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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-01-10

幹部会員歴数十年さんと、S会会員わりとからむなwさんの議論まとめ

幹部会員歴数十年さんと、S会会員わりとからむなwさんの議論を、エントリーにまとめて欲しいという要望がありましたので、コメント欄のものを転載します。読みやすくするために、根拠は太字にしています。

もとのコメントは、こちらです。

S会会員わりとからむなw 2012/01/08 11:09

善を実行して初めて、善のできない自己を知らされこそのそのままの救いではありませんか?

善をしない前は、自分には善ができると自惚れている故、「そのまま」と仰せられても計らいを為してしまうというのが自力の実態だと思いますが。


幹部会員歴数十年 2012/01/08 12:28

S会会員わりとからむなwさんへ

高森邪義に毒されているからそのような考え方しかできないのでしょうが、親鸞聖人も蓮如上人も、あなたのようなことを仰ったお言葉はありません。

親鸞会では善人悪人の定義が根本的に間違っていますが、悪人とは「仏法世俗の善根有ること無し」のことです。善導大師が観無量寿経疏で定義されています。

仏法世俗の善根が有ること無し」なのですから、過去世において善をしてこなかったのですし、今後もすることがない、できるとも思っていない人のことを悪人というのです。善ができると自惚れている人は、悪人ではありません。

親鸞聖人・蓮如上人が仰っていることは、雑行(定散二善・19願)を捨てよだけです。一度雑行をしてみよ、と仰ったところはただの1か所もありません。

「捨てよ」を「せよ」と理解するのを秘事法門というのです。

聖教を読んで、どのように教えられているかを知らずに、教義について語るのが高森会長と会員です。

聖教を無視するならば、親鸞聖人、浄土真宗ではないです。


S会会員わりとからむなw 2012/01/08 14:22

こういうことを言うと、T会長に毒されているからだ。と言われるのは目に見えてますが、たとえば貴方が「捨てよ」とは、どんな人に言われますか?

もちろん、何かモノを持っている人に限ってですよね。

同じように雑行を捨てよ、やめよ、というのも雑行をやっている人にこそ相応しい言葉ではないでしょうか。

そもそも行を為してない人にそう言っているとしたらあまりにも不自然過ぎます。

だから、「せよ」とは言われていないから「しない」というのはヘリクツのような理屈ではないでしょうか。

善いことは、言われずともやるから善いことなのであり、これは仏教に限らず常識的な考えですよね。

「一日一善」

是非、今日からでも実践してください


幹部会員歴数十年 2012/01/08 15:08

S会会員わりとからむなwさんへ

あなたの言われることは、予想できますので、何も驚きません。

捨てよと言われるときに、持っている人に限るというのが、決定的におかしいです。

高森会長がよく出す譬えでいえば、

たばこをのむな」

は、たばこをのんでいない人に対してもいいますよ。中学生高校生の頃、たばこをのんでいない学生に対してよくいわれましたよね。

「酒を飲むな」

は、酒を飲んでいない人にももちろんいいます。仏教五戒の中に、不飲酒戒がありますが、これは酒を飲んでいる人に対してだけ言われたものと考える仏教徒はいません。

自殺するな」

といいますが、自殺した人に自殺をするなといっていると思ってたら、おもしろい考えですね。自殺していない人に対して、言われていますね。当たり前です。

世間の常識でもあなたの考えは、間違いです。

次に、真宗の常識でいいます。

雑行をしていない、雑行を持っていない人は、親鸞聖人・蓮如上人当時はいなかったのでしょうか?

当然いましたよね。では、その雑行をしていない人に対して、雑行をせよと仰ったお言葉が、1つでもありますか?

皆無ですね。雑行をしていない人は、見捨てられたのでしょうか?

そんなことはないですね。雑行をしていない人にも、「たばこをのむな」「酒を飲むな」「自殺をするな」と同じように、雑行を捨てよ、するなよ、迷うなよ、と教えられているのです。

「捨てよ」を「せよ」というのは、ヘリクツのような理屈です。

蓮如上人のお言葉を示しておきます。

『御文章』3帖目第13通

当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、こころうべき次第は、まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。

http://goo.gl/jDrqC

簡単にいえば、

信前の人も信後の人も、国の法律を守り、仁義(倫理道徳の善)に心がけなさい。

信心決定のためには、雑行・雑善をすてなさい。

ですね。雑行とは定散二善・19願のことといいましたが、倫理道徳の善は信心決定と関連付けませんので、雑行ではありません。

真宗では「一日一善」とは、倫理道徳の善をしましょうですね。一方で、定散二善を捨てましょうですね。

是非、今日からでも実践してください。


S会会員わりとからむなw 2012/01/08 17:02

貴方のような頭のよい人とからむのはおもしろい。何を言っても反命題を挙げるのだから。だからこそ、破邪顕正の甲斐があるというもの。

ただ残念なのは、私が「モノを持っている人」の話をしたのは、あくまで「例え」であることをご理解頂きたかったです。例え自体は論旨そのものではないので、合わないところがあって当然。その当然ところを当然の如く批判していますが、揚げ足をとったことにさえならないですよ。

私が言ったのはあくまで「モノを持っている人に限り」です。

「酒、タバコをのんでいる人に限り」ではありません。

それにしても、貴殿方は余ほど善がしたくないのですね。

なぜ倫理道徳でさえ勧められているのだから、とは考えられないのでしょうか?

真宗は倫理道徳以下ですか?

だから、悪人製造の宗教と同一視されるのです。

貴殿方を見ていると、そんな者だからこそ救うと建立された本願がいよいよ偲ばれてくる思いです。

「定散二善を捨てましょう」とありますが、心配ご無用です。

未だかつて、それができている人を知りませんから。

むしろ「定散二散のできない自己を知るために」

せめて「一日一善」からでもお始めください。


幹部会員歴数十年 2012/01/08 17:18

S会会員わりとからむなwさんへ

私もあなたのような、偏屈な人とからむのはおもしろいです。

例えであろうがなかろうが、「捨てよ」としか教えられていないのは事実ですね。

信心決定のために「せよ」と教えられた個所は皆無です。

私は倫理道徳の善に努めていますよ。言いがかりはやめましょう。

倫理道徳の善はできる人もできない人も、心がけねばなりません。当然なことです。

しかし親鸞会で強力に勧める布施法施財施)は雑行ですから、当然ながら「捨てよ」です。

この違いがわからないから、屁理屈を捏ね繰り回すのですが、親鸞聖人も蓮如上人も雑行である「定散二善は捨てよ」としか仰っていませんね。

あなたは御存知ないようですので、再度書いておきます。

信巻

禅に参はり性を見ること、たれか高玉・智覚にしかんや。みな社を結び、仏を念じて、ともに上品に登りき。

http://goo.gl/a4anO

とあります。智覚禅師・高玉禅師は、ともに上品の方であったということです。つまり、散善のできた方ですね。

善導大師は定善について観経疏

ただ万事ともに捨てて、なほ失意・聾盲・痴人のごとくなれば、この定かならずすなはち得やすし。

http://goo.gl/uqY7a

と仰っていますね。善導大師にとっては定善は「得やすし」だったのです。

定散二善ができる人がいないなどという妄想を抱いている限り、少し前に書いた、『浄土和讃』に

臨終現前の願により

 釈迦は諸善をことごとく

 『観経』一部にあらはして

 定散諸機をすすめけり

http://goo.gl/19uWs

とあります。観無量寿経でお釈迦さまが誰に対して諸善を勧められたかの答えが、「定散諸機をすすめけり」です。

「逆悪の機」に対する「定散諸機」です。「定散諸機」を親鸞会では「定散二善」と解釈していますが、基本的な知識が欠落しています。

が理解できる訳もないでしょう。

あなたも含めて親鸞会では、肝心なところでは根拠を出しませんね。正しくは出せませんね。

親鸞聖人・蓮如上人と真逆のことを平気で無根拠で主張するのですからね。

「一日一善」の前に、「一日無謗法」を心がけるようにされては如何でしょうか。

私は善知識方の根拠に基づいてしか意見を述べることができません。あなたのように、根拠を無視した謗法罪を怖れるからです。


S会会員わりとからむなw 2012/01/08 18:29

根拠を無視した謗法罪を恐れるなら、根拠と違った解釈を弘める謗法罪も同様に恐れるべきではありませんか。

たくさんの根拠を挙げられて、よく勉強しておられると関心はしますが、それが親鸞聖人の御心であり釈迦の御心、即ち阿弥陀仏の御心に沿った解釈であると、どうして分かるのですか?判断基準は何ですか?

それは自分の判断力だ、と言われるならそんな仏にも劣らない方とは知らず、これまでのご無礼をお詫びします。

あと「一日無謗法」を心がけるように、とありますが、これまたご心配なく。

未だかつて、一つの謗法罪をつくったことのない人を私は知りません。

むしろ「謗法罪をつくるようなものだからこそ救う」と建立せられた本願の大慈悲に感泣せられる日のはやいことを願っております。


幹部会員歴数十年 2012/01/08 19:06

S会会員わりとからむなwさんへ

あなたの回答は予想通りですので、実に楽しいです。

「根拠と違った解釈」というあなたの判断基準は、何でしょうか?

私の判断基準はお聖教のお言葉そのものです。「捨てよ」=「するな」です。

「捨てよ」=「せよ」という判断基準は、世間の常識でも仏教の常識でも考えられません。判断基準とかいう以前の問題です。

阿弥陀仏の御心に沿った解釈云々は、お釈迦様、善知識方のお言葉に従うことです。言葉をもって伝えられた御心が言葉によって理解できないとは、これは如何なものでしょうか?

ちなみに、仏語、善知識方のお言葉と明らかに反することを平気でいう高森会長は、仏を超える存在だとでも思われているのでしょうか?

それでしたら、すでに仏教ではありません。完全な謗法罪です。

次に「謗法罪をつくったことのない人を私は知りません」とは、親鸞会の模範回答でそれを言ってくれるのを待っていました。

信巻浄土論を引かれて

 問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。

 答へていはく、もし無仏無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

 問うていはく、かくのごときらの計はただこれおのれが事なり。衆生においてなんの苦悩あればか、五逆の重罪に踰えんやと。

http://goo.gl/ivhMt

(現代語訳)

 問うていう。正しい法を謗るとは、どのようなことをいうのか。

 答えていう。仏もなく仏の教えもなく、菩薩もなく菩薩の教えもないというような考えを、自分自身でおこしたり、他の人に教えられて、その通りと心に定めることを、みな正しい法を謗るというのである。

とあります。この後も謗法罪の説明を曇鸞大師はなされていますが、仏教を信じている人を謗法罪の人と仰っていないことは自明です。謗法罪の基本的な定義です。

親鸞会お得意の『末灯鈔』

善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり

http://goo.gl/HXEw1

ですが、この後には、

同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。

http://goo.gl/HXEw1

と続きます。後の文を読めば、親鸞聖人が手紙を宛てられた関東の同行に対して、

「お前達は、五逆謗法の者だ」

と仰ったのではなく、その逆で、

「善証房のような五逆謗法の者に近づいてはならない」

と多くの関東の同行が五逆謗法の者でないことを仰った根拠になっていることが解ります。

全人類が謗法罪を造っているのではないと親鸞聖人がはっきり仰っていますが、仏を超える高森会長は自分の判断で、親鸞聖人が全人類は謗法の者だと仰っていると主張しているのですが、これは、国語の問題です。中学生にでも尋ねられては如何でしょうか?

それと今まで私が問うてきたことに関しては、認められたのですね。

・「そもそも行を為してない人にそう言っているとしたらあまりにも不自然過ぎます」は、たとえで出した世間の常識からも不自然ではない。

親鸞聖人、蓮如上人が信心決定のために雑行を勧められたお言葉は皆無である。

・定散二善のできる人がいる。

もう一度言いますが、根拠に基づいてしか私は意見を述べることができません。

国語の常識、仏教の歴史的な常識から逸脱した意見を、無根拠に弘めることは、善証房や善鸞同様、謗法罪です。


S会会員わりとからむなw 2012/01/08 20:33

予想通り?

貴方の想い程度でしか私の発言が理解できていないだけでしょう?

「根拠と違った解釈」の判断基準は、「根拠に沿った解釈」の判断基準を貴方が挙げられないことです。

「善証房のような五逆謗法の者に近づいて はならない」ということだけでなぜ他の同行がそうでないと断定できるのでしょう。

「善証房のようではない五逆謗法の者」もいるかもしれないではないですか。

つまり善証房や善鸞のように積極的に罪を造るような者は悪縁だから近づくな、ということであって、教えの無知によって不可抗力的につくってしまう謗法罪は他の同行たちにもあったと十分考えられます。

それを人間のつくった国語力程度で仏の御心をはかろうとするから問題なのです。

≫「そもそも行を為してない人にそう言っ ているとしたらあまりにも不自然過ぎま す」は、たとえで出した世間の常識からも 不自然ではない。

等々、認めたのですね。と満足されるのはそちらの勝手ですが、前述したことをよく読んでくだされば頭のよろしい貴方なら分かると思います。

あと、どうやらやはり私がS会のまわし者か何かと思っているようですが、そうではありません。

きっとT会長の言に似ているということだけで判断されたのでしょうが、会長の論理に妥当性と一貫性があると私個人が判断し、発言しているだけです。

私の名前に何の疑問も感じませんでしたか?会長を仏と崇め、S会に敬意を払っている者がどうしてこんなふざけた名前を名乗りますか?

ですから私の正体が見抜けていなかった時点で貴方の予想は外れていたのです。

そして同時に名前に疑問を抱かなかった貴方は、仏語を判断しているという国語力さえ乏しかったと言わなければなりません。

果たして中学生からやり直さなければいけないのはどちらでなんでしょうね。


幹部会員歴数十年 2012/01/08 21:05

S会会員わりとからむなwさんへ

私はあなたのことを親鸞会の会員だろうが非会員だろうが同じで、あまり興味のないことです。

ただ高森会長の邪義を支持する人物として、許しておけず、同じ穴の狢として扱っているだけです。

それと、あなたの主張にはいつも根拠がない。根拠なくして破邪顕正はできないと、あなたの尊敬する高森会長は言っていました。

その根拠は、人間の作った国語で判断できるように、善知識方は言葉をもって書かれたものです。

国語とか判断能力以前に、人間として教えを伝えようとなされたからです。それを逆さまにしか読めないところが、最初から仏教を語る資格がないのです。

>「善証房のようではない五逆謗法の者」もいるかもしれないではないですか。

ということは、五逆謗法の者でない者もいることを認められた訳ですね。

あなたは

>私が「モノを持っている人」の話をしたのは、あくまで「例え」であることをご理解頂きたかったです。

と言われていますが、私が挙げた世間の「例え」では、不自然でないことがあることを認められたのですね、と言っているのですが、御理解いただけましたか?

それと

親鸞聖人、蓮如上人が信心決定のために雑行を勧められたお言葉は皆無である。

・定散二善のできる人がいる。

は認められたということでよろしいですね。

追加で、

・「未だかつて、一つの謗法罪をつくったことのない人を私は知りません」は、訂正された

でよろしいですね。

根拠の1つも挙げられないで、解釈云々という仏教も始まっていない、国語にも疎いあなたには、負け犬の遠吠え以上のことはいえないですね。

真宗の教えを語りたいのであれば、私が挙げた根拠の解釈のどこがどのように間違っているのかも、はっきり言われるべきでしょう。


あれま 2012/01/08 21:05

1/8の11時9分「善をしない前」って言い方は

親鸞会の講師しか言いませんよ。


S会会員わりとからむなw 2012/01/09 00:59

≫高森会長の邪義を支持する人物とし て、許しておけず、同じ穴の狢として扱っ ているだけです。

だから私は特別に支持をしていないという話を一回前にしたそばからこれですから国語力を疑うのですよ…

≫「善証房のようではない五逆謗法の者」 もいるかもしれないではないですか。 ということは、五逆謗法の者でない者もい ることを認められた訳ですね。

貴方の「善証房のような~」という主張に対して「善証房のようではない~」という裏も考えるべきでは?と言っただけで、なぜ「五逆謗法の者」だけ取り出すのですか

「善証房のような五逆謗法の者はある」

「善証房のようではない五逆謗法の者はある」

「善証房のような五逆謗法の者はない」

「善証房のようではない五逆謗法の者はない」

このように文章全体で捉えれば、いくら言葉を裏返しても、五逆謗法の者自体がいないという意味だけにはならないのです。

ここまできたら少々高等な論理学の領域ですので、国語力だけに頼っている貴方には難しいのは当然ですかね。ですからこれに関してはご理解いただかなくても結構です。

また、そうやって文章の一部だけを取り出して自分の都合に持っていこうとする態度がよく出ていた一件だったと思いますね。

≫あなたの主張にはいつも根拠がな い。根拠なくして破邪顕正はできないと、 あなたの尊敬する高森会長は言っていまし た。

「根拠、根拠」とうるさく言われると思ったら、そういうことでしたか。

かつての師の説かれ方を守っておられるとは健気ですね。

さすが「幹部会員歴数十年」と名乗られるだけのことはある。

なんともはや、最終的には自己矛盾に陥っていることにも気づかない。

貴殿方の阿弥陀様は、そのままの救いなのでしょ?

まるで根拠の正しい解釈ができなければ、救われないかのように言われますね。

一文不知の尼入道なりとも、後世を知るを智者とす

http://goo.gl/BKAJg

です。解釈できようがまいが、臨終に自分の信心が動揺するしないが一大事です。

聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とする

http://goo.gl/iXAUZ

ということですね。

とは言いながら教学は必要ないと、誰かのように都合よく解釈する訳ではないですよ。

最後にあれまさんに返答して終わりましょう。

1/8の20:33 の書き込みをよく読んでもらえればS会講師かどうかなどすぐにお分かりになると思います。

では、長らくのおつきあい有り難うごさいました。


幹部会員歴数十年 2012/01/09 08:14

S会会員わりとからむなwさんへ

あなたが一番解っているでしょうが、どれだけ一生懸命誤魔化そうとしても、無理です。あなたの誤魔化しに納得する人はいないでしょう。

このように言えば、あなたなら次のことを言うでしょう。

私の誤魔化しに納得する人もいるかもしれないではないですか。

これが、昨晩のあなたの言葉遣いです。「かもしれない」は「全員」ということにはなりません。

あなたの主張

全人類=[五逆・謗法罪の者]

に対して、私は

全人類=[五逆・謗法罪の者]+[五逆・謗法罪の者でない者]

と主張したわけです。それに対してあなたは、

「善証房のようではない五逆謗法の者」もいるかもしれないではないですか

と言われただけですので、

全人類=[五逆・謗法罪の者]+[五逆・謗法罪の者でない者]

を肯定したことになるのです。国語と論理学の問題です。

根拠を以って、教義を説明するのが仏教です。善知識方は、皆それをされてきました。それを否定するのですから、あなたが謗法の者であることは、よく解りました。

私がよく勉強しているのではなく、あなたと高森会長が不勉強なだけですよ。

親とは?親とは? 2012/01/11 19:31 五逆罪での「親」とは「生みの親」、「育ての親」、またはその両方が該当するのでしょうか。
何故、そんなことを質問するのかといいますと、
そもそも生まれて間もないときの新生児には、親の概念/認識はないと、私は考えているからです。
それからもう一つ、
この世に生まれて、先天性の合併症などで直ぐに亡くなった新生児も無間地獄に堕ちるのでしょうか。

私や、私の身近な人の後生を心配するのは人として普通の感情であると思いますが、赤の他人からあの世のことを決めつけられるのは納得いきません。どこかで、お釈迦様は「覚者以外のものが人の後生を予言してはならない」といわれたと聞いたこともあります。
私のこの考えについて、ご意見ください。

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