双子座殺人事件

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18-06-14

[]平日の記録


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甘味処の甘いもの(って当たり前だけど、ちょっと珍しいやつ)。

京橋に出た折、榮太樓總本鋪のカフェ雪月花にて日本橋どらやきブレンドコーヒーあんこが苦手なのにレジ脇のをつい買ってしまい、同居人糖質制限中だしと食べてみた。ちょこっと羊羹ぽい。

浅草では、浅草シルクプリン店舗限定シュークリーム。中は昔ながらの味の無い系クリーム


[]落語ハンダ付け 小ゑん・白鳥 二人会


開口一番(三遊亭あおもり「スピード狂の詩」)

柳家小ゑん「幸せの石」

三遊亭白鳥豆腐屋ジョニー(浅草編)」

 (中入)

三遊亭白鳥(漫談)

柳家小ゑん「牡丹灯籠42.195km」

 (6/10・お江戸日本橋亭)


しょちゅう見ている両人だけど、二人会は初めて。円丈師匠最近どうですか、に始まるトークはとても面白かった。最近「浅草(演芸ホール)に出るということ」について色々聞いていたので、ちょうど出演中のどちらもがそれを下敷きにしてくれたのがタイムリー、いや「落語家にとって浅草の意味は大きい」って話だから必然だった。「豆腐屋ジョニー」の舞台が浅草だなんて初めてで驚いていたら、仕様もちゃんと変えられていた。小ゑんの「幸せの石」は聞きながら自分でも言いたくなってしまうから困る(笑)


トークの際に小ゑんが扇子を手にしているのに、普段見ている噺家さんは高座以外では離しているから、さすがだなと思う(笑)しかしこの日は私には扇子を見る会だった。まずは古典ふうに持ちながら喋った上で「新作落語家だけに与えられた二本目」も駆使するあおもりさんは円丈一門初のハイブリッドだと思った。白鳥さんの「この間教わった(誰に?)」とんとんも見られたし。終わってみれば「噛む」と「ゴッドファーザー」が被っていたのも嬉しい。

[]オンネリとアンネリのおうち


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マリヤッタ・クレンニエミの同名小説を元にした2014年作。見終えてトイレに入ったら、女の子が二人、全部のドアをノックして笑いながら走り抜けたのがよかった(ノックし返した、一応・笑)


オープニング、太陽の光に輝くピンクのバラに「アキ・カウリスマキが愛するフィンランドの映画特集で見た「夏の夜の人々」(1948)を思い出した。どちらも夏の話である原作には無い「バニラ」だけのアイスクリーム屋さんや白いままの豚の貯金箱を「放っておいてはいけない」ことの象徴としていることからも分かるように、これは色のお話で、色遣いが最大の特徴だけれども、モノクロのこの映画も見てみたいと思った。


一見すると本作は子ども映画によくあるひとときの冒険もので、夕ご飯明日の朝までに帰るところが「家」を得たことでこんなにも長い間子どもだけの時間が続くのかなとも思うけれど、このお話のいいのはそうじゃないところ。オンネリとアンネリはそのまま二人で暮らし続ける。原作面白いのは親の了承を得て二人だけで暮らすようになるまでにこそ一抹の寂しさがあるという点だけども、映画にはそのような機微は無くどこまでも明るい。


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アンネリの両親は離婚し、冒頭の彼女はパパとその恋人と住んでいるが、最後に顔を見せる女性愛人然としていないのがいい。「パパに女ができて家族を捨てた」なんてステレオタイプ描写をしない。人間関係の事情は様々だということが、何も描かないということで示されている(意図はなさそうだけど)。アンネリがママについて言う「仕事してない、大学先生から」も面白い子どもって「先生」は仕事じゃないと思っているふしがある。ちなみに原作では大学先生をしているのはパパの方で、映画は現代仕様になっている。


写真は恵比寿ガーデンシネマのカフェで見つけたコラボメニュー、「オンネリとアンネリのアイスクリーム」フランボワーズ。白い豚の貯金箱を模したクッキーつき。ロビーの大きなポスターの前にて。


[]30年後の同窓会


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新宿が満席で出向いた日比谷の劇場も混んでいた。ドク(スティーヴ・カレル)の話を聞いたリチャード(ローレンス・フィッシュバーン)夫妻が自然と手を重ねるのに(この時、男同士の心はまだ寄り添い合ってはいないが)、私とパートナーでもそうするだろう、たぶん、なぜか、と思うと同時に、これは出来れば大勢で一緒に見るべき映画だと思った。恥ずかしいような言い方をすれば、心の中で皆で手を繋ぎながら。


サル(ブライアン・クランストン)は店のレジの上に「小便するのもタダじゃない」との文句を掲げ、客にいかにもそのような言説を振舞っている。終盤ドクの家に着いた彼が車から降りるや用を足す、あれは久々の屈託のない小便だったに違いない。男三人がそこに至るまでの物語である

冒頭ソファで寝て起きたサルが冷めたピザと気の抜けたビールを口にし「昨日の疲れが取れない」と言うのに、彼は本当に休息したことがあるのだろうかと思う。収監されも神に出会いもしなかった彼だけがホテルでも、恐らくこれも久々のベッドで眠れずにいる。それを補うために一人食べ続けているのだろう。仲間とキャンディーを分け合えるようになるまで。


人間はいつでも移動する、死んでもな」とはサルの言だが、彼の車で三人が出発するや、トラックとの一件で、同じ車に乗るとは運命を共にするはめになるということだと分かる。二人を暗黒時代から来た使者だと言うリチャードは道を分かちたがり、「バスに乗って帰る」と何度も主張する。途中から彼らが列車での旅に移行するのは、皆の中に混じっても「三人」一体になったからである

彼らが死体と少々離れる時間を持つのは、その必要があるからだろう。映画死体が出てくると、死んだやつがいるのに生きてるやつがいると実感させられるものだが、その死が「殺すか殺されるか」「ただ、今は自分の番じゃない」の中における死なら、作中の彼らも私達もいったん離れたっていい。


物語が俄然面白くなるのは、サルがドクの息子の死を固めている嘘が許せず彼の前で見事に暴いてみせるところからである(「見事に」とはワシントン(J・クイントン・ジョンソン )が大佐に叱責されないよう済ませた機転を指す)。ここから三人は嘘に、すなわち真実に立ち向かう。「名前も出せない」とある人物をずっと気にしていたことを仲間に明かしてから、サルはこんこんと眠るようになる。「携帯電話無しでよくやってきたな」なんてセリフも、彼の時間が流れ始めた証拠である

彼らが手にするのは嘘だけでも真実だけでもない「調整」された何かであるが、三人で調整したということが大切なんである。ドクの家での、ワシントンの、大佐命令を実行せんとするしれっとした顔付き(作中これに最もどきどきした)を経て、着地はあのシンプル文章である


男達が「ディズニーランド」について話す長い場面には、リチャードが口にする「あれは義務からの逃避だった」とのセリフにふと、「リベラルな男が女を消費するのは、それがお上支配抗うことだったから、癖が抜けないのだ」という言を思い出した。「あの時には心に神がいなかった」なんて何てことのないセリフが、彼が進んでいることを覗わせる。振り返ることが出来ているのだから

ワシントンの「買春も売春もよくないと思う」が、個人というより世代として描かれていると取れば、「どの世代にも戦争はある」かもしれないが、女にとっては「前よりは戦争が終わってきている(って、とても奇妙な言い方だけども)」と思った。