井手英策「財政赤字の淵源ーー寛容な社会の条件を考える」を読んで

財政赤字の淵源 --寛容な社会の条件を考える

財政赤字の淵源 --寛容な社会の条件を考える

 ヘリマネ(ヘリコプターマネー)論がマーケットの話題になり始めて以来、財政問題について、ちょっと勉強してみたくなって、本屋さんの「財政」コーナーで眺めていたら、出会った本。パラパラとめくって、高橋財政(戦前、大恐慌の時代に高橋是清が日銀引受で財政大出動して日本経済を立て直した)の話が出ていたので、気になって、読んでみたのだが、これが目からうろこで、とんでもなく面白くて刺激的な本だった。財政を通じて、今の日本の政治、経済、社会の成り立ちが理解できる。なぜ、これほどの財政赤字を抱えることになったのか、財政を改善する方策がどうして打ち出せないのか、また、「大蔵省(財務省)支配」といわれる構造がどのようにして生まれたのか。システムというものは、どんなに批判されるシステムでも、できたときにはそれなりの理由、正当性があるものだ。そして、よく出来たシステムほど、ドツボにはまってしまって、時代が変わっても適応できない。大蔵省(財務省)問題も、そんな道をたどってきていることがわかる。財政については、あまり知らなかったから、新鮮な視点だった。
 目次で内容を見ると...

序 章 なぜ巨額の財政赤字が生まれたのか
第I部 財政の原型はどう作られたか
 第1章 日本財政の源流
 第2章 占領期の財政運営と大蔵省統制
第 II 部 大蔵省統制と土建国家
 第3章 土建国家へ
 第4章 健全財政主義の黄昏
第 III 部 寛容な社会の条件
 第5章 変わりゆく社会、変えられない財政
 第6章 寛容な社会のための財政

 有斐閣の本らしい目次で、とっつきにくい大学の教科書のように思えるかもしれないが(実際、学校出てから有斐閣の本って、あまり読んでいなかったからなあ)、文章は平易で読みやすく、わかりやすい。興味深いデータも多く、こちらも面白い。日本は国際比較で見れば、税負担は軽いほうだが、それでも消費税をはじめ増税に対する抵抗感が強いわけだが、それはなぜか。どうすれば、みんなは増税を納得するのか。みんなが増税しても(税負担が増えても)、これだけの見返りがあるからいいか、と思うような公共のサービスは何か。単に弱者救済というだけならば、中間層は税負担の不公正ばかりを感じてしまって、寛容さも失ってしまうのではないか。といった具合に、ともあれ無駄遣いやめろ、歳出を減らせばいいんだ、という、これまでの議論とは違った問題を提起し、そこから財政の世界を眺めていく。筆者は財政社会学といっているが、政治、経済の視点だけではなく、社会の視点から日本の財政システムの歴史をたどっていき、ソリューションを考える。これが新鮮で、面白かった。
 企業社会も同じだと思うのだが、財政システムも復興・高度成長後の世界に適応できていないのだな。復興・高度成長・人口増のなかでは、最適・最強のシステムであったのかもしれないが、成長期から成熟期へと移り、外では国際社会との協調、内では少子高齢化の時代に今のシステムは適応障害を起こしているのだな。
 戦後の福祉(国民への奉仕)は所得税減税が基本で、減税で増えた家計貯蓄を財政投融資の形で公共投資に回し、公共投資は雇用を創出し、農家の二次所得を増やすという好循環で、みんなの生活が底上げしていく成長になった。大蔵省はマクロ経済を見ながら、財政の管理・配分役となり、財政投融資そして地方財政との調整(操作)によって一般会計の世界では「健全財政主義」を守りつつ、「日本経済の健全な発展」を達成する。成長期には、税収も増えていくし、これがうまく機能した。その原型が戦前の高橋財政にあり、それが戦時統制経済体制、占領下の復興経済管理を通じて、完成していったというのは面白い視点だし、腑に落ちる説明だと思った。日本の仕組みはたどっていくと、結構、戦時統制経済の体制に戻っていくのだなあ。国家社会主義的というか、管理型資本主義。省の権益をめぐる抗争はあったにしても、それでも、国の行く末、効率化を思って作ったシステムがうまく回っていた時代は幸福だったし、これがノスタルジアを生むことにもなっている。
 しかし、復興が終わり、日本が世界トップグループの先進国になるなかで、国民のニーズも、人口構成、国内の人口分布も変わっている。加えて為替も金利も変動する市場経済化、グローバル化、IT化、新興国も加えた国際競争の激化など、もはや国家が経済を管理できる時代でもない。これまでの成長型というか、開発型の財政管理システムではうまく行かない。「コンクリートから人へ」という民主党政権時代のキャッチフレーズは正しかったのだろうが、それに合わせたシステムをつくることは、そう簡単なことではなかった。公共投資に代わる雇用創出(社会福祉)システムをどう創るのか。急ぎすぎたのかもしれないし、深く考えてもいなかったのかもしれない。
 財政投融資による公共投資は雇用創出としては効果があったとしても、無駄な箱物も多く残した。フロートしては貢献しても、ストックとしては不良債権で、結局は大きな負担となる。小泉政権公共投資カットが批判されているが、セイフティネットも同時に整備する必要はあったものの、これまでの公共投資に対する疑問が国民の間で共有されていたから(目の前に無駄に豪華公共建築物を見ていたから)支持されたのだろう。企業もバブルの時代に、不良債権となるストックをつくっていた。この反動も建設業界を殺した一因だったろうし。いま考えれば、バブルのさなかに公共事業を大幅に削減して財政を少しでも再建し、バブル崩壊後に公共投資を拡大すればよかったのだろうが、楽なときに厳しいことができないのが人間の社会なのだなあ。
 ともあれ、財政について考えさせてくれる本。そして、単に増税反対というだけではなくて、どのようなシステムがいいのか、新しい日本の形はどういうものがいいのか、財務省のエリートたちには、どのような役割を担ってもらったらいいのか、そして、リベラルはもっと勉強しなくちゃいけないな、と思った本でした。先日、最近の経済学者は今、何をやっているんだと思ったけど、それは自分の視野が狭いからで、いろんなことを考えている人がいるのだなあ。そして、それはテレビ、新聞だけじゃなくて、本を読まなければいけないのだな、と思った次第。井手氏の他の本も読んでみようかと思った。