『満員電車がなくなる日』『ヤバい経済学』『死と身体』『僕が猪瀬事

 僕の実家は千葉県八千代市、都心から30キロ圏内である。実家から駅まで自転車で15分、駅から駅まで快速で45分、駅から会社まで歩いて10分、あわせて70分だから、実家から通えばよさそうなものだ。それでもコスト高で孤独感のつのる都心の一人暮らしを選ぶのは、地下鉄東西線のラッシュがあまりに非人道的(誇張ではない)だからだ。
 揺れる電車にたち続けることによる筋肉疲労、新聞すら読むことのできない時間、望まない他人と肌を触れあわせるストレスというのは、ひたすら損失である。首都圏の通勤者がラッシュで失っているものはどれほど大きいだろうか?
 この本では「満員電車をなくすにはコストがかかる。コストをかければ満員電車はなくなる」という前提に立って、満員電車撲滅のプランを提案する。その中には「総2階建て車両」や「3線運行」、「Suicaを使った着席価格のオークション」など、と学会的なものも含まれているが、そこはユーモア読み物としてとらえるのがいい。
 プランの是非は脇に置いて、満員電車をなくすには首都の人間の利益を代弁する都市政党が必要だと思う。本来なら民主党がその役を担ってほしかったのだが、支持を広げるうち中身の薄い軟弱政党になってしまった。道路特定財源暫定税率問題で「地方の格差」「地方の怒り」ばかりが報道されるが、都市の人間だって田舎者に遠慮することはない。もっと自分たちの生活をよくするために、言うことを言わなければ!評価★★★☆☆

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 『その数学が戦略を決める』に刺激されて読み始めた一冊。90年代のアメリカで犯罪が激減したのは中絶を合法化したから?相撲の力士は八百長をしているのか?学校の先生が生徒の点を水増しするためにインチキしている確率は?といったちょっとひねくれたネタを、次々と検証していく。
 出版人として興味あるのは、完璧な子育てとは何かを調べるところで、「家に本がある」ことと「ほとんど毎日親が本を読んでくれる」どちらが子どもの成績に効果あるか? 結果は前者が効果ありで後者は無意味(成績と関連なし)とのこと。もっとも、本を買う家庭は子どもに高い教育を与える可能性が高いからで、本があるから子どもの頭がよくなるという訳でもないようだ。「本は本当は、知恵をくれるものじゃなくて知恵を映すものなのだ」反省してもう少し知的な本を読むよう心がけます…。
 この本の効能は「道徳的な建前を脱ぎ捨てて、データと真っ正直に向かい合えば、新しい、驚くような発見にたどり着けることが多い」、中学生の時にでも読んでいれば、そのあと数学恐怖症で悩まされることもなかったのにと悔やまれる。評価★★★★☆

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

 喫茶店などでカップルの会話を聞いていると、こいつらなんて無意味な話をしているんだろうと思う。また、会社でプレゼンをさせられると、中身をわかりやすくしろだの筋道をはっきりさせろだの怒られる。でも、コミュニケーションにとって意味はそれほど大切なものじゃない、メッセージの内容ではなく、メッセージをやりとりすることそのものが重要なんだという点から解きあかす根源的な存在論。いま内田樹が読まれているのは、意味を求められるコミュニケーションに疲れた人が多いからなんだろうな。評価★★★★☆

僕が猪瀬事務所で見たニッポン大転換

僕が猪瀬事務所で見たニッポン大転換

 小泉政権時代に猪瀬直樹の事務所で働いていた親日家のフランス青年から見た国内政治の観察記。基本的に小泉−竹中平蔵ラインの経済改革の肯定で、小泉政治に対しては外交は反対・経済は賛成だった僕と同意見なので、それほど目新しいことはない。が、何に驚いたかといって、著者は1981年生まれ…僕と同い年じゃないか!

東京で彼女と再会した。
 そのときまでロマンスは続いていたのだが、それは始まったときと同じように不思議な感動とともに静かに幕を閉じた。夢の炎を吹き消したら、思い出が一筋の煙となって立ちのぼった。ジャズのように心地よい思い出だ。
 結局僕は少しずつ自分自身を騙してきたのだ。

 どうやっても僕にこれは書けないです。
 また猪瀬直樹の人間味が現れているところも面白い。彼が小泉首相について言った一言。「時おり二言、三言しゃべるんだが、それがそのままスローガンになる。あれは直感だね、動物的な本能だ。(中略)まあ生活者としてはお隣さんに歓迎したいタイプじゃないが」そういう猪瀬直樹もお隣さんには…。評価★★★☆☆

中国動漫新人類 (NB online books)

中国動漫新人類 (NB online books)

 中国の大学生の98%が日本アニメを見たことがあり、彼らは日本人以上に日本動漫(アニメと漫画)が大好き。では、そんな彼らがなぜ反日デモに走ったのだろうか。一方で中国政府は、日本動漫の進出を中国式共産主義に対する日本帝国主義・資本主義・民主主義の攻撃(!)と見なし、反撃のため国営のコスプレ大会まで開く始末。アニメも漫画もよく知らなかった老大学教授が、その謎を探ろうと奔走する。
 70年代に日本人がアメリカ文化にはまったような状況が中国人にも生まれているようだ。日本が大好きだけど大嫌い、という矛盾した思いも、当時の若者たちの対米感と相似をなしている。
 面白いのは、日本アニメがなぜ中国で受け入れられたかという分析で、日本人の無思想性(なんとなく平和主義、主張はしないが反省はする)が世界標準の作品を生んだのではないかとのこと。「平和ボケ」などと揶揄されるが、平和ボケできるのもありがたいことなのだ。もっとも一握りの人間がいざというときに備えないとダメだけど。
 現代中国に関する、ちょっと変わった、でも非常に深く読みごたえのあるルポルタージュ、オススメです。評価★★★★★