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2007-01-28 (日) 映画「幸福な食卓」感想

映画「幸福な食卓」感想

監督:小松隆志  脚本:長谷川康夫

原作:瀬尾まいこ  音楽:小林武史

主題歌:Mr.Children「くるみ -for the Film- 幸福な食卓

主演:北乃きい 勝地涼/平岡祐太 さくら 羽場裕一 石田ゆり子

 随分とまあ地味な題材だなー、しかも全国公開って無謀にも程がある。だいたい北乃きいって誰? 勝地涼ってアギトで棒読みしてた奴だろ、平岡はまた左に首かしげたキモイ演技すんのかな、羽場裕一って非バランスでしか知らんな・しかも印象悪い役だったし、石田ゆり子が母親役って無理あんだろ、小松監督って、ああ「ワイルド・フラワーズ」の人ね、ていうか主題曲前面に出してもそれ目当てに客入るわけないじゃん……

 正直、感動した。ごめんなさい。でも客は少なかった、しみじみと良作なので、ぜひとも鑑賞して欲しい。ネタバレし放題なので注意。



 「父さんは、今日で父さんを辞めようと思う」という言葉から始まるこの映画は、主役の中原佐和子にオーディションで選定した北乃きいを起用し、彼女の恋人役となる大浦には勝地涼を、佐和子の兄・直ちゃんには平岡裕太、その恋人役にさくら、佐和子の両親役に羽場裕一と石田ゆり子を配した、家族の物語である。とまあ堅くありがちな前置きは置いといて、私がのめり込んだ理由は、ベタベタな展開の中でも失わない淡々とした語り口である。大仰な演出もせず、丁寧な脚本とカメラが画面を構成し、物語の全体をおぼろげにして想像の余地を残すことで、先の展開に期待をはらませるという堅実な作りだと思う。パンフでは説明的なセリフ・描写を抑制したというが、そのバランスはあまりよくないと思うけど、確かにテレビドラマとは一線を画す言葉の情報量が少ない映画だろう。だってさ、私は原作知らないから、いきなり直ちゃんが農業を始めたといわれてもわからんのよね、そのうち直とは兄のことかとわかるんだけど、冒頭の佐和子のナレーションで、もう作品世界に入っちゃてるんだよ、何かやけに冷静だけど、傍から見ればこの家族崩壊してんじゃね? といった感じで。朝の食卓には母親がいないし、父親の終始頼りなげな表情が、これは確かに父さん辞める顔だよなとか、佐和子の「えっ」という軽い驚きが妙に嵌っててかわいくて。それでも影にはなにやらありそうな雰囲気があって、例えば佐和子がお風呂場を凝視している場面が二度あるんだけど(この辺の抑制のバランスが私にはしっくりこない、一度で十分じゃないか。ラストの食卓のお皿も皿だけ移すだけで意味わかるんだけどな。テレビの仕事が長いと、どうしてもくどい演出に流されやすいのかな)、ここも意味がわかんない。なんだろうって引っ掛かりがある。小さな引っ掛かりをちょっとずつ増やしていくことで物語は運ばれていく、この積み重ねにより、唐突な終盤の訪れの衝撃は大きい。

 そんな佐和子の中三の春、クラスに大浦勉学が転校してきて隣の席に座ると、二人はすぐに仲良くなって、夏休みには一緒に夏期講習も受け、同じ高校に行こうと励むことになる。この少女漫画的な展開に戸惑わなかったわけではないけど、微笑ましくもあり、あまりにも規律正しく真面目な中学生の佐和子に共感も覚えて応援したくなるのは北乃の魅力だけが原因ではなかろう。母親は別居して父親は大学に行くと宣言して兄は小林ヨシコという変な彼女と付き合いだすという内憂を抱えながらも、彼女は高校受験に向けて前進していくのだ。

 佐和子がお風呂場を見つめていた理由が中盤で明らかになる。3年前、そこで父親が自殺未遂したのだ。どうして? とへたり込む母親、早く救急車と慌てる佐和子、そんな過去を持つ父親のその時の遺書を大事に保存している兄は、それを時々読んでは己を元気付ける、ここには長生きの秘訣が書かれているという。真剣に生きることの辛さが綴られた遺書の内容に、私は、何事にも真面目な佐和子の脆さを予感してしまい、当初傍観していた佐和子の挙動に段々と引き付けられていくことになる(大浦との恋愛模様はさすがに気恥ずかしいものがあるが)。

 父は落ちたけど、佐和子と大浦は高校に合格して、おそらく二人の交際は既に公のものになっているっぽいんだが、家族も大浦の存在を知っているし、友達も公認の仲らしいけど、この映画には友達がほとんど登場しない。これが違和感として残り続けている。昼飯も大浦と食べているし。真面目すぎるっていうのもあってか友達自体少ないんだろうか、中盤までは大浦との交際が中心に描かれてて、その一方で描かれる奇妙な家族関係が対照的で、だからこそ二人の仲はむつまじい物であるんだけど。「〜けど」という口癖も大浦に指摘されて直したり、なかなかにさりげない脚本だけど、友達まで登場させる余裕が無かったのかな。

 佐和子は高校で級長にくじで選ばれてしまい、地元の老人会だかの慰安活動の一環として行われるクラス単位の合唱の練習で、彼女の孤立感が描かれる。誰も彼女の指示を聞かないのだ。それとは対照的に、大浦のクラスは彼が先頭に立って(彼も佐和子が級長になったので級長に立候補してた)盛り上がっていた。二人の差ってものまでが描かれるので、彼女を支えるものが彼しかいないような錯覚さえ覚える。いや多分そういう意図でもって物語を展開しているんだろうけど。

 高校一年クリスマスを前に、大浦はバイトをして自分で稼いだ金でプレゼントを買いたいと意気込む。朝の新聞配達で佐和子の家にも配達している大浦の姿を窓から見て元気を貰う佐和子。兄は小林ヨシコとの仲が一時壊れかけるも持ち直し、それでもヨシコはなんか生意気で気に食わない存在として佐和子の前に度々現れているので、関係がまだ続いていることに驚きもする。もう一度受験するつもりだった父は、バイトで始めた予備校の講師に本採用されて受験はもういいんだ、と寂しく言う。母と一緒に毛糸を買ってお約束を縫う佐和子は「父さんにもいいことあるよ」とか言いながらその日を待つ。佐和子にとって、また鑑賞している私にとっても、直後の大転調の衝撃は計り知れなかった。

 唐突に始まる葬儀の場面。大浦はかつて佐和子に「松本の爺ちゃんが危なかった」と言っていたし、大浦の爺さんが死んでクリスマスどころじゃなくなったんだろうな、という程度で見ていた。しかし参列者は制服姿の高校生ばかり。明らかにおかしい。まさか大浦が……なんの予告もなしに?(思い返せばいくつもの死亡フラグが立ってたんだよな……)、すまん、私はほんとに佐和子に感情移入していたよ、だからびっくりした。なんの心の準備も無かった。大浦の遺影を前にしても信じられない佐和子、焼香の順番が回ってきても足が動かない。認めたくない思い、ていうか私も認めたくないよ。

 この時の私は作品世界からあっさりと抜け出している。まさかこんな手で感動を煽ろうって魂胆じゃないだろうな、見え透いた手を使いやがって……などと思った。しかし本当に引いた。佐和子とは違う意味で、この展開を受け入れたくない思いもあった。こんなのに騙されるもんか……騙されました、心地よく騙されました。

 大浦の死は、勘のいい人ならばすぐに気付くだろう引っ掛かりがいくつもあったわけで、もちろん事故死という突然さは維持しつつも、物語にとっては必然とも言える悲劇の導入だったのである。これは原作がきっと凄いんだろうな。恋人喪失に耐え切れない佐和子は思わず言ってしまうのだ、なんで死のうとした父さんが助かって死にたくない大浦君が死んでしまうのか、と。わかる、そう言いたいのはわかる。でも言っちゃいけない、思っても言っちゃいけないって兄も言うんだけど、そのセリフは私が言うことだから余計だと思うが、まあいいや。佐和子の悲痛の場には、母もいた。父と母は別に仲が悪いわけじゃない、多分自殺未遂が尾を引いている結果なんだろう。四人の家族が全員集まったきっかけとしてはあまりに悲しいけれど、でも、そこでいろいろと思い出すんである。大浦が言ったあのセリフを。

 「凄いだろ、気付かないところで中原って、いろいろと守られてるってこと」。

 落ち込んでいるだろう佐和子を気遣って、いろんな人がやってくる。もうここから感動モードに入ってる。まず用意されていたクリスマスプレゼントを大浦の母が持ってくる。マフラーと大浦からの手紙、これからは中原ではなく佐和子と呼ぶ、という言葉で締めくくられた恋文。兄の恋人のヨシコ、当初は単なる端役と思っていた彼女が、彼氏の頼みを聞いて佐和子の好物のシュークリームを携えて慰めにやってくる。家に戻ってこようかしらと呟く母親、予備校の講師を面白いという父親、父親の遺書を破り捨てる兄……

 喪失は自分だけではないことに気付いた佐和子は、自分も用意していたプレゼントを大浦の母に持っていく。そこに登場する大浦の弟(クワガタのTシャツを着てるわかりやすさがおかしい)に母はあげたいと言うのを首肯する佐和子。そんな小学生くらいと思しき弟でさえ佐和子へ心遣いを向ける、「大丈夫、ボク、大きくなるから」。

 ラストシーンは、ひたすら歩き続ける佐和子の姿である。出来ればこの場面、彼女に寄らず、全身を映し続けて欲しかったけど。前に向かって歩く彼女の横顔は、確かに北乃きいなんだけど、ここでは佐和子として、凛々しささえ垣間見せる。過去をちょっと振り返るように時折後ろに顔を向ける。けど、すぐに向き直って前に歩く。ひたすら歩く。山場に悲劇を持ってきながらも、どこか清々しい余韻が残る。食卓に並べられた四つのお皿が、家で待っている。