『リリコは眠れない』(高楼方子)

たかどのほうこもいいけれど、高楼方子の本が読みたい。倫理を越えた地平へ読者を導いてくれるような、あの暗く甘美に病んでいる世界にひたりたい。もう一度『ココの詩』を!もう一度『時計坂の家』を!
こう願い続けてきた読者の飢餓感が癒されるときが、ようやく訪れました。ジョルジョ・デ・キリコの絵画『街の神秘と憂鬱』をモチーフとしたこの『リリコは眠れない』は、高楼方子の新たな代表作になるでしょう。
夜中に部屋に飾っている『街の神秘と憂鬱』を見ていたリリコは、そこに描かれている輪回しをしている少女が、離ればなれになってしまった親友の〈スーキー〉であったことに気づきます。そして絵画に手を触れると、絵の世界に入り込んでしまいます。
〈スーキー〉を追いかけるためリリコは汽車に乗り込みます。客車や炭水車や食堂車と、さまざまな空間を持つ汽車の内部で、リリコは不安と焦燥感にかられながら幻想的なイメージと美しい追憶の奔流に流されていきます。
巨大な蝶トリバネアゲハの群れに出会ったリリコは、即席の捕虫網を作って蝶をつかまえ、一匹一匹ピンで壁に刺していき、客車の中を巨大な標本箱のようにしてしまいます。なかでもとりわけ大きな蝶をつかまえると、残酷な行動に出ます。

羽を広げて床の上に蝶を置くと、リリコははだしの足をその胴体にそっとのせ、それからぎゅうっとふみつぶした。生暖かいむにゅっとした感覚が足裏に伝わった。そのとき、何かにくらしいものを押しふせたような高ぶった感覚に包まれた。(p61)

次にカラスの大群がやってくると、リリコはこれもつかまえて、石炭を入れる火室にどんどんくべていきます。
秘密の花園』のコリンのように病弱で傲慢な兄モル、誰もが羨む美貌を持つ姉ウララ、憎めないいたずらっ子の弟ティル、音楽の才能を持つ妹キララ、個性的なきょうだいに挟まれているリリコは、いまひとつ取り柄のない自分はないがしろにされているという劣等感を抱いていました。

リリコはとっくにわかっていたのだ。口に出したことはなかったけれど、見かけがきれいとかピアノがすごくうまいとかいうことは、そりゃあもちろんとてもいいことなのだけれども、ほんとうに、それはそれ。ずるく人を押しのけたりバカにしたりするんじゃなく、人の気持ちを考えられるやさしいあたたかい心のほうが、ずっとずっと貴いのだってこと――。リリコは身をもって、そのことがわかっていたのだ。(p37)

そして、口先では同じようなことを言うのに見かけしか評価しない大人たちに憎しみを抱きます。そんなことを考えているうちに、弟のティルやひそかに憧れている少年〈トビー〉もやがて大人になってしまうことに思い至り、絶望します。それでいて、いなくなってしまった親友の〈スーキー〉だけは何があっても変わらないと確信したりもします。
自分が何者でもないことへの不満や焦燥感、そして変化することへの恐れ。小学校高学年の子どもの心の暗い部分をうまくつかんでいます。リリコは自分のことを被害者だと思っていますが、そんなリリコの行動はといえば蝶やカラスの虐殺です。読者側からみれば、リリコはすでに魔女になってしまっているのではないかという疑惑すら浮かび上がってしまいます。
さて、そんなリリコの心の旅の終局はどうなるのか。物語がハッピーエンドになるのかバッドエンドになるのかは明かせませんが、それはもうあきれるほど美しい光景を目撃できることは請けあえます。
しかし児童文学的には、金の輪を輪回しする子どもって、最凶の死亡フラグに見えますね。