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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-12-04 念仏は救われるまで称えなくてもよいのでしょうか?(頂いた質問)

念仏は救われるまで称えなくてもよいのでしょうか?(頂いた質問)

念仏は御恩報謝と聞きますが、そう聞くと救われるまでは称えなくてもよいように思いますが、いかがでしょうか?(頂いた質問)

念仏は、救われるまでは称えなくてもよいものでは有りません。

そのように思われるのも、御恩報謝の念仏という言葉が、念仏を称えることが阿弥陀仏に対して恩返しをすることになる行為だと思われるからだと思います。ずっと称えていけば阿弥陀仏の御恩をすべて返せて対等になえるというような考えになるのは間違いです。

称名報恩とは、念仏を南無阿弥陀仏と称える人の心をいわれたものです。阿弥陀仏に救われた感謝の思いで、ありがたやとうとやと称えるものであって、念仏を何かの足しする心や、手段と思って称えるものではありません。

一 蓮如上人仰せられ候ふ。信のうへは、たふとく思ひて申す念仏も、またふと申す念仏も仏恩にそなはるなり。他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。聖人親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。そのうへの称名は、なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ[云々]。(御一代記聞書179・註釈版聖典P1289

阿弥陀仏に救われた上の念仏は、尊く思って称える念仏も、ふととなえる念仏も仏恩報謝の念仏です。他宗では、親の追善供養の為、また何かのために役立たせる手段として念仏を使います。

親鸞聖人の教えられた念仏は、弥陀をたのむことであり、そのうえの称名念仏は仏恩報謝になるといわれています。

どうとなえたら自力の念仏にならないだろうかとか、どう称えたら御恩報謝の念仏になるのだろうかと考えるのは、すでに念仏を何かの手段、方法と思っていることになります。

称えるものの気持ちとしては、ただ阿弥陀仏の御恩嬉しやと感謝の心以外にはありません。

ただ今阿弥陀仏に救われて、念仏称えさせて頂きましょう。