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2014-09-12

『きみはスター』『ひばりの朝』ヤマシタトモコの描く二つの優越感の話

先日レビューをしましたヤマシタトモコ先生の『運命の女の子』。

彼女らはそれに乗るのか、抗うのか 『運命の女の子』の話 - ポンコツ山田.com

そこに収録されている『きみはスター』の中で、ちょっと気になったコマがありました。

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(運命の女の子 p113)

これの何に引っかかったかと言えば、表情。別の作品で似たような表情を見た覚えがあったからです。

それがこちら。

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ひばりの朝 1巻 p117)

潤んだ瞳。下がった眉尻。紅潮した頬。僅かに開いた口。少しく上向いた頤。

どうでしょう、私はこの両者によく似たものを感じました。

『きみはスター』の小高ゆかりと、『ひばりの朝』の美知花。二人が見せたこの表情、一言で表せば、優越感、でしょうか。

それぞれのコマの文脈を説明しましょう。

前者の小高ゆかりは、高校の学年で三本の指に入る成績上位者。容姿も端麗で社交性も高く、周囲からの信頼も厚い生徒です。そんな彼女がこの表情を向けているのは、クラスメートであり同じ演劇部でもある井上公子。成績はゆかり以上にいい彼女ですが容姿は十人並みで、性格も少々とっつきにくい。けれど公子は、部内一のイケメンにして、学力も二人と肩を並べる生徒・甲斐谷開から惚れられているのです。そのことに戸惑い、現に開から告白されてもうまくその事実を飲み込めない公子。そこへゆかりが公子の心を揺さぶるような話をしたら、どぎまぎしながら公子は、ゆかりへの憧憬を口にしました。引用した画像は、その言葉を聞いた時のゆかりの顔です。

後者の美知花。中学生の彼女もまた、社交性が高く容姿も優れているクラスの人気者。思っていることを表に出さない性格と、中学生にしては肉感的な身体のせいで孤立しがちな主人公のひばりに、唯一積極的に話しかけている生徒です。しかし彼女の内面には、他者に対して上位の立場にいたいという欲望があります。誰かから褒められる。誰かから頼られる。誰かから好かれる。そういう立場にいることで、相手から信頼を得て、相手の秘密を共有し,仲を深めるというサイクルを繰り返します。彼女は、ひばりにもそのサイクルを生み出そうと会話を続けていたのですが、いまいち面白い話が出てこず退屈を感じていました。しかし、そこで思いもよらず飛び出てきたのが、ひばりが父親から性的虐待(らしきもの)を受けているという告白。それを聞いて美知花は、この表情を浮かべたのでした。


さて、私は二人の表情から感じるものとして優越感という言葉を使いました。

優越感。自分が相手より上にいるという気持ち。しかしここには、二通りのニュアンスがあると思います。

一つは、自分を上げることで自分が上だと思う優越感。それがゆかり。

もう一つは、相手を下げることで自分が上だと思う優越感。それが美知花。

感情の方向は逆ですが、敬語表現の尊敬語謙譲語みたいな感じでしょうか。対象を上げることで敬意を表す尊敬語と、自身(動作主)を下げることで対象への敬意を表す謙譲語ということです。

優越感に話は戻りますが、相対的に自分が相手より上にあるという点ではどちらも同じですが、その位置関係に収まるまでに過程が異なるのです。

ゆかりの状況についてもっと詳しく説明しましょう。前述したように、彼女は部内はおろか校内の人気者ですが、彼女が自身を評価することには、「まわり気にして自分の意見言えないし …そもそも別に自分の意見なんてない」、「特別好きなものも嫌いなものもな」い「つまんない人間」で「ほんとは嫌な奴」。これはあくまで、高校時代の彼女が他の人間もいる前で公子に向けて発した言葉なので、そっくり額面通りに受け取っていいものではないでしょうが、まったくの出まかせというわけでもないと思います。なぜなら、人気者の彼女も内心では、公子や開に憧れを抱いていたから。あるいは、妬みを。

彼女は公子に言います。

カイくんが公子ちゃんのこと好きだって聞いて「なんで公子ちゃんなんだろう」って思った

カイくんはいったい公子ちゃんのどこがそんなにいいんだろうってずっと考えてた 

…ずっと考えて

……考えてたらわかったの

(運命の女の子 p108,109)

このシーンは部室内でのものですが、彼女は他の部員、なかんずく開がこの会話を聴いていることを重々承知して、というよりも聴いていることを確認したうえで、上の言葉を発しました。

この時ゆかりは、隣で作業をしていた公子の指に自分の手を触れさせるなどして、明らかに「考えてたらわかった」ことに恋愛感情のニュアンスを込めています。少なくとも、自分以外の人間がそう受け取れるような素振りをしています。

開とゆかり。二人とも公子に対して好意の言葉を送りました。けれどその反応は対照的で、明確に拒絶を示された開と、戸惑いながらも肯定的な反応を返されたゆかり。

この対照にもっとも傷ついたのは、当然のことながら、開でした。自分の好意は無碍にされ、ゆかりの好意は受け容れられる。年頃の男の子がそれを笑って許せるわけがありません。激昂した開は言い放ちます。

きみはゆかりの言うことなら本気にとるのかよ

ぼくが何をしても無関心なくせに

フェアじゃないだろ ぼくは本気で言ってるのに き みも断るなら…

…断るならはじめから …正直に言うべきだ 「小高ゆかりが好きだから」って

(同書 p110,111)

開の言葉に虚を、そして隠していた気持ちを衝かれた公子は、口ごもりながら、照れながら言います。

ち ちがう わたしは

こ 小高さんみたいな人に なりたいと思っ…

……だけで……

…………

(同書 p112)

さあ、ここで最初に引用したゆかりの表情が出るのです。

彼女が真に公子を好きなのか。それについては、明確にはわかりません。ただ、私はどちらかといえば否であると考えます。彼女が本当に気にしていたのは、開。ただしそれもやはり恋愛感情ではなく、尊敬、憧憬、空に浮かぶスターを見上げる気持ち。そんな開が好きだった公子に自分は好かれている。「つまんない人間」である自分が、「才能のある人」であるところの開に好かれている公子に好かれている。恋愛感情で人間に上下が生まれるわけではありませんが、この時のゆかりにはきっと、自分が公子の、そして開の上に立てたという気持ちがあったと思うのです。

大人になった時間軸で、ゆかりは言います。

カイくんみたいな才能ある人に好かれてた… 今は本人も才能にあふれてるそんな人のそばにいられるんだもの

……カイくんにはわからないわね

(同書 p114)

この言葉からは、高校時代のゆかりが当時の公子に対して才能を感じていなかったことがうかがえます。ここから私は、高校時代のゆかりの公子への告白は、彼女への恋愛感情ではなく、それを経由して開を上回る優越感が強いと考えるのです(公子と同棲している現在の内心までは、はっきりとしませんが)。

これが、「自分を上げることで自分が上だと思う優越感」です。


さて、美知花の方を考えてみましょう。

こちらの方が話はわかりやすいです。他人の不幸を「ミツのアジ」として密かに楽しむ美知花は、前述したように友人らの信頼を勝ちえて悩み打ち明けてもらい、お互いの親密感を深める一方で、教えてもらったそれを舌の上で舐るようにして暗い甘美さを味わっています。

美知花が舐めている「ミツのアジ」は、相手が美知花だからと信頼を置いたうえで話してくれるものです。そしてこの信頼は相互的なものではなく、相手からの一方的なもの。いくら美知花が相手の望むことを言い、それによって相手が美知花のことを信頼しても、美知花自身にとっとそれは、相手からミツを吸い上げるための方便に過ぎません。口先でしかない美知花の言葉にころっと騙される級友らは、「ちょろい」の一言で済まされるような人間なのです。

友人が美知花に悩みを打ち明けるのは美知花を信頼した証拠。けれど美知花は相手をミツとしか思っていない。所詮、ミツ。所詮、私の娯楽。美知花の内心にある上下関係が、ありありとわかります。

気ままな蝶のように、花を渡り歩いてミツを求めていた美知花。たまたまとまったひばりという花は、一見たいしたミツがなさそうであったものの、探ってみたら「セーテキギャクタイ」という特大のミツが隠されていたのです。これに美知花が喜ばないわけがありません。人の悩みを聞いているのだから、本来出してはいけない顔。にも関わらず、あまりの甘さについ出てしまったもの。それが美知花のあの表情でした。

自分は一切そんなことは思っていないのに、一方的に信頼を向けてきた相手に向けた、昏い喜びの表情。それが美知花の見せた優越感であり、「相手を下げることで自分が上だと思う優越感」なのです。


というような具合で、『きみはスター』と『ひばりの朝』から考えた、二つの優越感でした。

しかしこの二作品を読み返して思いましたが、ヤマシタ先生は複数のキャラクターの心情が交錯している様子を描くのが、絶妙に巧いですね。一回読んでぱっとわかるのではなく、何度も読んでいく内に解けるようにして見えてきたり、その中で依然感じたのとは別の見方が浮かんできたり。

そりゃあ何度も読み返してしまうわ。

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2014-08-30

彼女らはそれに乗るのか、抗うのか 『運命の女の子』の話

人が生まれる時に必ず「呪い」をかけられるようになった世界。16歳になるとその呪いが発動し、人はそれを克服しなくてはいけない。ただ呪いの中身は千差万別で、軽重もある。呪いが大きければ大きいほど、それを克服した人は偉大な人物になるという。

そんな世界の日本で、唯一人「呪い」をかけられなかった少女・古賀差保子。16歳という、周囲の同級生に呪いが発動する歳を生きている彼女は、当然のように差別をされていた。「呪い」の意味とは。一人呪われなかった自分の意味とは。差保子が己の境遇に思い悩むある日、日本中で老若男女を問わず首から木が生え昏睡するという事件が起きた・・・・・・。『不呪姫と檻の塔』外2本収録の短編集。

運命の女の子 (アフタヌーンKC)

運命の女の子 (アフタヌーンKC)

ということで、ヤマシタトモコ先生の新刊『運命の女の子』のレビューです。本作には冒頭で書いた『不呪姫と檻の塔』の外に、連続殺人事件容疑者となっている少女と彼女を尋問する女性刑事の間の噛み合わない問答を描いた『無敵』、高校で演劇部に所属していた男子高校生一人と女子高校生二人の間の人間模様を社会人になった今語り直す『きみはスター』が収録されています。

ご覧のように、本作には『運命の女の子』というタイトルの作品は収録されていません。にもかかわらず、このタイトルなのはなぜか。

それはきっと、三作とも、主人公となっている女の子が、良かれ悪しかれなにがしかの運命を背負っているかのようだから。


以前の記事では、定められた運命の中で自身の有限性を自覚して初めて人は自由になれる(『バガボンド』)、あるいは、世界にはあらゆる可能性があるけれど、その中で自身が選びとれる道は一つしかなく、それゆえに未来は定まっている(『戦国妖狐』)、また、自由には限界がある(運命からは逃れることができない)のだから楽しんだもの勝ち(『極東学園天国』)というような運命についての話を書きましたが、つまるところそれは、生きている限り逃れようのないもの。あたかも地球上で生きる者にとっての重力のように、意識できようとできまいと、その人間から片時も離れずにある方向へと導き続けるもの。

『無敵』の女の子は、人を殺す運命を。

『きみはスター』の女の子は、人を魅了する運命を。

『不呪姫と檻の塔』の女の子は、世界を救う運命を。

彼女らは、人を殺すべくして殺し、魅了すべくして魅了し、救うべくして救うのです。


『無敵』の彼女・由里本美鳥は、人を殺し、家を燃やした後に思いました。「わたしはわたしのやるべきことを正しく見つけすべて正しく行った」と。一連の行為は「すべて 息をするように自然に なめらかに」。彼女が人を殺したいと思っていたのか、人を殺してどう思ったのか、なぜ人を殺したのか、私たちにわかるような言葉では何一つ語りません。尋問にも「すべて正し」い自分に確信を持ちながら悠々と喋りますが、その姿が他の人間にどう映っているかを彼女が自覚しているのかいないのか、それすら私たちはわからないのです。

彼女と対峙している刑事は、靄の中を手探りで進むような焦燥に駆られます。この靄の中から出られるのか。出られたところで本当に自分がそれまでいたところなのか。出られた自分は本当にそれまでの自分と同じなのか。がりがりと、心が削られる。

運命。それを信じた少女はあまりにも強く、あたかも運命が彼女を護っているかのようですらあるのです。


『きみはスター』の彼女・井上公子は、決して恵まれた容姿をしていません。高校の演劇部では高い学業の成績や演技力もあって目立つ人間の一人でしたが、万人に受け入れられる社交的な性格ではなく、人の輪の中心というよりは孤高。そんな彼女は、同じく目立つ人間の一人であった男子・甲斐谷に好かれ、同じく目立つ人間の一人だった女子・小高を好いていました。甲斐谷も小高も、井上と違い、容姿も性格も華やいでおり、まさに人の輪の中心にいるような人物でした。けれど、彼や彼女には、スターになる運命が無かった。いや、スターというよりは、自分の望む道を歩む運命が。その運命にあったのは公子だけだった。きっとその道を分けたものは、意志の強さ。あらゆる可能性の中で、自分の望む道を選び取る強固な意思の有無。卒業直前に、将来の夢を聞かれる生徒たち。その中で、「〜になりたいです」と願望の形で甲斐谷と小高は夢を述べ、公子だけが「〜になります」と断定で述べたのだ。

結局、夢をかなえたのは公子だけでした。甲斐谷と小高が幸せか不幸せかは関係ありません。スターになる運命は、誰かにとって手に届かないままに輝いている運命は、公子にしかなかったのです。


『不呪姫と檻の塔』の彼女・古賀差保子は、まさしく運命的な存在でした。日本中で、ただ一人「呪い」を与えられなかった人間。そこからは、善いも悪いもいくらでも運命を汲み取れます。しかし、その意味はわかりません。そのような運命が彼女にもたらされた意味は、理由は。なぜ他の誰でもなく自分なのか。

得体のしれない運命を背負わされた彼女が、ついに出会った大きな、「運命」的な事件。けれど、果たしてそれが運命にいい意味を与えるのか悪い意味を与えるのか。それともそれは、自分で決めていいものなのか。彼女がなした決断は。


目に見えぬ何かに抗うのか、流されるのか、それは様々ですが、そうであるのが運命であるかのように見える人間の姿には、人の心を揺さぶるものがあるのです。

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2014-08-27

『零崎軋識の人間ノック』ゴルゴに勝てる女はここにいた、の話

今月号のアフタヌーンで、西尾維新原作『零崎軋識の人間ノック』のコミカライズがスタートしました。それを読んで、以前ふと思ったことを検証してみた記事ですので、漫画でこれから描かれるかもしれない内容について触れています(第1話時点では、まだそこにまでいたってません)。原作未読の方は注意してください。まあ本筋にはかかわらない重箱つつきの話なのですが。

零崎軋識の人間ノック (講談社文庫)

零崎軋識の人間ノック (講談社文庫)

さて本作は、釘バットを武器とする殺人鬼・零崎軋識(ぜろざき・きししき)を主人公とする作品なのですが、西尾先生のデビュー作にして出世作であるところの「戯言」シリーズから派生した作品だけあって、主要な登場人物のスペックはどいつもこいつも人間離れしています。

主人公の軋識からして鉛を鋳造して作り上げた一体成型の釘バット(=凶悪なトゲトゲのついた鉛の棍棒)を自在に振り回す人間ですし、二振りの大型ナイフを組み合わせて鋏にしたものを武器とする殺人鬼とか、自分の主人以外には姿を見られたことがないのが自慢の暗殺者とか、山一つに糸を張り巡らしてその糸から伝わる振動で山中で何が起こっているか手に取るように把握する技術者とか、その糸に一切触れぬまま山中を闊歩する殺し屋とか、そんなんばっか。

で、原作はその軋識と、彼の「家族」である零崎人識がとあるマンションに殴り込むエピソードから始まります(漫画版でも同様です)。高級マンションの最上階にいる標的を軋識が皆殺しにしたところで、それ以外のフロアの全住民(含むペット等)を皆殺しにした人識がやってきました。

地獄絵図と化した部屋の中で、皆殺しまでの過程に違和感を覚えて考え込む軋識でしたが、第六感からか何かに気づき、ぼうっとしていた人識を突き飛ばしつつ自らもその場から飛び退くと、そこに着弾する銃弾。そして遅れて聞こえてくる銃声。弾速が音速を超えるライフルによる1km以上先からの狙撃でした。標的がそのマンションのその部屋に集まり、そこへ軋識らが皆殺しにやってくる、という状況そのものが、その狙撃のための罠だったのです(漫画版第1話はここまでとなっています)。

別々の物陰に隠れる二人。ライフル相手に迂闊に動けない状況で、人識は軋識に、彼が持っている携帯を投げて寄越すよう要求しました。携帯や固定電話で外部へ連絡することができないことは軋識が既に確認済みでした。その上でなぜこれを必要とするのか、いぶかりながらも軋識が携帯を投げると、銃弾がそれを撃ち抜く。そして響く銃声。

これは「突然放り投げられた携帯を撃ち抜けるくらいに狙撃手の技量が高い」ということを示すワンシーンでした。

さて、ここで重箱の隅をほじくってみます。

ライフルの弾速を800m/s(音速の2倍以上。漫画版では、ライフルの弾速を2000〜3000km/h=555〜833m/sとしています)、狙撃地点からマンションまでの距離を1.2km(原作では「1km強」「概算で1.5km」、漫画版では「1km以上」とあります)と仮定しましょう。すると、弾丸がマンションに着弾するまで1.5秒となりますので(空気抵抗や射出角度による加減速は無視)、放り投げられて空中にある携帯をライフル弾が撃ち抜くためには、携帯が撃ち抜かれたその地点に到達する1.5秒前に弾丸は発射される必要があることになります。

ここで、二人が隠れた物陰の距離を5m(原作では言及がありませんが、漫画ではその程度と推測できます)、携帯を放り投げたときの角度を30度としましょう(こちらは完全に推測。5m先に物を放り投げようと思えばそのくらい?)。すると、携帯の滞空時間は約0.76秒となります(放物運動(角度と距離から計算)) 。

約0.76秒。

発射から着弾まで1.5秒かかる弾丸が、姿を現してから消えるまで約0.76秒しかない携帯を撃ち抜く。罠なのでその部屋に盗聴器はありますから、携帯が放り投げられるタイミングはある程度計れるにしてもそれは無論完璧ではないし、どのような軌道をとるかなど予測の埒外。それを撃ち抜く。

早い話、携帯や投げる動作などは一切見えないままに、携帯が放り投げられる前に、1km以上先から既に狙撃点を定めトリガーを引かなければならない、っちゅうことです。ゴルゴでもできるかンなこと。

で、その狙撃手が誰かと言えば、立案や交渉などの戦略面では作中随一ではあるものの、身体能力では人外犇めく作中で珍しく常人並みという設定であるところの中学生・萩原子荻

ええ、常人並み。

……

…………

……………………………

まあそりゃそんなバランスブレイカーな彼女は、早々に本筋(「戯言」シリーズ)から消されますよね。彼女が生きていれば、アメリカあたりからゴルゴ暗殺の依頼が舞い込んでいたことでしょう。

次号のアフタでここが原作から変更されているかどうか、ちょっと気になってる。

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2014-08-20

青春 それはニマニマのラブコメディである 『徒然チルドレン』の話

高校生。それは甘酸っぱくも恥ずかしい青春のかたまり。好きな人もできるし、恋人もできるし、告白もするし、ふられもするしで、喜びと悲しみがてんこ盛り……

徒然チルドレン(1) (講談社コミックス)

徒然チルドレン(1) (講談社コミックス)

ということで、若林稔弥先生『徒然チルドレン』のレビューです。大本は、以前連載していた作品の宣伝としてweb上で発表した単発の4コマなのですが、連載作品が終了してしまった後も、気楽に気軽に描けるものとしてpixiv上で同テーマの作品が発表され続けていました。それがこの度講談社の目に留まり、書籍化と相成った経緯がある作品です。


構成は、あるカップルをメインに据えた4コマが、1話につき10本強、ページにして5p前後となっています。舞台はすべて高校なので、登場人物はほとんど高校生(1名のみ高校教師)。まったくどいつもこいつもウブなやつばかりで、なんでこんなに読む者を悶えさせるのか。4コマを1本読むごとに、ニマニマしたりニマニマしたり、あるいはニマニマしたりしてで、基本的にニマニマしながら読んでますよ。

そのニマニマが何に由来するかといえば、男の子でも女の子でも、自分の気持ちを伝えたいのに伝えられなかったり、本気になろうとしてついごまかしちゃったり、相手の気持ちに対して空元気を見せたりといった、心の葛藤がモロに見える点なんですよね。その露骨さというのは明らかに意図的で、それはニマニマを生むと同時にギャグを生んでもいます。

ふらふらふらふらしている気持ちをいざ相手にぶつけようとして、それが思いきっり空ぶったときの肩透かし感。

相手の掌の上で転がされていることに気づかず虚勢を張っている滑稽さ。

自分の気持ちがうまく伝わっていないことがわかってしまっているもどかしさ。

そういったものがドデンと、清々しいまでにわかりやすく提示されているのが、たまらなくニマニマだし、非常に面白いのです。


pixivで発表されていたことは上でも触れましたが、実は単行本発売後も、まるっとそのままpixiv上に作品が残ってます。

pixiv-若林稔弥

太っ腹というかなんというか。

webで全部見られるなら単行本買う必要ないやなどと思ったそこのあなた、それは早合点というもの。単行本にはおまけとして、各話のちょっとした後日談と、登場キャラクターの一コマ紹介があるのです。既に書いたように、舞台がひとつの高校なので、登場人物らがクラスや部活、あるいは血縁関係などで何らかのつながりがあり、おまけでは、本編で登場しなかったそれぞれのつながりが見えてきます。そういうのが好きな私にはなんてご褒美。


まずはpixivを見ていただいて、興味を持たれたら是非単行本も。

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2014-07-29

女子大生がひた走る電子工作色の青春『ハルロック』の話

小さい頃は、できるものならなんでもドライバーで分解して周りを困らせていた少女・向坂晴。分解魔だった彼女も、長じるにつれその性格は鳴りを潜めていたのだが、高校生になってふとしたきっかけで出会った電子工作のおかげで(せいで)、また違った方向に趣味が目覚める。花の青春をハンダ臭い電子工作で孤独に費やしているけれど、本人は楽しいので無問題。さあ今日は何を作ろうか……

ハルロック(1) (モーニング KC)

ハルロック(1) (モーニング KC)

ということで、西餅先生の新作『ハルロック』のレビューです。

電子工作にどっぷりはまり、かわりにいわゆる普通の女の子の楽しみを彼方へぶん投げ去った女子大生・向坂晴の、おかしくも楽しい日々。晴が電子工作に勤しんでは、周囲の人間に驚かれたり引かれたりまれに喜ばれたりしています。

人生の残り時間計測付き3分タイマー。

入院しているおばあちゃんの話し相手として作った音声センサーを組み込んだぬいぐるみ(ただし不良品)。

ツイッターでぼっち発言している人を探し出して各都市におけるその人口比を視覚化するLEDつき地図。

ネガティブなことを考えると自動的に口座から慈善団体へ寄付をする脳波測定装置。

・・・・・・おい、こいつらいったいなんの役に立つんだ。

という疑問は電子工作において禁句。つくって楽しければいいんじゃい!が電子工作の肝なのです。

ネットで探せばたいていのものは見つかり手に入る時代、あえて手作りするのは自己満足でしかありません。が、だからこそ楽しいんです。自己満足最高。

晴ちゃんも作ったそれを使ってどうこうというよりも

電化製品は安く手に入る時代だし 作る必要は別にない

ただ アイデアがほんとうに形になるあの瞬間・・・

ぼんやり過ごしていた日常の中で

それは突然輝き色づいて私の目に飛び込んできた

(1巻 p20)

なのです。目的のための行為ではなく、行為自体が目的。趣味っぽくてすごくいい。

趣味に走りすぎるばかりに母親の怒りを買ったり、同年代の友人がほとんどできなかったりということもあるのですが、それはそれ。大学で授業が終われば1人で秋葉原まで行きパーツ屋巡りかジャンク屋巡り。さもなければ家に直帰して電子工作キャッキャウフフキャンパスライフは陰さえない。

けれど、友達がいなくてもいいというのと必要ないというのは別物。パーツ屋でたまたまあった小学生と本気で友達になろうとするわ、電子工作へ社交辞令的に興味を見せたクラスメートに猛烈な勢いで解説を始めるわ。同好の士はやはりほしいのです。

晴ちゃん空回りかわいい。

また最近は、このテのあまり一般的ではない分野を題材に扱う作品だと、うんちく的なものがもりもり盛り込まれることが多い気がするのですが、本作については基本的にコメディ。使われている電子部品や、今どんな作業をしているかなどの説明はかなりざっくりで、門外漢に詳しく教えるつもりは特段ないようです。というより,そういう姿勢が一つのネタとして機能しているとも言えます。専門用語をまくしたてられて「あ、はい」ってなるちょっと間の抜けた感じ。あのおいてけぼり感はまさに空回りする晴ちゃんですわ。

電子工作をしてみたいと思いはしないけど、それとは無関係に面白い作品。いや褒め言葉としてね?


第一話がこちらから試し読みできます。

ハルロック/西餅-モアイ

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