起こりそうにないことも、たまには起こる
- 作者: リチャードローティ,Richard Rorty,斎藤純一,大川正彦,山岡龍一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/10/26
- メディア: 単行本
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数年前まではずっと、「起こりそうにないことは起こらない」と思っていた。
そんなことはなくて、どんなに起こりそうに思えないことでも起こる。誰も起こす意図はないし、現状の仕組みが回っていれば起きる見込みがないことでも起こる。たまには起こる。どこかでは起こる。
それを知ったのは、日本の原子力事業が臨界事故を起こしたとき(1999年の東海村JCO臨界事故)。べつにそれまでも原子力事業に肩入れしていたわけではないが、そんなナンセンスな事故は日本では起こりえないと思っていたので、このときはほんとにびっくりした。
そうは言っても、万事を楽観的・合理的に捉える心性までは変わらないわけだが、大きな事柄について、絶対に起こらない、まず起こりっこないと予測するのだけはやめておこう、と心の片隅で意識するようになった*1。
「アントニヌスの時代に生きる、一人の楽観的なローマの知識人がいる。・・・たまたま彼は、最近蒐集され、編纂されたキリスト教の聖書を一部手に入れる。彼は、『イエス』と呼ばれる、心理学的にみて妥当性を欠く、道徳的に堕落した人物に唖然とする――後にニーチェを唖然とさせたのと同じ理由によって。・・・彼はあまりにもまともすぎて、世界が進む方向がぐっと逸れてゆく可能性をとらえることができないのである」(381)
そういうわけで、社会や価値観の偶然性contingencyを強調するローティの議論には納得できる。倫理的な大枠も、まあこんなものかと納得できる。
- 公が私を侵すのを防ぐためには、公共の目的を私的な場にまで持ち込むのを避けねばならない
- 私が公を侵すのを防ぐためには、理想を公共/社会に持ち込むのを避けねばならない
- 公共の目的は、何が残酷かの議論を果てしなく続け、誰もが納得するような明らかな残酷さを回避すること(だけ)である
どんな価値・理想も偶然的なものだから、それがいかに今の社会でよく見えても、あまり信頼しすぎてはいけない。未来へのコミットメントをできるだけ排除し、今耐えがたいことを避けることだけを主題にする。
ペローという組織社会学者が、Normal Accidentsという議論、事故というのは複雑な技術システムでは不可避に生じるのだという議論をしているが、これも社会学的・組織論的な命題というよりも*2、合理的認識があんまり上手になりすぎた現代社会に必要な倫理観なのかな、という気がする。小さなことの部分で世界がどれだけ合理的になろうと、それでも変な大きいことは起こる、というような。
Normal Accidents: Living With High-Risk Technologies (Princeton Paperbacks)
- 作者: Charles Perrow
- 出版社/メーカー: Princeton Univ Pr
- 発売日: 1999/09/27
- メディア: ペーパーバック
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絶対に起こってほしくはないのだが、どこかの国が核ミサイルを東京に撃ち込んでくることもありうる。誰にとってもナンセンスだが、現時点ではあらゆる意味でナンセンスなのだが、たしかに起こりうる。