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2015-02-14

『戦国妖狐』許すことの意味の話

14巻が発売された『戦国妖狐』。ネタバレある記事だよ。

戦国妖狐 14 (BLADE COMICS)

戦国妖狐 14 (BLADE COMICS)

灼岩を小機に戻した真介の男前感が往年のポップや横島君を彷彿とさせ、とてもよいですね。あれはいい男だ。

いい男と言えば、本作で屈指の男臭さを誇る、虎男こと道錬。長年の強敵(ライバルまたは「とも」と読む)である神雲、いやさ雲蔵との渾身の勝負がついに決着しました。ほぼ相討ちに近い形でとどめの一撃を見舞った際に、道錬、否、道介が心中で呟いていたのが、次の言葉です。

雲蔵

幼い頃 親が死んでも泣かなかった雲蔵

辛き修行にも弱音を吐かなかった雲蔵

幼子抱え 妻の死を淡々と語った雲蔵

そう強くあるな お前の弱さは

お前が許せなくとも わしが許してやる

(14巻 p172,173)

このセリフの中の「許してやる」というフレーズ。これが妙に私の中で引っかかりました。

誰かが誰かを許すとはどういうことなのか。どんな人間なら許すことができるのか。いったい何が許されるのか。

この二人の関係性からのみで読み取るのなら、道介が許すのは、雲蔵が自分自身では許せなかった自分自身の弱さです。

雲蔵は作中で一、二を争う強さを誇るキャラクターですが、実のところそれは、雲蔵というより神雲のもの。彼がその強さを得たのは、一旦抜けた断怪衆に戻ってきてからです。闇退治で赴いた先の村で一人の女性にほれ込んだ雲蔵は、断怪衆を抜けてその女性とともに暮らすことを決意しましたが、子も生まれた彼が村を留守にしている間に、かつて退治した闇の係累が恨みを晴らしに村を襲撃、彼の愛する妻を含む、ほぼすべての村人が闇に殺されました。唯一生き残ったまだ嬰児の息子、後の千夜を連れて断怪衆に戻った雲蔵は、今一度闇退治に身を投じ、「我が名を聞く全ての闇が竦み萎えるほどの力」を得ていったのです。

雲蔵が許せなかった弱さとは、妻を護れなかった己の力の不足。そしてその弱さを自分で許せなかったゆえに、雲蔵は神雲となって、無二の強さを得たのでした。

道介は、そんな雲蔵の弱さを許すという。それはどういうことなのか。

私はそれは、「弱くてもいい」と言ってやること、だと思いました。言い換えれば、雲蔵が許せないでいる弱さをそのまま肯定してあげること、認めてあげること。それでかまわないのだと言ってやること。

許す。肯定する。認める。それらは同じことなのかもしれません。

そう考えて本作を振り返ってみると、多くの許し、あるいはそれに類するシーンがありました。

たとえば同じ14巻には、灼岩の呪縛を解くための、真介による幽界干渉の中で、灼岩が己を苛む過去と向き合うシーンがあります。

「ぬおおおお許せん!! 許せん!! 我を封じた坊主も 我を赤髪と罵った村の連中も!!」

「違うんす!! 村のことは… 村のことは火岩じゃ…」

「許せぬ…!! よくも我が手を血に染めさせた……!! 殺してやる!!」

「わたすの手っす わたす達の手す…

わたすと火岩の 二人の業は 二人で背負うって決めたすよね…

わたすが火岩を許すから… 火岩もわたすを許して…」

(14巻 p22、23)

ここで火岩の口から出た「許せん」と、芍薬の口から出た「許す」。

前者が許せなかったのは、火岩を封じた坊主と芍薬を赤髪と罵った村の連中、そしてそいつらを手にかけてしまったこと。苦しめられた過去と、その過去を暴力でもって解決したことで上塗りしてしまった、また別の過去。それが火岩=芍薬=灼岩の「許せん」ことです。そして、芍薬=火岩=灼岩が「許す」のが、二人で背負うことを決めた業。お互いがお互いを許す。村の連中を手にかけてしまった過去が消えることはない。それは受け容れなければならない。そして受け容れた上で、誰かが「許す」と、それでいいと言ってあげなければならない。

そういう「許す」なのです。

そもそもこの許しは実は、1巻の時点で、彼女に幽界干渉を仕掛けた真介自身が言っていたことでした。

1巻で記憶を失っていた灼岩が、ふとした拍子に自分のしてしまったこと、すなわち故郷の村にした復讐を思いだし、真介らから離れようとしたシーン。逃げ出した彼女を捕まえて、真介は叫びました。

お前は人間だ!! どこに行く気だよ!?

どこに逃げたって自分からは逃げらんねえんだぞ!!

お前は力を手に入れたんだ 力がある奴はなにしてもいいんだ!!

なにしたっていいんだ!! 笑ったっていいはずなのに お前ッ… 泣いてんじゃねえかよ!!

お前は… バケモノなんかじゃねえ…

(1巻 p170,171)

どこへ逃げても自分からは逃げられない。村人を殺してしまった自分から逃げることはできない。生きてる以上は。だから、誰かがそれを許してあげなければならない。認めてあげなければならない。

無論の事ですが、この「許す」は、贖罪とは別のものです。贖うことは、罪を犯したもの自身が行うものであり、許すことは、罪を犯したものに他の誰かが向けるもの。自分ではない誰かが、自分はそれでいい、そうあるしかないと肯定してくれることです。

それをもっともわかりやすく伝えたのは、千夜にまつわる人々でしょう。

第二部の千夜編で彼は、戦いなどしたくないのにそれに巻き込まれ、あまつさえ人や地神の命を奪ってしまったことに苦悩していました。

戦ってしまった

土地神の血は土の匂いがする 紅い泥

記憶はないのに この身体は敵の殺し方をよく覚えている

おれは今まで何をしてきた?

やめろ 思いだすな いいじゃないか過去なんて

(8巻 p83,84)

自分の過去を許せないでいる千夜。自らの過去を強く否定しようとしています。

ですがたとえば、狂神と化した自らの分霊を千夜に止めてもらった、京の大土地神・華寅は、こう言います。

ご苦労様でした 幼き白き花

あなたが心を痛めているのは伝わっています

どうか自分を責めないで

…それを伝えたかった

(8巻 p98)

分霊を殺した自分を責めるな。それでよかったのだ。そう伝えました。

また、作中でも「極まった者」としてもはや別格の位置にいる、室町幕府13代将軍・足利義輝は、千夜とこう問答しました。

「白童子 お主 人になりたいのか? 人にしか見えぬが 闇?」

「おれはバケモノです」

「御前は人だ ただの力持ち」

「千体の闇を埋め込まれ 自在にバケモノに変わるこの身 もはや人では」

「千体の闇を埋め込まれ 自在にバケモノに変われる体質の 人であろう 何を言っておるのだ?」

(8巻 p101〜103)

過去がどうであれ、今のお前がそうであるなら、それをそのまま認めればいい。そう言いました。

そして、不可抗力とはいえ、千夜に自分の父を殺された月湖は、千夜にこんな言葉を手向けました。

「あたしの村を守ってくれてありがとう お礼 ずっと言えなくてごめん」

「違う おれが居たから狂神が 村も おじさんもおれも」

「千夜は悪くないよ 千夜の力も悪くない

だってあたしは知ってるから 千夜はいい子だって」

(8巻 p126,127)

千夜は悪くないという、許しの言葉。けれどそれは、その時の千夜にすべて受け入れられたわけではありませんでした。

おれ この娘のこと すごい好きだ

でも一生言えない 月湖が許してもおれはおれを許しちゃいけない おれが月湖のお父さんを殺したんだ

忘れるなおれ

(8巻 p129)

自分が自分を許せない。これは非常に難しい問題です。というよりは、自分で自分を許すことは不可能に近いのではないかと私は思います。この千夜のように、あるいは上の雲蔵のように、自分の過ちによる後悔は、自分が一番憶えているものです。

でも、だからこそ、誰かから許してもらうことが必要になるのではないでしょうか。それを経て初めて、なんとか自分でも許せるように、自分自身を認められるようになるのではないでしょうか。ムドとの死闘の後に気絶した千夜が、夢の中で未来視した彼自身のように。

きっと失ったものは何もない 皆が私に残していった温かい何かがある 時と共に積み重なった沢山の温かいものが

たとえ吹雪の中であろうとも いつでも私を笑わせてくれる

キミは今は泣け 

別れの後のキミの中に残された温かいものに気付くまで

やがて…

やがて また笑うために−−

(10巻 p6〜8)

戦国妖狐』第一部の迅火編で、主人公の迅火は、人間という存在が許せない人間でした。自分を捨てた山戸家も、友人である闇を討とうとする断怪衆も、そして弱い人間である自分自身も許せず、彼は闇になろうとしていたのです。そうして、一部の最後で望み通り闇になった迅火は、理性を失う羽目になりました。

覚えているか? ここに来る前に言ったこと

闇になれたら 夫婦になろう と

嬉しかった いいぞ 約束通り夫婦になろう

もう人の身に戻れなくても おれがずっと傍らに居る

おれがずっと愛してやる だからもう食うな お前は…

強くなんかならなくてもいいんだ

(6巻 p130〜132)

強くなんかならなくてもいい。そのままのお前でいい。たまによる迅火への許しの言葉は、もう迅火が自身の体のコントロールを失った後。それが届くには、一歩遅いのでした。

こうして、許せなかったものがすべてを失った第一部が終わり、千夜を主人公とする第二部が始まりました。今まで見てきたように、第二部の千夜は、自らの過去を誰かに許されてきました。第二部以降は千夜の成長譚でもあります。人が誰かに許されることとは、人が大人へと成長するということなのかもしれません。それはつまり、人が誰かから肯定され、認められるということなのですから。許すことは原理的に、許す側が許される側の同格以上の立場となります。それはつまり、自分より大人の人間によって人は許され、自分も大人になっていくということです。

物語はいよいよクライマックス。果たして、今まで誰かに許されてきた千夜は、誰かを許す大人になるのでしょうか。

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2015-02-08

「私だけのバレーをやる意味」を探す物語 『その娘、武蔵』の話

全中女子バレーで優勝の立役者となった、兼子武蔵弱冠14歳にして180cmを越す身長から繰り出される強烈なスパイクは、高校ひいては実業界からも熱い視線が送られていた。だが、全中優勝時のインタビューで武蔵の口から爆弾発言が飛び出した。

バレー辞めます」「部活なんて必死に続けても意味ないから」

それから7か月半、彼女は兄が在籍している大仙高校に入学していた。そこにはバレー部はなかった。ないはずだった。けれど存在していたバレー同好会。バレーはやらないと公言する武蔵を執拗に誘う同好会主将の律は、彼女に勝負を申し込んだ。「私が勝ったらあなたの一年を私にちょうだい」と。その勝負を受けた武蔵は……

その娘、武蔵(1) (KCx)

その娘、武蔵(1) (KCx)

ということで、田中相先生の新作『その娘、武蔵』のレビューです。『千年万年りんごの子』の民俗ファンタジーからガラッと趣を変えて、才能とそれの使い方、楽しみ方を見失ってしまったスポーツ女子が主人公となる、ド直球青春物語となっております。

中学生離れしたアタッカーとして、所属している中学を全国優勝に導いた武蔵。チームメイトからの信頼は厚く、周囲からの期待も大きく、将来を嘱望されている選手です。しかし彼女は、いつしか見失っていました。勝った時の喜びを。負けた時の悔しさを。そして、バレーをすることの楽しさを。

全中で優勝して、沸き立つ観客や喜ぶチームメイト、泣いている相手チームを見ても、彼女の心の中に湧きあがるのは、それらを遠くに感じる疎外感。足元から膝へ、腰へ、胸へ、口元へと、暗い感情の波は水位を押し上げ、武蔵を息苦しさの中に閉じ込めます。異例である優勝インタビューにてマイクを向けられた武蔵は口を開きましたが、暗い水は身体の中に勢いよく滑り込み、彼女の心を満たしていきました。そして飛び出たのが「バレー辞めます」「部活なんて必死に続けても意味ないから」の爆弾発言。そして実際に、武蔵バレーを辞めたのでした。

時は流れ、武蔵も高校生に。入学したのは、兄と同じ大仙高校。友人の三好るなと、どんな高校生活を送ろうかとのんびりとしたことを話していると、校庭で行われていた部活勧誘で、バレー同好会に声をかけられたのでした。しかし大仙高校のバレー部は、顧問の体罰問題で前年になくなったはず。武蔵入学したのもそれが理由の一つにあったのですが、けれど数名の元部員が、同好会としてなんとか存続させようとしていたのでした。

武蔵を何とか入部させようとする主将の律は、彼女を挑発するように言葉を投げかけます。

「ねぇあなた その生活で楽しいと決めたの? ほんとに?」

楽しさ。それは武蔵が高校生活で求めたものでした。楽しさを感じられなくなってしまったバレーを中学で辞め、高校は自由に、自分の思うままに、何か楽しいことを始めよう、そう思っていた矢先に、律からそんなことを言われたのです。

律は武蔵に賭けを持ちかけました。自分が勝ったら一年間バレーをやれと。意地になった武蔵は、勝負を受けた上で自分からも条件を突きつけました。もし自分が勝ったら律は一年間バレーを辞めろと。

サッカーPKのように、アタックを交互に決め合う勝負の中で、武蔵は本気で勝ちに来ている律にある種の恐怖すら覚え、知らず叫んでいました。

な なんで

なんでこんなことに そんな本気になるの?

私が入ったところで何が変わるっていうのよ

部活なんてやってもなんにもなんない!

やる意味なんてない!!

(1巻 p83)

律の必死さは、武蔵理解を超えるものでした。なぜ彼女が、部活に、バレーにそんな必死になっているのか。わからない。怖い。いらいらする。

武蔵の叫びに律が返した言葉もまた武蔵理解の埒外でしたが、それでも彼女はそこに何かを感じ取ります。その様子は、長年の友人であるるなをして、「あんな武蔵 はじめて見ました」と言わしめたのです。

当然というかなんというか、勝負は律の勝ちに終わり、約束通り武蔵バレー部に所属することとなりました。いなくなってしまった顧問を探しに奔走するなどの中で、武蔵は少しずつ、中学の時のバレーで見失っていたものに気づきだします。自分はどうしてバレーを面白く感じなくなっていったのか。そもそも自分はどうしてバレーを始めていたのか。自分の「楽しい瞬間」は何なのか。

正直なところを言えば、運動しているシーンは、線が見づらかったり勢いのあるアングルではなかったりと、まだまだ魅力的とはいいがたいのですが、武蔵が、そして他の登場人物たちが、どのような目的でもって、何に価値を見出してバレーをするのか、楽しいって何なのか、などが描かれるであろう期待が大きくそれを上回るのです。続きが楽しみ。

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2015-02-05

嫌いなゲームで私はあなたを倒す 『Wizard's Soul 〜恋の聖戦〜』の話

Wizard's Soul。それは国際的に人気のカードゲーム。進学も就職も、恋も友情も、これが強ければオールオッケー。そんな、今とは少しだけ違う日本で、女子中学生の一之瀬まなかは苦悩していた。理由は甲斐性のない父親。腕も無いくせに賭けカードで生計を立てたいと無謀なことを考えていた父がある日詐欺に引っかかり、抱えた負債が一気に600万。甲斐性のない(二度目)父親と双子の妹を養うために、彼女は決意をする。今まで隠していたカードの実力を使い、大会に出てお金を稼ぐことを。大会出場に必要なポイントを得るために、彼女が相手に選んだ、否、選ばざるを得なかったのは、クラスメイトで、ずっと好きだった男子の櫻井瑛太……

ということで、秋★枝先生『Wizard's Soul 〜恋の聖戦〜』のレビューです。カードゲーム、いわゆるTCGが異常なまでに優遇されている世界で繰り広げられる、ありきたりなラブストーリー(自称)。はっきり言って、TCG部分の説明は極めて不親切。皆無ではありませんが断片的であるため、どういうシステムで勝負が進んでいくのか、現実に同種のゲームをやったことがある人でないとよくわからないと思います。中学生時代にほんのちょっとかじっただけの自分は、ゲーム部分をなんとなくおぼろげに漠然としか理解していません。でもそれはいいんです。その不親切さはきっと確信的。別にわからなくてもいいやと思っているに違いありません。だって、わからなくても面白いから。

主人公のまなかは、甲斐性のない(三度目)父親のせいで、中学生ながらカードショップでバイトの日々。店に来た小学生らに勝負を挑まれても、適当に勝ったり負けたり負けたり負けたりの、たいして強くもない子でした。ですが、甲斐性のない(四度目)父親がもうどうしようもないレベルの借金をこさえてきたために、嫌々ながら彼女は、隠していた牙を剥き出さざるをえなくなりました。大会に出るためには公式ポイントが無くてはならず、それを貯めるには、大会で勝つか、すでにポイント持っている人に勝って奪うか。大きな大会に一刻も早く出ようと思えば、小さい大会にちまちま出場している余裕はなく、彼女が選んだの後者の方法でした。そして、身近にいる相手でそれだけのポイントを持っているのは、クラスメイトで、ずっと好きだった瑛太くらい。自らの恋心と、家族を天秤にかけ、まなかは心を鬼にして瑛太を倒す覚悟を決めたのです。

まなかの使うカードデッキは、パーミッションと呼ばれるタイプ。簡単に言えば、相手の行動を妨害してこちらが一方的に行動するような戦略。高度なプレイングを要求される上級者向けのデッキだけど、使いこなせばすさまじく強いし、そしてすさまじく友達を失くす。だって、相手にしてみれば自分が何もできないでいるうちに一方的に体力を減らされるのだから、フラストレーションが溜まらないわけがない。嫌われます。

それをまなかは、瑛太に向けて使ったのでした。それこそ鬼のような強さで瑛太に三連勝し、彼が一年かけて貯めたポイントを根こそぎ奪ったのです。なかば騙し討ちのような形で負けた瑛太のプライドは大きく傷つき、覚悟はしていたものの、打ちひしがれた彼の姿を見て、まなかは自分の恋心をほとんど諦めざるを得ませんでした。

しかし複雑怪奇なのは人間の恋心。実はもともとまなかのことが好きだった瑛太は、彼女にそんな負け方をしていっそう、彼女のことを好きになってしまったのです。

こうしてまなかは、瑛太のポイントで大会に出場することになりました。出場者たちは、一癖も二癖もある者ばかり。

かわいくないし性格が悪いけどカードが強いから自分はモテている、と自覚している女性プレイヤー。

特殊条件での勝利ばかりを目指す、夢あふれるプレイスタイルのプレイヤー。

奇抜な格好とビッグマウス、そしてそれに見合った実力の個性派プレイヤー。

自己評価は低いけど実際は強い、カードを辞めようと思ってもずるずると辞められないでいる妙齢のプレイヤー。

その表象の仕方に差はあれど、大会に出るようなプレイヤーたちは皆カードが大好きです。買ったカードパックを開封する時の高揚感。集めたカードでどんなデッキを組むか考える戦略性。実際に誰かと対戦して、刻一刻と変わる場と相手の手札を読んでいくタイトな即応性。全力を傾けた勝負に勝った時の、この世の全てに肯定されたような喜び。負けた時の、自分を全否定されたような辛さ。そういう諸々をひっくるめて、Wizard's Soulを愛して止まないのです。

けれどまなかはそうじゃない。彼女にとってWizard's Soulは、母親との辛い思い出と強く結びついているのでした。彼女の母は既に故人ですが、病弱であったために、まなかが幼い頃からずっと入院が続いていました。お見舞いへ行く度にまなかは、病床の母とWizard's Soulで遊んでいたのですが、その様子は遊びなどではなくむしろ修行。苦行。極悪なカード戦略で、まだ幼いまなかに一切の手心を加えることなく圧勝し、ゲーム後には今の敗因をまなかに考えさせるなど、まさしく修行です。そんなまなか母はパーミッション使い。そう、まなかの使うパーミッションは、母親譲りだったのです。

ねちねちと相手の心を泥沼に沈めるような戦いぶりは病魔に苦しむゆえだったのか、ゲームをしている時の母親は、決して楽しそうではありませんでした。「現実が辛ければ辛いほど ゲームでの引きがいい」とうそぶく母は、まなかの目には、これ以上生きることを諦めているように映っていました。病気が悪ければ悪いほどカードが強くなれる。それでいい。そう考えているように思えてしまったのです。

まなかは、自分が勝つことで母の言葉が違っていることを証明しようとするのですが、結局母が死ぬまで一度たりとも勝つことはありませんでした。

死と隣り合わせの母と続けたゲームと、その母から教わった戦い方。中学生女子がお気楽にゲームを楽しむには、それはあまりにも厳しい呪縛でした。

まなかにまとわりつく呪縛は、2巻3巻の表紙で印象的に表れています。

カードを持つまなかは、ひどく暗い表情。せっかくの表紙だというのに。

作中で彼女は何度も言います。カードは嫌いだと。それでも彼女は、家族のためにカードをしなければならない。好きな人を負かしてでも。この屈折した気持ちと恋心は、いったいどこへ向かっていくのでしょうか。

人間の心理を、理屈っぽくならないギリギリのラインで理路立てて描いていく秋★枝先生の筆は、本作でも冴えています。今後が楽しみですたい。

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2015-01-25

バイクに乗って駆ける、日々の中の少し不思議 『コトノバドライブ』の話

軽食屋で働くすーちゃんはバイクを買ったばかり。中古屋で見つけた、形の気に入った古いバイク。それに乗って彼女はどこへでも行く。足の向くまま気の向くまま、排気音を軽快に鳴らしながら。海辺に山中、街中に廃道、彼女が行くそこには、なにか不思議なことがある。それは、時には怖いけど、でも心揺さぶるものだ。彼女は今日も行く。バイクに乗って。

コトノバドライブ(1) (アフタヌーンKC)

コトノバドライブ(1) (アフタヌーンKC)

ということで、芦奈野ひとし先生の新作『コトノバドライブ』のレビューです。『ヨコハマ買い出し紀行』『カブのイサキ』に続く本作は、前二作とよく似た、でももう少し幻想的な路線を行く、作品世界の、文字通り「空気」を存分に感じさせてくれる作品です。口の悪い人に言わせれば「雰囲気漫画」なのかもしれませんが、むしろここまで空気・雰囲気を含んだ作品を作れることに瞠目すべきだと思います。

本作の舞台は、明言されないもののおそらく現代日本の、鄙びた片田舎の町。海も山も近く、人の動きはあまり多くない。そこにある、ミートソースとナポリタンしか作らない軽食屋・ランプで働いているのが、主人公のすーちゃんです。写真が趣味の彼女は、買ったばかりの中古バイクに乗って、昼に夜に、海に山に、どこへでも行きます。

そして、行く先々で出会う、ちょっと不思議な体験。あるはずのないものを見たり、いるはずのないものに出くわしたり。たとえば、道なき荒れ野で皓々と光る自販機。たとえば、豪雨の中を行く花神輿の車列。たとえば、まるで小鳥のように華奢な少女。これら不可思議なものとの出会いが、前二作との大きな違いと言えます。前二作も、設定自体はSFチックでしたが、その中で起こる出来事はその世界での現実感がありました(『カブのイサキ』の終盤は少々違いますが)。ですが本作は、すーちゃんが日常から奇妙な世界に半歩だけ足を踏み込んでしまう不穏さがどの話にもあり、時には怖くすらあるその感覚は、大きな特色と言えます。route3の自販機の話は実際ゾクっときた。

その不穏さもさることながら、やはり本作の魅力はその「空気」にあるでしょう。中古のポンコツバイクに乗って、鄙びた大気の中をテテテテと音を立てて抜けていく情景は、潮くさい匂いも、肌を撫でる風も、耳元で渦巻く音もまとめて、ありありとその「空気」を思い浮かばせます。

たぶんそのポイントは、大なり小なり常に吹いている風。バイクに乗れば大きく、地面の上で目を閉じていればほんのわずかに、風はすーちゃんの髪を揺らし、そこで空気が動いていることを教えてくれるのです。濃い描きこみの少ない絵の印象は軽く、乾いていて、でもそこには自然の湿り気がある。海や山や土の湿り気が。

ちょっとバイク欲しくなっちゃいますね、ちっちゃなポンコツバイク。それに乗って、人気の少ない田舎道を行きたい。つい小型二輪免許についてググった俺がいるのですよ。

何もない日にぼんやりと読んで、すーちゃんのいる世界にぼんやりと思いを馳せたい、とても気持ちのいい作品です。

第一話の試し読みはこちら。

モアイ-コトノバドライブ/芦奈野ひとし

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2015-01-21

北の大地に隠された黄金を追う、伝説の兵士とアイヌの少女『ゴールデンカムイ』の話

ということで、野田サトル先生『ゴールデンカムイ』のレビューです。明治末期の北海道を舞台に、隠された金塊を追う男たちと、父を殺した犯人を追うアイヌの少女。追う者逃げる者横から攫おうとする者と、それぞれの思惑が絡み合い、ハイスピードで物語が展開していく血なまぐさいバトルロイヤルが描かれています。

主人公は杉元佐一。日露戦争では「不死身の杉元」と仇名され、獅子奮迅の活躍を見せた男で、本来なら勲章を授与され十分な恩賞をもらっているはずですが、気に入らない上官を半殺しにしたせいでそれもかなわず、北海道の片隅で砂金採りに精を出しています。わざわざ砂金採りなどという一攫千金に手を出したのは、戦死した旧友の妻で、自身の幼なじみでもある梅子のため。思い眼病を患っている彼女をアメリカの名医に見せるため、そしてその息子を何不自由なく育てるためには、莫大なお金が必要でした。ですが、素人が手を出して簡単に大金をつかめるわけがありません。杉元は来る日も徒労に明け暮れていました。

そんなある日、酒に酔った老人から不穏な話を杉元は聞きました。それは大金の話。金を持っていたアイヌたちを殺して金塊を奪った男の話でした。男は捕えられ死刑囚として網走監獄に投獄されるも、拷問されようとも金のありかを決して喋らず、なんとか金を横取りしたい看守らも彼を殺すことは出来ません。そうこうしているうちに男は、同房の死刑囚らの背中に金塊のありかのヒントを入れ墨で彫りこみ、彼らを唆して脱獄させたというのです。そして、脱獄囚たちの入れ墨を集めれば、金のありかがわかるのだと。

もちろん初めは、酔っぱらいのたわごとだと相手にしていなかった杉元ですが、酔いが醒め我に返った老人から殺されかけたことで、俄かに与太話が真実味を帯びだしました。逃げた老人を追う杉元ですが、その最中にヒグマの親子に出くわす羽目に。いくら銃を持っているとはいえ、猟の経験のない杉元に対抗する術はあるはずもなく、あわや殺されるというところで窮地を救ってくれたのが、アイヌの少女・アシリパでした。話を聞けば彼女、金を奪った男が殺したアイヌらの一人の娘だというのです。

こうして、大金を狙う杉元と、父の敵をとりたいと願うアシリパは手を組んで、逃げた脱獄囚たちを追うこととなりました。ですが、杉元ら以外にも、大金を欲しがる監獄の役人に、噂を聞きつけた屯田兵、秘密を知って逃げる脱獄囚、そして金を奪ってアシリパの父らを殺した張本人たる男と、様々な思惑が絡み合っています。現代の価値にして8億という大金は人を狂奔させるに十分な額。軍人も、死刑囚も、戦時の英雄も、時には命をゴミのようにすら扱ってそれを追い求めるのです。

とはいえ主人公の杉元は、誰でも彼でも殺す殺人狂ではありません。「不死身の杉元」の仇名は、日露戦争の最中に多くの傷を受け、首元を銃弾が貫通してもなお戦うことをやめずなかった彼を、畏怖と称賛を込めて呼んだものですが、あくまで彼は殺されないために、生きるためにやむを得ず殺すのです。ただそれは、殺されそうであれば殺すことを厭わないということ。

「俺は殺人狂じゃない ……でも 殺されるくらいなら躊躇なく殺す」

これは彼自身が語った言葉です。

そして杉元と行動を共にすることとなったアイヌの少女・アシリパ。彼女は、内地で育った杉元とは異なる価値観を持ち、小は自然や動植物への知識から、大は殺すことへの道徳まで、彼女と杉元はしばしばいさかいを起こします。1巻の段階ではまだそれは微々たるものですが、これから先、それがどうなるかはわかりません。歳の頃だけでいえばまだ少女に過ぎない彼女ですが、生まれも育ちも異なる人間同士の間で決定的な衝突がいつ起こるのか、それが何をきっかけとするのか、どちらもわからないのです。もとより二人が身を置いた状況は、命を懸けて脱獄囚を追う過酷なバトルロイヤル。生死の境に直面したときに果たしてどう振る舞うのか。

で、そんな血なまぐさい空気の中に時折吹き込むのが、アシリパのアイヌクッキング。リスやウサギを獲るところからのハイレベルなものですが、小動物を捕えようとして生き生きとしているアシリパの顔は年相応のもの。ま、リスを前に舌なめずりをしたのには、さすがの不死身の杉元もドン引きしてますが。美味しいのかな、野生のリスのつみれ汁。

ちょっとしてコメディ描写を挟みつつも物語はスピーディ。脱獄した囚人が何人いるのか明確にはされていませんが、既に3人が登場し、杉元と関わっています。脱獄囚らと接触し、断片的に情報が得られるにつれ、金を奪った黒幕が少しずつ明かされる。スリリングなサスペンスと、血なまぐさい追跡劇と、今後の展開に目が離せません。

試し読みはこちらから。

ゴールデンカムイ/週刊ヤングジャンプ

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