「銀河の三人」について

yamada1642005-02-18



みなさんは新感覚SF・RPG「銀河の三人」をご存知だろうか。ファミリーコンピューター時代に任天堂からリリースされたゲームで、舞台は未来の地球、そして宇宙。謎の異星人「ガルム人」の攻撃を受け、侵略されつつある太陽系を舞台に、主人公とその相棒は人型戦闘兵器に乗り込み、記憶喪失の超能力少女と3人でガルム人に戦いを挑むという、当時にしては実に壮大なゲームである。


悲壮感あふれる世界設定と物語の進行に相反するように明るく振舞う相棒や、ときおりけなげな一面を見せる超能力少女、そして物語後半に進むにつれ加速度的にアップしていく難易度などが絶妙なるシナジーを醸し出し、プレイ当時小学生だった私はさながら自分自身が宇宙で戦っている戦士であるかのような錯覚にさえかられたものだ。

ガルバンゴルについて


当時小学生だった私はファミリーコンピューターにかなり多くの時間を費やしており、周りの友人が最後まで到達できないような難しいゲームでもたいていは最後までたどり着いたものだった。このゲームも周りの友人はみなギブアップしており、特に後半の劇的な難易度の向上についていけるものは私しか残っていなかったように思う。このあたりの事情も、まるで自分が最後の地球戦士の生き残りであるかのようなプレッシャーを小学生時代の私に与えた。使命感の強い私は最後のダンジョンまで到達することが出来た。


しかし、このラストダンジョンがまたとんでもなく長く、そこに出現する敵も半端ではない戦闘力を持ち合わせていて、特に上の写真の「ガルバンゴル」などはレベル最高まで上げた状態でも油断するとすぐに全滅させられる凶悪さであった。こんな敵が普通にウヨウヨ出てくるのである。


ラストダンジョンは何度挑戦してもどう考えても踏破できる見込みが立たず、そのあまりの難易度から「実はひたすら経験値をためると隠しレベルの41にあがり、ラストダンジョンの抜け道がでてくる」などという出所の不確かな情報さえ流れた。(レベルの上限は40だった。)


    
 超能力少女リミのけなげさに、                        
 幼少の私は淡い感情を抱いていたのだろうか?

人類と科学技術の進歩について


結局プレイ当時私はこのゲームを最後まで攻略することはできなかった。何度挑戦してもまるでゴールが見えないラストダンジョン探索の日々が続くうちに、いつしかこのゲームから遠ざかってしまい、やがてプレイするのをやめた。


しかし強い使命感がプレッシャーとしてかかっていたこともあり、まるで地球を最後まで守りきることができなかったかのような若干の後ろめたさが苦い後味として時折思い出されたりもした。それは幼少の私の精神形成に知らずのうちに大きな影響を与えていたのかもしれない。


そして実に20年近い年月が経ち、今日突然、再びこのゲームのことを思い出した。この20年の間にあった出来事といえば、ベルリンの壁の崩壊に始まり、旧ソ連邦の解体、EUの実現 etc・・・まさに歴史といえるであろう。人類の科学技術の躍進もめざましく、その中にはラストダンジョンを確実に攻略する技術もあることに気がついた(どこでもセーブ)。やりのこした仕事をこなすのは今なのである。今、21世紀のこの時に、銀河の三人のことを再び思い出してしまったことはもう運命としか言いようがない。


私は最新の科学技術を駆使し、再び宇宙へ旅だった。

    
  

〜明日の日記につづく〜

(注  私はファミリーコンピュータ本体及び「銀河の三人」ROMカートリッジを所有しています。)