好事来:再考、教えられたこと

今日も6時半から散歩にいく。
そして、仕事がとても忙しくて、
夜22時くらいに帰ったが、
食事をして、それから23時過ぎに
また、散歩に行く。


ちょっと寝不足なのだが、それでもいく。
実は、散歩がてら、猫を探している。
自分が11月25日、ちょっと玄関を
開けた隙に逃げ出したと思われる猫が
いまだに帰ってこない。
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20051127


それで、家内は昼間、毎日
数時間探して歩いているとのことで、
自分も申し訳ない気持ちから続けている。


「つらいか?」
と自問自答してみると、
そんなでもない。


ただ、逃げ出した猫が寒空で、
凍えていたらかわいそうだと思うのと
探しつづけている家内に申し訳ない。


でも、本当にちょっとした
1分くらいで逃げてて、
自分には、どうしても
「猫がおのずから出たかった」
としか思えないのと、
その猫の性格からして、もし誰かにあえば
きっと拾われて幸せにやっているはず
と思えた。
だから、それほどつらくない気持ちだった。


もう一つ、気持ちとは別に、
毎朝、毎晩の散歩が体力的にきついのだが、
実は、これで10日間続けてみて、
それもきついだけと思わなくなっていた。


出掛けの数分はきついのだが、
少し歩くと、体が火照ってくる。
そして、30分ぼちぼち歩くと、
体がその運動を喜んでいることがわかる。
たった30分歩くだけなのだが
毎日だとそれでも結構いい運動に感じる。
「自分はこれほどなまっていたのか」


運動不足だった。


いなくなった猫から、そのことを
教えられた気がした。
だから、3日目以降は、自分から
積極的に探しにいこうと決めて
毎日歩いている。
(家内にも催促はされるが)


家人も猫がいなくなったことで、
いろいろ、「教えられる」ことを
感じているようだ。



今日7日も歩いた。
やはり猫はいなかった。
これで猫がいなくなって12日。


そして8日朝。


なんと猫が見つかった。
しかも玄関から5mくらいのところで。


ずっと12日間そこにいたのか、
(そこはとうに探したはず)
それとも、どっかいって帰ってきたのか、
どういうわけなのかは全く
わからないが、
とにかく、帰ってきた。


よかった。本当によかった。


・・・・・。
もう一度、教えられたことを考えてみようと思う。



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20051207

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