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2014-03-29

男と女のSFでエログロでナンセンスな掌編集 『幻想ギネコクラシー』の話

ギネコクラシー」。それは、「女性上位」「女権社会」を意味する言葉。古来、まだ人の社会がささやかな規模であった頃、それは女性を首長とする穏健な集団であったという。だが、社会が複雑になり、集団同士が相争うようになると、首長の座は男性にとって代わられていった。これは、人々の生活がまだ牧歌的であったことの記録である……(嘘です)

幻想ギネコクラシー 1

幻想ギネコクラシー 1

ということで、沙村広明先生『幻想ギネコクラシー』のレビューです。

とりあえず嘘あらすじから始まりましたが、「ギネコクラシー(gynaecocracy)」 の意味は本当です。

作者曰く

自分の漫画の傾向として女性キャラが男性キャラを下に敷くようなものが多い気がしたので、このシリーズもどうせそうなるだろうと思い連載途中で付けました。

(「あとがき」より)

とのこと。

女性が男性を組み敷いているかどうかはともかく、恋愛を軸にした男女の関係性にSFとエログロとナンセンスをないまぜにして出来上がった短編集が、本作です。

巨大な水槽の中で果物と一緒に浮かぶ、白痴の美少女。

童貞のまま40歳を迎えたことで妖精の国の女王と婚姻する資格を得た男。

男が宇宙船でたどりついた先の異星にただ一人いた、謎の美女

悪魔的な画風の作家の絵に取り囲まれて暮らす、地主の未亡人とその娘。

そんな幻想的でもあり妄想的でもある物語が全12編。しょうもない話だと思いきやほっこりまとめたり、逆にちょっといい話っぽく始まったと思ったら圧倒的なくだらなさの下に終わったり、あるいは徹頭徹尾退廃的な空気のままに話が進んだり、くだらなさをくだらなさで煮しめたくだらなさの塊だったり。バラエティに富んだ作品群となっています。

ページ数は、最初と最後の話を除けば8p(ちなみに、その両話は「幻想ギネコクラシー」クレジットの連載とは別枠のようです)と、短編というより掌編で、突飛な設定を一気にぶち上げて、そのまま投げっぱなして終わるものが多数。オチていないという意味ではなく、余韻も無しにぶった切るようにして物語にエンドマークを付ける感じです。でも、掌編はそういうものの方が好きです。「楽園からのハッピーバースデー」の唐突なオチなんか相当いい。

私が好きなのは「鳳梨娘」。上で挙げた「巨大な水槽の中で〜」のお話ですが、白痴の少女を巡る悲しくもグロテスクな物語と、救いが無いようであるのかよくわからんラスト。最後の最後の一言の投げやりさがなんかもう身も蓋も無い。帯の惹句に「身も蓋も無い話を描かせたら当代随一」とありますが、こういうところなのでしょう。

あと「コップと泥棒、その妻と愛人」のおっぱい揉むシーン、普通にエロくてよいです。

クレイジー(notカオス)な掌編集をお望みの貴兄に。

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2014-03-15

悩める生徒が駆け込む単眼系保健医『ヒトミ先生の保健室』の話

ヒトミ先生は中学校の養護教諭。彼女の保健室には、今日も多くの生徒が訪れます。長く伸びてしまった舌(3m強)、大きくなってしまう/小さくなってしまう身長、簡単に外れてしまう体の各部位、周りの目が気になって透明になってしまう自分の身体。思春期の少年少女が抱える体と心の悩みを、ヒトミ先生はその大きな単眼で優しく見つめ、相談にのってくれるのです……

ヒトミ先生の保健室 1 (リュウコミックス)

ヒトミ先生の保健室 1 (リュウコミックス)

ということで、鮭夫先生の初単行本『ヒトミ先生の保健室』のレビューです。モノアイの養護教諭(いわゆる保健医)のもとに、やれ舌がのびた、やれ身体が透明になったと、思春期の子供なら誰もが抱える、他人とは違う自分の体の悩み、そこから生まれる心の悩みを抱えた生徒らがやってくる。そんなお話です。

「誰もが抱える」の文言で首を傾げた方も多いでしょう。舌伸びねえよ、体透けねえよ、と。けれど本作の中では、そういう身体の変化や他人との差異は、当たり前のものとして存在しています。それをよく表しているのがこのページ。

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(1巻 p91)

本当は見開きですが、サイズと倍率の都合で1ページだけ。ヒトミ先生と父親が出かけたデパートには、翼がある者、尻尾がある者、角がある者、風船のように宙に浮かぶ者、ライオンのような顔を持つ者と、多種多様の人ばかり。しかも、皆楽しそうに歩いている。他人と目に見えて違うところのある自分。それを受け入れている人々が暮らしている世界です。

とはいえ、他人と違う自分にそれでも悩んでしまうのが思春期のサガ。それは、自分は他人と違うと思い込みたい(元々の意味での)中二病と背中合わせの感情ですが、どちらの形で発露するかは人それぞれ、こじらせたらまずいのは病気と同じだし、多くの人が程度の差はあれ発症し、大人になってから罹ると影響が大きくなってしまうのは、おたふく風邪などもそうです。なものだから、それが顔を見せたら早めに誰かに相談するのがよい。病気は罹りはじめが肝心。どうしようもならなくなる前に、ヒトミ先生の保健室へGOだ。

この作品で唸らされるのは、キャラクターの畸形さの描き方です。畸形さ、こう言ってよければ、フリークスさを実に当り前に描いているのです。ヒトミ先生のモノアイからしてそうですが、舌が3m伸びる少女とか、体がバラバラになるゾンビ少女とか、身長3m以上の少女/1mの少女とか、相当フリークス。にもかかわらず、そのかわいらしい絵柄と、それ以上に、誰もがその畸形さを、せいぜいちょっと髪が茶色い程度のものとしか思っていない、徹底された「当たり前」な態度の描き方のおかげで、作品に絶妙なバランスをもたらしています。

これが普通の少年少女のお悩み相談であれば、私もさほど面白いとは思わなかったでしょう。ですが、登場人物らの悩みが、読み手の私にとってみれば非常に重大で(3mの舌にはなりたくない)、にもかかわらずヒトミ先生の態度が普通に普通。そこにぐっと引き込まれるのです。一線越えた向こう側の、「当たり前」がこちらとは違う世界で描かれる、こちらと同じ人間の悩み。素晴らしい匙加減。

しかし、本作の裏表紙では悩みを抱えた女生徒らを「長舌系女子」「不死身系女子」「巨躯系女子」「短躯系女子」「透明系女子」とラベリングしているのですが、主役の単眼系女子ヒトミ先生も含めて、小さい子が迂闊に読めば妙な性癖が目覚めかねないようなラインナップ。『セントールの悩み』『モンスター娘のいる日常』などの系譜に連なる人外系漫画と言えましょう。まったくCOMICリュウは攻めますね。

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2014-03-06

『銀の匙』知識の「闇ナベ」の話(縦横につながる学問の話 その2)

妙なタイミングの発売だなと思ったら、実写映画の公開にあわせてなんですね、『銀の匙』。

銀の匙 Silver Spoon 11 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 11 (少年サンデーコミックス)

進級を間近に控え、八軒たちがいよいよ寮から離れることとなった11巻。引っ越しの荷物整理をする中で、男子の部屋からは、備えておいたはいいもののすっかり存在を忘れていた保存食が続々と見つかります。引っ越し先に持ってくのは面倒くさいし、かといって捨てるのももったいない。結果、彼らが考え付いたのは楽しい処分方法。すなわち闇鍋。

もちや米、コーン、肉などの安牌どころはともかく、豆科牧草、納豆、イカの塩辛、熊の胃、ヨーグルト(男湯に沈めて発酵)、ジンギスカンキャラメルなどの劇薬レベルのものまでぶっこまれたモザイク処理必至のソレに、男(漢)たちは覚悟をもって箸を突っ込むのですが、意外や意外、びっくりするほど美味い。

彼ら曰く「俺たちには闇ナベの才能が無い!」。

とまあ、一年間バカなことをやってきた男子どもを見て、嘆息交じりに女子らが言います。

「あいつら単体ではアホばっかだけど、集まるとたま〜に妙な天才力を発揮するよね。」

「普通アホ同士ってのは「混ぜるな危険」よね。」

「「「「「なに?」」」」」

いや、あんたら闇ナベみたいだなあって。

(11巻 p139)

その言葉を聞いた男子たちは悪口を言われたかと被害妄想に囚われますが、文脈的にはこれは、むしろ褒め言葉。なんかようわからん奴らが集まって、なんか知らんけど妙にいいものができる。それがこの場合の「闇ナベ」。

さて、このシーンを読んで思い出したのが、以前自分で書いたこの記事。

そして、様々な分野を研究していると、ある分野において、一見まったく関係のなさそうな分野の考え方が使えることに気づくことがあります。ある体系の中に異物とも呼べるものが闖入することで、それまで見過ごされてきた糸口が見つかることがあるのです。

『銀の匙』縦横につながる学問の話 - ポンコツ山田.com

ここでは、既存の体系への異物の闖入という話でしたが、そこが体系でなくとも、いや、体系でないからこそ、全く関係のなさそうなもの同士が出会うことで、「闇ナベ」のように、予想もしなかった面白いものを生み出すことがあるのです。

記事自体は二年前ですが、最近読んだ故スティーヴ・ジョブズについての記事でも、これと通ずることが書かれています。

「半年もすると、そこに意味を見いだせなくなりました……ドロップアウトした瞬間興味のない必修科目とはおさらばして、面白そうな授業に潜り込むようになりました」。ジョブズカリグラフィの授業に潜り込んで「その面白さに魅了された」と語る。

「これらがわたしの生活になんら役に立つはずもありませんでした。ところが10年後、最初のマッキントッシュをデザインしているときにそれが戻ってきたのです。もっていた知識をすべてMacのなかに盛り込みました。それは美しいタイポグラフィを内蔵した初めてのコンピューターとなりました。あの授業に潜り込むことがなければ、Macがマルチプルタイプフェイスも非固定ピッチフォントも手にすることはなかったでしょう。そしてウィンドウズがそれをコピーしたことで、それをもたないパソコンは存在しないまでになったのです」

もし大学をドロップアウトして、カリグラフィの授業に潜り込むことがなければ、コンピューターが「美しいフォントをもつことはなかったかもしれない」と、彼は語る。

「これらの点を未来に向けて繋げることはできません。過去を振り返ることでのみ、それらが繋がっていることがわかるのです。ですから、これらの点がやがて未来で繋がることを信じていなくてはなりません。何かを信じなくてはいけません。根性、運命、人生、業、なんでもいいんです。なぜならいずれ点が繋がると信じることが、己に忠実に生きる自信を与えてくれますし、たとえ月並みな道から足を踏み外したとしても、それは大きな意味をもってきます」


ハングリーであれ、愚かであれ – ジョブズが遺した14のレッスン【14】 from 『WIRED』VOL.2

カリグラフィとコンピューターという、一見無関係なものが出会ったケミストリーによって、Macのマルチプルタイプフェイスや非固定ピッチフォントといったものが生まれ、そしてそれは、いまや世界中のパソコンに浸透しているのです。思いもよらないものが出会う知識の「闇ナベ」は、時として世界規模の発明すら生み出します。

また、「これらの点を未来に向けて繋げることはできません。過去を振り返ることでのみ、それらが繋がっていることがわかるのです」というジョブズの言葉は、学校という場で学ぶことそのものに繋がってきます。

学校、特に義務教育である小中学校では、多くの生徒が、今現在自分が学んでいるものが将来どんな役に立つのかわからないまま、勉強に向かっています。しかしそれは当然のことなのです。今現在の自分、すなわちまだ10代前半の人間にとって将来何が役に立つかわかるほど、人生は単純ではありません。

国語の文法が何の役に立つ、社会の歴史が何の役に立つ、理科の化学反応式が何の役に立つ。そんな疑問に答えられるわけはないのです。だって、将来それぞれの生徒がどんな人間になるか、誰もわからないのだから。

だから、あえて答えるならこうなるでしょう。

「なにが役に立つかわからないのだから、やっておけ」

ついでにもう一言言っていいのなら、こう言ってやるでしょう。

「なんだ、お前の人生は15歳の今でどうなるかわかってしまうものでいいのか」

未来の自分に役立つもの。それは現在から未来を見てわかるものではありません。ジョブズの言葉通り、「過去を振り返ることでのみ」(未来における)今の自分に何が役立っているのかわかるのです。

また、八軒の担任・桜木は11巻でこんなことを言っています。

学校ってのはさ八軒、おまえらのためにある畑なんだよ。そりゃ規則があって窮屈な所もあるけど、どこ耕してもいい宝の畑だ。

頭で学ぶも良し。胃袋で学ぶも良し。筋肉で学ぶも良し。機械から学ぶも良し。動物から学ぶも良し。人から学ぶも良し…

そういう人たちとのつながりを作るのに丸々3年費やしても良し。どこを耕すかは自由だ。

(11巻 p98,99)

この言葉は、額面通りに受け取っても十分大事なのですが、これが学校という場についてのものだと考えると、その裏側も非常に重要になってきます。つまり、学校というものが大人数で一定の作業を共同で行う場である以上、何かを意図して学ぶその傍らで、意図しないで学んでいるものもある、ということです。

桜木先生の言うとおり、学校は、各人が「どこを耕すかは自由」になっている場所で、当然自分と違う分野を耕す人間がいるわけです。文系理系のクラス分け、部活、委員会、小中学校の先輩後輩など、クラスや学年を越えた人間関係は見つけようと思えば意外に見つかるもので(実際に八軒は、「断ら(れ)ない男」の異名を背負うこととなった振る舞いのおかげで、科の違う上級生にも多くの知己を得ています)、そういうつながりを通じて、自分だけでは目のいかなかった分野に興味を持ったり、知識を教えてもらったりできるのです。そういえば八軒も、11巻の中で「人のつながりって作っておくもんだなぁ…」(p76)としみじみ言っていますね。

意図しないものを意図しない形で得ることができる場所。それが学校だと思うのです。

無論のこと、得たものが将来役に立たないこともしばしばあります。今から学生時代を振り返って、「あれが何の役に?」と思うことも多々あるでしょう。けどそれもやはり、今現在という時点から過去を振り返ったときに、繋がっていないということであって、今からさらに未来を考えれば、どうなるかわかりません。畑の土作りが何年もかかるように、過去に蒔いた知識の種が芽を出すのも、今ではなくもっと先かもしれないのです。

ま、もちろん死ぬまで芽が出ない可能性も十分にあることも確かなのですが。

なんでもかんでも勉強すればいいってものではないけれど、興味があるもの、面白いと感じたものには精力的に取り組むと、それをやって楽しい今だけでなく、未来にも何か芽が出るかもしれませんね。

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2014-03-04

二人の男が恋仲になるまでの、断片的な日々の記録『スニップ,スネイル&ドッグテイル』の話

真面目で人付き合いの苦手な峰。社交的で自由な雰囲気を持つ安城。まるで性格の違う二人は、いつしかお互いに惹かれ始める。そんな二人が,出会ってから恋人同士になるまでの8か月を断片的に,しかもバラバラに描いた物語・・・・・・

ということで、ヤマシタトモコ先生『スニップ,スネイル&ドッグテイル』のレビューです。

峰も安城も元々ノンケの人間。少なくとも、同性愛者であるとは明言されていません。特に安城は、峰と出会う時点で彼女もいました。それが出会うやいなや、お互いも周囲の人間も驚くほどに親密になっていきました。もちろん当初は、二人ともただの友達のつもり。一緒にご飯を食べたり、どこか遊びに行ったり。友達友達

でも、どこかなにかいつのまにか、少しずつ道が曲がり始める。峰は意識しながら、安城は意識しないままに、二人の距離は友達のそれを超えて近づき始めた。周囲の人間もそれに気づき出す。峰の上司。あるいは安城の彼女。偶然なのかそうでないのか、両者とも女性なのですが、峰の、あるいは安城の変わり始めた雰囲気を察する。安城と彼女の間には不和が生じ、結局二人は別れ、安城はフリーに。戸惑う気持ちを抱きつつ、本当に自分は峰に対してそういう気持ちを持っているのかと探りながら、ついに安城はある種の期待と覚悟を持って,そのことを峰に告げた。

こうして二人は恋仲になるのですが、この作品の面白いところは、これら一連の出来事の時系列がシャッフルされている点です。二人が出会うのが2011年10月9日で、エピソードの最終日が2012年6月27日なのですが、作中で最初に描かれている日が、この時系列の最後の日となっています。だから読み手は、まず最新の二人の関係性を知ることになる。その上で、どういう過程をたどってそういう仲になったのかを、パズルのピースを繋ぎ合わせるように、理解していくのです。

言ってしまえば、初見で流れを理解するのは難しい。巻末に時系列と掲載ページの対応表は載っていますが、それを見ながらページを何度も繰るのは、正直面倒くさいです。でも、何度もページを繰るとは、何度もそのシーンを見返すということ。流れを追いながらシーンを見返すていると、それまで見過ごしていたことがふと浮かび上がってきたりもします。もともとこの二人の関係の進展は、派手な何かが起こるわけではありません。気がつくといつの間にか。自分自身が不思議に思うほどに、感情の水位が高まっているのです。

これはあれ、読み返せば読み返すほど味が出てくる作品。エピソードが細切れになっているだけに、派手なカタルシスは生まれないけれど、ピースを色々と組み合わせながらパズルができあがっていって、そして一枚の絵が完成するような、そんな作品。

ちなみにタイトルの由来はマザーグースの歌。


  What are little boys made of?

  Snips and snails,

  And puppy dog tails,

  That's what little boys are made of.


  男の子は何でできてるの

  ぼろきれやかたつむり

  あとは子犬のしっぽ

  そんなものでできてるよ


「砂糖やスパイス、それにステキななにもかも」でできている女の子に比べ、ずいぶんと意味のないがらくたばかりでできてる男の子。そんなものを喜ぶ男の子。この作品の二人の関係からは、そんなこどもっぽさ、無邪気さが感じられます。いいタイトル。

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2014-02-28

あなたの知らない北海道農家の世界 『百姓貴族』の話

北海道。それは広大な土地が広がる北の大地。我々本州人には想像も出来ない過酷な世界が存在している。漫画家荒川弘はそこで産声を上げ,そして育った。父方母方,ともに代々北海道の開拓農民の血筋という,濃縮100%農民が描く,農業エッセイ漫画・・・・・・

百姓貴族 (1) (ウィングス・コミックス)

百姓貴族 (1) (ウィングス・コミックス)

ということで,荒川弘先生のエッセイ漫画『百姓貴族』です。

作者自身が生まれ育った北海道での,門外漢には思いもよらない農業エッセイ。自分の知らなかった世界を見せてくれる作品(たとえば,鉄工所を舞台にした『とろける鉄工所』とか)はとても面白いものですが,本作もその系統。農家の生活ってだけでもそう近いものではないのに,それに加えて舞台は北海道。本州住まいのサラリーマン家庭に育った私には相当遠い。

基本,野菜はタダ(含む物々交換)。クマが出ると遠足延期。動物を見る基準は食えるか食えないか。小さい頃から大特を乗り回してる(@私有地)。「農家の常識は世間の非常識」という言葉が作中に出てきますが,そんな感じ。一般家庭には,家に帰ったら近所で獲れた鹿の脚がお裾分けとして血の滴るまま転がってたりは,しない。

そして,農家あるある(=一般人にとってのなんだそりゃ)の面白さとはまた別に,荒川先生のご家族がまたクレイジー。この人らを農家あるあるの代表例として挙げたらさすがにまずいんじゃ・・・・・・と思ってしまいます。

特に父。

車で堤防を上っていたら,上り切ったところにある橋が増水のせいで半壊しており,そのままあわや転落というところ,あえてアクセルを全開にして水路を飛び越える。

子供の手が機械に巻き込まれてしまい左手の指二本はほぼ皮一枚残してプランプラン状態だったので,病院に連れて行く・・・・・・ということはせず,自家製の治療法でほぼ完治させる。

郵便局から中古バイクを貰ってきて子供に無理矢理乗せて,当然出来ない子供に対して「なぜ出来ないんだ!」とキレる。

たぶん,掘れば掘るほどろくでもない(褒め言葉)エピソードが出てきて,ある程度まで行くと逆に引いちゃうようなやつばかりになるのでしょう。たぶん,この人を基準にしてはいけない。

とまあエッセイ漫画としても非常に面白いのですが,それ以外にも,現在連載中の『銀の匙』のバックボーンとしても興味深く読めます。同作の八軒同様,荒川先生も農業高校の出身で,そこでの思い出も描かれているのですが,『銀の匙』に通ずるエピソードがいくつもあるのです。

たとえば『銀の匙』1巻で,部活後に寮で卓球をしている駒場とタマ子に「なんでそんなことができる余力があるんだよ!」と八軒が叫ぶシーンがありますが,これは荒川先生の実体験の様子。ただし,叫ぶ八軒ではなく,部活後に卓球をする二人の方で。農家の体力怖い。自分が高校生だったときを思い返してもきっついな。文化部だったし。

銀の匙』では,駒場牧場の破産に対し,クラスメートが(八軒から見れば)非常にドライな態度をとっていましたが,あれも,農業を実地で見ていた人間だからこそ,素直に描けたものなのでしょう。大自然を相手にしていれば,いつ何時理不尽な目に遭うかわからない。それは,経済的にも,身体的にも。理不尽は誰にとっても明日は我が身。それゆえ,誰かの理不尽な不幸を悲しみはするものの,ある種の諦念とともに受け容れてしまう。

そんな農家の振る舞い・処世術が,『百姓貴族』のコメディの裏に潜んでいるように感じられます。たぶん。

私たちの知らない北海道農家の世界がここにはあるのです。

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人ならざるモノと,それを殺すモノ 誰がために羊は死ぬのか 『白暮のクロニクル』の話

【オキナガ -息長-】

それは人間とよく似た,けれど不老不死の種族。現在の日本には推定10万人が存在。多くは厚生労働省の管理下にあるが,基本的には一般社会に溶け込んで生活している。

ある日,渋谷区の飲食店で殺人事件が起きた。遺体は首を切られた上で心臓を杭で貫かれているという,ひどく凄惨な事件だ。だが問題は,それ以上に,この被害者がオキナガであるということ。偶然遺体の第一発見者となった新人公務員・伏木あかりは,事件に流されるようにして,オキナガを管轄する厚生労働省「夜間衛生管理課」に配属され,事件を追うこととなる。そしてそのバディは,少年にしか見えない,しかしその実88歳のオキナガ,雪村魁だった。こうしてあかりは,オキナガをめぐる連続殺人事件にまきこまれていくこととなる・・・・・・

白暮のクロニクル 1 (ビッグ コミックス)

白暮のクロニクル 1 (ビッグ コミックス)

ということで,ゆうきまさみ先生の新作『白暮のクロニクル』のレビューです。太古から存在する人間によく似た異種族と,それにまつわる連続殺人事件。帯曰くの「歴史,ミステリー,ほんの少しのエログロ嗜好。僕の好きなものを詰めて,エロティシズムにも挑戦したい。」どおりで,全体的にダークな作品となっています。くわえて,ほんのり漂う社会諷刺,といったところでしょうか。

主人公の伏木あかりは,医大を卒業後に国家一種に合格,研修先の渋谷区保健所で扱った件の中で,たまたま殺人事件に遭遇します。この彼女,現場保存をする警察に対し,保健所の職務の邪魔をしないでくれと詰め寄ったり,知らなかったとはいえ厚労省の直属の上司に当たる人間に食ってかかったりと,よく言えば物怖じしない,悪く言えば無鉄砲な人間。そんな彼女だからなのでしょう,偏屈なオキナガ雪村との連絡役,平たく言えば相棒に任命されました。

雪村が追う,ひつじ年の度に女性が惨たらしく殺される連続殺人事件,通称「羊殺し」。それとはまた別の殺人事件で,重要参考人としてマークされている雪村。それを追う警察。そして警察の中にもまた別の怪しい動きがあり,それはオキナガを管轄する厚生省にも言える。そもそも,オキナガはどのような存在なのか。「羊殺し」はなぜ起きるのか。オキナガの連続殺人はそれとどう関係があるのか。ミステリーの要素がこれでもかとちりばめられています。

ゆうき先生の作品は,「いやなやつ」が本当にいやなやつとして描かれてると前から思っていて,『じゃじゃ馬〜』ではその面がアクとして出てしまうように感じましたが,本作や『パトレイバー』であれば,悪役が悪役然として描かれるということですので,むしろグッド。いい具合のサスペンス感が出ます。この「いやなやつ」感もなにに由来するのかいつか考えてみたいものですが,まあそれはそれとして。

オキナガという超常的な存在と,それの対極にあるような厚生省や警察といった国家組織。それらの行動や思惑が錯綜し,非常に大きな何かが蠢いていることを予感させるサスペンス。今後の展開に期待大。

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