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昭和天皇についてのメモ

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1978-12-04

[]退位の書簡を認める発言 23:19

昭和天皇77歳のときの会見より

記者:今年の夏、米国マッカーサー記念館で、昭和23年陛下が田島長官を通じ、「退位せず」というご決意を表明された書簡が公表されました。

 これはマッカーサー元帥が、陛下に退位されないようにお勧めしたことへの返事とされていますが、当時の御心境をお聞かせいただければうれしく思います。

天皇:その当時については、日本復興のすみやかならんことを希望し、ひたすら国民生活が幸いとなることを願っていました。

 今話されたような、田島長官が先方の希望によってそういうことを返事したということは記憶がありますが、指令官と会話したことについては、秘密を守るということを約束しましたから、信義の上、この問題については、話すことができないと思っています。

高橋紘陛下、お尋ね申し上げます』(264ー265p)

4167472015陛下、お尋ね申し上げます―記者会見全記録と人間天皇の軌跡
高橋
文藝春秋 1988-03

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1975-09-20

[]もしも一般人になったら 22:12

『ニューズウィーク』バーナード・クリッシャー東京支局長による訪米前のインタビュー

記者:陛下は一日でも一般の人になって、誰にもまったく気付かれず、皇居を抜け出し、気ままに振るまってみたいとお考えになったことはありませんか。仮に実現したら何をなさいますか。

天皇:心の奥底では、いつもそう願ってきました。おそらくマーク・トウェインの『王子と乞食』のようにね。もし、そのような願いがかなえられるなら、たぶん結末もこの物語と同じようになったでしょう。

高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』(214p)

4167472015陛下、お尋ね申し上げます―記者会見全記録と人間天皇の軌跡
高橋 紘
文藝春秋 1988-03

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1963-08-25

[]皇后還暦後の発言 15:00

昭和天皇62歳。那須御用邸での会見より

記者:両陛下そろって還暦を迎えられたご感想は。

天皇:私的なことだから感想はないが…。六十年生きてきて、何ひとつ立派なことができなかったことを悔いている。これから国民のために、できるかぎりのことをやっていきたいと思う。国際親善のためにも尽くし、世界平和を願っている。

高橋紘陛下、お尋ね申し上げます』(126p)


4167472015陛下、お尋ね申し上げます―記者会見全記録と人間天皇の軌跡
高橋
文藝春秋 1988-03

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1949-01-23

[] 退位論を持ち出したとされる三淵忠彦について 14:40

最高裁判所判事については三淵忠彦氏に×印をつける


入江相政日記 第4巻』(165p) 原文は旧かな

4022610441入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月
入江 相政 朝日新聞社
朝日新聞社 1994-10

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1948-12-23

[] 田島日記この日の記述 23:40

 東宮御誕辰 小金井へ拝賀3ー5 帰途 山梨大将 話題 英語 鴨猟 Blyth 鈴木大拙 10.30 両陛下へ拝賀 皇族 皇太子御使 長官等四人 旧奉仕者 侍従職 食道 赤飯ト煮〆

「田島日記」(加藤恭子田島道治』に所収(239p))

4484024047田島道治―昭和に「奉公」した生涯
加藤 恭子
阪急コミュニケーションズ 2002-07

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[] 皇太子誕生日 22:07

 東條以下七名は、一九四八年(昭和二十三年)十二月二十三日に絞首刑に処せられた。天皇陛下はその日一日ひきこもっておいでになり、皇太子殿下は参内して御家族と一緒に十五回目の誕生日を祝うことがお出来にならなかった。

エリザベスグレイ・ヴァイニング夫人『皇太子の窓』(275p)

B000JBATCO皇太子の窓 (1953年)
小泉 一郎
文芸春秋新社 1953

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[][][]天皇三谷隆信に対する辞意 21:46

この日、皇太子の15歳の誕生日

そして、東条英機土肥原賢二広田弘毅板垣征四郎木村兵太郎松井石根武藤章の7人のA級戦犯が処刑される。

天皇一家は予定されていたすべての行事を取りやめ、服喪の一日を過ごす。


これは村井長正が田島道治から聞いたとされるもの

陛下三谷、私は辞めたいと思う、三谷はどう思うか。

三谷お上が、ご苦痛だと思し召すほうを、この際はお選びになるべきであります。お上がおいやになるほうを、ご苦痛と思われるほうを,お選びになるべきであります。

陛下:・・・・・・

橋本明「封印された天皇の「お詫び」」(鶴見俊輔中川六平編『天皇百話』所収(712p))

4480022899天皇百話〈下の巻〉
鶴見 俊輔 中川 六平
筑摩書房 1989-04

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1948-11-29

[]東京裁判、死刑執行の噂 22:32

 入江日記によるとこの日、明朝に東京裁判の絞首刑の執行が行われるという噂が流れる。

『入江相政日記 第4巻』(120p) 

4022610441入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月
入江 相政 朝日新聞社
朝日新聞社 1994-10

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1948-11-24

[][][]キーナンとの御陪食 13:54

キーナンが26日に帰国するのを前に天皇と会食

入江日記には「キーナンとの御陪食がなかなかおかかりになり」とある。

『入江相政日記 第4巻』(119p) 原文は旧かな

4022610441入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月
入江 相政 朝日新聞社
朝日新聞社 1994-10

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1948-11-12

[][] 退位せずの書簡 19:10

 この日、東京裁判の判決

 東条英機以下7人が絞首刑、25被告全員が有罪

 天皇のマッカーサー宛の書簡

連合国最高司令官 陸軍元帥

   ダグラス・マッカーサー閣下

 謹啓

 天皇陛下の御下命により、本官は閣下に対し、天皇陛下から次のようなメッセージをお伝えする光栄を有します。

「わたくしは閣下が過日吉田首相を通じてわたくしに伝えられたご懇篤かつご厚情あふれるメッセージに厚く感謝の意を表します。わたくしの国民の福祉と安寧を図り、世界平和のために尽くすことはわたくしの終生の願いとすることであります。

 いまやわたくしは、一層の決意をもって、万難を排し日本の国家再建を速やかならしめるため、国民と力を合わせ最善を尽くす所存であります」

 この機会に本官は、あらたに閣下に対し、心からの敬意を表するものであります。

   東京 一九四八年十一月十二日

                         宮内府長官 田島道治(署名)


* 原文は英語、秦郁彦『裕仁天皇五つの決断』(209ー210p)より


4062011271裕仁天皇五つの決断
秦 郁彦
講談社 1984-01

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[][]村井長正の見たこの日の天皇の様子 21:32

村井長正の回想

「陛下は眼を泣き腫らして、真っ赤な顔をしておられた。生涯忘れられないお顔である。私は恐れおののき、視線を落とし、二度とそのような陛下を見まいとして要件だけ述べ、顔を伏せたままドアを閉めた」

橋本明「封印された天皇の「お詫び」」(鶴見俊輔・中川六平編『天皇百話』所収(711ー712p))

4480022899天皇百話〈下の巻〉
鶴見 俊輔 中川 六平
筑摩書房 1989-04

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[][]三谷隆信の推察する天皇の心境 20:10

 私が侍従長を拝命した頃、世間には天皇退位論が盛んであった。戦争は天皇の名によって行われたのであるから、天皇は責任をとって退位すべしという形式論もあり、国民道徳の低下を救うためには、天皇の退位が最上の道であるとする政治論もあった。このような議論をすべて陛下はよく御承知であった。決してこれに耳を閉ざされていたのではない。これらの意見をよく御考慮の上、最上と考えられた道を忍耐と勇気とをもって御歩みになったのである。市ヶ谷裁判の判決は昭和二十三年十一月十二日に下された。東条英機、広田弘毅の両元総理大臣はじめ七名が絞首刑に、木戸元内大臣、荒木元陸軍大将等十六名が終身禁固刑に処せられた。陛下にとって終戦の詔書に「堪え難きを堪え」と仰せられた「堪え難き」ことの一つであったと拝察する。


三谷隆信『回顧録 侍従長の昭和史』(277p)

4122033810回顧録 侍従長の昭和史―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈3〉 (中公文庫)
三谷 隆信
中央公論新社 1999-03

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[]宮中の様子 23:40

「入江日記」による宮中の様子

ラヂオのスイッチを入れると丁度極東軍事裁判の判決を言っている。広田、土肥原、松井、武藤、東条の五氏に絞首刑、東郷氏二十年、重光氏七年、他は終身禁固刑ということ。木戸さんが絞首刑にならなくて本当に結構だった。今夜ははしなくも祝宴のようなことになった。広田さんのは実に不思議だが、文官の代表という意味か或はマッカーサーの特赦の余地を残したものか、後者であってくれればよいが。

『入江相政日記 第4巻』(114ー115p) 原文は旧かな

4022610441入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月
入江 相政 朝日新聞社
朝日新聞社 1994-10

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1948-11-03

[]文化の日の御製へのマスコミの反応について 22:58

 今年から明治節は無くなったのだが、様式は全く旬祭と同じ御拝があらせられた。昨日御製五種が発表されたが、我々の予想通り朝日が文化に関するもの御二首載せた。時事には五首全部謹載したが、他は全く何も書いていない。これは今時OPENで発表すればこうなるに決まっているのであり、殊に文化の日を当て込んで積極的に宮内府から発表するようになることは全く面白くないという我々大金、鈴木一、入江の主張は不幸にして正しかったと思う。やはり我々の思った通り文化の日は見送って、後の何でもない時に朝日なり毎日なりに特種として漏らすべきものであり、今後はそのようにすべきものと思う。


折りにふれて

海の外とむつみふかめて我国の文の林をしけらしめなむ

悲しくもたたかいのためきられつる文の林をしけらしめはや

『入江相政日記 第4巻』(110p) 原文は旧かな

4022610441入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月
入江 相政 朝日新聞社
朝日新聞社 1994-10

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1948-11-01

[][]読売新聞の退位報道に対するシーボルトの工作 19:10

この日、読売新聞が退位の可能性を示唆する記事を掲載

 読売新聞が十一月一日のトップ記事として、吉田首相が度々天皇秩父宮殿下を訪問したのは、退位と直接の関連がある、ということを報道した。真偽をたしかめるために、私の友人で、総司令部と宮内庁との間の連絡官だったテリー・寺崎のところへ行ってみた。彼は、その記事は全く思惑にすぎない、と確信をもって述べ、さらに、だがこのような記事は、天皇の退位の可能性をつくり出すおそれがあるので、甚だ危険きわまるものだと思う、と語った。

 これに同意しつつ私は、この重大な問題について特に立場を明らかにすべき時期がきた、と寺崎に語った。「全く私の個人的な資格でいうならば、退位は政治的な破滅となるだろう。これこそ、ワシントンの立場でもあると思う。そしてさらに、最高司令官もこれと同様の意見だと信じて差支えない」と私は述べた。彼は、容易ならざる様子で、私のいうことに耳を傾けていた。この若者のように見える老人の知的な顔つきは、宮廷の伝統と、総司令部の改革との間に身を置く、大きな責任のために、それでなくてもすでに容易ならざる様子をただよわせていたのだ。もしもお望みなら、この意見天皇および側近に伝えても差支えない、と私は付け加えた。



W・J・シーボルト日本占領外交の回想』(141p)

B000JABXLG日本占領外交の回想 (1966年)
野末 賢三
朝日新聞社 1966

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