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2011-12-30

[]2011年のあれやこれや

年の瀬ですねー。これから帰省ラッシュに巻き込まれてきますよー(笑)


…えー。ご無沙汰しておりました。

Twitterであれこれウダウダ呟く癖がついてしまうと、こちらに書くことがなくなってしまうというか、あちらもこちらもなんて欲張りよ!とか思ったり思わなかったりするというか、元々椿屋のことを書きたくて始めたブログなだけに存在意義そのものが危うくなっているというか、いきなり(でもないけど)上司の仕事を引き継いでしまって余裕がなかったというか、まぁ結局のところはブログで長文を書くだけの時間的精神的な余裕とネタがなかったというわけです。


で。

帰省ラッシュに巻き込まれつつ2011年を振り返ってみようかと、久々に編集画面を開いているなう。(笑)


先ほどサラッと触れてしまいましたが、2011年1月11日に椿屋四重奏の解散が発表されました。一緒に2011年の年明けを迎えたバンドからいきなりサヨナラを告げられてしまいました。笑いと感動に満ちた最高のライブからたった10日後に。

泣きました。とりあえず泣いた。悔しくて寂しくて仕方なかった。でも不思議と冷静に受け止めている自分もいました。そうか、そういうことだったんだなぁと。

でもまだ寂しいですよ。もう、椿屋四重奏のライブを見て笑ったりモヤモヤしたり(苦笑)することもなくなってしまったんだものね。そりゃあ寂しいよ。寂しくて当たり前。うん。


順番が前後してしまいますが、1月9日渋谷クラブクアトロでのFOX LOCO PHANTOM活動休止前ラストライブもありました。

活動休止とは言っているものの、実際のところは解散なんだろうなぁ…もしかしたらヨダロックは音楽自体から離れてしまうのかもしれないなぁ…なんていうことを感じさせるライブでした。私にはそう見えました。

だけどもの凄くいいライブで、年明けの椿屋カウントダウン(この時点では解散なんて知る由もない)も良かったし、こりゃあ幸先いいなぁ!なんて思ってホクホクしていました。


なんですが。


かたや解散、かたや…帰ってきますね!これは本当に嬉しかった。夏あたりからどんよりしがちだった気持ちにズバーッと斬り込んできてくれたのはやさぐれ放浪人のヨダロックだった!おかえりヨダロック!期待しないで待ってて良かった!ホントに大好き!お前ら全員座れ!って言ってー!座るから!ニヤニヤしながら座るから!(落ち着け)


そして、椿屋は帰ってこないけど、中田くんは思いがけないほど早くステージに帰ってきましたね。きっかけがきっかけだけに手放しで喜べない思いも多少はあったのだけど、今はただ年明け15日の浜松でのライブが楽しみ。椿屋とは違うバンドで唄う中田くんを見るのはそこが初めてなんでね、実は結構ドキドキしてます。


と、ここまで音楽がらみの話ばかりしてきましたが3月11日のことに触れないわけにはいきませんよね。

都内で働いているものの、帰宅難民にすらなっていない私が暗い顔をしてても仕方ないとわかっていながらもやっぱり晴れやかな気持ちになるまでには少し時間が必要でした。自粛ムードや節電対策で薄暗くなっている東京の雰囲気に完全に飲まれてしまっていました。

でも8月に仙台の七夕祭りを見に行って、東京よりもずっとパワーに満ち溢れている仙台の姿を見て、肌で感じて完全に吹っ切れました。東京で暗い顔してるくらいなら仙台に行こう。あの街の春夏秋冬をもっと楽しもう、と。来年も「そうだ、仙台に行こう。」くらいのノリで足を運べたらいいなと思ってます。秋保大滝もね、今度はハイシーズンに行きたいな。おやすみ処(お土産屋…だったのかな)がお休みってないわー(苦笑)滝壺への道が雪に埋もれて見えないってないわー(苦笑)


あとはまぁ…仕事頑張った。今までがユルすぎただけなんだけど、急に仕事中心の日々になりましたからねぇ。椿屋やFOXが活動してたとしても、どれだけライブに行けたことか。そんな中でも12月9日の吉井さん@千葉だけは死守した私は偉いと思います(笑)


うーん、何だかまとまりがなくなってきたなぁ。伊坂幸太郎の小説の続きも読みたいし、とりあえずこの辺で。


…とりあえず、と言いながら続きなんてないんです(笑)

2011-10-16

[]2011/2/27 DOES 2011 tour「MODERN AGE」@SHIBUYA-AX

Hotmailの受信から発掘されました。携帯から転送したのが3月9日。多分その週末にでも仕上げるつもりだったんでしょう。結局その週末は余震とテレビから流れ続ける悲惨な映像に怯えて終わったわけですが。

中途半端で終わっていますが、せっかくなのでアップしておきます。


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2011-08-21

[]31歳になりました

…数日前に。

30歳の1年間が何だかやたらと凄い1年間だったので、ここからの1年間は平穏であることを切望しますが、まぁそうはいかないでしょうね(苦笑)


さて、そんな30歳を終えて31歳に辿り着いた今の私が何を思うのか、32歳になる頃の自分のために書き残しておきます。


上司の退職、椿屋の解散、FOXの活動休止、そして東日本大震災

この4つが30歳の1年間での大きな出来事。

個人的なことから歴史的な出来事までごちゃ混ぜですが、そこは敢えて無視する方向で。


上司が退職して、その後の人員補充がないということで年明けからの仕事が不安でならなかったのですが、3月頃まではまだ余裕がありました。今思うとそれも不思議な話なんですが。

状況が変わってきたのが4〜5月。決算はさすがにキツかった(苦笑)そこをようやく乗り切ったところでまた別件のあれやこれやがあったりして、まだまだ結構大変です。

しかも今後もまだ何かありそうな予感…杞憂に終わればいいんですが。

単純な業務量の増加ということもありますが、会社の根幹に関わるような仕事を私ごときがやってていいのか?という不安が常につきまとっている。でもやるしかない。

今欲しいのは知識と覚悟。経験は時間に任せるしかないから、まずは知識、そしてこの仕事をやっていくという覚悟。


椿屋の解散は…正直なところ今もまだ気持ちの整理がついていない。発表直後はやけに冷静だったのに、時間が経った今の方が辛いってどういうことなんだろうね。完全に日常の一部になっちゃってたからなぁ。ぽっかり空いた穴を埋める何かはまだ見つからないし、見つかるとも思えない。

来年の今ごろには中田くんのソロ活動に心底ワクワクできているといいな。


そしてFOXの活動休止。クアトロでのライブを見た後は解散だとしか思えなかった。ステージ上のヨダロックを見ることももうないんだろうなという悲しい予感に捕らわれていた。

だけど…どうなんだろうね。少し希望が見えたような、そんな未来は待っていないような。わからないね。

でも、待っていようと思える。先日ヒデヲさんがブログに載せてくれた写真を見たら、ヨダロックが全然変わってなくて(もちろん髪型とか表情とかは違うけど)泣きながら笑ってしまった。


この2つが年明け早々立て続けに来たので「前厄怖っ!」なんて思っていたのだけど、それどころではない事態になった。それも日本全体が。

地震のあった時、私はビルの13階にある会社で自席に座っていた。今まで体験したことのない揺れが収まった後、時間が経つにつれて東北の状況が少しずつわかってきた。何度か足を運んだ仙台(空港に行ったことはないけど)が大変なことになっている。それがとにかく辛かった。思い浮かべることのできる風景がいくつもあるから、増してや椿屋の最初と最後を見届けてくれたその街だったから。更に九段会館でも大きな被害が出ているとのニュースを目にして、あの状況で不謹慎というか呑気だとは思ったけど「椿屋の思い出の場所がなくなる!」という思いが何よりも強かった。解散発表からちょうど2ヶ月の日だったし。

でもそんな感傷に浸っていられたのも少しの間だけで、繋がらない電話や動かない電車に非常時を実感させられ、新たな情報が入ってくる度に更なる不安をかき立てられた。

幸いにも私が利用している路線は復旧が早くて、その日のうちに帰宅できた。でもその日は眠れなかった。一晩中ニュースを見ながら余震に怯えていた。布団の中で。いつもの部屋の中で。

結局のところ、東京で暮らす私は当事者ではなくて、と言って具体的、実際的な支援ができるわけでもなくて、そのことで無力感を感じたりもしたし、今もまだどうすべきかわからないままだけど、でも諦めちゃダメなんだろうな。仙台の七夕まつりを見に行って感じたのは、想像を遥かに超える東北の力強さ。絶対に立ち直ってみせる、負けないぞという気迫。だから東京にいる私たちが諦めちゃダメなんだ、絶対に。


…と色々あった30歳ですが、さぁ31歳。

何だかここ最近は今までにないような方向に頭をグルグルさせたりしてて、これはもしかして人生の分岐点!?なんて思ったりもするけど、多分ただの妄想で終わるだろうからタチが悪い(笑)何だかんだで考え過ぎなんだな、いつもこれからも。

ひとまずこの1年は仕事に打ち込んでみようかと。目の前にある仕事と、その先に続く仕事の両方を見据えて、5年後10年後の自分に何かを残せるように。ここが頑張り時だ、きっと。


完全にまとまらなくなってしまったけど、これが31歳になった私の思うこと。

2011-05-15

[]2011/5/13 J-WAVE LIVE SPRING〜Heart to Heart〜@Shibuya O-East

思っていたよりもずっと早くこのカテゴリを作る日が来ましたね…

fromじゃなくてex.椿屋四重奏な中田くんの実質的には初となるライブを見てきました。


一言で言ってしまえば、完全に「ex.椿屋四重奏」でした。2009年以降にやってきたソロライブでの顔とは全く違いました。YANCYさんと2人でやっていたソロライブの方が椿屋の影を感じさせないはずなのに、実際に受ける印象は全く逆。両脇にりょうちんと手島さんがいても、不思議なほど椿屋の影を感じさせなかった。

中田くんとりょうちんと手島さんと、という編成だけを見ると椿屋からたかしげがいなくなっただけじゃないか、と思えてしまうけど全くそんなことはなかった。そこにいたのは中田裕二という一人の唄い手であって、椿屋四重奏というバンドのボーカルである中田裕二ではなかった。何がどう違うということを言葉では説明できないのがもどかしいけど、とにかく受ける印象は完全にそうだった。

と言って、椿屋を否定したり無かったことにしている風でもなくて、それはそれで当たり前に中田くんのこれまでの道筋の中にあって、それをことさらに強調するわけでもなかったのだけど、この人まるっきりの新人ではないよね、とおそらく中田くんを知らない人にも思わせる何かはあったと思う。でもそれは私が椿屋を経て中田くんを見ているからかな。どうなんだろうな。


それにしても中田くんがステージに登場した時のあの何とも言えないざわめきは何だったんだろうなぁ。お互いにちょっと照れくさかったり、相手の様子をさぐっているようなそんな空気が流れてました。改めて考えてみたら解散後初めてのライブだもんね。それも震災がなかったら開催されることもなかったイベントライブだものね。色々思うところはあるよ、ね。

照れ隠しなのかやたらと自虐的というか卑下するようなことばかり言ってたけど、それがすごく素の中田くんを見ているようで、とても新鮮だった。今までの中田くんからもそういう発言が出ることはあったけど、基本的にはカッコつけて背伸びしまくってというのが椿屋四重奏代表(…とか言ってみたりして)としての中田裕二の振る舞いだったから、その看板が外れた生身の中田裕二ってのはこんなにも無防備で自分の弱さにうち震えている人なんだなぁ、と思ったりもしたわけです。でもそれと同時にああやって自分の自信のなさや無力さをああいった皮肉っぽい言い方ででも口に出しているあたり、やはり強かな人だとも思うわけで。…ってこうやって書くと結局椿屋の時から変わってないよね。強がりで弱気で皮肉屋で。だけどそれでもなお「ex.椿屋四重奏」を強く感じさせたのは中田くんとりょうちん、手島さんとの距離感なんだと思う。バンドの仲間としての良くも悪くも接近した関係性が全く見えなくなってて、中田くんだけが前面に出ている感じがごく自然に演出できていた。それがあまりにも自然で、ライブ中は不思議にも思わなかったけど、時間をおいて思い返してみるとかなり不思議な光景だったなぁ、と思うのです。

もちろん中田くんもすごく意識したと思うけど、それ以上にりょうちんや手島さんがふっと存在感を消して、かつ確実に中田くんを支えるってことをやってたような気がする。たった一度、それも3曲のライブを見ただけだけど。


…そろそろライブそのものの感想を。

1曲目は「新人だから新曲ばっかりです」と言いつつの「エンドレス」。

タイトルだけ見ると永遠に続く何かを思った曲みたいだけど、そこは中田裕二なので(笑)「エンドレス」と言いつつも幕が降りる時を迎えてしまうのです。でもまた生きていくのです。うろ覚えの歌詞から想像するに、一つのものがずっと続いていくというのではなくて、一つが終わってもまた次が始まって続いて行くよ、とそういった意味での「エンドレス」なんだと思う。永遠を唄うんじゃなくて、再生や再開(再会?)を願う曲。そんな印象を受けました。となると色々思ってしまうよね…今のこの状況とか、椿屋のこととか。きっとコンポジツアーでも唄ってくれるだろうし、いずれ音源にもなるんだろうな。その時を心待ちにしたい一曲でした。

2曲目にやった「リバースのカード」は過去のソロライブでも披露していた曲…なんですが!ギター2本とパーカッションが入るとこんなにも変わるのか!と鳥肌が立つくらいの変貌を遂げていました。ドラマチック、という言葉がパッと浮かんだのだけど、それすなわち椿屋っぽいということになってしまうわけでして(苦笑)。赤い照明に照らされながら唄う中田くんを見ているとどうしたって椿屋のライブを思い出さずにはいられなくて、でも、それでもなお「ex.椿屋四重奏」であり続けたんですよね。ホントに不思議なくらいに。散り際も見事だったけど、その後の移ろい方も見事というより他にないなぁ。

でもね、今こうやって書きながら適当な喩えがないかと考えていて、それが全くの正解とは到底思えないけど、自分ではしっくり来た喩えを。


残り香がね、あるんだよ。


椿の花って多分それほど匂いの強い花ではないと思うのだけど、まぁそこはこの際無視して(笑)

そこに椿屋の影は見えないんだけど、確かに何かが残っている。その残り方が「残り香」という程度の本当にさり気なくて、でも確かな刺激となる残り方だなぁ、と今(笑)思いました。

だけどそれはこの先も纏っていけばいいし、多分そう簡単には取れないと思う。…取れなくていいよ(というのはファンの願望ですかね?)


3曲目は「ひかりのまち」。この曲をDateFMに送った時の話をしていた中田くんがポロっと言った「独りよがりかもしれないけど」という言葉が、こういう言い方は適切じゃないかもしれないけど、嬉しかった。「音楽」という形のない儚いものに対する中田くんの考え方がずっと変わらずにあることを再認識できて嬉しかった。音楽の力も、無力さもちゃんとわかってて、それでもなおその力を信じて歌い続ける中田くんが、やっぱり好きだなぁ…大好きだなぁ(笑)


他に印象的だったのは先月の塩釜でのライブのことに触れたMCかなぁ。塩釜で唄って、初めて歌手をやってて良かったと思えた、ってそう言ったんだよね。これまではずっと自信がなかった、って。

それ聞いたら何かもう悔しくって。椿屋で中田くんが言ってた「一方的だけど相思相愛」が中田くん自身には実感できていなかったのかな、って。中田くんが「唄ってて良かった!」と思えるような瞬間がこれまでの10年間にはなかったのかな、って。そう思わせてあげれなかったのかな、って。

でも、落ち着いて考えたらそういうことでもないのかな、という気がしてきた。今までだって「良かった!」と思える瞬間はそれなりにあったんだと思う。私たちファンがどうこうできる話でもなかったんだと思う。ただ、今回の塩釜でのライブが中田くんにとっては本当に本当に大きな経験で、今までよりもっとずっと根源的なところでの「唄う喜び」を感じられたんだと思う。そんな体験を経た唄い手中田裕二の今後をただ楽しみにしていればいいのかな、とそのMCを聞いた瞬間の困惑から抜け出した今はそんな風に思ってる。一方的に投げつけられるものを、こちら側も全力で本気で受け止めていけばいい、それだけなんだな。結局は。


…果てしなくまとまりのないものになってしまいましたが、中田裕二初ライブの感想はこれにて終了。唐突な終わり方ですね、我ながら(苦笑)

2011-05-14

[]ツアーのこと

いつまでも引きずっているのもアレなので、ここに吐き出して一旦キリにします。


今回のツアーは、一部公演が中止になりました。延期ではなく、中止。

原因は言うまでもなく東日本大震災です。ツアーのスタート時点では1ヶ月も経っていなかったし、仕方のないことだったと、さすがにそれは理解して納得しています。

でも。

各地で追加公演が決まってそれが発表になるたびに頭の中に湧き上がる「何故?」という疑問はどうにも解消されない。

何故、振替公演はないんだろう?何故、予定通り公演があったところでまたやるんだろう?なんで?なんで?って。


それが自分勝手な思いから発された疑問であることは充分にわかっている。自分が行けないから、だからそう思うんだということも。


当初、ツアー日程が発表された時、確実に行ける日曜日の公演に絞ったのは私の判断だし、平日の東京公演をあっさり諦めたのも私が決めたこと。追加公演が東京であっても月初だと行けないっていうのは私の勝手な事情。

だから仕方ないし、恨み言を言うのは間違ってるんだけど。


でもね。福岡から始まるツアー日程に書き換えられた公演スケジュールを見る度に悲しくなる。あれだけ楽しみにしていた市原公演や宇都宮公演がまるで無かったことにされているようで。チケットを手にすることもなく、クレジットカードの利用明細に書かれた金額のプラスマイナスだけがチケット購入・払い戻しの事実を示している、そんな状況が悲しい。4/2に市原で、4/9に宇都宮で吉井さんのライブが行われるはずで、そのチケットを手にするはずだったという事実があまりにも儚くて、どこにも証がなくて、それが本当に本当に悲しいし、悔しい。


このツアーでの吉井さんが見たかった。

中止になった公演があることを、振替公演もなく無効になったチケットがあることを、その事実をなかったことにしないで欲しい。追加公演がいくつ決まっても、その穴は埋まらない。

悔しいから、あんまりにも悔しいから、逆に吉井さんのツアーをなかったことにしてやろうかとさえ思っている。


でも、母が楽しみにしている名古屋公演はこの先何事もなければ開催されるわけで、そうなると今月末にはチケットを発券して送ってあげなきゃいけないわけで。


…なかったことになんてできやしないのです。悲しいことに。