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八ヶ岳山麓の体験農園「八峰村(やっほうむら)」に集う仲間たちが小海便りをお届けします

2016-05-08

6/11鎌倉映画祭で凍み餅づくりも上映

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 八峰村ではおなじみ、飯舘村の菅野栄子さんと芳子さん。おふたりを主人公にしたドキュメンタリー飯舘村の母ちゃんたち:土とともに」(監督:古居みずえ)が6/11(土)、鎌倉映画祭で上映されます。凍み餅づくりのシーンは小海町で撮影されました。

2016-03-15

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 3/10、横浜市中区横浜スタジアム前で夕方から開かれた「東日本大震災かながわ追悼の夕べ」に八峰村も参加しました。この催しは、神奈川県避難している被災者と、それを支援する神奈川県の人たちが開いたもの。八峰村の皆さんは、ここで凍み餅などを販売し、活動報告をしました。

 写真はウクライナの伝統楽器バンドーラを演奏するチェルノブイリ出身のカテリーナさん、合唱は港南台少年少女合唱団ふるさと港南台に皆さん。

2016-03-14

凍み餅、飯舘の皆さんに

 長期間更新をさぼってしまいました。でも八峰村はしっかり活動を続けています。今年に入ってからは恒例の凍み餅づくり。わたしも今シーズン製を送っていただきました。いまは新年度の準備に忙しい時期でしょうか。昨年は耕作できなかった馬流の田んぼで米づくりが復活するという話も伝わってきています。

 そんななかで、まずは飯舘訪問の記事から。村長が送ってくれた写真と記事をアップします。

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 2月29日、伊達市内の仮設住宅にうかがいました。翌日は、渡邊とみ子さん率いる「かーちゃんの力プロジェクト」のメンバー長澤利子さんが避難している葛尾村の仮役場を訪問。避難の状況を聞きながら、避難生活中の葛尾の皆さんとも、凍み餅を一緒に食べ、交流を図ってきました。今回で5回目の訪問(5年間で15回の凍み餅づくり)になります。

 訪問はいいのですが、何時まで仮設暮らしをさせるのと、無策に腹が立ちます。しかも行先が見えないのに、来年で仮設が閉鎖されるとか。インフラに何兆円かけても、お年寄りに安心して暮らせる環境をどのように提供できるのか、ソフトウエアが脆弱な復興対策に思えてなりません。仮設の中では、新しいコミュニティの形成が感じられ、それがまた壊されるようです。

2016-01-03 賀正 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 すっかりご無沙汰してしまいました。ほぼ2カ月ぶりか。東京近郊は暖かな新年を迎えました。小海も冷え込みそれほどでもなかったのかな。

 例年なら、暮れから2月にかけて凍み餅の仕込みが行なわれるはずなのですが、その情報がまだ届いていません。ちょっと心配です。

2015-10-30

脱穀

 八峰村稲刈りから約3週間、当初予定の11/1から予定が1日くりあがり、明日10/31に脱穀が行なわれるそうです。「自前の新米がどのくらい実っているか、期待と不安を楽しみに」が村長の弁。脱穀機を持ち込んでくれるのは「こうみゆうきちゃん倶楽部」の皆さんのはずです。お手伝いというより「おんぶにだっこ」状態になるんでしょうね。

 脱穀といえば、幼かりし何十年前を思い出します。父親がつくった稲(水稲ではなく、いまは誰もつくらなくなった陸稲=おかぼ)を脱穀機に突っ込んでいました。電動なんかじゃありません。足踏み式。足でペダルを踏んで稲穂刈り取りパーツ(名称が思い出せない)を回転させる。ワラの根元はしっかりつかんでいなければならないのに、小学生の腕力ではそれもかなわず。腕が巻き込まれる前に、あわててワラを手放したこともあったような。ペダルを踏むのをやめれば、そんなことにはならないのに、足と手が連動しない未熟の悲しさ。いとも簡単に作業している大人たちを憧れの目で見たのは、そのときくらいかな(ちょっと言い過ぎ)。

 水田のない地域では、かつて米は憧れの食べ物でした。少なくても農家にとって、水稲が無理なら、せめて陸稲をつくる。そんなことも知らないまま、自家生産した陸稲を当たり前のものとして食べていた時代の思い出です。あの足踏み脱穀機、処分されたのはいつだったか。陸稲より美味しい水稲を買って食べられる。そんな時代はすぐにやってきました。

 すいません、どうでもいい昔話で。明日の脱穀に参加される皆さん、よろしくお願いします。