yaguizmaの庭

2012-02-16

リビアのことなど

日本のメディアがあんまり欧米よりのプロパガンダばっかりなので、判官びいきで逆の映像をいくつかひろいました。


こういうのもプロパガンダだろ、といわれれば、かならずしも否定しないけれど、どっちが人道的に破綻してるかっていうことでは、議論の余地がない。ヨーロッパやアメリカやイスラエルのいうこととやることは、まったく間違ってる。



リビア。民衆とカダフィ大佐の演説。2011年7月。

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シリア。民衆と大統領の演説。2012年1月。(英語字幕版もあるけど映像はこっちの方がきれい)

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「シリア」って現地の言葉だと「スゥリィア」っていうんだ。知らなかった。


ブッシュが、この人たちの国を「悪の枢軸」といってた。民衆の多くがその指導者を支持している国は、つまりどこか他所の国や大企業傀儡ではない国は、その自主独立という「罪」により、NATOだの米軍だのが国境を越えてやってきて、彼らの家の上あたまの上に爆弾の雨をふらす。国際社会=ヤクザの世界。



「人々を解放するという口実でその同じ人々の上に爆弾の雨を降らせる権利は私達にはありません。」

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「私達は、原子爆弾を一つでも製造しようとする者は、完全に頭がおかしいと思います。」

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「あなた方が嘘をついているのか、それとも本当に怖いのか。あるいは嘘つきであると同時に怖がりなのか。」

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欧米でのリビアとかイラン、シリアの報道のいびつさは、日本でいえば北朝鮮報道の偏向ぶりとおなじことで、欧米がリビア他にしでかすことは、日米韓が北朝鮮に対してやりうること。

2012-01-28

1台のトラック

きのう京都に行ったんだが、街中を走ってるとき、1台のトラックとすれ違った。

トラックの荷台には米袋が満載で、かけてあったシートが半分めくれていたので、米袋の側面に赤字で印刷された「ふくしまの米」の文字が目に焼きついた。一瞬のことだったんだけど。ぜんぶ同じ袋だった。

ぱっと見た印象だが、中古の袋に見えた。ぼくもよく扱ってるから、たぶんそうだと思う。

中身は何で、どこに運ばれて、何に使われるんだろうか。

京都っぽく考えたら、もち米で、和菓子にでもなるのかな?

雪かき日和

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作業の成果はまた後日。どうせまた降るんだが。

2012-01-26

年あけ

年、あけましたね。


いまごろ?な話ですが、中国では数日前が春節旧正月だそうで、爆竹ならして派手にお祝いする雰囲気がたまに恋しい。日本の正月はのんびりしっぽりしてるけど、あんまりお祝い気分にならないのがちょっとしめっぽいです。


最近、月の半分ほどを山で臨時の稼ぎ仕事してるので朝がはやいです。なので5年目にしてようやく酪農家らしい朝起きになってきた。毎朝、山羊小屋は明かりがないので、発電機回して作業。先日、新月だったらしく、朝仕事が終わってふと空を見上げると満天の星空。ほわーんとみとれてたら、これ、物語の中の「貧しい羊飼い」みたいやな、と思ってしまう。


それから貧しい山羊飼いは、年末にスリップ事故をおこして前面ぼこんぼこんの軽トラにのってバイトにでていったんだが。1月の仕事はもう終わったけど、早起きは継続中。5年目にして、とうとうやる気になってきた。が、今日は夜更かし・・・


とはいっても、原発事故で自分のやることにも影が一つ加わった。食や農の分野で、自律的、有機的、持続可能性を求めていた多くの方法論が、逆にあだとなっている。有機栽培や自然放牧の産物の危険が高まって、逆に人工的な栽培や輸入食品の価値が相対的に上がる。原発ってそういうもんなんだな、といまさらながら思う。土壌の劣化(化成肥料)、化学物質(農薬)、遺伝子組み換え、いろいろあるが、放射能は最後の一撃かも。耐えられるかな。


また、子どものころから心臓が少し不整脈なのは、中国の核実験の影響かも、と思ったりもする今日この頃。咳も一向に直らない。


 *


雪、今日もまあまあ降ったが、しばらく天気予報は連続雪だるま。また雪かき三昧かと思うとユーウツだけど、北海道の朝鮮学校行政除雪車も門前を素通りしていくのだときいて唖然とした。学校や保護者は何十年も自治体に要請しているが一向に対処してくれないのだという。それで教師や生徒がスコップで雪かきしてるらしい。郡山の朝鮮学校も、はじめのうち、除染対象から外されていたときく。


太郎の屋根にも次郎の屋根にも、田中さんの屋根にもパクさんの屋根にも、おなじように雪は降るというのに、なにやってんだろう日本は、日本の自治体は。大震災で、去年の言葉は「きずな」とかいってた国で、こんな有様である。こういうときに思い出さざるをえないのは、長谷川テルが言っていた「セコセコした日本人」だし、こんな国「滅びるね」と言った漱石か。


ついでにという話じゃないけど書いとこう。北朝鮮はあんな経済状況であっても、赤十字を通じて、中越沖地震でも今度の大震災でも義捐金を送ってきた。気持ちを示したということだろう。日本はとはいえば、関係がよくないとはいえ他国の元首の死に対する儀礼的な哀悼の言葉さえ、言うべきか言わざるべきか迷って、結局言わなかった。「状況を注視する」とか何とかいってた。こういう国で『国家の品格』とかいう本が売れたりするんだからあきれてしまう。


朝鮮に対する日本の姿勢をみてていつも思い出すのは、「自画像の描けない日本」という、これは安江良介の言葉(論楽社ブックレット)。ここ数年、何度も思い返してはその正しさにため息をつく。

2011-12-30

また来年

とうとう年が終わる。


この間のブログ留守にとくに意味はありません。

世の行く末に悩み憤慨はつきませんが、それはそれ。

自分の身もおぼつかないけれど、それもまた宇宙の塵。


ここ数日、家の片付け掃除をしていました。自分では大掃除のつもりで。

宇宙の塵をはき、宇宙の塵を吸う。

玄関、居間、台所をすませて、最後に自分の部屋が残った。

これはカオス、混沌。

これをいかにせんと思っていたら、思い出した。


むかし母親が言っていた。

荘子が言うに、むかし混沌がいた。混沌には目も口も鼻もなかった。

これに秩序を与えようと目、口、鼻と、七つ(九つ?)の穴を開けたところ、混沌はたちまち死んでしまった。

母はそう語りながら、いかにも楽しげだった。お前、そうだよと。

混沌は混沌にしてはじめてその生命を得ている。秩序とは相容れない。


母はそしてお前の名前は荘子からとったのだ、とも言う。

(父によれば必ずしもそうではないらしいが。)


それでぼくは自分の名前を喜んで背負うことにした。

混沌は混沌であれと。


ところが親の期待というのは海のように大きく、子の凡庸さは雨後の水たまりにも及ばない。

宇宙の混沌と5畳部屋の混沌の差が、そこにはある。


足の踏み場もないのはやはり困るので、部屋はある程度掃除はしました。

うん、なかなかきれいだ。しかし何日持つだろう。


さきほど、友人たちとの忘年会も終わった。

楽しかったが、橋下が良いの悪いのという政治談議もでる。

評価は3対2くらいだから、世間と同じ構図か。

朝鮮学校のことで、彼はレイシスト、そのことをもって嫌だ、といった。

そんな意見は他になかったが、しないよりしてよかった。


来年も生きていきますので、どうぞよろしく。

2011-07-28

土地が汚染されるということ

飯館村の農家さんを呼んで話を聞くことにした。


いっしょに会を準備してるAくんは畑をやっている。去年独立して、自然農というのかパーマカルチャーというのか、まあそんな感じでがんばってる。土いじりをして野菜を育てるのが好きで、性分に合ってるらしく、アフリカの人かと思うくらい真っ黒に日焼けしている。「原発が爆発したら、これ有機野菜ですよとか無農薬とかいうても、何の意味もないもんなあ。汚染された野菜なんか、誰が買うねんっちゅう話やし、オレかてそんなもん買いたないわ。」そう嘆き、笑う。彼も、行き場のない怒りを持ってる。「反対してあたりまえやと思うけどなあ。」


やっぱりいっしょに準備してるBくんは、メンバーの中でいちばん山深いところに住んでて、無農薬の田んぼをやっている。とってもひょうきんな性格だが、その彼がムスッとした面持ちでいった。「神奈川で有機農業やってる友だちがいうてた。もうあれ以来、土が汚染されてるかと思うと、畑やっててもぜんぜん楽しないって。」


つくる喜び。土が命を生みだす喜び。それを手助けする喜び。おいしいもの、安心して食べられるものをつくる喜び。人がそれを買ってくれて、食べてくれる喜び。食べものを通して、自然とつながり、人とつながる喜び。そうしたものを、ぜんぶ奪った原発。土地が汚染されたっていうのは、たんに食べものをつくる物理的条件が壊されたってことだけじゃなくて、まじめに土に向き合おうとしてた人たちから、働く喜びとか生きがいを奪ったってことなんだ。泣きたくなるよ、きっと。


除染作業として表土を5センチはいで・・・とかニュースでいってる。汚染を除こうという意志は大事。でも、食べものを生みだす作土を5センチつくるのに、どれだけの年月がかかるか知ってるのか。汚染された土は、どこでどう管理するのか目処はあるのか。そもそも山も含めてすべてが汚染されているのを、どうするんだ。気休めのことばを連綿と吐きつづけるニュースに、けっきょく事態は誰にもどうなるかわからないし、誰も根本のところで責任を取るつもりがないらしい、ということはわかる。


こんなこと、許されていいはずがない。