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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2009-09-26 考えるとは何を考えるのか?(Kさんのコメント)

考えるとは何を考えるのか?(Kさんのコメント)

Kさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

「阿弥陀仏は私を助けることができるのかできないのか」ということを考えるのでしょうか?

「唯除五逆罪誹謗正法」だから自分は除かれているのかということでしょうか。(Kさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090924/1253783454#c1253929065

回答します。

自分自身が信心獲得をする際に、方法手段を考えるのか、救いそのものをもとめるのかという問題です。

「聞思して遅慮することなかれ」(教行信証総序)

親鸞聖人がいわれるように、いろいろと考えている間に無常を迎えていてはなりませんが、真実信心を求める上で考えるということはとても大事なことです。

「阿弥陀仏は私を助けることができるのかできないのか」については、法の能力についてあれこれ考えるということではありません。

私からいえば、助かるか助からないかということです。

「唯除五逆罪誹謗正法」についても、自分が謗法を造っているかいないかによって、除かれるか除かれないかも変わります。自分は実際どうなのかということが大事です。

本日のエントリーについては、明日、続き*1を書きますのでよろしくお願いいたします。

KK 2009/09/28 22:31 ご回答有難うございます。
色々お聞きしたいのですが1つずつ書きますのでご回答のほどよろしくお願いします。
まず、「除かれるか除かれないか」と「助かるか助からないか」は同じことでしょうか?
五逆罪法謗罪を造っているものであれば除かれると仰っているのでしょうけれど助からないとは言われていないと思います。「除かれた者が助かる」というようなことではないかと。

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