ご挨拶と所感

東北ほっとプロジェクトのブログでは会長の笠原君がご挨拶しましたが、こちらできちんとご報告していませんでしたね。何度もご協力を呼びかけておきながら、申し訳ありません。

ストーブプロジェクトは、3月末で終了しました。
支援金やストーブの現物によるご寄付だけでなく、情報拡散など、お心を寄せてくださった皆様に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

プロジェクトを立ち上げた時は、「取りあえず、自分たちの知り合いの義理人情に頼って資金を集めよう。150万円も集まればいいかなぁ(数字に根拠なし)」と思っていたのですが、約430万円集まり、ストーブ台数は現物寄付も含めて約600台になりました。

ストーブの調達方法、保管場所、運搬手段、スケジュール調整、仕事との兼ね合いなど、思う通りにいかないこともありましたが、私たちを信じて貴重なお金を託す方がいてくださることが、本当に勇気と力になりました。

今後は、ストーブのように東北ほっとプロジェクトとしての一丸となった活動は決まっていません。しかし、「あたたかい」と同時に「ホッと安堵する」もの(こと)を届けたいという意味を込めて名称に「ほっと」を入れた、発足当初の皆の気持ちはそのまま変わっていません。それぞれがボランティアを続けて、現場を見て、私たちにできることを模索し続けて行きます。



思い返すと、昨年の今頃は東北以外の地域では物資の買いだめが激しかったのでした。必要最低限のものを買いに行ったお店で大量の物資をカートに積んでいる人を見て、私は激しく憤りを感じていました。
その後ボランティアに行って、「娘が埼玉にいる」「親戚が横浜にいる」という人にたくさん出会いました。

そして最近になって初めて思い至ったのでした。
「こちらで買占めしていた人たちは、自分のためでなくて、東北の身内や友人に送るためや、こちらに避難してきた人のためだったのかもしれない。」と。私も東北に知り合いがいたら、きっとレジに並んで買占めしただろうな、と思うのです。

また、現地で物資の配布を実際にしてみると、「ある程度の数が揃わないと配れない」という現実も体験しました。「物があるなら配ればいいじゃないか」と、昨年は世論は自治体のやり方に非難の嵐でしたが、震災直後の混沌とした時ならともかく、「物があるから配る」をやみくもにやっても、本当に困っている人には届きません。

「現場には現場にしか分からない現実がある」
これを体験した1年間でした。1年間といっても、実際に現場にいたのは正味2週間くらいでしょうか。何もわかっていないも同然です。

震災がまだ非日常だった昨年。
1年経っても、各所で懸命に尽力してはいるものの全体としての復興は遠く、「やっぱり夢ではなかったんだ、現実なんだ」と、突きつけられます。
今年に入った頃から、もう「支援」とか「応援」とかいう言葉はそぐわない気がしています。(文章にしたり人に説明したりする時には分かりやすいので使うことはありますが。)

こんなにちっちゃなちっちゃな日本で一緒に暮らす者同士、隣人として一緒に歩いて行く、という感じでしょうか。もちろん、震災前から、みんなそれぞれ歩くスピードも生活も違うので、常に手を繋いで歩くのとも違うでしょう。傷ついた隣人がすぐ近くにいるということを心に留めて、真摯に生活して行きたいと思います。

・・・と言いつつ、私は気持ちだけが先走って行動が伴わないので、「熱い心と冷静な頭で」を忘れないようにしなければ!!(^^;)