『時のむこうに』(山口理)

時のむこうに

時のむこうに

自分が生きている時代を胸をはって生きていこう

田所翔太は、小学五年生。サッカー大好きの歴史オタクだ。妹の里子とお母さんのおつかいでスーパーマーケットに行った帰り、緑色の光とともに戦時中の日本にタイムスリップしてしまう。昭和にあこがれていた翔太だったが、実際の生活は、想像をはるかにこえる過酷なものだった。翔太と理子は、この困難をのりこえることができるのか。そして、二人の運命やいかに。「いま、自分が生きている時代を、胸をはって生きていこう」 という作者のメッセージが強烈に伝わる長編作品。http://www.kaiseisha.co.jp/index.php?page=shop.product_details&flypage=flypage.tpl&product_id=6629&vmcchk=1&option=com_virtuemart&Itemid=9

という偕成社のサイトの紹介文を見て、実は少し期待していました。お説教のために子どもをタイムスリップさせるという手法は安易ですが、「昔はよかった」という幻想を植え付けられている子どもに現在のよさを訴えようというコンセプトの作品は、確かに必要です。結果、期待したわたしがバカでした。
主人公の少年が「殺すぞ」と言いながらサッカーをしているのが、冒頭の場面。これだけで、著者の子ども観の貧しさが露呈されてしまっています。ここで読むのを止めておけば時間を無駄にせずにすんだのに。
さて、紹介文のとおりになんやかんやあって、戦争の時代が「子どもは自由だし、人々がたがいに助けあう、いい社会なんだ」と信じていた少年が、この時代のたいへんさを知るようになります。しかし最後になっても少年は、「みんなで助けあったり、笑いあったり、みんな平等だったよな」という感想を持ったまま、初期からあまり認識が変わらずに終わってしまいます。
特に、戦争の時代を「平等」と言っているのには目を疑いました。そういえばそんな冗談を言ってた人がいましたね。極限状態になれば格差が解消される、「希望は、戦争。」みたいな。もちろん赤木智弘は皮肉でこのような言い方をしていたのですが、まさか偕成社がそれを真に受けたような認識の作品を出してしまうとは、ちょっと信じがたいです。
この作品では、空襲がこわい、物資が不足している、ひもじいというレベルでしか戦争を描けていません。極限状態における人心の荒廃にも、戦争が起こるメカニズムにも、まったく迫れていません。だから、戦争の時代が平等だったなどという妄言が、平気で出てしまうのでしょう。
で、結局著者が言いたいのは、「どんな時代に生きていようと、今がいちばんいい」という思考停止的な現状追認のメッセージ。あまりにもひどいです。
ということで、子ども観が最悪、戦争がわかっていない、思想が思考停止的と、なにひとついいところのない作品になっていました。