マイケル・ルイス「ライアーズ・ポーカー」

ライアーズ・ポーカー (ウィザードブックシリーズ)

ライアーズ・ポーカー (ウィザードブックシリーズ)

 ずいぶん前に買った本だけど、何となく読まずに放ってあったんだが、この金融危機をきっかけに改めて取り出してみた。で、読み出すと、これが面白い。あっという間に読んでしまった。いまや「マネー・ボール」「ニュー・ニュー・シング」「ネクスト」で知られるマイケル・ルイスだが、1985年から88年までソロモン・ブラザースの債券セールスマンを務めていた。ルイスの出世作である、この本はルイスの体験記と思っていたのだが、それにとどまらず、モーゲージ市場、ジャンク債市場がどのように生まれ、莫大な報酬が当たり前という金融文化がどのように生まれてきたかを記録している。サブプライム問題から国際的な金融危機へと拡がり、金融マンの巨額報酬が批判されいている今だからこそ、読んでいて面白いし、参考になる。モーゲージにしても、ジャンク債にしても、新たな「金融商品」は経済・産業構造の変化と人間の強欲・貪欲が表裏一体となって生まれてきたと思えてくる。そうした時代の変わり目にあった金融界をルイスは冷めた目で見ている。ルイスはプリンストン大学で(経済学ではなくて)美術史を学び、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士をとった。そして債券セールスマンとしても「凄腕」の実績をあげいていた。そんな彼だからこそ、書けた本とも言える。
 で、印象に残ったところをいくつか、記しておくと・・・。まず、ソロモン・ブラザースでの研修の話。

 株の世界の人間は、しかし、本音のところでは、書物で得た知識や学校教育など、生身の体験以外のものをあまり重視していない。その立場を弁護すべく、株式市場の伝説的人物ベンジャミン・グレアムの言葉が引かれている。<株式市場においては、数理計算が高度で複雑になればなるほど、そこから導かれる結論は不確かで投機的なものになる。・・・算術やもっと込み入った数式が用いられるときは、相場師が理屈に経験の代理を務めさせようとする注意信号だと見てまちがいない>

 この話を聞いて、ルイスを含め、債券マン志望の新入社員たちは株式部門をバカにする。デリバティブ勃興期だけに当然とも言えるのだが、サブプライム崩壊後の今の金融市場の惨状を見ていると、グレアムの言葉は予言の趣をもってくる。
 で、ルイスが描くソロモン・ブラザースは激しい内部抗争を繰り返している。そんな中で、元幹部の発言として、こんなことを紹介している。

 「ウォール街の会社は、最も優秀な生産者を管理職に取り立てようとする。管理職になることが、現場でいい成績をあげたごほうびというわけだ。優秀な生産者というのは、気性が荒く、競争心旺盛で、神経症や偏執症の傾向を持つことも多い。そういう人間を管理職に据えると、足の引っ張り合いが始まる。それまで現場で発揮してきた本能的な力のはけ口がなくなるからだ。たいていの場合、生産者は管理職に向かない。四人にふたりは、能力不足で脱落する。残ったふたりのうちのひとりは、抗争に負けてはじき出される。最後に残るのは、一番あくどい人間だ。ウォール街に浮き沈みの周期があるのも、ソロモンが今つぶれそうになっているのも、そのためだよ。あくどい人間ばかりでちゃんとした商売ができるわけがないのに、はっきり失敗とわかるまで、そういう人事を改めないからさ」

 今、惨憺たる有様のウォール街にもあてはまるだろうし、日本の会社だって、同じようなところがあるだろう。一方、アレキサンダーという天才的なトレーダーの話も出てくる。

 アレキサンダーには、周囲で起こったできごとを解釈する特殊な能力が備わっていた。ことに驚かされるのは、そのスピードだ。ニュースが知れ渡るころには、彼にはすでに対策を練り終えているように見えた。自分の嗅覚を信頼しきっているのだ。彼にもし欠点があるとすれば、それは自分のすばやい反応をまったく疑ってもないことだろう。彼は相場を、ぴんと張った蜘蛛の巣だと見ていた。一本の糸を引っ張れば、当然、ほかの糸も動く。だから、彼はあらゆる市場で取引をした。債券、通貨、そして、フランス、ドイツ、アメリカ、日本、カナダ、イギリスの株式、石油、貴金属、商品先物ーーすべてが興味の対象となった。

 これは確かに相場の天才かも。天才は、債券、株式、通貨、商品、すべてがわかっていないといけないというから。やっぱり、そうなのかも。一方、ウォールストリートの人種の問題にも触れる。主流派はWASPだが、モーゲージ市場をつくったソロモン・ブラザースのルーウィー・ラニエーリーはイタリア系、ジャンク債をつくったドレクセル・バーナムのマイケル・ミルケンはユダヤ系だった。で、ルイスはこう書く。

 ミルケンはユダヤ人だが、彼が入社したころのドレクセルは昔ながらのWASP投資銀行で、反ユダヤ感情が根強かったようだ。ミルケンは自分を部外者と考えた。それがのちに幸いする。一九七九年の時点で、以後十年間に金融の大変革を引き起こす人物を予想するとしたら、次のような手順を踏むことになるだろう。まず、ウォール街の中の、あまり流行っていない一郭に目をつける。そこにいる人間のうち、ブルックス・ブラザーズのカタログから抜け出してきたようなしゃれ者、高級会員制クラブに所属している気取り屋、WASPの名門出身者を、全部除外する(こうして残った顔ぶれの中には、ミルケンとラニエーリのほか、 企業買収の第一人者であるファースト・ボストンジョーゼフ・ペレラとブルース・ワッサースタインも含まれる。・・・)

 米国でも革新は異端から起こるんだなあ。マイケル・ミルケンは後に証券詐欺などで逮捕されるのだが、ルイスはミルケンの革新性を評価している。ただ、当初は新興有望企業(ハイテク・ベンチャーなど)の資金調達に道を拓いたジャンク債だったが、そうした企業がそんなにあるわけでもなく、需要に供給が追いつかず、これがM&AやLBO,MBOのための調達手段へ変質していくことや、債券の場合、株式と違ってインサイダー取引規制の対象にならなかっため、危うい取引があったことなども指摘されている。
 で、ルイスは八七年にブラックマンデーにも遭遇している。そして、投資銀行、証券会社の収益は悪化し、政府に金融対策を要望したりもするんだが、それについてルイスは冷たい。

 すべての国の政府関係者に警告。ウォール街人種の大暴落のおどしには、気をつけましょう。彼らは、縄張りをおびやかされるたびに、その手を使ってきます。しかし、彼らには、大暴落を防ぐ力はもちろん、それを起こす力もないのです。

 などなど、いま読んでも、というより、いま読むと、さらに面白い本といえる。