『赤の他人だったら、どんなによかったか。』(吉野万理子)

赤の他人だったら、どんなによかったか。

赤の他人だったら、どんなによかったか。

「朝日中学生ウィークリー」に2012年から2015年にかけて連載された作品。殺人犯の子どもが転校してくるので、どうやっていじめてやろうかと待ち構えている中学校を描いた、吉野万理子のゲスな側面を凝縮した作品になっています。毎回センセーショナルな引きがあるので、連載で読んでいたらきっと楽しかったことでしょう。
実は殺人犯の子どもが転校してくる前からも、この学校にいじめはありました。つまり、いじめの口実は何でもいいわけで、殺人という重大に思えるような出来事もいじめの前では些事にすぎないということになります。このあたりのいじめ観には妥当性があります。
バーそでには、「みんな、つながっているんだ(中略)極端な話、オレとこの国の首相も千年さかのぼれば、遠い親戚なんじゃなねーかって。赤の他人なんかいない、つーか。」と書かれています。「みんな他人じゃないからいじめはよくない」、こんな小学校低学年に向けたようなレベルの低い説教を中学生に向けてする作家がいるはずはないので、この文句を素直に受け取ってはいけません。
この作品は、「つながり」の価値を称揚するように見せかけながら、実は「つながり」の論理が「排除」の論理と表裏一体であることを暴き立ててしまっています。つながることの価値を知った殺人犯の子どもが、「つながり」を作れなかった弱者を自己責任論で追い詰めるという皮肉な結末には、戦慄を禁じ得ません。