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風信2011

2017-01-21

達磨寺洗心亭: ブルーノ・タウト

桂離宮を訪ね、ゆかりのブルーノ・タウトのことをチェックしていたところ、高崎達磨寺について書いた未発表の旧文が見つかった。記録としてここに載せます。

達磨寺洗心亭
080704

目前にそりあがる屋根をもつ総門がいささか異様である。宇治万福寺の総門を模したそうだが、166段の石段の先にある本堂は目になじんだつくりであるのと対照的である。あとでわかったことだが、少林山達磨寺は1697年元禄10年に曹洞宗の禅寺として開創され、明治になって、隠元開祖ということにして黄檗宗に変わり、今の総門は平成になって境内の檜を使ってたてられたものという。総門と本堂の印象のちぐはぐさの理由はここにあるのだろう。
この達磨寺には、1933年5月3日に日本に来た建築工芸家ブルーノ・タウトと愛人のエリカが34年8月から36年10月まで過した洗心亭がある。もともとは東大教授佐藤寛治の別荘としてたてられ、タウトの支援者である高崎の井上房一郎(高崎新人会結成者で吉野作造大山郁夫を招聘、また群馬交響楽団の創設者)の仲介でタウトらの住まいとなった。
武蔵野美術大学出版局から2007年3月に刊行された酒井道夫・沢良子編『タウトの撮ったニッポン』のジャケットには、洗心亭の縁側に並ぶタウトとエリカの二人の、ちょっとピンぼけの写真が使われている。(この本は同年8月三ケ日で開かれた大学出版部協会夏季研修会の編集ケーススタディで取り上げ、編者の酒井先生にご参加いただき、編集部の平井公子さんたちによって報告され、好評を得たものである。)
 日記には、6畳と4畳半二間の狭さなどに不満を漏らしているが、浅間山赤城山そして眼下の碓井川と平野などの眺望を愛でてもいる。また、物珍しげに洗心亭の縁側に寄って来る近所の子供たち、部屋に吊られた蚊帳、床を嫌い三段重ねの布団に寝るエリカ、住職の妹にエリカが髪を結ってもらっている姿など、そして山と川など、これまたちょっとピンぼけの写真が「タウトの撮ったニッポン」には掲載されていて興味深い。
タウトの当時と比べて、高橋英夫(『ブルーノ・タウト新潮社1991年;のち、講談社学術文庫ちくま学芸文庫、の著者)が訪ねた時も現在も、洗心亭の周囲は樹木に覆われ、眺望はきかなくなっている。風景も時の経過を刻んでいる。
今回洗心亭を訪ねた時は、今年2月に風水害があったため、ジャッキで持ち上げての修復工事の際中であった。ために、区域に入ることができなかったが、その代わりに畳をはずした床下の柱も見ることができて、意外と華奢なつくりに比しての日本家屋の耐久性の強さについて静かな感激を覚えた。
寺は境内の道を「タウトの思惟(シユイ)の道」と名付けているが、洗心亭から降りる思惟の道には、色あざやかな紫陽花が咲いていて、タウトから流れた3四半世紀の時に私の思惟(シイ)を向けさせた。

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