90 竹林寺五重塔(高知県高知市)

竹林寺五重塔高知県高知市
 竹林寺は、「五台山」という立派な名を持つ、山の上にある。
 聖武天皇が、文殊菩薩霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から教えを授かるという夢を見た。そこで帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍を建立するように命じた。行基が、日本国中を探し、唐の五台山に似たこの地に創建したのが竹林寺四国霊場八十八カ所で唯一、文殊菩薩を本尊とする学問の寺である。
 「土佐の高知の播磨屋橋で、坊さんかんざし買うを見た」で有名な「よさこい節」の舞台でもある。よさこい節に歌われた純信とお馬の恋物語、その純信は、寺の脇坊妙高寺の修行僧。 鎌倉から南北朝時代には、臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めている。また、妙高寺が、明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となり、その跡地にできたのが、「高知県立牧野植物園」である。
 五台山は、土佐の信仰や学問、文化の中心地である。
 土佐電に文珠通という停留所がある。国道32号を歩道橋で渡り、絶海池や民家の間を抜けて、竹林寺登り口に到着。ここから遍路道。墓地を抜けてかなり急な登山道を登ると、高知市内の展望が開ける。しばらく登ると、遍路道は、牧野植物園内に入る。牧野植物園は、高知が生んだ「日本の植物分類学の父」牧野富太郎博士の業績を顕彰するため、博士逝去の翌年、昭和33年(1958年)4月に開園。起伏を活かした約6haの園地には、博士ゆかりの野生植物など約3,000種類が四季を彩る。
 遍路道も、植物園内では、その表示は遠慮して、時にどこにあるのかわからなくなる。遍路の出口も事務所裏にあり、遍路はこっそりと園外に出る。
 竹林寺は、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学問寺として当地における宗教・文化の中心的役割を担っていた。
 しかし、明治初頭の廃仏毀釈によって一時衰微し、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の姿が蘇えりつつある。
 竹林寺には、足利時代の建築で俗に文殊の塔として、土佐随一の荘厳を誇った三重塔があったが、老朽化に加えて、台風のコースでそれも高台にあり、明治32年(1899年)の台風により倒壊してしまった。遺物としては、宝物館に安置されている高さ2尺くらいの相輪によって僅かに面影を知るのみである。
 現在の五重塔は、昭和55年(1980年)12月、復興したものである。
 建築工事は、香川県詫間町の富士建設株式会社が請負い、京都宇治の工匠岩上政雄氏がその施工にあたった。鎌倉時代初期の様式を用い、総高31.20メートル、総檜造り、使用木材1,320石、使用瓦2,800枚、宮大工延べ人数5,400人。
 富士建設株式会社は一般建築の他、社寺建築にも熟達した技術を有する大手建設業者であったが仏塔建築の経験はなく、社長真鍋利光氏は一度は塔を建ててみたいとの念願で全国仏塔を巡拝し研究を続け、この間に、京都で岩上政雄工匠にめぐり会い、更に岩上氏が副棟梁をつとめた志度寺五重塔工事を参観。こうして岩上政雄工匠とのコンビでの建設になったという。
 これも文殊様のお導きであったのであろう。