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馬上行動 山田冬樹の部屋

2012-08-25

ペドラブランカ島ICJ判決は、韓国の領有権の根拠とならず

16:57

 韓国が拒否しているため、実現はしないであろうが、もしICJで竹島の帰属が日韓で争われた場合、どちらが勝訴するのであろうか。

 この点について、8月25日付朝鮮日報は2008年5月23日のICJの判決を引用し、ICJは、実効支配を安定的に維持した国家に有利な判決を下している、として韓国有利と断じている。この判決は、シンガポールマレーシアが、ペドラブランカ島の帰属を争った事例についてのものであるが、同島が元々はマレーシアの領土だったことを認めながら、シンガポールが1963年以降、島に灯台を設置する等物理的に占有してきた事実を認め、シンガポール勝訴の判決を下した」というものである。

同紙は、ここから単純に「同判決からすれば、防波堤や海洋基地などの構造物を段階的に設置することが実効支配を強めてきた韓国に有利」と主張するが、ご都合主義的な解釈に過ぎない。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/25/2012082500487_2.html

ICJ判決の事実認定は、以下のとおりである。

  1. 英国が1844年に灯台建設準備を開始した時点においてこの島がJohorスルタン国(現マレーシア)の主権下にあった。
  2. しかし、主権を有する国家が他国による主権者として振舞う行為に反応しなかったような場合には黙認したとして領土主権が移転することがある
  3. Johorの国務長官代理が1953年の書簡でシンガポール植民地長官の照会に「Johor政府はペドラ・ブランカの所有権を主張しない」と回答した
  4. シンガポールが難破船の捜査を行ってきたことについてマレーシアは紛争発生後の2003年まで抗議したことがなかった
  5. マレーシア官吏による島の周辺海域の調査をシンガポールが許可した
  6. シンガポール港湾当局の島周囲の埋め立て計画にマレーシアは抗議しなかった
  7. 紛争が具体化した(crystallize)1980年2月14日以前に島の主権シンガポールに移っていた。

http://simane.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E9%A0%98%E6%9C%89%E6%A8%A9%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E7%B5%90%E8%AB%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

 この事案をみると、竹島にこの判決は当てはまらないことは明らかだ。

 まずシンガポールは、Johor国務長官代理に確認し、主権を主張しないとの言質をとり、そうした上で実効支配を行っている。

 対して、韓国はどうか。1952年1月18日李承晩が竹島を自国領であると一方的に宣言し、近海を含む李承晩ラインを一方的に設定。53年1月以降李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、2月には第一大邦丸の船長を韓国軍が射殺した。4月には韓国独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯し、以降占拠を続けている。このように、平和裡に占拠したのではなく、軍事力を行使して一方的に占拠したのである。

 しかも、李承晩ラインの設定は、ラスク書簡により「竹島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示されたその半年後に行われており、ICJ判決のいう「紛争が具体化(crystallize)」した後に、韓国の実効支配が行われているのである。

 韓国の主張は、いわば銃をもって他人の家に入り込み、家人が戻ってくるや銃で撃ち殺し、もう半世紀以上経ったから俺のものだというに等しい。

プラチャカプラチャカ 2012/11/10 17:12 山田様、はじめまして。プラチャカと申します。領土問題を研究しております。
先日、朝日新聞に次の記事が掲載されていました。
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朝日新聞 2012/11/1
http://www.asahi.com/special/t_right/takeshima/

歴史的にも、国際法的にも、明らかに我が国固有の領土。日韓政府は竹島(独島)について互いにこう言い張り、一歩も譲らない。だが、それぞれの主張には見逃せない弱点がある。
 韓国側は、古文献や地図に現れる「于山島」が竹島を指し、千年をはるかに超える領有意識があったとする。だが子細にみると、とうてい竹島と解せないものを数多く指摘できる。于山島を無条件に竹島と置きかえる主張は成り立たない。
 また、日本編入に先立つ1900年、当時の大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の郡守の管轄下に置いたことについて、石島は竹島だと断定し、領有意思の証拠とする主張も同意しがたい。「石島=竹島」と直接的に裏づける史料は今のところ存在しないからだ。
 日本側の主張にも疑問が浮かぶ。江戸時代初期、鳥取藩の町人が幕府の許可のもと、竹島を中継地に鬱陵島周辺で漁業をした史実から「遅くとも17世紀に領有権を確立」とする見解がその一つだ。鳥取藩はその後、幕府の照会に2度、「竹島(当時の名称は松島)は藩に属さない」と回答している。それを踏まえて幕府が出した鬱陵島渡海禁止令は、竹島を含めて日本領土外と見なしたと解釈するのが自然だ。
 明治期を見ても、1877年に明治政府の太政官が地籍調査に関して出した「竹島外一島は本邦に関係なし」とした指令▽竹島編入に慎重だった内務省の姿勢など、日本の領有意思に疑いを挟む史料が存在する。「1905年の編入は、近世の領有意思の再確認」と主張するのは無理がある。
 結局、現段階の史料研究の到達点では、日本編入時に竹島がいずれかの国に属していたという決定的論証はない。その限りでは、「無主の島」を取得したという日本の主張は、当時の国際法に照らして形式上は有効となりうる。
 だが、慎重な判断を要すべき史実もある。
 韓国では近年、日本が領土編入する直前の1900年前後に、鬱陵島の朝鮮人が竹島周辺で漁をしていた史実の発掘が精力的になされている。「独島」という呼び方は、その頃の記録に初めて現れている。日本編入の契機となった隠岐の実業家の建議の背景には、朝鮮人漁民との競合があった可能性を想定する必要があるかもしれない。
 さらに、日本編入の翌年にその事実を知った大韓帝国の大臣らが「独島が日本の領土というのは全く根拠のない話」と述べ、調査を命じた公文書が存在する。それ以上の記録は見つかっていないが、大臣らの対応ぶりから、日本の編入手続きの前に、韓国が竹島を自国領とみなしていた可能性は捨てきれない。
 だとすれば、日本に抗議しなかったのはなぜか。植民地化に向かう動きと関係していたのか、別の事情があったのか。当時の大韓帝国の判断構造を解明する必要がある。
 このように1905年の日本の編入手続きは、微妙な課題を含む。にもかかわらず、政府が「無主地先占による編入だ」と開き直っていてもよいのだろうか。論拠に疑いのある見解を教育現場に持ち込むことも問題だ。むろん、それは韓国側にも言えることだ。
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執筆者は歴史学者の池内名古屋大教授です。
私は、事実関係について池内氏の説を採ったとしても、竹島に関する日本の権原には全く問題がないとしか考えられません。池内氏の主張する事実関係に従って法的判断を行なった場合に、日本の権原を否定する原因はあるのでしょうか。
山田様は領土問題に関心ありとお見受けしましたので、法律家としての御所見をお聞かせ願いたくコメントいたしました。

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