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2015-05-06

一杯のラーメンから生まれる小さな奇跡『ラーメン食いてぇ!』の話

ウイグル自治区でのロケ中事故に遭い、荒野を一人さすらった末に死を覚悟したグルメ評論家・赤星亘。

最愛の妻に先立たれ、店をこれ以上続ける自信を喪ったラーメン屋の老店主・紅烈土。

いわれのない誹謗中傷に苛まれ、人生に絶望した女子高生・紅茉莉絵。

死の淵にいた三人の人生が、「たかがラーメン」によって導かれ、今一つの小さな奇跡を起こす・・・・・・

ラーメン食いてぇ!(上) (イブニングKC)

ラーメン食いてぇ!(上) (イブニングKC)

ラーメン食いてぇ!(下) (イブニングKC)

ラーメン食いてぇ!(下) (イブニングKC)

ということで、林明輝先生『ラーメン食いてぇ!』のレビューです。

一杯のラーメン。たかがラーメン。されどラーメン。それのために生に絶望し、生に奮い立ち、生をまっとうしようと意気込む。そんな、いっそ馬鹿らしいとさえ言えるような状況を大真面目に描くことで、漫画はここまで面白くなるのかと、目からうろこが落ちるような作品です。それぞれの理由で死を目前にしていた三人が、ラーメンを思いだし、あるいは出会い、一杯のラーメンの下に集うところまで、わき目もふらぬスピード感で描かれ、最後まで読み切った時には爽快感とラーメンの匂いが漂ってきます。

今まで世界各国の美食を味わってきた男・赤星亘。今回もテレビ取材で中国ウイグル自治区和田ホータンへ赴いたのですが、ロケ隊が予算をケチったせいで道中事故に遭い、赤星以外のクルーは全員死亡、一人生き残った彼も着の身着のまま無人の荒野に放り出され、三日間彷徨い続けました。しかしいよいよ体力も尽き、大地にその身を横たえ、天空から彼を狙う猛禽に我が身を差し出す心づもりになったのです。そっと目を閉じ命の火が消える一瞬を待つその時、彼の脳裏をどうしようもない衝動が貫きました。

「清蘭のラーメンが食いてぇ!」

以前取材で訪れた、群馬はT市にあるラーメン屋・清蘭。なぜだかわからないけれど、それが食べたい。食べたくてしょうがない。食べずにはいられない。

猛烈な食欲に突き動かされて、彼は再び気力を吐き出し、不毛の大地で歩を進めだしたのです。

同刻・日本は群馬のT市。清蘭の入ったビルの屋上で、一人の老人が虚ろな目をして座っていました。彼の名は紅烈土、清蘭の店主です。しかしその清蘭は現在長期休業中。かつては名店として名を馳せた清蘭ですが、紅と共に店を切り盛りしていた彼の妻・圭子が亡くなって以降、見る見るうちに客足が離れてしまったのでした。圭子が死んで、紅は初めて気づきました。紅が麺を打ち、圭子が調理したものこそ、清蘭のラーメンと呼べるものなのだと。

紅曰く、「類まれなる食欲の持ち主」だった圭子は、「1日200食以上作るラーメンのそれこそ1杯1杯のいちいち全部を 自分が食いたいという想いで作っていたふしがあ」る、「純粋にラーメン好きの“とんでもない食いしん坊”」であり、そんな彼女が調理してこそ、清蘭のラーメンだったというのです。

でも、そんな彼女はもういない。客足は途絶え、見る影もなくなってしまった店の屋上、気力の萎えきった紅が、圭子の下へ行こうと今にも宙へ身を躍らせるその瞬間、一本の電話がかかってきました。

その電話から遡ること数時間、茉莉絵は、自室のベッドの上で手首を切り裂いていました。親友だと思っていたコジマが、学校の裏サイトで流していた、自分が売春をしているという根も葉もない誹謗中傷。根も葉もなかろうと、面白そうだからという理由で、周りもやっているからという理由で、悪意なく悪に傾くクラスメートたち。絶望のままに孤立した茉莉絵は、衝動的に割ったグラスを手首に振り下ろしたのです。紅への電話は、茉莉絵の危篤と、輸血の協力を伝えるものでした。

我に返った紅は病院へ急ぎ、彼や他の家族の輸血によって、茉莉絵はなんとか一命を取り留めました。悪夢に魘されていた茉莉絵は意識を回復させると、傍らに居た紅から促されるまま、彼手製の塩スープを一口飲んだのです。するとどうでしょう、彼女の意識の中に今まで見たことも無いはずの人たちが立ち代わり現れ、ぐるぐると渦を巻き、細胞の一つ一つに浸み込むようにして、全身にスープと気力が行きわたったのです。

未知の体験に心を震わせた茉莉絵は退院後、彼女からの電話で我に返り自殺を止め、ラーメン屋を再起させようとした紅に会いにいき、自分が祖父の跡を継ぐと宣言しました。こうして、失われかけた清蘭のラーメンに復活の灯がともり、その灯を目指すようにして、赤星は足を引きずるのです。

日本では、紅による茉莉絵へのラーメン伝授が始まり、その中で、彼女に欠けている、でも清蘭のラーメンにはなくてはならないもの、すなわち特異なまでの食欲の重要性が露わになっていきます。それを彼女がどうやって手に入れるのか、という方向で話が進みます。

一方ウイグル自治区では、赤星は偶然そこを通りかかったタジク族の遊牧民に助けられ、なんとか日本に帰る目星をつけることができました。体力を回復させ、中国大使館と連絡をとれる場所に行くまでの数か月の間、彼は、生きることについて、自分について、世界について、厳しい自然の中で見つめ続けます。

日本とウイグル。二つの離れた場所で、最高のラーメンを手にするためそれぞれの人間が足掻き続け、それが最後には、一杯のラーメンへと導かれ、一つの小さな、でもとても大事な奇跡として集約するのです。これがわずか9話という少ない話数の中で一目散に駆け抜けていく。

最終話で作られた一杯の塩ラーメン赤星がそれを食べるためにウイグルから奇跡の生還を果たした塩ラーメン。それを食べるときの彼は、美味しいというよりも、幸せというよりも、満足。ただひたすらの、充足。見失っていたピースをぴったり埋めてくれた、途方もない充実感。そして、それを作った茉莉絵らが得たもの。ラーメンの温かさのように、それらが私の心にも満ち溢れてきました。これは実に素晴らしい漫画です。

上下巻それぞれに、『傘がない!!』『宇宙人かよ!』も収録されていますが、こちらもスピード感あふれる読み応えのある作品。買って損のない二冊となっています。

現在、第1話を試し読みできますので、まずそちらをどうぞ。

モアイ ラーメン食いてぇ!/小林明輝

今年のマストバイです。

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2015-04-29

『GIANT KILLING』ハレの場であるスタジアムの話

雪辱に燃える大阪ガンナーズとの、一進一退のアウェー戦が描かれる『GIANT KILLING』35巻。

GIANT KILLING(35) (モーニング KC)

GIANT KILLING(35) (モーニング KC)

既に35巻の長きにわたる連載ですが、相変わらず、読んでいて相手に点を許せば愕然とするし、こちらが点を入れれば興奮する。まるでスタジアムにいるかのような臨場感はいささかも衰えません。

スポーツ漫画を特段読むわけではないのですが、それでも本作の、ゴール決まってうれしい!ゴール決められて悔しい!という感情の強さは、頭一つ抜けているものだと感じます。では、本作の一体どのような点が、そのような臨場感をもたらすのでしょうか。

なにより重要なのは、特に点を決めたシーンですが、シュートをしたプレイヤー、周りのプレイヤー、監督やコーチ、そして観客らと、試合に関わっている人たちがみな、点が決まったその瞬間に、身も蓋も無く心からの大喜びをしているシーンをきっちり描いている、ということでしょう。やはり、漫画を読んでいてある感情が読み手の中に湧出するときというのは、作中でもそのような感情が描かれているときです。登場人物たちが思いっきり喜んでいるから、読んでいる私たちも喜べる。感動に身を打ちふるわせているから、私たちも思わず涙をこぼす。そのような感情の動きは、極めて自然なものです。

そして、また重要なことは、本作はサッカーの試合をまさに興業の試合として描いている点です。ただプレイヤーたちがボールを蹴り合うだけではなく、指導する人がいて、戦術を立てる人がいて、試合をセッティングする人がいて、取材をする人がいて、応援する人がいて、と、一つのボールの周りを十重二十重と取り囲んでいる人間たちがいて、その結晶として一つの試合が行われていることがわかるのです。

では、それらが何を意味するのか。

それは、サッカーの試合という興業が、日常から離れた、ハレの場であるということです。

現実では、人前で感情をおおっぴらにする機会はあまりありませんし、そもそもそうそう許されるものでもありません。泣くでも笑うでも怒るでも悔しがるでも喜ぶでも、それをするときにどうしても一目は気になりますし、場を弁えた感情の表出にならざるを得ないものです。連続性のある日常であるケの場では、その連続性を脅かすような、極端な感情表現は好まれません。

ですが、日常の生活の場から離れ、スタジアムという特別な場に赴き、普段の服を脱ぎ捨ててユニフォームを身に纏う。そこはもう、ハレの場、日常から乖離した祝祭の会場です。いくら大声を出しても、いくら感情を爆発させても、それがその場のルールに則ってさえいれば何も問題ありません。

頬にペイントを施し、見知らぬ人と肩を組み、大声で歌を歌う。そんな、日常ではありえない光景も、スタジアムに行けば容易にみられるものです。選手も観客も、決まったゴールには大声で歓声をあげていいし、相手に決められれば絶望に呻いてもよい。それが許されるのがスタジアムなのです。

ハレの場であるスタジアムを漫画の中で成立させているからこそ、選手やサポーターたちの感情の爆発が素直に受け入れられ、同時にその感情を我がものとして、あたかも自分もスタジアムの観客席にいるかのように感動する。他にもいろいろあるかとは思いますが、これが一つの要因として、『GIANT KILLING』の感情移入の大きさが生まれているのだと思います。シーズンも終盤に差し掛かり、どんな結末が待っているのかいよいよ期待が高まるところですが、きっとどのような結果であれ、私はそれに深く没入しているのでしょう。マジ楽しみ。

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2015-04-24

五人の作家によるそれぞれの蟲の物語 『蟲師 外譚集』の話

蟲。それは、私たちが普段知るものとは別の形をした命。より生命の現生体に近いもの。此処にも、其処にも、彼処にも、到ところに蟲はいるけれど、それを見ることのできる者は少なく、共に在る術を知る者はさらに少ない。

蟲と共に在る術を知る者、人は彼らを蟲師と呼ぶ。

古来より蟲師は、蟲と人との間で生きてきた。昔もいるし、今もいる。蟲と、蟲師と、蟲に触れた人達を、五人の作家が描き出す……

ということで、漆原友紀先生『蟲師』のトリビュート作品集『蟲師 外譚集』のレビューです。

五人の作家が紡いだ五つの蟲の物語。

蟲師を騙ったある男が招いた悲劇とその末路を描いた「歪む調べ」(熊倉隆敏)。

鄙びた温泉地へ案を練りに訪れた漫画家と寡黙な青年が出会った「滾る湯」(吉田基已)。

夕刻の海で少女が見つけた蟲と蟲師「海のちらちら」(芦奈野ひとし)。

少女が彷徨う誰もいないの秘密「組木の洞」(今井哲也)。

行方不明の母親の捜索を頼まれた探偵が近づいた、蟲と一人の孤独な男「影踏み」(豊田徹也)。

普通の人には見えない蟲。でも、それの存在に気づいたときもさほど驚くことはなく、蟲は緩やかに日常の中に入り込み、そしてまた過ぎていく。日常と非日常は薄皮一枚隔てたものでしかないとでも言うように、容易く日常と同化して、薄皮一枚が必ずあるとでも言うように、また目の前から去っていく。

時として人は、手の触れられないそれに憧れ、求め、楽しみ、悲しみ、惑わされ、騙され、連れ去られ、放り出される。でもそれは、誰が悪いわけではない。善い悪いではない。それはそういうものなのだから。人と違う理で存在するものに、人の規矩を当てはめてはいけない。人が知るべきは、その扱い方ではなく、それとの付き合い方なのだから。

五者五様の物語であるけれど、そこに漂う空気には共通するものがあります。それは、どこか浮世離れした空気。彼岸此岸を渡る風。山深き廃村で暮らす一人の男の下にも、朗らかな田舎の温泉場にも、風遊ぶ夕暮れ時の海辺にも、がらんどうの新宿駅にも、健康な夏の日にも、人と人ならざるものを繋ぐ縁となる空気が漂っているのです。後味の良い物語にも悪い物語にも、それが確かにある。そしてそれは、原作にもある空気。

この作品集は、原作を知らない人でもきっと楽しめるでしょう。実際、原作に登場する主人公ギンコは、「海のちらちら」の中でそれらしい人物がほんの少し登場するだけで、五作ほぼ全編にわたって、原作の要素を取り入れつつも、参加者独自の物語となっています。蟲という、人などよりもいっそう根源に近いところにいる生命体について思いを馳せられるのであれば、そこで描かれる人が誰でなければいけないということはないのです。

描く人は違っても作品が含む空気は似ていて、それだけ各参加者がこの作品の空気を感じ取っていたということでしょう。

こんな穏やかな春の晩に読むと、何かいるのではないかと、思わず窓の外の闇を見てしまいますね。

蟲師』を知っている人にも知らない人にも、お薦めです。

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2015-04-19

『わがままちえちゃん』歪んだちえの現実と彼女の理の話

先月発売された、志村貴子先生の『わがままちえちゃん』。

主人公の夢と妄想と幻想がシームレスに錯綜するこの作品は、一読してどう解釈していいかわからないものとなっています。それをどう読み取ればいいのか、私なりに考えてみたいと思います。当然読んでいること前提ネタバレ上等の記事となりますので、さあ未読の方は本屋に走るかamazonでポチるんだ。

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2015-04-12

私だけの悪魔を探す、ある少女の旅『フラウ・ファウスト』の話

ファウスト博士。それは、悪魔メフィストフェレスと契約し、悪徳の限りを尽くした一人の伝説の男。多くの人間が知る、おとぎ話フォルクスメルヒェンの登場人物。けれど、少年マリオンが出会った、少女ヨハンナファウストこそ伝説上のその人だった。彼女の目的は、教会によって封じられたメフィストを解放すること。街々をさすらい、メフィストの跡をたどる彼女と、彼女に付き従い知識を得ようとするマリオン。二人の旅路は、悪魔の復活を阻止しようとする教会のために、決して安楽なものとはならない。ヨハンナメフィストを解放したとき、いったいそこには何があるのか……

フラウ・ファウスト(1) (KCx)

フラウ・ファウスト(1) (KCx)

ということで、ヤマザキコレ先生『フラウ・ファウスト』のレビューです。やはり現在連載中の『魔法使いの嫁』同様、魔法や悪魔が存在する世界のファンタジーとなっております。

ファウストと言えば、ゲーテによる戯曲ファウスト』があまりにも有名ですが、もともとは中世ドイツに実在していたとされる人物で、その生涯から、ゲーテ以外にも多くの人間の手によって作品のモチーフとなっています。

参考:Wikipedia-ヨハン・ファウスト

本作もそのファウスト伝説の系譜に連なる作品。ヤマザキ先生はファウストを女性とし、封印されたメフィストを解放させるための旅をさせました。

伝説上の人物・ファウスト博士。曰く、頭はいいが強欲。悪魔メフィストと契約し、数多くの悪事を働く。その実態は、膨大な知識欲を抱えた一人の女性でした。己の知識欲を満たすため、悪魔の力を用いる。ただしその力は、あくまで実験や蒐集の手助けのみに用いられ、知識を学びとることそのものは自身の手によって行っていました。

そしてそれは、今から100年余りも前の話。当時は大人の姿だった彼女は、少年マリオンと出会った時、彼より少しばかり年上の、少女と言って差し支えない身体となっていました。教会の異端審問官は、ヨハンナを100年前に死んだはずと言いました。死んだはずの彼女。若返っている彼女。致命傷を受けても傷がふさがる彼女。彼女が死んだとされるとき、そしてメフィストが教会によって封印されたとき、いったい何が起こったのでしょう。彼女とマリオンの旅は、彼女の過去に近づく旅でもあります。

世の噂話では悪行の限りを尽くしたとされるファウスト博士ですが、噂と現実が違うのは世の常。知識欲の充足のために余人には推し量りがたいこともしていた彼女ですが、単純な善悪の物差しを当てはめることが難しいことも多かったようです。たとえば、収穫量が多いかわりに人体に害をなしうるかもしれない麦を、飢餓に苦しむ村に渡したこと。人造生命を造ったこと。それは、あるいは人の道にから外れることかもしれないし、神の教えに反することかもしれない。しかし、それによって救われた人や、それによって生み出された存在は、果たして彼女を恨むのでしょうか。

また気になるのは、彼女とメフィストの契約です。悪魔と契約をすれば見返りを要求されるのは必定で、彼女が譲り渡すものも、例に漏れず魂であるようです。ですがそれは、いつメフィストの手に渡るのでしょう。

人生の不充足を感じていたゲーテファウストは、この世の美しさを実感し、「時よとまれ、汝は美しい」と言ったときに魂を譲り渡すものとされました。では、ヨハンナは? 歯を食いしばりながら件の麦を渡した後に、彼女がメフィストに言った「簡単に堕ちると思うな」という言葉に、なにか秘密がありそうです。

そもそもなぜ彼女はファウストを復活させようとしているのでしょうか。本人曰く、「あいつをシメ」、「あの人間をバカにしたような無駄にいい顔をぶん殴って這いつくばらせたい」というのですが、その言葉を額面通りに受け取るには、彼女が一人の時に見せる姿が感傷的に過ぎるように思えます。100年の時をかけてメフィストを捜し歩く彼女の胸中には、一方ならぬ思いがあるようです。

そして、彼女の知識に憧れ旅を共にする少年マリオン。ヨハンナと同じく知識欲に溢れる彼は、いわば過去の彼女。ヨハンナのすぐそばで彼女の人となりを知り、彼女の知識に触れるマリオンは、悪魔と契約をするような少年になるのでしょうか。それとも、ヨハンナとはまた別の道を見つけるのでしょうか。

第一話の試し読みは、以下のリンク先で。

フラウ・ファウスト-ヤマザキコレ

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