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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-01-12

「この世に生まれて、先天性の合併症などで直ぐに亡くなった新生児も無間地獄に堕ちるのでしょうか。」(親とは?さんのコメントより)

親とは? 2012/01/11 19:31

五逆罪での「親」とは「生みの親」、「育ての親」、またはその両方が該当するのでしょうか。

何故、そんなことを質問するのかといいますと、

そもそも生まれて間もないときの新生児には、親の概念/認識はないと、私は考えているからです。

それからもう一つ、

この世に生まれて、先天性の合併症などで直ぐに亡くなった新生児無間地獄に堕ちるのでしょうか。

私や、私の身近な人の後生を心配するのは人として普通の感情であると思いますが、赤の他人からあの世のことを決めつけられるのは納得いきません。どこかで、お釈迦様は「覚者以外のものが人の後生を予言してはならない」といわれたと聞いたこともあります。

私のこの考えについて、ご意見ください。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120110/1326182303#c

五逆罪とはどういう罪かについて、教行信証信巻には、以下のように書かれています。

五逆といふは(往生十因)、「もし淄州によるに五逆に二つあり。一つには三乗の五逆なり。いはく、一つにはことさらに思うて父を殺す、二つにはことさらに思うて母を殺す、三つにはことさらに思うて羅漢を殺す、四つには倒見して和合僧を破す、五つには悪心をもつて仏身より血を出す。恩田に背き福田に違するをもつてのゆゑに、これを名づけて逆とす。(教行信証信巻末・浄土真宗聖典(註釈版)P303)

http://goo.gl/jfgDr

五逆罪で「親」(父母)と言われているのは、生みの親に該当するのが一般的かと思います。ただ、生まれたときに両親と別れてそれから、育ててもらった親があればその親も入ることになります。なぜなら、「恩田に背き…のゆえに、これを名づけて逆とす」と言われているからです。父を殺し、母を殺すのが五逆罪と言われるのは、恩を受けた相手を殺すからです。そういう意味では、育ての親でも殺せば五逆罪になります。

ただ、お尋ねの新生児の場合についてですが、父殺し、母殺しは身業の罪ですから、新生児に親を手にかけて殺すということは事実上不可能なので、五逆罪は造れません。よって、この世に生まれてすぐ亡くなった新生児が五逆罪を造り、間違いなく無間地獄に堕ちるなどということは言えません。

親鸞聖人が教行信証に、五逆罪を造ったものとして例に挙げられているのが阿闍世太子です。阿闍世太子が、なぜ五逆罪のものといわれたかといえば、実際に手にかけて父を殺したからです。

調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。(教行信証総序・浄土真宗聖典(註釈版)P131)

http://goo.gl/Vem2Q

しかるに眷属のために現世の五欲の楽に貪着するがゆゑに、父の王辜なきに、横に逆害を加す。(教行信証信巻末・浄土真宗聖典(註釈版)P267)

http://goo.gl/hbJRd

もし、生まれた時から五逆罪を造っているとすれば、上記のような「逆害を興ぜしむ」「逆害を加す」とわざわざ書かれる意味がありません。阿闍世太子(王)は、父親を実際に殺したがゆえに、五逆の者として教行信証に書かれ、そんなものでも救って下される阿弥陀仏の本願を明らかにされたのです。

コメントに書かれている通り、赤の他人から「お前は五逆罪を造っているから、無間地獄だ」と断言するのは、まさに大きなお世話です。大きなお世話どころか、言われた人を苦しめる呪いの言葉以外のなにものでもありません。

阿弥陀仏は、「自力では出離の縁あることない者」と見ぬいて本願を建てられました。全ての人に共通しているのは、無間地獄に堕ちる業ではなく、自力無功です。自力では浄土往生できないという点で、阿弥陀仏は全ての人を救うと本願を建てられました。

地獄へ行くぞと脅すものは、別の目的があって言っているに過ぎませんので気にする必要はありません。大事なことは、阿弥陀仏の本願をただ今聞いて救われることです。

参考リンク

お尋ねのような、新生児も死ねば無間地獄という間違った考えを指摘したエントリーは、以下にもありますので御覧ください。

親鸞会教義の誤り 一切衆生は必堕無間なのか1

会員との問答(一切衆生必堕無間について): 飛雲

真偽検証  親鸞聖人は「一切衆生必堕無間」などと教えられていません

親とは?親とは? 2012/01/12 17:17 やはり親鸞会は浄土真宗でも仏教でもないことが、よくわかりました。
有難うございました。

ギゼンギゼン 2012/01/13 02:26 陣痛とは、兵士が命懸けで戦に挑むぐらいの苦痛ということから言われています。

産みの苦しみを親に与えたことは、罪にはならないですか?
それはやはり不可抗力という見解でしょうか。

あと全人類が無間業かどうかは、自身の心を深く反省すれば分かると思います。

普段どんなことを思い、考えているか。

自分は、来世に地獄に堕ちるような悪人なのか、或いは来世によい所へ行けるような善人様なのかと。

往生こいた往生こいた 2012/01/13 03:07 あほですなあ

往生小イタ往生小イタ 2012/01/13 04:41 ろくに否定も述べず、「あほ」という言葉しか出ないところが、自ら「あほ」を表明していることにお気づきかな。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/13 05:15 ギゼンさんへ

>陣痛とは、兵士が命懸けで戦に挑むぐらいの苦痛ということから言われています。

高森会長の考えは、妄想に過ぎません。陣痛の「陣」は戦いの意味ではなく、「ひとしきり・にわかに」という意味です。

法然上人のお言葉
『往生大要鈔』

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

『浄土宗大意』

五逆をもつくらざるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうべからず。

ギゼンギゼン 2012/01/13 08:09 幹部会員歴数十年さんへ

「ひとしきり・にわかに」しか苦しめていないので、罪にはならないと言われているのですか?

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/13 08:27 ギゼンさんへ

あなたの考えは、キリスト教に似ていますね。
男には労働の苦しみを、女には出産の苦しみを与えた、という。

陣痛にも、ほとんど感じない人もいれば、相当に苦しむ人もいます。

無痛分娩で生まれた子供には罪はないが、大変な陣痛の末に生まれた難産の子供には罪がある、というのがあなたの考えでしょうか?
薬で陣痛を有る程度制御できる時代ですが、それは子供が制御するのではなく、親が制御しているのですが、それが子供の罪の重軽と関係があるのですか?

仏教では、あなたのような考え方は否定されますよ。
『教行信証』信巻に引文された『涅槃経』のお釈迦様のお言葉を読まれることをお勧めします。

臭野臭野 2012/01/13 08:56 ページトップにもある通り、ここは真宗についてのblogなんだから『法然や親鸞の言っている事は間違いであり、高森と俺の考えこそが正しいのだ!』という方は余所へ行きな。荒らしと同じ。

ギゼンギゼン 2012/01/13 10:07 幹部会員歴数十年さんへ

あなたの考え方は共産主義に似ていますね。
薬でどうにかなる物理的な痛みだけを問題にするのは唯物思想です。

産みの苦しみは、肉体的な痛みだけではなく、精神的にも非常に苦労するものです。

だからこそ、産んでもらった子供は、その恩に報いようとするのです。

「恩を感ぜざる者は、畜生よりも甚だし。」

これは仏教の言葉ですよね。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/13 10:37 キゼンさんへ

話を逸らさないようにしましょう。
それが罪になるというのが仏説ですか?
違います、高森邪説です。

『涅槃経』を読んでみたのですか?
読んでから来てください、キリスト教の話をするつもりはありませんから。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/13 10:40 『教行信証』信巻に引かれた『涅槃経』

 いかんぞ説きてさだめて地獄に入らんといはん。大王、一切衆生の所作の罪業におほよそ二種あり。一つには軽、二つには重なり。もし心と口とに作るはすなはち名づけて軽とす。身と口と心とに作るはすなはち名づけて重とす。大王、心に念ひ口に説きて、身になさざれば、得るところの報、軽なり。大王、むかし口に殺せと勅せず、ただ足を削れといへりき。大王、もし侍臣に勅せましかば、たちどころに王の首を斬らまし。坐のときにすなはち斬るとも、なほ罪を得じ。いはんや王勅せず、いかんぞ罪を得ん。王もし罪を得ば、諸仏世尊もまた罪を得たまふべし。なにをもつてのゆゑに。なんぢが父、先王頻婆沙羅、つねに諸仏においてもろもろの善根を種ゑたりき。このゆゑに今日、王位に居することを得たり。諸仏もしその供養を受けたまはざらましかば、すなはち王たらざらまし。もし王たらざらましかば、なんぢすなはち国のために害を生ずることを得ざらまし。もしなんぢ父を殺してまさに罪あるべくは、われら諸仏また罪ましますべし。もし諸仏世尊、罪を得たまふことなくは、なんぢ独りいかんぞ罪を得んや。

 大王、頻婆沙羅むかし悪心ありて、毘富羅山 にして遊行し、鹿を射猟して曠野に周遍しき。ことごとく得るところなし。ただひとりの仙 の五通具足せるを見る。見をはりてすなはち瞋恚悪心を生じき。《われいま遊猟す。得ざる ゆゑんは、まさしくこの人の駆逐して去らしむるに坐る》と。すなはち左右に勅してこれを殺さしむ。その人終りに臨んで瞋を生ず。悪心あつて神通を退失して誓言をなさく、《われ実に辜なし。なんぢ心口をもつて横に戮害 を加す。われ来世において、またまさにかくのごとく還つて心口をもつてして、なんぢを害すべし》と。ときに王、聞きをはりて、すなはち悔心を生じて死屍を供養しき。先王かくのごとくなほ軽く受くることを得て、地獄に堕ちず。いはんや王しからずして、まさに地獄の果報を受くべけんや。先王みづから作りて、還つてみづからこれを受く。いかんぞ王をして殺罪を得しめん。王のいふところのごとし。父の王辜なくは、大王 いかんぞ、失なきに罪ありといはば、すなはち罪報あらん。悪業なくはすなはち罪報なけん。なんぢが父先王、もし辜罪なくは、いかんぞ報あらん。頻婆沙羅現世のなかにおいて、また善果および悪果を得たり。このゆゑに先王またまた不定なり。不定なるをもつてのゆゑに殺もまた不定なり。殺不定ならば、いかんしてかさだめて地獄に入らんといはん。

 大王、衆生の狂惑におほよそ四種あり。一つには貪狂 、二つには薬狂、三つには呪狂 、四つには本業縁狂 なり。大王、わが弟子のなかに、この四狂あり。

多く悪を作るといへども、われつひにこの人、戒を犯せりと記せず。この人の所作三悪 に至らず。もし還つて心を得ば、また犯といはず。王もと国を貪してこの父の王を逆害す。貪狂の心をもつてためになせり。いかんぞ罪を得ん。大王、人の耽酔 してその母を逆害せん、すでに醒悟 しをはりて、心に悔恨を生ぜんがごとし。まさに知るべし、この業また報を得じ。王いま貪酔せり。本心の
なせるにあらず。もし本心にあらずは、いかんぞ罪を得んや。

 大王、たとへば幻師 の四衢道 の頭にして、種々の男女・象・馬・瓔珞・衣服を幻作するがごとし。愚痴の人は謂うて真実とす。有智の人は真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂へり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、たとへば山谷の響きの声 のごとし。愚痴の人はこれを実の声と謂へり、有智のひとはそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂へり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の怨あるが、詐り来りて親付するがごとし。愚痴の人は謂うてまことに親しむとす、智者は了達 してすなはちそれ虚しく詐れりと知らん。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂ふ、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人鏡を執りてみづから面像を見るがごとし。愚痴の人は謂うて真の面とす、智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂ふ、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、熱の時の炎 のごとし。愚痴の人はこれはこれ水と謂はん、智者は了達してそれ水にあらずと知らん。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂はん、諸仏世尊はそれ真にあらずとしろしめせり。大王、乾闥婆城 のごとし。愚痴の人は謂うて真実とす、智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂へり、諸仏世尊はそれ真にあらずと了知したまへり。大王、人の夢のうちに五欲の楽を受くるがごとし。愚痴の人はこれを謂うて実とす、智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂へり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、殺法・殺業・殺者・殺果 および解脱、われみなこれを了れり、すなはち罪あることなけん。王、殺を知るといへども、いかんぞ罪あらんや。大王、たとへば人主ありて酒を典れりと知れども、もしそれ飲まざれば、すなはちまた酔はざるがごとし。また火と知るといへども焼燃せず。王もまたかくのごとし。また殺を知るといへども、いかんぞ罪あらんや。大王、もろもろの衆生ありて、日の出づるときにおいて種々の罪を作る、月の出づるときにおいてまた劫盗を行ぜん。日月出でざるにすなはち罪を作らず。日月によりて、それ罪を作らしむといへども、しかるにこの日月実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。{乃至}

 大王、たとへば涅槃は有にあらず、無にあらずしてまたこれ有なるがごと
し。殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといへども、慚愧の人はすなはち有にあらずとす。無慚愧のものはすなはち無にあらずとす。

果報を受くるもの、これを名づけて有とす。空見の人 はすなはち有にあらずとす。有見の人 はすなはち無にあらずとす。有有見のもの はまた名づけて有とす。なにをもつてのゆゑに、有有見のものは果報を得るがゆゑに。無有見のもの はすなはち果報なし。常見の人 はすなはち非有とす。無常見のもの はすなはち非無とす。常常見のもの は無とすることを得ず。なにをもつてのゆゑに、常常見のものは悪業の果あるがゆゑに、このゆゑに常常見のものは無とすることを得ず。この義をもつてのゆゑに、非有・非無なりといへども、しかもまたこれ有なり。大王、それ衆生は出入の息に名づく。出入の息を断つ、ゆゑに名づけて殺とす。諸仏、俗に随ひて、また説きて殺とす〉。




(現代語訳)




釈尊が仰せになる。<どうして、きっと地獄に堕ちてしまうというのか。王よ、すべての衆生がつくる罪には、総じて二つある。一つには軽いもの、二つには重いものである。心と口につくる罪は軽く、身と口と心とにつくる罪は重いのである。王よ、心に思い、口にいうだけで、身に行わないなら、その報いは軽い。王は昔、父王を殺せと口で命じたのではなく、ただ足を傷つけて幽閉せよといったのである。王がもし家来に、父王の首を切れと命じたなら、家来はただちにそのようにしたであろう。そのとき父王の首を切ったとしても、命じただけでは王の罪にはならない。まして王はそのように命じてはいないのだから、どうして罪になろうか。王にもし罪があるなら、仏がたにもまた罪があるであろう。なぜなら、そなたの父である頻婆娑羅王は、いつも仏がたを供養して多くの功徳を積んでいたから王位につくことができたのであって、仏がたがその供養をお受けにならなかったなら、王位につくことはなかったのである。王位につかなかったなら、そなたが国を奪うために父王を殺害するということもなかったであろう。そなたが父を殺し、それが罪に成るのなら、わたしを含めて仏がたにもまた罪があるはずである。仏がたに罪がないのなら、そなただけにどうして罪があろうか。

 王よ、頻婆娑羅王は昔、悪い心をおこしたことがある。すなわち毘富羅山に猟にでかけ、鹿を射ようとして広野を歩きまわったことがあり、そのとき、一頭の鹿も得ることができなかった。そこにはただ五つの神通力をそなえた仙人が一人いるだけだった。頻婆娑羅王はこの仙人を見て大いに怒り、悪い心をおこしたのである。«わたしが今猟に来ているのに獲物が得られないのは、このものが追い払って逃したからだ»と思い、そこで家来に命じてこの仙人を殺させてしまった。仙人は命が終るときに怒りの心をおこして神通力を失い、«わたしには何の罪もない。それなのにお前は心と口とで非道にもわたしを殺す。わたしも来世では、またお前がしたように、心と口とできっとお前を殺す»と誓いをたてた。父王はこれを聞いて後悔の念にかられ、その亡骸を供養したのである。父王はこのようなわけで、罪が軽くなって地獄には堕ちなかった。まして王は殺せと命じたわけでもないのに、地獄に堕ちるはずがあろうか。父王は自分で罪をつくって、自分でその報いを受けたのである。王には父を殺したという罪はない。王は、父王に罪がないというけれども、どうして罪がないといえようか。罪があれば罪の報いがあり、罪がなければ罪の報いもないであろう。そなたの父に罪がないなら、どうして殺されるという報いがあろうか。頻婆娑羅王はこの世で、王になるという善の果報と、殺されるという悪の報いとを得た。だから、父王は、善とも悪ともいえない。善悪不定であるから、これを殺してもそれは善悪不定である。殺したことが善悪不定なら、どうして間違いなく地獄に堕ちるといえようか。

 王よ、衆生の錯乱に総じて四通りがある。一つには貪欲によるもの、二つには薬によるもの、三つには呪われたことによるもの、四つには過去の行いによるものである。王よ、わたしの弟子たちの中にも、この四つの錯乱がある。錯乱したものが多くの悪をつくったとしても、わたしはこの人が戒律を犯したとはしない。錯乱したものが作った悪は地獄や餓鬼や畜生の世界に至る罪とはならない。もし正気に戻ったなら、そのものが戒律を犯したとはいわないのである。王は、かつて国王の位につきたいという心から父王を殺害した。それは貪欲による錯乱からしたのであるから、どうして罪になろうか。王よ、人が酒によって母を殺し、酔いが醒めてから後悔するようなものである。この行いもまた報いを受けないものと知るがよい。王は今貪欲による錯乱から王を殺害したのであって、正気でしたことではない。正気でしたことでないのなら、そうして罪になろうか。

 王よ、たとえば幻術師が、街の四つ角でさまざまな男女、象や馬、飾り物や衣服などの幻を見せるようなものである。愚かな人はそれを真実と思うが、賢い人は真実ではないと知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。王よ、また山びこのようである。愚かな人は真実の声と思うが、賢い人はそれが真実の声ではないと知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。王よ、また怨みをいだいているものがいつわって親しげに近づいてくるようなものである。愚かな人は本当に親しくなったように思うが、賢い人はそれが嘘いつわりであると知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。王よ、また人が鏡を持って自分の顔を見るようなものである。愚かな人はそれが真実の顔と思うが、賢い人はそれが真実の顔ではないと知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。王よ、また逃げ水のようである。愚かな人はこれを水であると思うが、賢い人はそれが水ではないと知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。王よ、また蜃気楼のようである。愚かな人は真実と思うが、賢い人はそれが真実のものではないと知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。王よ、また夢の中で五欲の楽しみを受けるようなものである。愚かな人はこれを真実と思うが、賢い人はそれが真実ではないと知っている。殺害もまた同じである。凡夫は真実と思っているが、仏がたはそれが真実ではないと知っておられる。

 王よ、殺害の方法も殺害の行為も殺害する人も殺害の結果も、そしてそれからの逃れ方もわたしはすべて知っているが、わたしに罪があるのではない。王が殺害のことを知っていても、どうして罪があろうか。王よ、たとえば人が酒についてよく知っていても、のまなければ酔わないようなものである。王もまた同じである。殺害のことを知っていても、どうして罪があろうか。王よ、ある人が太陽の出ているときにはさまざまな罪を犯し、また月の出ているときには盗みを働き、そして、太陽や月が出ていないときには罪を犯さないとしよう。この場合、太陽や月によって罪を犯すけれども、しかしこの太陽や月には罪があるのではない。殺害もまた同じである。(中略)

 王よ、またたとえば、涅槃が有でもなく無でもなくて、しかも有であるようなものである。殺害もまた同じであり、有でもなく無でもなくて、しかも有なのである。慚愧の心がある人には有ではなく、慚愧の心がない人には無ではないのであって、その報いを受ける人からいえば有なのである。また、すべては空であると知った人には有ではなく、すべては有であると考える人には無ではないのであって、この有の考えにとらわれた人からいえば有なのである。なぜかというと、有の考えにとらわれた人は報いを受けるからである。有の考えにとらわれない人は報いを受けない。また、涅槃が変ることなく存在していることをさとっている人には有ではなく、それをさとらない人には無ではないのであって、涅槃が変ることなく存在していることにとらわれている人からいえば無であるとすることはできない。なぜかというと、変ることなく存在していることにとらわれている人には悪い行いの報いがあるからである。だから、涅槃が変ることなく存在していることにとらわれている人からいえば無であるとすることができないのである。このようなわけで、有でもなく無でもなくて、しかも有なのである。王よ、衆生とは呼吸するもののことである。呼吸を断つから殺害というのである。衆生の本来は空であるから殺害も空であるが、仏がたも世間の考え方に合せて、殺害と説くのである>

ギゼンギゼン 2012/01/13 21:35 幹部会員歴数十年さんへ

わざわざご丁寧に根拠まで挙げてくださいまして、ありがとうございます。

お尋ねしたいのですが、

・親をそしる者をば五逆の者と申すなり。

という親鸞聖人のお言葉を、どう解釈されているのでしょうか。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/13 21:38 ギゼンさんへ

以前のコメントにも書きましたので、そちらを読んでください。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/13 21:43 念のため 2012/01/08 19:06 のコメントを抜粋しておきます。



親鸞会お得意の『末灯鈔』

善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり

ですが、この後には、

同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。

と続きます。後の文を読めば、親鸞聖人が手紙を宛てられた関東の同行に対して、

「お前達は、五逆謗法の者だ」

と仰ったのではなく、その逆で、

「善証房のような五逆謗法の者に近づいてはならない」

と多くの関東の同行が五逆謗法の者でないことを仰った根拠になっていることが解ります。

キゼンは人でなしキゼンは人でなし 2012/01/15 18:09 人の良心に付け込んで罪悪感を植え付けるのは卑怯だ
親は喜んで子を産むものもいたら生みたくもなく便所に捨てるものもいるではないか
なんで一律に全人類を規定したがるのか
子に罪を作らせるための出産とはこれいかに?

ギゼンギゼン 2012/01/16 13:41 ギゼンは人でなしさんへ

あなたの気持ちはよく分かります。私自身も心からそんなことは思えないところはありますが、果たして人間は、それほど善良な存在でしょうか。

もしそうなら、歴史的に繰り返された悲劇、今もなお続く、戦争、殺戮が起こるはずがありません。

しかしここで、それは一部の非情な人間だけで、私ではない、と思われるでしょう。

よく自身の心を反省していただきたいのですが、今までに誰か他人に不快を感じたとき、その人がいなくなればよい、と思われたことがあるはずです。
これは誰もが思うことですが、この思いが何かのきっかけで増幅されたとき、戦争や殺人に発展するのです。邪魔者は消せ、という戦争などは全てその思いが温床といえるのです。
そして、その思いが自分の親に向いたときは、五逆罪になります。

・親をそしるものをば五逆のものと申すなり。

親鸞聖人のお言葉ですが、実際に手にかけるだけが、罪ではありません。
親を疎んじる心がそうさせるのですから、悪口を言うだけ、思うだけでも同罪なのです。

そしてこの罪は我々が造ろうとして造っているのではなく、そんな罪を造らざるを得ない、どうしようもない業を背負っているのです。
阿弥陀仏は人間をそんな者と見抜かれて、本願を建てられました。

私などが全人類を一律に規定できるはずがありません。全人類を一律に諦観されたのが阿弥陀仏なのです。

ですから、出産に関しても、その造らざるを得ない罪の一つなのです。

しかしだからこそ、そんな罪を、親の苦しみを感じるからこそ、その親の恩に報おうと思えるのです。

親が子を産むのは当然と思うから、感謝もできず、果ては、親が子を、子が親を殺してしまうような、今日にも起きている悲劇が繰り返さてしまうのではないでしょうか。

やややや 2012/01/16 14:15 ギゼンさんへ

あなたの思考回路がおかしいとは私は言いません。実際にそれほど論理が破綻しているわけではありませんしね。しかしその考えが問題だとされている理由をよく認識していないようですね。

いいですか、よく聞いてください。
その思想は仏教でも真宗でもなく、ただの凡夫が考えついたものです。つまり仏説ではないということです。ここが問題なのです。

ですからどうしてもその考えが正しいと思われるのであれば新しい宗派を開くことを強くオススメします。
ご理解いただけましたか。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/16 15:30 ギゼンさんへ

高森会長の言うことを鵜呑みにし過ぎですね。それは親鸞聖人が教えられたことでもなければ、お釈迦さまが教えられたことでもありません。
その証拠にあなたと高森会長の言うことには根拠がありません。根拠として示しているのは、断章取義(一部分を切り取って意味がかわること)をしているだけなのです。

あなたと親鸞会が挙げる『末灯鈔』のお言葉と同様の内容で、同じく『末灯鈔』に、

この御中のひとびとも、少々はあしきさまなることのきこえ候ふめり。師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。

とありますが、これも

五逆謗法の者に近づいてはならない

ということであり、五逆謗法でない者がいることが大前提です。

また善鸞義絶状には

第十八の本願をば、しぼめるはなにたとへて、人ごとにみなすてまゐらせたりときこゆること、まことに謗法のとが、また五逆の罪を好みて人を損じまどはさるること、かなしきことなり。
ことに破僧の罪と申す罪は、五逆のその一つなり。親鸞にそらごとを申しつけたるは、父を殺すなり、五逆のその一つなり。このことどもつたへきくこと、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。

とあります。善鸞が邪義を唱え、関東の同行を惑わしたこと、親鸞聖人に嘘を報告していたことに対して、五逆罪・謗法罪と仰っているのです。裏を返せば、善鸞がそのような言動をしなかった時には、

お前は五逆謗法の者

と仰っていなかったことになります。

親鸞聖人が自ら書写されて、関東の同行に送られて、読むように勧められている『唯信鈔』には、

われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず

とあります。私たちは罪深いとはいいながらも、五逆罪を造っていない、ということです。これを親鸞聖人は、関東の同行に読むように勧められているのです。その上で親鸞聖人からのお手紙で

善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。

とあれば、関東の同行は、これを読んでどう思ったか?

自分は五逆罪を造っていないが、五逆罪謗法罪を造っている善証房のような者たちには近づかないようにしよう

としか思わないでしょう。もう少し詳しく説明すれば、関東の同行は五逆謗法の定義を

親鸞聖人の仰ったことを否定したり、親鸞聖人を馬鹿にするような者は、謗法の者であり、死ぬほど苦しい思いを親がするような扱いをすれば、五逆の者なんだ。

と理解するでしょう。

説法の内容が良かったとか悪かったとか、長かった短かったと評価することが謗法罪、親のことを心の中で「いい加減に死んでくれたら」と思っただけで五逆罪

と理解した関東の同行がいる筈もありません。

結局のところ、親鸞聖人が

全人類=五逆謗法の者

と仰ったお言葉はないだけでなく、親鸞会が出している『末灯鈔』のお言葉も、実は、

全人類≠五逆謗法の者

ことを証明する根拠となるのです。

多くの人は五逆罪を造っていないと法然上人も親鸞聖人も、聖覚法印も異口同音に仰っているのに、何を言っているのかということです。
涅槃経も示しましたので、お釈迦様の仰せでも、あなたのような固定不変な罪業を否定されているのです。

真宗でも浄土門でも、更には仏教でもない教えを言い張るのでしたら、別の場所へ行かれては如何ですか?

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/16 15:52 ついでに出産のことも言っておきます。
あなたには、子供がいないのでしょう。

大抵の親は、子供を産むことを精神的に苦しいとは感じません。うれしいという思いの方が強いです。子供に対して、生まれてきてくれて有難う、という感謝の気持ちさえ出てくるものです。
陣痛の肉体的苦しみについても、前に書いた通りです。

つまりは、精神的肉体的な苦痛は、親によって、相当の違いがあるのです。
精神的にも嬉しさ一杯で、無痛分娩の親と、精神的に不安一杯で中絶もできず嫌々出産して、大変な難産であった親といる訳です。

それが子供の責任なのか、と尋ねているのです。親が苦しむかどうかは、子供の責任ではなく、親の自己責任です。
それくらいのことは御理解いただけますか?

それを子供の責任になすりつける親が、子供を虐待する傾向にあるのです。あなたの考えは、実に危険な思想です。

涅槃経に説かれてあるお釈迦様の教えと、まるで正反対のことをあなたが主張していることも気が付いているでしょう。
それでいて、自分の考えこそが正しい、というのがまさに、仏を軽んじ、善知識を馬鹿にした謗法罪なのです。

あなたが謗法罪を造っているからと言って、皆が同じだという思考もやめましょう。
その思考が、オウムのようなカルトを生み出すのです。

名無し名無し 2012/01/16 18:56 相変わらず論理的な話になると弱いようですね幹部会員歴数十年さん。

あなたは、子供がいないでしょう。いたとしても、どれほどご立派なお子さんですことやら。

ギゼンさんは、産みの苦しみを与えるのは不可避的なもの、と言われているのがお分かりになられないようで。

いつ、それが子供の責任になると言われました?
それは造らざるを得ない、どうしようもない罪である、と言われているだけなのです。
だからこそ、そうと知れば、産みの親に感謝し、その恩に報おうとする。というのがギゼンさんの主張ではありませんか。

どうやら、貴方は親が子を産むのは当たり前と思っている。だから親に感謝ができないのです。
ギゼンさんの話を単純に「子供が悪い」と一義的にしか受け取れないのがその証拠です。

あと、私が論破した根拠を性懲りもなく挙げていますね。

「関東の同行に五逆謗法の者がいないと断定はしていない」
と言われたのは貴方自身ですよ。そんな不確かな根拠をいつまで挙げられるのですか。

≫関東の同行は、これを読んでど う思ったか? 自分は五逆罪を造っていないが、五逆罪謗 法罪を造っている善証房のような者たちに は近づかないようにしよう としか思わないでしょう。もう少し詳しく 説明すれば、関東の同行は五逆謗法の定義 を 親鸞聖人の仰ったことを否定したり、親鸞 聖人を馬鹿にするような者は、謗法の者で あり、死ぬほど苦しい思いを親がするよう な扱いをすれば、五逆の者なんだ。 と理解するでしょう。 説法の内容が良かったとか悪かったとか、 長かった短かったと評価することが謗法 罪、親のことを心の中で「いい加減に死ん でくれたら」と思っただけで五逆罪 と理解した関東の同行がいる筈もありませ ん。


関東の同行がどう思おうが、どう理解しようが、そんなこと問題になるんですか?

これは他ならぬ親鸞聖人のお言葉なのですから、聖人の意図を汲み取らなければいけません。

ですから、その根拠では親鸞聖人が「関東の同行に五逆謗法の者がいない」と意図されて仰られたと断言はできないのです。

最後に「涅槃経」についてですが、貴方のような理論ベタな人が「空」の理論には触れないことです。

万物は有でもなく、無でもなく、固定不変なものなどない。
と聞くと、自分の罪悪まで、そのようなものだと都合良く解釈してしまう危険が多々あります。

そんなあなたにはまず「唯識論」を学ぶことをお勧めします。

「自己の罪悪」と「空」の関係がよく分かりますよ。

そもそも「空」は悟りの境地そのものです。我々凡夫が到底理解し得るものでないことを理解せずして、分かったような口をきくのは、自惚れも甚だしい、と言わなければなりません。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/16 19:04 名無さんへ

相変わらず私の主張が理解できていないようですね。
親鸞聖人が「関東の同行に五逆謗法の者がいない」と仰ったと、私はどこにも書いていません。
解説が必要ですか?
これさえ解らないようで、罪業が空であることなと、到底解らないでしょう。
涅槃経に何が説かれてあるか、現代語訳まで付けて挙げても、それを全く受け付けない。それを謗法罪と言うのです。

まずは日本語の基本的なことから勉強されるべきでしょう。

やややや 2012/01/16 19:30 名無しさんへ

あなたは一体何を物差しとして仏教を学んでいるのですか? いえ、これは愚問でしたね。

論理論理と論理にこだわっている割には実に論理が破綻した主張をしますね。なぜそうなってしまうのか。その原因は先程の問いの答えの中にあります。

冷静になってください。落ち着いてよく考えてください。そうすればあなたのその論理的な頭脳をもってして論理的な仏教を理解できないことがあるはずがありません。
では頑張ってください。

名無し名無し 2012/01/16 19:33 幹部会員歴数十年さんへ

≫親鸞聖人が「関東の同行に五逆謗法の者が いない」と仰ったと、私はどこにも書いて いません。

書くべきです。

親鸞聖人のお言葉は、聖人の御心どおり解釈するのが当然です。

そこを、関東の同行ならこう理解されるだろう、自分ならこう解釈するという考えを入れるから教えがねじ曲がるのです。

ですから、その発言は、根拠の不確かさを更に自ら表明することになったのは言うまでもないでしょう。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/16 19:51 名無しさんへ

>書くべきです。

失礼ですが頭は大丈夫ですか?
正気でこのように書いたのなら、驚きを通り越して非常に心配です。
私の主張と違うものを書かせて、私の主張が間違っていることを捏造したいと公表しているよなものですが、論理とか言う前に、ある科のドクターに診てもらうべきでしょう。

名無し名無し 2012/01/16 20:18 幹部会員歴数十年さんへ

気づいていたことではありますが、やはり貴方は親鸞聖人の教えを説く者の心構えを喪失してしまっているようです。

親鸞聖人の教えを説く者が挙げるべき根拠は全て、親鸞聖人がこう仰られた、と断言できるものでなくてはならないはずです。

≫私の主張と違うものを書かせて、私の主張 が間違っていることを捏造したいと公表し ているよなものですが、

貴方は自分の主張を通したかっただけなのですね。

私は、それが本当に親鸞聖人の教えか否かをハッキリさせるために今まで議論してきたのですが、非常に残念です。

幹部会員歴数十年さんの主張、解釈、考え、そんなものに一切、私は興味はございません。

どうぞ、ご自分の博学なこと、ご自分の主張を通して優勢感に浸ってください。

同じ仏法者として残念なことを通り越して呆れ果てました。

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/16 20:37 名無しさんへ

根拠も挙げられず、勝手なことを書いて実に恥ずかしいですね。
これまでのアホらしいやりとりではっきりしたことは、あなたは議論の前に、論理の勉強を、その前に日本語の勉強を、更にはその前にある科のドクターにカウンセリングを受けられることをすべきです。

何度書いてもあなたには理解できないでしょうが、もう一度書いておきます。

釈尊、法然上人、親鸞聖人、聖覚法印は、皆同じことを仰っています。
多くの人は五逆罪を造っていないと。

これ以上何が必要ですか?親鸞聖人の教えを説く者は、親鸞聖人の仰ったお言葉に従うのです。
親鸞聖人は信巻に

一つにはことさらに思うて父を殺す、
二つにはことさらに思うて母を殺す、
三つにはことさらに思うて羅漢を殺す、
四つには倒見して和合僧を破す、
五つには悪心をもつて仏身より血を出す。
恩田に背き福田に違するをもつてのゆゑに、これを名づけて逆とす。

(現代語訳)
一つには、故意に父を殺すこと、
二つには、故意に母を殺すこと、
三つには、故意に阿羅漢を殺すこと、
四つには、間違った考えをおこして教団の和を乱すこと、
五つには、悪い心をいだいて仏の体を傷つけて血を流すことである。
これらは父母や仏や僧などから受けた恩や徳に背くから、逆罪というのである。

と明言されています。

あなたの無学は誰の目にでも明らかですから、逃亡されることが最善策です。

とくよしみねとくよしみね 2012/01/16 22:41 あ〜、止めようと思うのだけれど、また書き込みせよとの仰せ。

ギゼンさま

貴方、いつ救われるのですか。

一切衆生、必堕無間ではありません。
貴方が五逆の者で必堕無間です。
分かりますか。
何度も書きます。
現在、ただ今、貴方が五逆の者で必堕無間です。
他の方は違います。
貴方が間違いなく必堕無間です。


その貴方に向かって、そのまま救うぞと叫ばれているのです。
貴方を助けたい。
助けさせてくれと阿弥陀さまが仰せです。

どうですか。
そう思えますか。
どうですか。

私に質問で返すようでしたら、もう、貴方に何も言いません。
貴方に私の言葉でどれだけ言っても伝わりません。

しかし、どうしても貴方が私のこの言葉を受け止めて頂きたい。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

名無し名無し 2012/01/16 23:20 とくよしみねさんへ

≫ あ〜、止めようと思うのだけれど、また書 き込みせよとの仰せ。

幻聴ですか?

≫一切衆生、必堕無間ではありません。 貴方が五逆の者で必堕無間です。 分かりますか。 何度も書きます。 現在、ただ今、貴方が五逆の者で必堕無間 です。 他の方は違います。 貴方が間違いなく必堕無間です。

なぜ、凡夫の貴方が他人の罪業を認可できるのですか?
仏にでもなったおつもりですか?

幹部会員歴数十年さんが勧める、ある科のドクターにカウンセリングに行かれてはいかがでしょう。


あと、もう相手にするつもりはなかったのですが、名前が出たのでついでに言わしてもらいますが、信巻の根拠で主張したいのは、「故意に」親などを殺していない者は罪はない、と言いたいのでしょうが、やはりここでも論理の弱さが際立ちます。
それがどれほど恐ろしい思想であるか、理解ができていないのでしょう。

故意に親などを殺したのが罪になるという論理は、故意でなければ殺してもよいという暴論に刷り変わるのです。

ですから、もちろん手に掛けて殺すのは、五逆罪ですが、それ以上にその「故意」が問題なのです。換言すれば、その心に殺意が芽生えたからこそ、手にかけるのですから、思った時点で五逆罪なのです。


・殺るよりも 劣らぬものは 思う罪

・親をそしるものをば五逆のものと申すなり

その心をも起こすなと教えられたのが信巻のお言葉なのです。

実際に手にかけたか否かを問題にするのは法律です。
人間のつくった法律と覚者の説かれた仏法を混同するなど、、まぁ、貴方には仕方のないことでしたね。

とくよしみねとくよしみね 2012/01/17 00:15 名無しさま
貴方にも同じ事を言います。
別に私は、凡夫です。

幻聴でもなんでもありません。
仏様は、なんとおっしゃっておられるのか、そのことを分かりやすく書いただけです。
私の言葉と思われるところがそもそも間違いです。

二河譬の言葉を今の言葉にしただけです。
親鸞聖人のお言葉を書いただけです。

名無しさま

貴方にも同じ言葉を言います。

貴方、いつ救われるのですか。

一切衆生、必堕無間ではありません。
貴方が五逆の者で必堕無間です。
分かりますか。
何度も書きます。
現在、ただ今、貴方が五逆の者で必堕無間です。
他の方は違います。
貴方が間違いなく必堕無間です。


その貴方に向かって、そのまま救うぞと叫ばれているのです。
貴方を助けたい。
助けさせてくれと阿弥陀さまが仰せです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

幹部会員歴数十年幹部会員歴数十年 2012/01/17 06:04 涅槃経のお言葉
「一切衆生の所作の罪業におほよそ二種あり。一つには軽、二つには重なり。もし心と口とに作るはすなはち名づけて軽とす。身と口と心とに作るはすなはち名づけて重とす。」

心で思うことだけなら【軽罪】

さて問題です。どちらの主張が正しいでしょうか?

釈尊 心で思う罪は【軽罪】
親鸞聖人 心で思う罪は【軽罪】
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ギゼン氏 心で思っただけでも【重罪】
名無し氏 心で思っただけでも【重罪】
高森会長 心で思っただけでも【重罪】


もう1つ。どちらの主張が正しいでしょうか?

釈尊 一部の人が五逆罪を造っている
法然上人 一部の人が五逆罪を造っている
親鸞聖人 一部の人が五逆罪を造っている
聖覚法印 一部の人が五逆罪を造っている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ギゼン氏 例外なく全ての人が五逆罪を造っている
名無し氏 例外なく全ての人が五逆罪を造っている 
高森会長 例外なく全ての人が五逆罪を造っている

ソイソイ 2012/01/17 18:14 ギゼン氏=名無し=vez063氏=DORO氏=jyosen氏=アンチKKK氏へ

vez063のブログではお世話になっています。飛雲でも逃亡でしたね。他のブログでも逃亡ですね。

さて、私の質問を無視して、こんなところへ避難しているようですが逃がしません。再度書いておきます。

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『末灯鈔』の
善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、【同座せざれ】と候ふなり。

は、親鸞聖人は関東の同行は皆、五逆謗法の者と仰ったのか仰っていないのか?
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同座するなということは、どういうことかも答えられぬ愚か者。全ての人が五逆謗法の者なら、一家離散、親戚付き合いも、近所付き合いも厳禁ということだな。一人一人人里離れた場所で、孤独に暮せ、と親鸞聖人が仰ったというのだろ。


さて、逃亡し続ける内容をもう1つ書いておきます。

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なうで「親鸞聖人のお言葉・親鸞聖人の表現に徹するべきである」
といいながら、vez063氏の支離滅裂思考


1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -
vez063氏 必堕無間


2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている


3.心で造る罪は軽罪か重罪か

親鸞聖人 軽罪
- - - - - - - - -
vez063氏 重罪


4.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 善人はいない、すべての人は悪人である


5.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 善をしなければ絶対に獲信できない


6.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
- - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 自力


7.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 定散二善をせよ


8.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 19願を実践せよ


9.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -- -
vez063氏 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない


10.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 逆謗の屍と必ず知らされる


11.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 善知識に無条件服従せよ


12.18願の「唯除五逆誹謗正法」について

親鸞聖人 五逆と謗法の罪の重さを知らせているから、五逆と謗法の者が18願から漏れていない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 全人類が五逆と謗法の者である


13.不思議とは

親鸞聖人 思不思議対(念仏は不可思議であり、諸善は分別思議の法である)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 二種深信が不思議


14.悪獣とは

親鸞聖人 六根・六識・六塵・五陰・四大なり(自分の肉体のこと)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
vez063氏 自分の意見に反する相手のこと

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