなのに昂揚感がなかった。もちろん終盤に向けての伏線はきっちりと仕掛けられているんだけど。映画に詳しければそこら辺が解き明かせるのかな。演出が全体的に少々かったるい・脚本が冗長というのもあるんだけど、それが中盤で気になり始めたということか。たとえばワタリ(藤村俊二)がノートPCを取り出す場面のもたつき方、レイの地下鉄内の挙動のまったり感、南空ナオミの原作よりも一層攻撃的な性格、場所を変えて同じセリフを言うL、リュークに説明したことをあとで演じる月など。
 でも見所は終盤に詰まっている。月がキラだと決め付けたナオミの強引な捜査である。婚約者を失った悲しみも手伝ってのことと好意的に捉えておくけど、詩織や月に幾度か接触し、果てはLに連絡をして自分の命を犠牲にキラを捕まえると豪語する。原作にないナオミの暴走とも思える行動によって物語は一気に加速する。詩織を人質に月を美術館に呼び寄せ、銃口を向けるナオミ。この場面で、はたと気付く、この美術館は以前詩織と訪れていた場所だ、と。月はそこで防犯カメラの位置を確認している。当初それは、人前でキスするなんて……と恥ずかしがる詩織のための場面かと思われていたが、終盤の舞台を整えるための作劇だったのである。そのカメラを通してナオミと月の対峙を見守るL、彼は月の挙措を凝視するだけだ。そして、このナオミの行動自体に、死ぬ前の行動を操れるというデスノートの効果を思い出せば、どこまで月が計算しているのか、そのためには恋人さえ利用するのかと、その非情さに痺れてしまった。原作でも月はいつか家族を殺してしまうのではないかという緊迫感が薄いけど底に流れていたものの、映像になると迫力が違うな。
 完全ネタバレは避けるけど、これだけは書いておく。個人的に最大の見せ場だと思ったのがラストシーンである。いよいよ月とLの対面だ。頭脳戦というよりも月の計画殺人を見せ付けられる感じだった前編、特にやられっぱなしだったLが、最後の最後にポテチを食いながら登場するのである。一週間盗撮盗聴された環境の中で殺人を行った月であるが、方法は原作と同じだ。私はそれを見抜いたぞ、というLの高らかな宣言、ポテチをぱりぽり食いながらのそのそ登場する彼は、ナオミと対峙する月が持っていた小さなシャーペンに目ざとく、ひょっとしたら殺害の方法さえわかったかもしれない。何も語りはしないが、ポテチの袋だけで、Lが月の全てを見破ってしまったのような興奮が残ったままに、後編への引きとなる。うわー後編早く観てー。