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2013-05-17

天才の兄を助ける弟の、その心の内は 『さよならソルシエ』の話

 時は1885年フランスはパリのモンマルトル。芸術の都で画廊を営むテオドルスは、天才的な商才で何枚もの絵を顧客たちに売り、パリ一の画商の名をほしいままにしながらも、既存の画壇に唾吐くような態度をとるために業界の異端児となっていた。彼は信じている。保守の権威に凝り固まった今のアカデミーは本当の芸術ではないと。そのようなものに縛られないところに芸術の「新しい夜明け」があると。彼にそう思わせたのは彼の兄。その名はフィンセント・ファン・ゴッホ。天才画家の兄を持った弟。本当は絵描きになりたかった弟。彼はいったい何を思って「新しい夜明け」を求めるのか……

さよならソルシエ 1 (フラワーコミックス)

さよならソルシエ 1 (フラワーコミックス)

 ということで、穂積先生『さよならソルシエ』のレビューです。穂積先生と言えば、処女単行本の『式の前日』が「このマンガがすごい!2013」のオンナ編で第2位をとるという鮮烈なデビューを果たした方ですが、本作ではぐっと趣向を変えて、史実をもとにした作品となっています。

 『ひまわり』『アルルの女』『星月夜』などの作品を残し、また日本の浮世絵からもインスピレーションを受けたフィンセント・ファン・ゴッホは、今でこそ非常に高名な画家ですが、存命中はたった一枚の絵しか売れない不遇の生活を送っていました。そんな彼を支えていたのが、実の弟であるテオドルス・ファン・ゴッホです。兄の芸術の唯一の理解者だった彼による援助のために、ゴッホは芸術活動に集中できたのでした。本作は、そんなテオドルス主人公としたものとなっています。

 幼少の兄が描いてくれた自分の絵に感動し、「画家になれよ」と彼の背を押したテオ。そして、実際に兄のフィンセントはその言葉に勇気を得て画家の道へ進みました。テオ自身は、画家の描いた絵を売ることを生業とする画商に。他の誰も認めてはくれないけれど、テオだけは兄の芸術を信じています。既存の画壇は、兄の絵はもちろん、他の新進の画家たちの絵も認めません。そんな体制をぶっ壊そうと、テオは急進的に活動していくのです。

 けれど、有能な画商として兄の援助を惜しまないテオですが、彼は兄に言っていないことがあります。それは、自分も本当は画家になりたかった、ということ。

 兄の才能を目の当たりにしてきたテオは、いったい何を思って彼を援助するのか。

 芸術の未来であるとか、あるいは自分の日々の生活、周囲からの視線にも無頓着で、ただ絵を描いていれば幸せとでもいうようなフィンセント。それを支えるテオは、こちこちの権威主義に凝り固まった画壇からどうにか芸術を解放しようと、さまざまな仕掛けに訴える切れ者の策略家。ステレオタイプな切り口でいえば、「天才」と「秀才」なわけです。

 この「天才」と「秀才」の対比は鮮やかに描写されています。「天才」のフィンセントは、雪降り積もる冬の公園でたまたま出会った老婆の昔語りを聞いて、たった一人の観衆のために、緑あふれる夏の公園をキャンバスに描き出します。それはあまりにも幻想的な光景。40年前の多幸な夏が、真っ白いキャンバス、それは染み一つない画布でもあり誰もいない雪の公園でもあるのですが、その上に活き活きと浮びあがっていくのです。

 一方「秀才」のテオは、画壇の鼻を明かすために、彼らが認めようとしない若い芸術家たちを集めて展覧会を開こうとしますが、街のギャラリーアカデミー圧力を恐れて画廊を貸そうとしません。展覧会予定日の前日になって頭を抱える芸術家たちですが、この状況を見越していたテオは、まったく別の方法で彼らの絵を街の人々に届けました。それは、ただギャラリーに飾るよりもよっぽど人々に届くやり方で。

 その他にもまだはっきりした違いはあるのですが、それは読んでのお楽しみということで。

 そして、「天才」と「秀才」が対比されていることと同じかそれ以上に重要なのは、テオが挫折した「秀才」だということです。テオが幼少の頃の兄の絵に感動し彼に絵の道を勧めたことはもう書きましたが、その陰でテオは、画家になりたいという自らの夢を諦めています。それは兄の絵の才を知ってしまったからなのか、それとも別の何かがあるのか、1巻の時点ではまだ明確になっていませんが、偉大な兄は決して無関係ではないでしょう。

 楽しそうに絵を描きながらフィンセントは、自分を援助してくれるテオに言います。

僕は誰かを救おうと思って絵を描いたことなんてないよ それよりも僕は君にも何か好きなものを見つけてほしい

僕に絵を与えてくれたのは 君だから

(1巻 p184)

 この言葉を聞かされたテオの内心はいかばかりだったでしょう。自分がいくら欲しても得られなかった絵の才を持つ兄が、無自覚に投げつけてきたこの言葉。

 それに対してテオは、返事になっていない返事をします。ただし、返事になっていないと思うのは兄ばかりで、読み手には彼の心は痛いほどにわかるのですが。

知ってるか 兄さん

画商が― 心を揺さぶられて仕方がない作品に出会った時の感動をなんと呼ぶか

恋だよ

生涯忘れることのできないたった一度の出会い それはまるで運命だ

人間相手の恋なんて比べ物にならない

その出会いが 絶望をひと時忘れさせてくれることを 俺は知ってる

(1巻 p184,185)

 かわいさ余って憎さ百倍。愛と憎しみは紙一重。兄がかつて描いた自分の絵にテオは恋をして、そして同時にその絵は、彼の心にいくら登っても越えられない壁を築き上げた。才能という名の壁を。

 画壇と対立し「新しい夜明け」をもたらそうとするテオ。才ある兄への援助を惜しまないテオ。そして、兄の才に嫉妬するテオ。皮肉げな冷たい微笑を絶やさない彼が、今後どのように芸術と、兄と向き合っていくのか。ゴッホ自殺するのは1890年の7月。後を追うようにテオが死ぬのはその翌年。残された5年余りを、いったいどう描くのか。超期待。

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2013-05-15

ギャグの中にもしっとりが 短編集『虹の娘』の話

 二人暮らしのヒロチカとアキの兄妹。ストリップやヌードモデルでお金を稼いでいるアキには、親に言うことのできない秘密がある。それを知るヒロチカは、いつかは打ち明けなくてはいけないと思っている妹のために、少しずつ根回しをしようとしていて……

 男と女と、男同士・女同士の友情と、家族と。小さな人間関係の中のあれやこれやを描いた、表題作『虹の娘』を含む全8編の短編集……

虹の娘 (Feelコミックス)

虹の娘 (Feelコミックス)

 ということで、いがわうみこ先生の短編集『虹の娘』のレビューです。

 twitter上で存在を知って、ググってみたら1話だけ試し読みができたので読んでみたらこりゃ面白いと購入決意。全編読んでみたらやっぱり面白かったので、こりゃいい買い物でした。

 短いもので10p(『アヒルにホッチキス』)、長いもので34p(『愛され洋輔』『アマネの日記』)と1話当たりの分量はさほど多くなく、内容は基本的に狭い人間関係の中でのお話です。二人暮らしの兄妹であるとか、大学の男女であるとか、友人同士の男子中学生であるとか。幹となっているそれらの人間関係に別の人間関係の枝が伸びてきて、幹がどう揺さぶられるか、というのが基本的な形式ですかね。『るりるり』は9割以上シリアスである一方、『愛され洋輔』はほぼ100%ギャグであるように、各話のギャグ/シリアス比率は大きく違うのですが、トータルで8割くらいギャグのような気がしてしまうのは、きっと私の好きな話がギャグに寄っているせい。

 で、そのギャグの作り方が、にこやかな顔のまましれっとろくでもないことをいう感じで、実に私好みです。最初に掲載されている『阿部くんと吽野さん』、冒頭の男女二人の会話は

「あれ?やせた?」

「やせた」

「へぇ どうやって? 脂肪吸引? クスリ? カルト宗教?」

「殺すぞ」

 をにこやかに喋ってくれています。そういうの大好き。

 『阿部くんと吽野さん』は、お互いに「こいつと付き合うとかないわ」と言い合うような仲のいい大学生男女の友人のお話。上述のようなろくでもない会話を基調にしつつ、吽野さん(♀)の恋愛話を軸として話が進みながらも二人の関係性に話が収束されていきます。わずか18pの中で、ギャグをベースにしながら二人の関係性をうかがわせ、最後のオチでニヤリと、あるいはニコリさせられてしまうような展開はとてもすてき。私はこのお話が一番好きです。

 こういう、しれっとした顔によるろくでもない会話は、ギャグのテンションがいい意味で後に引かないため、とても切れ味がよい印象を持つのですが、それによって、随所にあるしっとりとした人間関係機微が浮かび上がってきます。冷めたドライな空気を基本とするからこそ、仰々しく描かれることのないしっとりしたもの(というか、仰々しく描いたらしっとりはしないですが)が、くっきりするのです。これは良い温度。

 

 最初にちょっと触れた試し読みはこちら。『くらんくらんくくらんくらん』が読めます。このお話も好き。

FEEL YOUNG編集部BLOG いがわうみこ短編集「虹の娘」1話まるごと試し読み!

 これがまだ2冊目の単行本ということで、今後がとても楽しみなのです。

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2013-04-30

女子高生たちの、平凡で、だからこそ楽しい群像劇『シンプルノットローファー』の話

 私立モンナンカール女子高等学校2年A組。そこに通うのは、普通に普通で普通に変わってるごくごく普通の女の子たち。色々あったりなかったりする学校生活を、楽しく過ごしたり面倒くさく過ごしたり適当に過ごしたり。女子高生たちの日常をさくりと切り取る清新な群像劇……

シンプルノットローファー

シンプルノットローファー

 ということで、衿沢世衣子先生『シンプルノットローファー』のレビューです。何の気なしに買ってみたのですが、これは良いものだ。

 物語としては、本当になんてこともないものなんですよ。女子高生たちのなんてことない日常。それを描いているだけ。巨人は出てこないし、異世界も出てこないし、それどころか恋愛話さえ出てこない。キャラクターの繋がりはあるもそれぞれの話は独立しているから、単行本1冊を通しての盛り上がりも別にない。普通。極めて普通。でも、妙に面白い。

 つまるところこの面白さの源泉は、キャラクターたちがなんだかんだで自分の生活を満喫しているところから出ているのかなと思います。厄介なこともあるし面倒くさいこともある。腑に落ちないこともあれば不可解なこともある。でも、そういうのを色々ひっくるめて、彼女らは人生で3年間しかない高校生活を楽しんでいる。派手じゃなくてもいい。どんでん返しがなくてもいい。なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せをなるべくいっぱい集めたような生活は十分楽しいし、その楽しさを実感して生きるさまは、傍から見てても楽しくなる。そういうことなんじゃないかと。

 その意味で、方向性としては『ヒャッコ』に似ているのかもしれません。あっちの方が色々派手ではありますが、基本的には日常の範疇で収まっていて、そこに登場するキャラクターはどいつもこいつも楽しそう。キャラクターを見て楽しむのではなく、キャラクターと一緒になって楽しむ。そういう作品。

 この作品で特徴的なのは、登場するクラスメート全員にちゃんと名前やらなんやらの設定があることです。上で「キャラクターの繋がりはある」と書きましたが、あるお話でモブとして登場したキャラクターが他のお話では主役になっていたり、その逆もまたしかり。1冊読み通した後にもう一度頭から読むと、そこここに見覚えのあるキャラクターがいるのです。巻末にクラスメートの一覧があるので、名前等の確認もできます(ただ、描き分けの関係で少々見分けづらいですが)。

 本作は、クラスメート全員が仲がいいという感じはありません。わりと緩めの繋がりのグループが並立しているように見受けられます。そしてそれは、私たち読み手にとっても同様だった(もしくは現在進行形で)ことでしょう。学生時代を振り返って、クラスメート全員と仲が良かったという夢物語な思い出を持っている人はそういないと思います。いじめだなんだという深刻な話まではいかずとも、なんとなく仲がいい子となんとなくそりが合わない子がなんとなくグラデーションになって見えていたはずです。でもそれは、クラスメートの誰にとってもそうだったわけで。

 自分にとってのグラデーションとはまた別のグラデーションを、なんとなくそりが合わない子も持っている。40人いれば40通りのグラデーションがあるのです。ある人にとってはone of themのクラスメートも、他の誰かにとってはonly oneなのかもしれない。誰もが固有のグラデーションの中で固有の名前を持っている。

 一話ごとに主役が交代する本作は、そんな当たり前の事実を気付かせてくれます。みんなそれぞれ名前を持って、それぞれの付き合いをそれぞれのグラデーションの中で送っている。少しずつ覗くそのグラデーションが、キャラクターたちの存在感を増しているのでしょうか。

 私が好きな話は、prologueと最終話の『パラダイス』です。特に、夏休みのだらだらした部活を舞台にした最終話の最後のセリフ、「今日は楽しかったなー」は、その話中で展開された行動が、自分は体験したことがないのにふとそれが記憶から思い出されるかのようで、とてもよいです。夏の夕暮れって、妙に郷愁をくすぐられる。

 少々地味な作品ではあるのですが、是非手に取って一読してみてほしいのです。これには滋味がある。 

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2013-04-24

無職男子のおいしくない日々のご飯 『鬱ごはん』の話

 誰しも人は、食べずに生きていくことはできない。だが人は、死なないわけにもいかない。いつかは必ず死ぬのに、死なないために食べ続ける。なぜなのか。なぜなのか……。そんなことを鬱々と考えながら、就職浪人・鬱野は今日も飯を食べる。イマジナリーーフレンドの黒猫と一緒に。

 食事に関する漫画なのに全然食事をする気にならない、むしろ食べたくなくなる新感覚ダウナー食事漫画……

 ということで、施川ユウキ先生の三冊同時発売新刊『鬱ごはん』のレビューです。他2作のレビューはこちら。

 あらゆる生物がいなくなった世界で出会った少女とフラミンゴ 『オンノジ』の話

 ダラダラ不真面目文学談義『バーナード嬢曰く。』の話

 さて本作ですが、暗い設定ながらもキャラクターは明るい『オンノジ』、ダラダラと不真面目な文学バカ話を続ける『バーナード嬢曰く。』と違い、徹頭徹尾鬱々とした話です。主人公の鬱野君がまあ暗い。食事をテーマにとった漫画は、たいていは「食事が美味しくてハッピー☆」に落着するものだと思うのですが、生きるための活力どころか、生きるための必要悪としか考えていないんじゃないかと思わせるような態度は、読んでて暗澹たる気持ちにさえなれます。

 就職浪人である彼は東京で一人暮らしをしているのですが、外食するにせよ、買ってきたものを家で食べるせよ、希に自炊をするにせよ、ぶつくさぶつくさ悪態をつかずにはいられない人。一人暮らしなのだからそれらは心の声ばかりなのですが、イマジナリーフレンド(鬱野曰く「妖精」)の黒猫が彼の内心を代弁しているのか、結果的にダイアログになっています。食事をとることに楽しさを見出さない男と、それを皮肉る黒猫。我が子が描いたら病院へ連れて行きかねないような情景です。いやいないですけど、我が子。

 嘔吐シーンや嘔吐物が平然と出てくる本作ですが、なんといっても白眉は、賞味期限の切れたコーンスープやら野菜ジュースやらを水洗便所に流す話。たかだか4ページでここまでもやもやとした気持ちに出来るものなのでしょうか。「日本で一番パンクなデモンストレーションは、全裸になることでも豚の血を客席に撒き散らすことでもなくて、炊きたてご飯のおにぎりを踏みにじること」という話を以前どこかで読んだのですが、それに通じるものがあります。

 「タコを食うなど信じられん」「カタツムリなんて食い物じゃないだろ」「虫食の気がしれない」と、文化の違いによる食への違和感は古今東西を問わず存在しますが、鬱野はそれを毎回毎回味わっているようなものです。あらゆる食事が違和の塊。日頃当たり前のように食べているそれに一々理屈を求め始めると、食事が美味しいとかそういう話じゃなくなってくる。「なんだこれ」「なんでこんなものを食べているんだ」「おいしいとかおいしくないとか、果たしてそんなことに意味はあるのか」そんな意識に支配される食事が楽しい訳はない。

 確かに食欲は、人間に欠かすことのできない根源的なものの一つで、睡眠欲・性欲とともに、三大欲求の一つに名を連ねているわけです。しかしそれは、常人であれば決してそれから逃れられないということであり、もしまかり間違ってそこに嫌悪感を抱いてしまえば、望まぬ苦行を毎日積まねばならないようなもの。鬱野はまさにそんな状況に陥っているのです。ひょっとしたらそれは、延々就職浪人を続けている彼の境遇から来ているのかもしれません。連載当初は22歳だった彼も、1巻最終話時点で26歳にまでなっています。4年もの望まぬ無職生活は気力を蝕み、毎日の欠かせぬルーチンすら厭うべきものとしてしまう。蝕まれた気力は自身を奮い起こすことなく、諦念と白い絶望の中に引きずりこんでいく。そうしてまた気力は蝕まれ……と悪循環の只中にいる彼です。

 どこを切り取っても救いの見えないこの話。この辛さは『空が灰色だから』を思い出しました、なんとなく。

 この作品もやっぱり試し読みができますので、まずはその気分の悪さを味わってみてください。

 真っ白な原稿の上で、俺は爪を切った。 「鬱ごはん」1巻、「オンノジ」、「バーナード嬢曰く。」単行本3冊同時発売!後、サイン会やります。

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2013-04-22

ダラダラ不真面目文学談義『バーナード嬢曰く。』の話

 図書室のすみっこでいつも本を読んでいる彼女。あだ名はバーナード嬢(自称)。本名は町田さわ子だが。彼女は真面目に読書をしているようで、そのくせろくにページは進まない。いつも余計なことばかり考えているからだ。読書家に見られたいと思いながら本を読んでいる彼女の脳内は、愚にもつかないことばかり。ちゃんと読めよ。

 本を読んだり読まなかったり読まなかったり読まなかったりするド嬢こと町田さわ子とその周辺の、不真面目なブンガク話……

バーナード嬢曰く。 (REXコミックス)

バーナード嬢曰く。 (REXコミックス)

 ということで、施川ユウキ先生の新刊『バーナード嬢曰く。』のレビューです。上述の通り、不真面目なお話です。そんなのは表紙のセリフから一目瞭然ですけども。主人公が『カラマーゾフの兄弟』を持って、「一度も読んでないけど 私の中ではすでに 読破したっぽいフンイキになっている!!」とか、いっそ清々しい。本文中では別の本に対して言ってるセリフなんですけど、『カラマーゾフの兄弟』にはまた別の形でしょうもないことを言ってます。不真面目。

 読書家(に見られたがる)(でも失敗してる)バーナード嬢ことド嬢こと町田さわ子。なんだかんだ言いながら彼女の話に付き合う遠藤。そんな遠藤に恋する図書委員・長谷川スミカ。SF熱が行き過ぎてついつい求められもしない薀蓄を垂れ流し、ド嬢の不真面目発言には反射的に激昂してしまう読書好き・神林しおり。この四人(長谷川スミカは影が薄いですが)が古今のいわゆる名作に関する話を、内容にはたいして触れないままにダラダラと続けるという、それだけといえばそれだけの作品。今までの施川先生の作品で見られる、ある事柄を普段とは違う視点から見ることでおかしみを生む、というネタつくりを本を土台にしてやっている感じです。

 基本的な態度が不真面目なだけに、読書に対する高尚さなどはみじんも無く(ただし馬鹿にしているのとは違う)、気軽な気分でケラケラ読めます。前述の『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)や『プランクダイヴ』などのグレッグ・イーガン諸作品、『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイヤモンド)など、ハードル高そうな感じの本をぞんざいに扱ってる(いい意味で)ので、「ああ、読書ってそんなもんでもいいのね」という気分になれます。目の前にポンとおかれたり、本屋や図書館でふと見かけただけでは手に取らなそうな本たちも、本作に登場していると、不思議に「ちょっくら読んでみようかな」という気になるのです。

 そう、この作品の不思議なところは、登場する作品の内容なんてまる触れられていないのに、なぜかその本を読みたくなってしまうことなんです。登場する作品はSFが多いんですけど、私がSFをほとんど読まないこともあって、名前までは知っていても中身は知らないものばかり。で、その作品の紹介は「SF史上屈指の青春恋愛小説」(『ハローサマー、グッドバイ』)とか、「地球を救う使命を与えられた天才少年の苦悩と成長を描いた大傑作」(『エンダーのゲーム』)とか、わりと普通。でも「読んでみたい!」と思わせる。

 本が好きな人って多かれ少なかれ、それが格別自分の好きな分野でないとしても、その分野で有名な本を読んでいないことに後ろめたさを感じるものだと思うんですが(ですよね? ですよね!?)、そういう作品っていざ勧められても、「今まで読んでなかったし今更読んでもなんだし古典って読むのに時間かかるしゴニョゴニョ」とつい構えてしまい読めなかったりするものです(ですよね? ですよね!?)。でも、本作みたくいい意味で不真面目な態度で本を紹介してくれると、そういう心的抵抗は薄くなる。まあなんだかんだ言ってもただの本だし、という気になって、手に取ってみたくなる。主に本を勧める役どころの神林さんが、つい必要以上に熱を入れて話し始めちゃって他のキャラがドン引きしているのもよし。一度引いた後だからこそ、普段よりもう一歩奥に踏みこもうという気になれるものです。

 この作品も、ごく一部ですが試し読みができます。神林さん初登場の話です。SF好きの業ってこんななのかなと勝手に思ってます。

真っ白な原稿の上で、俺は爪を切った。 「鬱ごはん」1巻、「オンノジ」、「バーナード嬢曰く。」単行本3冊同時発売!後、サイン会やります。

 最後に作中から引用を。

本は読みたいと思った時に読まなくてはならない

その機会を逃し「いつか読むリスト」に加えられた本は 

時間をかけて「読まなくてもいいかもリスト」に移り

やがて忘れられてしまうのだ

(p51)

ここで某進ハイスクールの某セリフを吐いてもいいのかもしれないけど、あっという間に聞かなくなった気がする。

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