瀬長亀次郎

 昨夜、8月1日(水)22:00〜22:45 NHK総合で 『その時歴史が動いた「忘れられた島の闘い 沖縄・返還への軌跡 瀬長亀次郎」』が放送されていた。

「瀬長亀次郎」さんは私が子供の頃に、母によく聞かされた名前だったので、懐かしい思いでテレビを視聴した。

 政治に疎い母の口からどうして「瀬長亀次郎」という人の名前が語られたかというと、母の子供の頃の思い出にさかのぼる。

 戦争中に母は、慰問袋というものを作り、兵隊さんに送ったそうだ。すると、「瀬長亀次郎」さんからお礼の返事がきたそうだ。他の人には誰からもお礼状などこなかったのに、自分だけ「瀬長亀次郎」さんからお礼状をもらって、その嬉しさに忘れられない名前になった。ということだった。

 何かの時、国会議員に瀬長亀次郎さんという人がいることを知り、あの「瀬長亀次郎」さんかねえと話したことがある。

 子供の慰問袋に礼状を下さるような方だから、きっと立派な方で国会議員になっても不思議ではないわねえ、お手紙を差し上げて確かめてみようか、とまで話し合ったが結局そのままになった。

 報道でお亡くなりになったことを知ったとき、二人で御冥福を祈ったものだった。

 昨夜のテレビで、瀬長亀次郎さんは、沖縄返還に対してその足がかりを作った人物で、アメリカに立ち向かい、捕えられてもひるまず、沖縄の平和と人権を取り戻すために尽力した方と知った。

 そういう人物だからこそ、子供に対してもきちんと礼状を出すような本当のやさしさを持った方だったのだろうと思う。

 子供の頃の母に礼状をくださったのは、やはりあの瀬長亀次郎さんに違いないと私は確信している。