------------------  ふわふわ言葉とチクチク言葉


晩御飯の時のこと、小学校1年生の長男が立ったり座ったり落ち着きの無い様子でチョロチョロとしているうちに、お皿に手をついて食事をこぼしてしまった。「バカ、チョロチョロしているからこぼすんだ。ちゃんと座って食べなさい。」と叱ったら…長男と2年生の長女から猛反撃!「お父さん、バカって言った。チクチク言葉は言っちゃいけないんだよ。チクチク言葉を言われると悲しいでしょ。ふわふわ言葉を使わなきゃいけないんだよ。」長男は涙を流して抵抗しながらも、自分に非があるのは理解している様子だ。しかし、こんなくだらない事を学校で教えているのだろうか?(ふわふわ言葉で子供を叱れるか!)
しばし、あっけに取られたが、父も負けてはいられない。「皆で食事をしている横でチョロチョロするのは他の人が不愉快だから叱ったのだ。バカなことをしているから、バカって言うんだ。「チクチク言葉」を言われたら、まずは自分が悪くなかったかを考えなさい。」子供を叱るのにも、大変な時代になってしまった。(父も、接頭語として「バカ」が口癖になってしまうのは反省してはいるが、まさか、他人の子供にはバカとは言いません。「バカ」と言ってもらえるだけ有り難いと思え、という愛情表現は現代には通用しないのでしょうか?)

いじめ問題以来、学校で「ふわふわ言葉(言われて嬉しい言葉)とチクチク言葉(言われてイヤな言葉)」を教えているらしい。インターネットで検索してみたら、全国の小学校で道徳の時間に「ふわふわ言葉で教室が満たされれば素敵だね!」という授業をして、いじめ問題に対応しようとしている様子が伺える。皆が「ふわふわ言葉」だけ話して、ホンワカと暮らせれば素敵だが、我々は、好きな人も嫌いな人も色々な人と触れ合い、喜怒哀楽の様々な感情の中で生活している。喜ぶ・楽しいをプラスに扱い、怒る・哀しいをマイナスに見立てて、「プラスを増やして、マイナスを減らせば、皆、幸せになれる。」そんなゲームの得失点表みたいな道徳の授業はやめて欲しい。子供達に、プラスマイナス、白黒二項対立のゲーム感覚で人生を説いて欲しくない。
私が言うまでもなく、喜ぶ・楽しいをプラスとし、怒る・哀しいをマイナスとすることがそもそもの間違いで、怒るときには怒っていいのだし、哀しい時は泣けば良い。「喜怒哀楽」全ての感情を言葉や態度で相手にぶつけることで始めてコミュニケーションが生まれ、相手を理解したり、思いやったり、自分を省みることができる。「チクチク言葉」もコミュニケーションのひとつの手段で、もっと恐ろしいのは、無視したり、相手に関心を持たなくなることではないだろうか。「ふわふわ言葉」が正しく、「チクチク言葉」が間違っているのではない。
勿論、「チクチク言葉」よりも「ふわふわ言葉」の方が温かい気持ちになれるのは当然だ。「チクチク言葉」の非を教えるのだとしたら、相手に「チクチク言葉」を言われるのが悲しいから人に言うのをやめましょう、というネガティブな態度では無いと思う。不条理な「チクチク言葉」を相手に発して悲しくなるのは実はそれを言った本人である事、「チクチク言葉」でさえも時として謙虚に受け止めることが大切な事、「チクチク言葉」を応酬せざるを得ない状況があるならその状況が悲しい事、そこまで踏み込んで教えて欲しい。そして、言葉も大切だが言葉は表現手段のひとつで、表現すべき「感情」こそが大切なことを教えて欲しい。そして、「喜怒哀楽」を認めた上で、その感情をコントロールする必要もあることを教えて欲しい。(低学年には無理かもしれない。)

小学校低学年生を持つ親として、低学年では、自分の感情を押し殺さず「喜怒哀楽」全ての感情を素直に表現することを尊重して欲しいと思う。「ふわふわ」でいきましょう、というのは一見正しいように見えるが、実は、低学年の素直な感情にブレーキをかけることになりはしないだろうか。表面的なところで、「皆仲良くしています」と取り繕うのは、日本の学校教育(大人社会も)の得意とするところだが、「感情に蓋をすること」が現在のいじめ問題の根底にあるように思えてならない。うれしい時は喜び、楽しかったら笑い、嫌なことをされたら顔を真っ赤にして怒り、哀しい時は大声で泣けば良い。その中で、人に嫌なことをすれば後で自分が哀しくなり、優しく接すれば自分自身も相手も変われること、を体験して覚えていけば結構だ。

カミさんとの会話の中で、彼女がヒトコト・・・「ふわふわ言葉のホンワカ気分を学校で教えるようでは、社会に適応できないニートの大量生産だね。」
学校は、社会生活・集団生活の中で生きていく術を学ぶ場だと思うが、社会生活は不条理なことが多く、決して「ふわふわ言葉」に守られたホンワカした場所ではない。その中で、如何にコミュニケーションを図り、自分を表現する術を教えるのが、学校の大切な役割だと思う。「教室」という閉ざされた温室の中に、ホンワカした温もりをつくる事が教育ではないと思う。