有馬海潮音

2017-06-20

2017.06.20 小堀遠州

大名茶人、作庭や建築も多数手掛けている著名な人物であるが、更に書道、歌、華道など実に多彩な才能を披歴してくれる。

 晩年、有馬にも来ており、「有馬百人一首」に歌を収録されている。

此の度は杓もとりあえず有馬

  留め湯の数は湯女のまにまに

 遠州の経歴には注目する一件があった。

一万両に及ぶ使途不明金が発覚し、あわや切腹というところまで追い込まれていたのを酒井忠勝井伊直孝・細川三斎らの大名たちが工面して不問にさせたのである。

 災害飢饉に苦しむ庶民への、公に出来ない援助金の累積が明らかになったのだといわれている。

 江戸時代に制定された、災害飢饉時の食料備蓄倉庫の郷蔵(ごうぐら)なども遠州の発案のようだ。

遠州が統治者としての価値が問われる時、そこに浮上するのは常に民衆の幸せが根底にあった。そして彼もまた漢(おとこ)だった。

f:id:yabutubaki:20170608212337j:image:w360

 華道遠州流一峰会宮田一寛氏の作品が、有馬グランドホテルのエントランスに常時展示されている

2016-09-08

九月七日白露  森琴石作品の展示 

f:id:yabutubaki:20160908134337j:image

有馬グランドホテル内 茶室「雅中庵」

http://kir018531.kir.jp/morikinseki_blog/?p=2509

http://www.arima-gh.jp/play/201609/index.html#play1609_ojiku

1843年(天保14年)有馬温泉の生まれ。

3歳で養子に出され、画家を目指し銅版画等を手掛けた後、南画家として大成し大坂画壇の重鎮に位置した。

 有馬には著名人が多数来たが、有馬出身の有名人は少ない。その中の一人が森琴石であり、中の坊(現、中の坊瑞苑、有馬グランドホテル)の家系から輩出している。中の坊初代梶木源次郎の三男として生まれ、父譲りの誠実で清廉高潔な人柄は周囲の信頼を集めていた。

 上記、「森琴石ホームページ」をご覧いただいて判るように、氏の人的交流の多さには驚嘆するが、それだけではなく、そのHPこそ森琴石のひ孫である森隆太、満代ご夫妻が作られており、私も頻繁に利用させて頂いているが歴史的資料価値の高さには瞠目すべきものがある。

 光栄にも先日お会いさせて頂いたのですが、体調の方もかなり回復されたようで安心した次第であります。

2016-02-04

二月四日 立春 善福寺のヤドリギ

f:id:yabutubaki:20160125010319j:image

 阪急バスターミナルの向かい、善福寺本堂の横へ廻って見上げてみると、葉の落ちた枝にヤドリギを見ることができる。一昨年の伐採で数は減ったが幾つかは健在だったので安堵した。寄生植物の代表選手として有名だが、古くから万葉集に歌われた植物である事をご存じだろうか。

   あしひきの山の木末(こぬれ)のほよ取りて

     かざしつらくは 千年(ちとせ)寿(ほ)くとそ   大伴家持

 ほよ・・・・・・・・やどりぎ

 かざしつらく・・・・髪にさして飾る

 寄生している木が冬に落葉しても、ヤドリギは枯れないところから長寿のめでたい木として珍重されたようだ。

2015-11-09

十一月八日 立冬   行基三人

有馬にも来たという僧の行基(668-749)だが、医療活動の傍ら溜池や橋梁建設等の土木事業をした業績は歴史の授業で暗記させられた。だが何故、医療土木なのかという関連については私自身の人生の中で知り得た事だった。

f:id:yabutubaki:20151009104046j:image

【極楽泉源の湯けむり】


江戸時代後期、和歌山県に花岡青洲(1760〜1835)という外科医がいた。麻酔薬である痛仙散を開発し、世界で初めて麻酔手術を行ったのがこの人であるが、私費を投じて溜池を造成し飢饉で疲弊する人々を支えたという経歴も持つ。

f:id:yabutubaki:20150819120820j:image

【毛朝鮮朝顔


もう一人、ペシャワール会を率いる中村哲氏は現役の医者だが、現在進行形でパキスタンアフガニスタン医療活動の傍ら井戸の開鑿や大規模な用水路の建設を手掛けている。30年に及ぶ活動の中で、荒涼とした大地を緑の沃野に変貌させた光景は感動の域を超えている。

f:id:yabutubaki:20151027122301j:image

【左2003年 右2006年 会報より】

病気の背景にある旱魃、飢饉貧困が三人をインフラ整備の土木事業で生活の向上を目指すのは理の当然であった。一時は離散したアフガニスタンの農家が再び戻ってきたのはつい最近の事である。

f:id:yabutubaki:20151109124245j:image

2015-07-07

七月七日 小暑 七夕  梶の木

f:id:yabutubaki:20150629114015j:image

(瑞苑中庭の梶の木)

 数年前「プールの中央にある木は梶の木ですか?」という問い合わせがあった。残念ながらその木は樫だった。

 中の坊創業家は「梶木」なので、以来関心を寄せてその木を探していたのであるが、偶然、大坂天王寺の境内で見かけたことがある。木枠で大切に囲った上、わざわざ説明書きを建てるほどこの木は珍木であるようだ。

 昨年、梶木雅夫会長から瑞苑の庭にこの木がある事を耳にした。今の瑞苑に建て直した時(昭和55年)には既にあったという事だから知らぬは私だけだったようだ。中庭の池の奥にある。

f:id:yabutubaki:20150629113309j:image

(梶の木の実)

 梶の木は雌雄異株のようで、さてどちらなのか楽しみにしていたが先日葉の裏に丸い実を見つけたので雌木である事が分かった。秋には、赤く熟すことだろう。

f:id:yabutubaki:20150629113604j:image

(梶の木の葉)

 先月下旬、日帰りの社員研修旅行へ行った時の事、昼食は「京都松井本館」でよばれた。ハイレベルの施設でなくては研修にならないので、年に一度のこの企画は私には待ち遠しいほど楽しみであった。

 京言葉で誘われて、花を基調の宴席に、京情緒満載の会席料理。一品毎に期待と満足を満たしていたところ、食材を敷く朝顔状の葉に気が付いた。訊いてみたら案の定、梶の木の若葉であった。

 なんという女将の粋な計らい。ゲストの我々が気が付かなければそれっきりでしかないところに「究極のおもてなし」を見た気がした。

Connection: close