徴(しるし)

The sign of life

The sign of life

ひさしぶりにこの写真集を開いてみました。
そこにはやっぱり圧倒的な静謐さと細部までの詳細さが書き込まれた情報量があって、清野さんは僕にとっていつまでもマエストロ的存在なんだと思った。


画面上の全ての地点にピントが合ってることって、日常生活ではないよね。
そのせいか見ていると次第に頭がチリチリしてくる。視覚情報の処理に脳が追いつかない。それからその後に僕が写真から感じたのは世界の中の傷とか、もっと言うと裂け目のようなものだったと思う。でも僕はそこを通じて作品の世界と通じ合うことができるし、作者と繋がることができるし、もっと言うと世界そのものと触れ合うことができる。

ちょっとした全能感を覚え、そしてそんなふうなことを感じたと思う。


至るところで 心を集めよ 立っていよ

至るところで 心を集めよ 立っていよ

そして注文していたこの本が今日届きました。*1
35mmってやっぱり生々しいなあっていうのがまず思ったこと。
そしてやっぱりアウトフォーカスを使ってるのが驚きでした。

見ていて胸が熱くなるというのと、それから作者はどんな思いでこれを撮ったのだろうと思いました。そう、多分35mmだと視線が出るんだと思います。今書いていて思った。

パウル・ツェランの詩が引用されています。

EYEGLANCES, whose winks,
no brightness sleeps.
Undebecome, everywhere,
gather yourself,
stand.

− "EYEGLANCES" by Paul Celan. Translated from German by Pierre Joris

ちょっとしたオブセッションっぽくも読めるし、写真を撮ることとも読めるし。実際にはきれいに分けられるものではなく、両方なんだと思うけど。最後の Stand. なんか殆ど Shoot! って気がする*2。目はいつだって探し続ける。とても写真家らしい言葉だと思いました。

そして作者の透徹した美意識を突き破って傷がそこかしこに顔を出す。でもそこが入り口なんだ。そこがチャネルなんだと思う。ラージフォーマットの圧倒的なアドバンテージを捨ててまで作者が得たかったもの、捨て身のアグレッシブさという気もするけれど、今はそれを考えつつじっとして、これらの写真を見ていることしか僕にはできない。



付記です。

*1:出版社に注文すると、ポスターがもらえます。

*2:撃つ=撮る

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