堂堂周さんとがく

2007-06-14 雑情報

抗体医薬で難病に挑むバイオベンチャー免疫生物研究所 22:18

病原菌などが体内に侵入すると、生体はそれに反応して「抗体」と呼ばれる物質を作る。細菌などから生物の身体を守り、免疫を作り出す重要な働きをしているのがこの抗体だ。免疫生物研究所はこれに着目し、様々な種類の抗体やこれを使った医学研究用の試薬などの生産と販売を行っている。

 近年では、抗体を使った画期的な新薬研究も進んでおり、同社もこの分野に注力している。現在、その成果が出始めており、今後の事業発展への期待も高い。2007年3月、大阪証券取引所ヘラクレス市場に上場した。

人間の身体を守る抗体医薬品に利用

 抗体は、動物の血液に含まれるリンパ球のB細胞が、体内に侵入した細菌や毒素などの異物(抗原)を認識し、作り出すタンパク質だ。

例えば、ある病原菌が体内に侵入してそれに対する抗体ができると、次に同じ病原菌が入ってきた場合には、これと結合して弱毒化したり排除したりする働きをする。また、B細胞は抗原ごとに異なった抗体を作り出し、その抗体は対応する抗原しか認識しないという性質を持つ。

 そこでこの働きや性質を利用して、特定の細菌やガン細胞などを効率的に発見する診断薬や、病巣だけを確実に攻撃する抗体医薬の開発が進められている。これまでの医療技術では難しかった病気の早期発見や難病の治療が可能になると期待されているのだ。

 こうした研究はもっぱら海外で先行していたが、免疫生物研究所は日本でいち早く抗体の作製や試薬の開発などに乗り出した。その先見性によってベンチャーキャピタルなどから注目を集め、日本有数のバイオベンチャー企業となったのである。

 近年は世界の医学会が注目する抗体医薬の分野に進出し、関節リウマチ治療薬の開発などで成果を上げている。創業者の清藤勉社長は「現在も様々な難病やガンなどに苦しむ人は多く、抗体医薬には大きな期待が寄せられている。我が社にはこれまでの事業で蓄積した抗体とその作製技術を持つ強みがある」と自信をのぞかせる。

否定された抗体開発で起業を決断

 清藤社長が起業を目指したきっかけは、抗体研究の会社に勤めていたサラリーマン時代に、1本の論文を読んだことだった。それは「モノクローナル抗体」とその製造方法について書かれたものだった。

 抗体は、病原菌などの抗原を動物に注射して作製する。一般的に病原菌には、生体の中で抗原として認識される個所が無数にある。このため、1種類の病原菌から作られる抗体も、非常に多くの種類が混在したものになる。これは「ポリクローナル抗体」と呼ばれ、蛇の毒を消す血清や病原菌に対する免疫力をつけるワクチン作りに利用されている。

 このポリクローナル抗体は多くの抗体の集まりであるため、特定の病気の治療薬として用いるのは不可能とされていた。ところが、1種類の抗原のみに反応する抗体を選別して、「モノクローナル抗体」と呼ばれる抗体を作ると、治療薬になる可能性があることを論文は示していた。

 「モノクローナル抗体の製造方法を発明したジョージ・ケーラーとセーサル・ミルスタインという科学者は後にノーベル賞を受賞した。彼らのすごいところは、特許を取得せず、人類のために公開したこと。モノクローナル抗体は将来必ず有望な事業になると直感した」(清藤社長)

 ところが、会社はモノクローナル抗体の事業化には懐疑的だった。清藤社長はその可能性と重要性を会社のトップに何度も説明したが、「そんなの無理だよ」という答えしか返ってこなかったと言う。

欧米ではモノクローナル抗体の事業化に挑戦するベンチャー企業が次々に誕生し始めていた。一方、事業の未来を語ったために経営陣から疎まれるようになった清藤社長は、自ら起業する決意を固めた。こうして、1982年9月に免疫生物研究所を設立した。

ガン細胞バンクを日本で初めて立ち上げ

 しかし、そこからは「常に資金難との戦いだった」と清藤社長は振り返る。モノクローナル抗体の製造方法は公開されていても、実際にそれを作るとなると課題が多く、独自に製造技術を確立する必要があった。また事業化には無菌室を備えた施設も必要になるが、それを設置するには莫大な費用がかかる。

 モノクローナル抗体の事業を本格化するためにも、まずは安定した事業が必要だと考え、セル(細胞バンク事業に取り組んだ。当時の日本には、ガン細胞バンクがまだなかった。ガン研究のためにはガン細胞バンクが必要だと訴えて、全国の大学から細胞の提供を受けたのだ。

 「当時、研究者がガン細胞を実験に使いたくても、自由に手に入るものではなかった。また、各細胞には固有の名前と番号がついていて、学者がガン研究の論文を発表すると細胞の名前と番号も公表する。それを見た他の学者も同じ細胞を手に入れて研究したいと思う。ガン細胞が異なると実験の結果も異なってしまうからだ」(清藤社長)。安定して同じガン細胞を供給できる同社のセルバンク事業は、成功を収めた。

 清藤社長はセルバンク事業と並行してモノクローナル抗体の作製にも取り組み続けた。セルバンク事業で得た資金を研究設備の拡充に充て、また抗体作成技術の改善を続けることで、安定的に抗体を採取できるまでになった。

所有するガン細胞から、ガンの診断薬を作る

 同社が次に手がけたのは、腫瘍マーカーと呼ばれるガンの診断薬を作ることだ。この種の診断薬は既に数社が製造・販売していたが、製品によって検査結果の数値が異なるという問題があった。腫瘍マーカーの原料となる「CEA(ガン胎児性抗原)」が、別々のガン細胞から作られていたからである。またCEA自体が手に入らず困っている会社があるという話も聞いた。

 そこで、清藤社長は自分たちが所有するガン細胞の中から、CEAを多く生み出すものを見つけ、同じCEAを大量に生産すればいいと考えた。これにより腫瘍マーカーの原料不足が解消されると同時に、製品の検査数値もブレがなくなるというメリットがある。

 ただし、これを実行するには研究開発のための設備投資が必要だった。そこで清藤社長は研究開発型企業育成センター(現ベンチャーエンタープライズセンター)が行っていた事業資金の債務保証をする制度に申し込んだ。その結果、全国でわずか4社の制度適用企業に選ばれたのだ。しかもバイオベンチャーでは初めてのことだった。これにより4200万円の資金が集まり、86年に群馬県藤岡市藤岡研究所を新設したのである。

蓄積した技術を生かし抗体医薬に本腰

 モノクローナル抗体CEAの作製技術は同社の大きな武器である。これらの技術を基に、医療実験用の試薬や臨床用の診断薬に使う抗体、あるいは医学研究所や大学の医学部、製薬企業から依頼された特殊な抗体の作製などを手がけるようになった。

 最近は遺伝子の解析が進んだことに伴い、抗体への要求がどんどん細かくなっているという。それに応えてきたことで、同社が保有する抗体は既に5000種類を超えている。この保有資産から数多くの試薬や診断薬を製品化しているが、今後は本命である抗体医薬の開発に本腰を入れていくという。

 最初の医薬開発は2000年頃から北海道大学との共同研究で始めた、関節リウマチ治療に効果があるという抗体の作製だ。2006年3月には国内大手のアステラス製薬ライセンス契約を締結し、臨床試験の段階にまでこぎ着けた。また、2007年1月11日にはアルツハイマー認知症の改善に効果があるモノクローナル抗体の開発と製造を行う契約を米国ベンチャー企業との間で交わした。

 順調に見える事業展開だが、「資金調達の問題には常に悩まされてきた」と清藤社長は苦笑する。IPO(新規株式公開)によってかなり楽にはなったが、それだけ株主に対して負う責任も重くなった。それを意識してか、さらなる事業発展を目指す意欲を次のように語る。

 「理想は2〜3年に1本くらい有望な薬を出していくことだ。そうなれば、収益が安定して研究開発の基盤を強固にできる。我々はベンチャーであり、永遠にその精神を忘れずに闘っていきたい」

(サンブックス 法月 清昭)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070605/126427/?ST=sp_smb