メッセージに込める

今日は火曜日,なのに家でゆっくりできています。答えは文化祭の振り替え休日です。久しぶりの休みです。


今年の文化祭では,英語科からの出し物として生徒にオーラルイントロダクションに取り組んでもらいました。スライドは私がつくりましたが,生徒には英文でのデリバリーをさせてみました。テーマは「ロンドン」について。理想としては・・・色んな思いがありましたが,色々求めても私のこれまでの指導が十分ではないので(笑),今年は少しだけで抑えました。スライドには,作っては考え,再構成を何度もしましたので結構時間はかかりました。生徒のおかげさまで,少しだけポジティブな反応を得ることができました。来年は英文をある程度自由に駆使しながらのプレゼンテーションができるようにを目標にこれから頑張りたいと思います。


言語を指導する者として,英文を使ってのコミュニケーションの取り方,英文の理解の仕方「だけ」を教えるのは十分と言えるのだろうか,と某テレビを見ていて考えさせられました。


professionals are more than just playing an instrument. professinals are not just doing a music.


言語にはメッセージが込められている,言語を通して自分が込めているメッセージが伝わる。教科書の英文にあるメッセージに,教師としてのメッセージを込める。英語「教育」である限り,英語を通した上位概念のコミュニケーションがそこにあるべきであると思いますし,それらが生徒との最高のインタラクションであろうと思います。それは英語「教師」だからこそできることですし,であるならば私は何をインタラクションしようとしているのかを明らかにするべきだろうと思います。私は英語を教えることを通して何を本当に教育しようとしているのか。それはteacher beliefと言い換えることが可能なのかもしれません。私はまだまだ「明確に」言語化することができません。あれかな,これもかな・・・といった程度です。しかしながら,ここ数年それらのベクトルが一定方向を向き,安定してきたような感じも我ながら受けています。


失ってはいけないのは柔軟性。第三者が見たときに常にconvince-ableなものを提供できるように進化,深化していかないとなぁと思います。


授業の技術ではないけど,そんなことを突き詰めていくことで授業がポジティブに変化していくと思うんだけどね。