平日の記録



ヴィロン渋谷店にて、焼き菓子とカフェオレ。ここのパンは美味しいけど、ケーキは私には重過ぎ…と分かっていながら買っちゃうんだけど。
人形町に行った折には、シェ・アンドレ・ドゥ・サクレクールで、いちごのムースに、合いますよと薦められたハイビスカスティー。ここはランチが目玉なのに、いまだお昼に行けず。そういやここもヴィロンも、オーバカナルなんかもそうだけど、フレンチ系のカフェって煙草が吸えるからありがたい(私は今吸わないけど)。

アレクサンドリア


最高に面白かった!予告編から「女が学問するのは大変」という辛気臭い話かと思ってたけど、そうじゃなく、つくづく観てよかった。


4世紀末のエジプト・アレクサンドリアでは、貧民層の救済を訴えるキリスト教が勢力を広げていた。科学者達は古代の神を侮辱するキリスト教徒に報復するが、返り討ちに遭った上、ローマ皇帝の命によりアレクサンドリア図書館を放棄せねばならなくなる。



観賞後、いや途中から、始めに戻って見返したくなる。冒頭、壇に立って、時には腰掛けて話をする学者ヒュパティア(レイチェル・ワイズ)、傍に控える奴隷ダオス(マックス・ミンゲラ)、意見を戦わせる弟子のオレステスオスカー・アイザック)とシュネシオス(ルパート・エヴァンス)、彼らがその後、あんなふうに道を分かつなんて。


ヒュパティアは、自分を慕うオレステスに対しとある「ハンカチ」を渡し、「(あなたは私の中に調和があると言うけれど)私の中には美も調和もない」と言う。その感覚はよく分かる。何らかの状態、誰かからの対象として静止するのは嫌なものだ。彼女は自ら「美」を求めて動き続ける。
天文学に生きるヒュパティアにとって、「美」とは当時の完全形であった「円」のこと。太陽の動きについて「中心がないと寂しいわね」「円は完全なのに何故そうでないものと共存するのかしら」などと言う。終盤ついに、ヒュパティアはその呪縛から逃れ、「美」には違う形も有り得ると気付くのだが、違う「呪縛」が彼女を飲み込んでしまう。
映画は頑なに「美」(=完全、真理)を追う彼女を中心に、そうしたものからはほど遠い、「人間らしい」者たちのあれこれを描く。要所に「宇宙から見た地球」の映像が挟み込まれているのが、ベタながら面白い。寄ってみなければ、当時も今も、見た目は変わりゃしないのだ。


物語はヒュパティアだけでなく、彼女に仕える奴隷ダオスの目線でも描かれる。彼が登場する場面は、全て見所だ。「先生」が他の男に取られないよう「天」(=神)に早口で祈る夜、その足にそっと触れる夜、覚悟を決めて忍ぶ夜。高揚の中で「キリスト教徒」になる瞬間。修道兵士になり、宇宙談義をする仲間に「お前なら分かるだろ?」と問われて返す言葉。そしてヒュパティアとの最後のひと時。どれもしびれさせられた。
映画では、これが事実ならば、キリスト教がダオスのような奴隷・下層民を取り込んで勢力拡大する様子がよく描かれている。ヒュパティアは冒頭の講義において「私たちは皆兄弟、争いは奴隷と下層民のものよ」と当たり前のように言う。奴隷制の上で恵まれた環境に生まれ、学問を楽しめるなんて、今の目で見れば呑気なものだ。そういう主人公に、レイチェル・ワイズの明るく賢い雰囲気が合っている。


セットやその使い方、撮り方もとても良かった。図書館を防御する際、扉に杭?を立て掛け、下に三角形の木片を差し込む、ああいう描写がたまらなく好き(笑)