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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011-08-06

お念仏は「なむあみだぶつ」「まもあみだぶつ」「なんまんだぶ」どれが正しいのでしょうか?(さくらさんのコメント)

さくらさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

「お念仏」は

「なむあみだぶつ」

「なもあみだぶつ」

「なんまんだぶ」

どれが正しいのでしょうか?(さくらさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110805/1312533127#c1312554910

「南無阿弥陀仏」をどう読むのかについて、どう読まれても間違いではありません。

ただ、本願寺派の教章には南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)とあります。そのため、本願寺派発行の浄土真宗聖典(註釈版)は、「南無阿弥陀仏」と書かれている部分には「なもあみだぶつ」とふりがなが振ってあります。

ではいつでも、どんなときでも「なもあみだぶつ」なのかというと、そういう規則があるのではありません。本願寺派の日常勤行聖典でも「讃仏偈」の「我行精進忍従不侮」の次にでてくる「南無阿弥陀仏」は「なーまーんだーぶー」とふりがなが振ってあります。縮めると「なまんだぶ」です。

真宗新辞典では「南無阿弥陀仏」は「なむあみだぶつ」の部分に解説がかかれています。

「なむあみだぶつ」「なもあみだぶつ」「なんまんだぶ」でも、称え方で功徳が変わるわけではありません。またどんな読み方や節で称えるのかということを親鸞聖人は教えられていません。

祖師の御意巧としては、まつたく念仏のこわびき*1、いかやうに節はかせ*2を定むべしといふ仰せなし。ただ弥陀願力の不思議、凡夫往生の他力の一途ばかりを、自行化他の御つとめとしましましき。音声の御沙汰さらにこれなし。(改邪鈔・浄土真宗聖典(註釈版)P934

改邪鈔に覚如上人が書かれているように、親鸞聖人は「音声の御沙汰さらにこれなし」といわれています。もちろん勤行となれば、それぞれ読み方がありますが、お念仏はどう称えてもそれによって功徳が変わるというようなものではありません。

阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏となって私の口から出て下さるのが念仏です。称えやすいように「なんまんだぶ」でも「なもあみだぶつ」でも称えられたらいいと思います。こうでなければならないというような堅苦しいものではありません。「正しく称えないと失礼になる」というものではありません。

阿弥陀仏が私に呼びかけて下さる声ですから、我が計らいを入れずに南無阿弥陀仏と念仏されたらいいと思います。

*1:念仏するときの声ののばし具合。

*2:声明(仏教の儀式音楽)の節の長短高低の定め。

さくらさくら 2011/08/06 09:51 御丁寧に分かりやすく御教授頂きまして誠に有難うございます。
感謝いたしております。
「真の知識にあうことは
 かたきが中になおかたし
 流転輪廻のきわなきは
 疑情のさわりにしくぞなき」(高僧和讃)

親鸞聖人のように「本当の仏教」をまっ直ぐに伝えられている方は
この世の中にいらっしゃるのでしょうか?
(僧籍を習得しているいないに関わらず)
独学にも限界があり「師」と仰げる方を探しておりますが
私のような浅はかな智慧と力では巡り合う事が出来ずに・・・
親鸞聖人の御在世の時に生まれ合わせる事が出来なかったのが1番の後悔ですが
これも「因果の道理」とご承知致しております。
こちらのサイトに御縁が出来た事に感謝を致すと共に
「山も山」様にご教授を頂きながら大変に失礼なご質問と
重々ご承知の上でお伺い致しておます。
駄文、申し訳ございません。

yamamoyayamamoya 2011/08/06 17:59 さくらさんへ
真摯に法を伝えられている方は、たくさんおられます。
住んでいる場所によっては、すぐ近所で法座がないということもあるかもしれませんが、「日本の一人」というような少なさではありません。

林遊林遊 2011/08/06 18:47 「山も山」さんにとって答えにくい質問ですね(笑

(109)
真の知識にあふことは
 かたきがなかになほかたし
 流転輪廻のきはなきは
 疑情のさはりにしくぞなき
http://wikidharma.org/4e3d09c89355e
さくらさんが、善知識とか、師と仰る意味を、提示のご和讃で窺ってみましょう。

この和讃は「源空讃」ですから、法然聖人のお徳を讃嘆しています。
そこで、真の知識なのですが、真の知識とは諸仏です。
http://wikidharma.org/4e3d0286d9eb1

つまり第十七願で、さくらさんに御念仏を称えなさいとお勧めしてくださる諸仏が、真の善知識です。
御開山は、法然聖人を阿弥陀仏の化身だと思っていらっしゃいました。
なぜなら、御開山に御念仏を勧めて下さった方が法然聖人だったからです。
このことは、『歎異抄』で、
「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」
http://wikidharma.org/4d188c2081f91
と、仰せになっていることからも窺えます。

そして、法然聖人の『選択本願念仏集』の「信疑決判」の文。
「まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。」
に依って、「流転輪廻のきはなきは、疑情のさはりにしくぞなき」と讃詠されたのでした。
http://wikidharma.org/4e3d0a15b42fa

これは、「正信念仏偈」に、

還来生死輪転家 決以疑情為所止
速入寂静無為楽 必以信心為能入
(迷いの境界にとどまり、輪廻を繰り返して離れることができないのは、本願を疑って受けいれないからであり、すみやかに煩悩の寂滅したさとりの領域に入ることができるのは、善悪平等に救いたまう本願を疑いなく受けいれる信心を因とすると決着された。)

と、あることからも分ります。

さくらさんは「教学」に関心をお持ちのようですが、『教行証文類』は、ご信心がなければ読んでも解かりません。「教学」はご信心を得る手段ではないのです。「教学」は、ご信心の後の御恩報謝の遊びです。

浄土真宗のご法義は、以下の「正信念仏偈」の文、

本願名号正定業 至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする。 信を得て如来と等しい徳をいただき、涅槃のさとりに至るのは、第十一願の功である。)

が、アルファでオメガですよ。

ちなみに、人間の善知識探しは止めたほうが良いです。特に強烈な個性を持った御仁は。
釈尊は、「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見ず」、と仰いました。

設我得仏十方衆生至心信楽欲生
我国乃至十念若不生者不取正覚
唯除五逆誹謗正法

この第十八願の救済のご文と、真向きになって取り組むことこそが、御開山の世界を窺える唯一の道だと思いますよ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

さくらさくら 2011/08/06 22:50 皆様のご指導ご教授、幸甚に思います。

「法に依りて人に依らざれ」 (涅槃経)
“従うべきは、教えであって、人ではない”

よ〜く自分自身を見つめてみます。

yamamoyayamamoya 2011/08/07 04:43 誤字があったので修正します。(元)「日本の一人」→(修正後)「日本に一人」でした。
林遊さん、コメント有り難うございました。
人ではなくて、御本願によるのが大事ですね。

さくらさくら 2011/08/07 08:49 >林遊 様
「音声法話」初めてお聴き致しました。
噫、この様に御心、温まるお話をお聴かせして下さる御仁がいらったのですね。
「子守唄」の様に一晩中お聴かせ頂きました。
有りがたい有りがたい
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、不思議とお言葉が溢れておりました。

関東にも林遊様の様な御仁がいらっしゃいますか?

「設我得仏十方衆生至心信楽欲生
我国乃至十念若不生者不取正覚
唯除五逆誹謗正法」

私の様な浅はかな智慧ではとても汲みとれない深〜い意味がございます。
お叱りを覚悟で敢えて一言で申し上げるならば
「どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に」
と誓われたお約束と受け止めております。

林遊林遊 2011/08/07 16:21 >さくらさん

はぁ、脱力感、林遊はいったい何を書いてたんだろ(笑
林遊は高森会脳の方と会話するつもりはありません。
そもそも真宗用語の定義がお互いに違っていますから会話が成立しません。

設我得仏十方衆生 至心信楽欲生我国 乃至十念若 不生者不取正覚 唯除五逆誹謗正法

(読下し:たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。)


(現代語:わたしが仏になったとき、あらゆる人々が、まことの心で(至心)信じ喜び(信楽)、わたしの国に生れると思って(欲生)、たとえば十声念仏して(乃至十念)、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開くまい。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を謗るものだけは除かれる)

この文の何処に、

>私の様な浅はかな智慧ではとても汲みとれない深〜い意味がございます。
>お叱りを覚悟で敢えて一言で申し上げるならば
>「どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に」
>と誓われたお約束と受け止めております。

ということになるのですか?

世尊(せそん、bhagavat)という言葉には、真実なる幸福者という意味がありますが、絶対の幸福って言葉の意味が判りません。
誓われたお約束って誰が誰と約束したんですか?

このように、さくらさんのお使いになる言葉と、林遊が使う言葉の定義が違いますから会話は成立しませんね、不悪。

yamamoyaさん、下らない書込みをして失礼しましたです。ごめんです。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2011/08/07 17:38 真面目に、「どんな人をも 必ず助ける 絶対の幸福に」を書かれたのなら、重症です。
「絶対の幸福」は創価学会用語のパクリですから、少なくともそれは使わないようにしてください。
もちろん、言葉遣いの問題ではなく、意味が根本的に間違っています。

さくらさくら 2011/08/07 19:57 皆様に御迷惑をお掛け致しました。
勉強し直します。

おすぎおすぎ 2011/08/07 23:25 さくらさん、大丈夫ですよ。
誰も 迷惑だなんて 思っていません。ただちょっと 親鸞会脳を
「めんどくさっ」って思っている人は いるかも知れませんが、あ、冗談です。
ここで 皆さんが言われている事は 「勉強し直します」の前に ただ今救われて下さい。って
言われています。
コメントを拝見すると自分に足らないものが有ると思われていますね。
ご自分の知識の有無や念仏の唱え心はひとまず置いといて 
御本願を疑いなく受け入れて下さい。ただ今救われて下さい。
あなたの浄土真宗は そこから始まります。 
又、思った事は どんどん質問されたら 良いと思います。
大丈夫です。顔見えませんし。(笑)
私も同じでしたから。

優穏優穏 2011/08/07 23:31 安心問答でお世話になり、はや2年5カ月。
なんとか、とにかく救われたい、早く楽になりたいのですが、なかなか仏様の助けるぞの願いを、はいと受け取れません。
毎日、煩悩一杯で悪いことばかりして悪循環で相当苦しんでおります。
自分が悪いとはいえ、たいへん心が重く苦しいのです
病気になりそうです。もうなってるとも言えますが。
今日は寝床で、ふさぎ込んでたんですが、梯さんの法話CD「南無阿弥陀仏のこころ」を聴いてました。
阿弥陀仏の心に叶いたいと思うんですがさっぱりです。
情けないというか、悔しいというか。

かきふらいすらぁかきふらいすらぁ 2011/08/08 12:01 >優穏さん

そのままのあなたが仏様のお目当てですよ。

とくよしみねとくよしみね 2011/08/08 21:36 優穏さまへ
途中から失礼します。
もうされているかもしれませんが、御示談を正しくしてくださる方を探されたらどうでしょう。
自分の心をさらけ出してそこで知らされることも有ります。
貴方は今阿弥陀様に一番近いところにおられます。
貴方の苦しみは、阿弥陀様の苦しみです。
阿弥陀様は貴方に一緒に付いて泣いておられます。
阿弥陀様が先手、私たちは後手も後手。
自力一杯が阿弥陀様に逆らっている姿です。
言葉で何度聞かされても、分からない、分からないとご自分の頭をたたかれる。
しかし阿弥陀様は貴方に一切条件を付けておられない。
煩悩具足のそのままがお目当てです。

じっくりお話したいところですが・・・。

とくよしみね

苦毒苦毒 2011/08/10 09:39 優穏様

略文類のはじめに、無礙難思光耀は、「滅苦証楽」。
廣文類のはじめに、難思弘誓は、「度難度海」大船。

苦を滅する、難度海を度する教えですから、苦しんでいる人・苦しんだ人が相手です。苦しんでいる人・苦しんだ人を探して、よくよく聞くのでなければ、そこから抜け出せないのかも知れません。

ブログやCDを丁寧に読み聞きされているので、御聖教も拝読されているのでしょう。ですから、それだけ読んで聞が成就しないのですから、ブログやCDでは無理だと思います。ブログやCDで到達する人は、聖道仏教でも叶う上根上智の人。


>はいと受け取れません。
>阿弥陀仏の心に叶いたいと思うんですが

いずれも、自分でそうなろうとしていますよね。それが受取拒否も同じで、回向とは相反する。

その苦しい思いは、かならず取り除いてもらえるので、真に苦しんでいる人・苦しんだ人を本気で探せば、そこから抜け出す可能性が出てくると思います。自分の気付かない身近な所に、その人が居るかも知れません。

・仏法は、しりさうもなきものが知るぞ(御一代記)
・仏法は、しりそうなものが知らぬ(ある師)

がすしつがかりがすしつがかり 2011/08/11 12:00 >苦毒さん

ここは浄土真宗の安心についてのblogだって書いてあるの読めないのかな?

夜中におつむてんてんの儀式やる秘事法門の話なら、ここにあんたのお仲間さんがいるから、そっちで思う存分やってきたら?(笑)↓
http://shinshu.in/

とくよしみねとくよしみね 2011/08/12 00:21 毎日の浄土真宗か。
秘事法門ね〜。
結局自分が判断するのだから。
それに信心獲得は秘事法門と紙一重のところがあるからね〜。
色々先生の名前を書きたいところだが、結局揚げ足取られるだけだし・・・。
それに御示談と書いたが、この言葉はけっこう危ない言葉に聞こえるだろうね。
要は、正しく法を説かれる方から、聞かせていただくのが一番なんですけど。

信心獲得は必ず有る。
しかし、それを声高に言うと、それは自力の信だと言われる。
ところが蓮如上人は信心獲得せよと言われる。
だからお同行の中に入って話し合えと言われるのだが、
間違ったところに入ると、とんでも信心になってしまう。
危ない危ないと臆病になってしまうと自分しか見えなくなって、
他のことが分からなくなってしまう。
どこかで判断しなきゃ何も変わらない。
さてさて、どこが本当の教えなのか。
正しい教えに会わせていただくのも宿縁と言われる。
しかし「求める人」には必ず阿弥陀様の御本願を知らされます。
(親鸞会でも知らされるぞというツッコミは無しね)
だってここまで来られているのだから。

・・・ネットの限界か・・・。

結局色々、先生を回るのが一番かな。
人の話ではない、阿弥陀様の御本願「仏願の生起本末」を聞かせて頂くのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

がすしつがかりがすしつがかり 2011/08/12 06:57 「雑行雑修自力を捨てて弥陀をたのむ」
このどこが「秘事法門と紙一重」なわけ?

それともあなたも毎日のお仲間さん?

他人の後生の世話焼く前に、あなたの出離のこと考えたら如何?
でないと自損損他するだけだよ〜。

とくよしみねとくよしみね 2011/08/13 21:02 そんなに怒らないで。
たぶんこの言葉に反応されたと思うんだけど、
「信心獲得(という体験を話す、あるいは御示談によって獲信される体験を話すこと)は秘事法門と紙一重のところがあるからね〜。」
という意味ですのでよろしくお願いします。

私が言いたいのは、南無阿弥陀仏が全てだと言うこと。
そして、仏願の生起本末を聞かせて頂くだけ。

それと、毎日の浄土真宗を隅から隅まで読んだわけではないので、どうして秘事法門と思われるのか
疑問に思っただけですよ。

それから私の後生の心配ありがとうございます。
長くは書きませんが赤尾の道宗と同じ気持ちです。

では、では

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

とくよしみねとくよしみね 2011/08/13 21:21 誤解されるといけないので、もうひとつ。

秘事法門と紙一重ということについては、
皆さんと御法の話をされているときに獲信される方もいるので、
その体験を聞いて秘事法門のように思われる方も見えるかも知れないとおもいそう書きました。
しかし、体験は人それぞれ、必ず聞かせて頂けるときがあります。

でも、こう書くと、また、いろいろ誤解が生じるかも知れませんが、
体験を強調すると一念覚知に走りやすいし、
体験を言わないと無帰命安心になる可能性があります。
いずれにしても、蓮如上人の公案のような御文章の本質を南無阿弥陀仏によって読み解かされる必要は有ると思います。

ご指摘ありがとうございます。

がすしつがかりがすしつがかり 2011/08/14 03:48 あなたの言わんとされてる内容が不明瞭だし、ここは山も山さんのblogなんで、これで最後にしときますけど、

>体験を言わないと無帰命安心になる可能性があります。

南無阿弥陀仏が全てとか、体験談を聞くのは危ないところがあるとか言いながら、二言目には結局「体験談」ですか…?

体験を言わないと無帰命安心になる、と言われるんだったら、じゃあ一体お聖教のどこに「体験談」が書かれてるワケ?
それともあなたの言われる「帰命」は三業帰命ですか?
本願招喚の勅命を貴兄はどういただいてんの?

ご法義を無視して自分勝手な考えや思いつきを書き並べて、仏法さまの話をしたつもりになってるようじゃ、どっかの会長と何も変わりませんよ?

とくよしみねとくよしみね 2011/08/14 08:39 ありがとうございます。
難しいですね。
体験を言われた言葉は沢山出せますが、それを議論しだすと三業惑乱になっちゃうし。
最後は、阿弥陀様と自分の関係になるわけですから。
止めときましょう。

では、では

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

富付 歩富付 歩 2016/06/21 22:22 今日、真宗大谷派での告別式がありました。
[質問1]
「南無阿弥陀仏」の節を付けた繰り返しが何度も出てきますが、節と繰り返しにどのような意味があるのですか。南無阿弥陀仏 を唱えればいいのなら、節を無くして、10倍多く唱えられます。

「質問2」
お坊さんは「なまんだぶ」「なむあみだぶつ」を混合して使っていました。私が小学校の夏休みに毎日通った大谷派のお寺では「なまんだぶ」は聞いたことがありません。親鸞様が「なまんだぶ」でいいと言ったのですか?阿弥陀如来に帰依しますという意味であれば、省略するのは阿弥陀さまにとても失礼な気がします。私はいつも「南無阿弥陀仏」と唱えています。

[質問3]
「・・・高僧説」で終わります。位の高い僧が説いた、とのことですが、この位の高い僧は誰ですか? この位の高い僧が書いたお経はあるのですか?

富付 歩富付 歩 2016/06/21 22:41
[質問4]
阿弥陀さまが、「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」
をしたとの記述は、正信偈以外のどのような経本にありますか?

とおりすがりとおりすがり 2016/06/24 23:33 「・・・高僧説」=「えらいぼんさん、ゆうたげな。」

経本も他力ですか。
お経の本は他人に頼らず、自分で書いてほしい。

とおりすがりとおりすがり 2016/06/24 23:33 「・・・高僧説」=「えらいぼんさん、ゆうたげな。」

経本も他力ですか。
お経の本は他人に頼らず、自分で書いてほしい。

駄女神駄女神 2017/08/10 15:08 サンスクリットで
なもー あみた ぶっだはぁ
という発音が南無阿弥陀仏の語源らしいので
なもあみたぶー が原音に近いのかもしれません。
光明輝く仏陀の教えに帰依するよ!(仏陀に一生ついてくわっ!)って言う意味は忘れられがちですね
キリスト教のアーメンとかも「(神の)おっしゃる通り!」らしいけど、知ってる人少ないみたい

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