You want to be me.

がーん。
長い記事書いていたのに消えちゃった・・・・。
 
昨日の、なりたいの続き。
 
咽頭炎で寝ている間、日曜日に見た敬愛なるベートーベン [DVD]のワンシーンがぐるぐるぐるぐる。
そのときは、あんまりなにも思わず。
というか、思考力ないし/笑。
思えばサインでしたが。
 
それは、この映画の中でベートーヴェン(長いので以下ベトベン)と出てくる写譜師(女)の会話。
女  「私があなたを愛しているとでも言うの?!」
べ  「いや、君は私になりたいだけだ」
このときのベトベンの You want to be me. というセリフがぐるぐる。
それを映画で見た時は、「いや、私はなりたくない」と、すぐ思った。
というのも、この映画中のベトベンと写譜師の関係は、
私自身が今抱えている課題に重なるところがあったから。
 
体力が戻り始めたと共にここ二日、馬鹿みたいに色々忙しくなり、
あんまり忙しいのに逃げ場がなくなって、思考だけでも逃がそうと
Mr.ChildrenのHPで動画を時々チラ見して、鈴木英哉氏にキャーキャーに一人で言って紛らわせ(笑)、
どうにかのりきった、昨日の帰り道。
 
いつものバスの中で、この、You want to be me. と頭の中で繰り返す言葉に、フォーカシングしてみた。
私は、すぐに「なりたくない」と言ったな。
これが、何かの抵抗だったとしたら?
わたしが、「なりたい」ことを恐れているのだとしたら?
 
 
あれ?
 
なりたい・・・・ん、じゃん?
 
 
おお。
なりたかったのか、私、と、わかりました。
 
おお、でも、誰にもなれない私。
私にしかならない私。
でも、なりたい。
なりたかったのか、私は。
 
私が、愛情を持っていたと思っていた相手は、
私がなりたいと思ったものと、重なる
と、気がついた。
両親に怒りを感じていたのは、
両親の思う、私になれなかった、
私の愛する両親自身になれなかったからだ。
憧れや、羨望、好意を抱いたあのたくさんの人たち。
私は、あの人たちになりたかったのだ。
ああ、わたしは、ただ、その人になりたくて、なれなかった。
私が大切に思った、愛情を持ったと感じた相手に、私はなりたかった。
 
ああ、そうだったんだ、と、腑に落ちた。
なーんだ、と思ったら、笑えてきた。
雲が走り去っていくように、さわやかな気分が突如現れた。
 
そして、私は、誰にもならないし、なれない。
私はもう、私にしかならない。
それを知っている。
 
可笑しいなぁ。
こんなことに気づかずに、過ごしていたんだ。
 
この、今まで感じていた愛情の形が、正しいかどうかは、どうでもいい。
正しさに固執する気持ちも、その時は、それを見つめよう。
 
 
そして、怒りや、憤りを感じた相手にさえも、私はなりたかったのだ、と気がついた。
その人になって、私の思う、その人を生きたかったのだ、その瞬間に。
私はずっと、自分ではない誰かになりたくて、
自分ではない誰かに、思いを重ねてきたんだ。
 
だからといって、無為ではない。
これまでの日々を、支えたすべての人たちによって作られたのが、自分自身であることが今は分かる。
なりたかったすべての人たちの影響力が作ったものが、私自身だ。
私は、私であればいい。
 
そして、たとえ、相手になりたいという思いがあったとしても、
愛がある、
と言ってよいと、感じている、今。
なりたいと思うほど、愛している。
  
 
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秋へ開く扉

今日は生演奏を聞きに筥崎宮そばまでおでかけ。
バイオリン、チェロ、ピアノの演奏。
 
 
音に洗われた
というのを、多分、体験した。
 
 
贅沢な時間。

フォーカシングが勝手に進行し
演奏を聞いている間、様々なイメージが現れては消えた。
何かがすとんと落ち着いた。
 
あ、秋への準備ができたんだ、と気付いた。
 
私の夏は、今日終わり。
秋、よろしくね。
 
 
いやー、それにしても気持ちよかった!
あの至近距離、素敵!
 
ちなみに帰りのお宮の御神籤はイマイチ…。
はい、ついでに参拝して、ごめんなさい(笑)。