yaguizmaの庭

2010-01-22

あるシャンソン・ロッカーの死

マノ・ソロが死んだということを、その二日ほど後にネットで知ったとき、頭のなかでフラッシュがパシパシとたかれるような気がした。

46歳。

はやすぎる、と同時に、とうとう死が彼を連れていってしまったのだ・・・という思いが、ぐちゃぐちゃになってむねにうずまいた。



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「友よ、泣かないでくれ。おれがいなくても、闘いはつづく。

誰かがおれの声をきくかぎり、おれはこのろくでもない世界に生きている・・・」

(1995のTVライブより、『会いにきたよ(発つまえに)』)



フランスのポピュラー音楽に特別の関心があるわけじゃない。だけど、マノ・ソロは好きだった。特別だった。彼の歌と歌声を、ぼくは愛していた。



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マノ・ソロ(エマニュエル・カビュ)は、フランスのシャンソン・ロック歌手。

1963年生まれ。父は著名な戯画家(カートゥーンを描く人)、母はラディカルな環境活動家。芸術家やインテリが始終家に出入りするような家庭環境に育つ。「不良」の10代をすごしたが、一方ではやくから画才を発揮し、その独特の絵は一部で評価を得る。やがて音楽活動に重点を置くようになるが、20代半ばにHIVへの感染が判明。(若いころのドラッグ使用のため。)

率直な発言と情熱的なライブで人気をあつめ、1993年30歳のときにデビューアルバム『はだかのチビども』を発表。10万枚を売る。セカンドアルバム『暗い歳月』発表後のコンサートでエイズ患者であることを公言し、音楽活動を中断して治療に専念。カクテル療法などでもちなおして現役復帰。以来、病と共にありながらも作品を発表してきた。

デビューから16年のあいだに、ライブ盤を含めて10枚のアルバムを発表。その作風は、初期の作品では死の恐怖と向き合いながら、若者の怒りや暴力、愛と孤独、絶望と希望を歌った。また、民衆の町パリを愛借する歌も多い。後期の作品はよりポジティブな内容の曲がふえている。音楽的には、ロック、ミュゼット、ジプシー音楽、タンゴ、フラメンコ、アフリカン・リズムなどを取り入れてきた。

歌のほか、多数の絵画、小説や詩作品がある。彼のCDのアートワークはほとんど自身の手によるもの。2009年秋に最新作『帰港』を発表し、コンサートツアーを開始したやさきのパリ公演直後に入院。2ヶ月闘病したが、2010年1月10日死去。死因は動脈瘤。遺体は14日、ファンの見守るなか、ペール・ラシェーズの墓地に埋葬される。


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≪「ええ、そうです。あなたは陽性です。」そういって[医者の]電話は切れた。自分が陽性だということを理解するのにちょっと間があった。で、ああクソ・・・そのあとは、ぼくはもうおんなじ星の上にはいなかった。そりゃそうだ。[・・・]すべて、ほかのものすべてが変わった。何ひとつ、以前と同じようには眺められなくなった。一瞬にして、世界がひっくり返って、別の世界に突き落とされた。ぼくはもう前とおなじ人間じゃなかった。それから、ひどく重苦しい気分になった。たぶんぼくはその日、自分の自由を失ったんだと思う。のんきでいられる自由、間違いをおかす自由、時間を無駄にする自由を失ったと・・・≫

1997年インタビューより。以下、発言はすべて同記事から。)



もうかれこれ15年以上も前のこと。その年の夏、ぼくはフランス南部のモンペリエという町にいた。そこにあるCD店で、平積みにされていたマノ・ソロのデビュー作『はだかのチビども』を試聴したのが、この人の音楽との出会いはじめだった。



La Marmaille Nue

La Marmaille Nue



ぼくがある歌い手を好きになるのは、たいてい声にひかれてのことが多い。マノ・ソロの場合もそうで、彼のすこしかすれた、震えるような繊細な声、しぼりだされる声の力につかまった。



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そのおなじ夏、郊外の町で彼のコンサートがあると知って、行き先も不安な田舎バスに乗り、その町まで泊りがけで聴きに行った。小さな町(村?)の真ん中にある、緑に覆われた小高い丘の公園で、夏の夜のフェット(祭り)の明かりにてらされながら、100人ほどの聴衆を前にして彼は歌った。

コンサートは夜店のような雰囲気だった。舞台がはねてからポスターにサインを書いてもらったときに、フランス語もおぼつかない若いアジア人を不思議そうにみつめかえすマノの表情をよく覚えている。目もとがちょっと笑っていたな。

そのとき彼はマジックペンで、ポスターにさらさらと流れるように「屁をひる犬」の絵を描いて、ぼくにくれた。前に並んでいた男の子は、「煙を吐いて走る機関車」の絵を描いてもらってた。えらいちがいだな、と大人気なくもちょっぴり嫉妬した。(でも、犬の絵はマノの十八番だった。)

そのときのぼくは、彼が何を歌っているのかなんてわからず、エイズ患者だってことも知らなかった。マノ・ワールド全開のCDイラストやメロディ、そして彼の声音から、たぶんそうとう暗いことを歌ってんだろうとは思ったけど、その歌声は嘆きよりもわけのわからないエネルギーを感じさせたし、もっと芯のところでピュアなものを感じた。

それから15年、ぼくの聴き取り能力はあんまり進歩しなかったけれど、歌詞カードをなんとなく読みときつつ、その声にシビレながら、ずっと彼の音楽を追いかけてきた。



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≪コンサートが終わってから、こういいに来る人がいた。「ねえ、じつはぼくもエイズなんだ。でもこれを言うのは、君がはじめてだよ。」そういうことが何回もあった。ぼくはその人がものすごい孤独のなかにいるってのが、手にとるようにわかった。もしも君がふだんの生活で多少ともひとりぼっちだと感じていたら、エイズになるってことは、ほんとうの奈落の底に突き落とされることなんだ。≫



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≪もう数え切れないくらい何度も、自分の頭に一発ぶち込んでやろうかと考えた。でも結局そうはしなかった。十年の間、ぼくは自分の葬式をしてきた。するとあるとき、「で、こういったクソみたいなことはおれの命を救ったのか?」という疑問に揺さぶられた。[・・・]まったく矛盾してるよね。死ぬ恐怖のつぎには生きる恐怖ってわけさ。≫



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何年も後になって、あるとき、マノが好きなんだと若いフランス人の学生にいったら、彼はひとこと「グローク!」(くら!)と返した。マノの音楽に対するごくありふれた評価は、たぶんそんなものなんだろう。一方で熱心なファンもけっこうたくさんいた。ぼくは二回だけ彼のライブをみたけど、年齢層がおもいのほか若いように思った。

いま彼の死を報じる記事を読んだり、ファンのコメントを読んだりしていると、その愛され方は日本でいうと、ちょっと尾崎豊のそれに似ている気がする(ちょっとね)。そういえばマノには、どうしようもなく道をふみはずした青春を歌った≪15の朝≫という歌もある。



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とくべつファンでなかった人にも一定の敬意をいだかれていたらしいと、死んでから知る。ドラノエ・パリ市長やミッテラン文化大臣(ともにゲイであることを公表している政治家)が追悼コメントを出しているが、とくにパリ市長の「彼の家族・友人・ファンに、連帯と友情を強く表明したい」というコメントは、この人の経歴(こことかこことか)を考えあわせると印象深い。(マノがこれらの政治家をどう評価してたのかは知らない。)



≪ぼくは誰かがエイズだからって理由で、その人に注目しようなんて思わない。エイズってのはアイデンティティなんかじゃないよ。それで自分を「隔離する」理由なんて何もない。≫



≪はっきりいっておきたいのは、ぼくは「エイズ患者として」話そうと思ったことは一度もないってことだ。ぼくはいつも「自分の」エイズについて語ってきた。患者の数だけ、生き方があるんだから。≫



≪だけど、ここにぼくらの呪縛もある。というのもパリで35歳でエイズで死ぬってことは、チェチェンやルワンダで生きていくことよりも1000倍楽なことなんだ。少なくともぼくは、家に押し入ってきた連中にナタで頭を叩き割られるなんてことはない。「呪われた世代」とか、そういう言い回しはみんなぼくらがブルジョワだからこそ言える。ぼくは犠牲者きどりでやってきた最初のひとりかも知れないけど、アフリカでは500万人がおなじ病気で死んでいってる。西洋人は自分の殻から出ないといけないよ。これは政治的な問題なんだ。自分たちの患者だけ面倒をみて、ほかのエイズ患者は立ち入り禁止って、それでぼくたちはいったいどうなるんだろうね。≫



マノは、社会や政治に対する自分の考えをかくすことなくしゃべっていたし、歌っていたから、「アルティスト・アンガジェ」(社会参加する芸術家)といういわれ方もしている。

デビュー前のバンドを復活させて出したパンク・アルバム『フレール・ミゼール』(1996)は、ル・ペンやシラクを名指しでこきおろす曲や、体制批判、社会批判のナンバーがぎっしりだった。とくに移民排斥などの排外主義にはつよく反対していて、そういう趣旨のコンサートにも積極的に参加していた。

また、「自分の仕事は作品をつくるというよりも人々とコミュニケートすることだ」ともいっていて、自分の掲示板サイトや担当するラジオ番組を議論の場として開放していたそうだ。

ぼくは最初はたんにマノの歌声にひかれたんだけど、彼のそんな姿勢も好きだった。どことなく古風で、まっすぐで、熱い。



(質問:1968年にお母さんに連れられていったソルボンヌ大学での光景(五月革命のこと)が、あなたの幼い頃の最初の記憶だと?)

≪まあそんなとこかな。もちろん、いまとなっては変形された記憶だろうけど。でも、少なくともそこでぼくは、たとえば革命はひとりでやるもんじゃない、ってことを学んだ。それはぼくの最初の社会的な気づきのひとつだった。そういう遺産をぼくは悔やんだりしてない。それがあったから、ぼくはエイズに打ちのめされたままでいる、ということにならずにすんだ。要するに原因が何でどんな絶望的な状況でも、闘う方法はあるってことさ。ぼくはつねに人生に対して前向きな人たちに囲まれて生きてきた。闘争精神あふれるなかで育ったんだ。≫

≪社会におしつぶされないようにするってこと、それじたいがもう闘争なんだよ。≫



そんなわけで、彼は『シャララ・インターナショナル』(どう訳せばいいのかわからない)という曲をつくってコンサートの終わりに合唱したり、“VIVE LA REVOLUTION !!”(「革命万歳!」)という雄たけびでコンサートを締めくくったりした。



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パリの陰陽を愛し、「自由か死か、おれには両方ある」と歌い、「革命よとわに!」と叫ぶ、マノ・ソロはいまどきめずらしい、そんな歌うたいだった。

ポピュラー音楽の担い手としては、マイナー要素の強い(要するに売れ線ではない)芸人だったと思うけど、その主張や生き方は、ある意味ですごくフランス的な価値を体現していたんじゃないかと思う。

そこにはすごいなあと感心する部分と、限界もあるなと感じさせる部分と、両方あるとぼくは思うけど、そういう思想とか価値観が彼の表現にどれだけ関わってて、表現としてどれだけ完成されてるのかなんてことは、ぼくには正直わからない。

ただ、彼はいつも自分にとっての真実を歌にこめようとしたからこそ、すぐに歌詞のわからないぼくにも何かしらふれるところがあったんだろうと思う。メディア的には「エイズ歌手」として注目されることが多かったようだけど、ファンはその生き方と、何よりもその「うた」にひかれていたにちがいないと思う。

ほんとにたまたまだったけど、ぼくも彼の「うた」に出会えて幸せだった。



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ここ数年はぼくもフランスにいく機会もなく、最近の彼の二作品は聴いていない。たまにネットで探してみつけるマノの姿は、むかしに比べると、ほほがこけていたり、からだの筋肉もそげおちていて、病とはげしくたたかっているらしいことがうかがえた。みていてつらかったが、去年の9月にも新作を出すときいたときは、まだまだがんばっているんだとちょっと安心したりした。

そのアルバムを出した後、テレビ中継の録画映像でみたマノは、あいかわらずやせて、皮膚はかわいてつやもなく、顔にはしわが刻まれていた。病が彼を老化させていることがわかったし、体力もなさそうにみえたけど、それほどの悲壮感もなくたんたんと歌うすがたには、歌手として、いぜんにはない味を出しているようにも思えた。

もともと、マノはきれいなまなざしをしてるとおもっていたけど、そのときも目にはいのちが宿っていた。むかしの、するどい、ぎゅっと力をたたえたまなざしではなくて、もっと静かでゆったりした、やさしさと諦観がまじりあってるような、そんなまなざしだった。

だから、「だいぶかわったな」とは思ったけれど・・・。


昨年は(単なる旅行だけど)東京にも来ていたのに、もう日本で彼のライブを見るという淡い希望は永遠にかなわない。これからもっと成熟した歌い手になっただろうに。

かなしいし、残念だ。

でも、もう十二分にがんばったから、これでよかったのかな。生前最後?のインタビューで、マノはあいかわらずこんなことをいっていたようだ。



≪人生というのは、逆境にたちむかうことだ。≫



そんな彼をみてきたファンは、みんないま、「おやすみ、安らかに」といって、泣いている。


さよなら、マノ。



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(この記事に事実誤認や誤訳をみつけた人はコメントで指摘してください。)

yaguizmayaguizma 2010/04/02 22:15 (以下は1月16日のコメント欄のneige1060さんへのお返事です)

はじめまして。コメントくださってありがとうございます。承認が遅れてすみません。

ぼくはマノの詩の内容をちゃんと理解できているわけじゃないのであまり適切な紹介ではないかもしれませんが、彼の歌(歌声)が好きだったので自分なりの喪の作業として書きました。訃報をきいてから、新しいCDをアマゾンで注文したもののいまだにペンディングされたままです・・・。日本でも一般に紹介されて、入手しやすくなるといいのですけれど。

パリにはよくいかれるのですね。ぼくも一度だけピガールをうろうろしたことがあって、ああここがマノの歌っていた・・・と思いながら歩いた記憶があります。彼も東京に来たおりに歌舞伎町あたりを面白がって歩いたみたいですよ。滞在中の感想や写真はこちらにあります。

http://www.manosolo.net/newforum/index.php?showtopic=2195&hl=japon

日本のことを何も知らずに来ているだけに、いつもの率直(すぎる?)な発言には、その言い方はないだろとつっこみたくなったり、頷いたり、笑わせてくれたりで、今更ながら彼我の習俗の違いやマノならではの着眼点を感じさせてくれました。