本を読みながら東京を一周しよう。

今日、学校に行くので、そしてそれは私の家がある荻窪から学校のある茗荷谷までほぼ丸の内線を一周するので、私は本を買った。
江國香織はいつもハードカバーで買うので、今日も江國香織をハードカバーで買おうと思った。
いつの間にかふたつも新しい本が出ていて、しばらく迷ってひとつ選んだ。

  • 「雨はコーラがのめない」


もうひとつの「スイートリトルライズ」はお風呂で読みたいので今日は買わないことにする。何かがひと段落した日に、昨日買ったキャンディバスのお風呂で読むのにぴったりな気がする。

本は丸の内線往復1時間半ですっきり読み終わった。
何も知らないで読んだから、しばらく小説だと思っていたけど、これはエッセイだったのね。「雨」は彼女の犬の名前で、この本は、彼女と、彼女の犬と、彼女たちが聞いた音楽に関するエッセイ。私は、老人と、子供と、動物とが苦手だけど、それでも少し犬が欲しいので、それなりに楽しく読んだ。眠くもならなかったし途中をとばしてあとがきを読んでみたりしなかった。

「客観的に言って、おまえは毛むくじゃらな茶色い犬だね」

「客観的に言って」

「私はそれを飼っている女で、雨と同じように茶色い毛がながくからまっているね。
さらに言えば、小説家で、夫の妻で、母の娘で、妹の姉」

でも、雨の目にはそうは映っていないだろう。雨の目に、私は私にしか見えないはずだ。
どこをどう切っても、ただそれだけ。それはいいことに思えた。
いいことで、しかも唯一の正解であるように。

個人的に言えば、犬と人とが、いっしょにいて感情を共有しているというのは、人の勝手な思い込みに思えたりする。
だけど、人は人の解釈で、犬は犬の視点で、いっしょの時間を共有することは、やっぱりすてきに思える。