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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2013-05-02

南無阿弥陀仏に飛び込むには、どんな飛び込み方をしたらいいでしょうか?(頂いた質問)

南無阿弥陀仏に飛び込むには、どんな飛び込み方をしたらいいでしょうか?(頂いた質問)

南無阿弥陀仏に飛び込むといっても、南無阿弥陀仏はどこにあるのかが問題になります。自分から離れた場所におられる南無阿弥陀仏ならば、「どうやって飛び込むか」「飛び込む条件はなにか」が問題になります。


しかし、南無阿弥陀仏は遠くにあるのではありません。遠くでまっておられるのではなく、直接私に喚びかけ、働いて下さっているのです。

そのことを、親鸞聖人教行信証行文類に以下のように言われています。

ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。(教行信証行文類)

http://goo.gl/BcK1S

南無阿弥陀仏は、私を招きよび続けておられる阿弥陀仏の強い仰せです。喚び声とも昔からいわれています。阿弥陀仏が私によびかけられる喚び声ですから、当然私にその声は届いています。届いている声となった南無阿弥陀仏ですから、飛び込むのではなくこちらは聞くだけです。


私が飛び込むのではなく、阿弥陀仏の方から南無阿弥陀仏となって飛び込んで来ておられます。それを、疑い無く聞くだけです。それを疑いを交えて、「まだ遠くにおられる」とか「自分はまだ聞けない」とあれこれ計らっていてはいつまでたっても聞けません。


南無阿弥陀仏に飛び込めという言い方もありますが、それはあれこれ計らうその計らいを捨て去りなさいという意味です。また、南無だ弥陀仏から逃げずに向き合いなさいという意味で使われているものだと思います。阿弥陀仏がどれだけ喚びかけておられても、この私が疑ったり逃げていては聞いたことにはなりません。

あれこれ考える計らいは、何の益もありません。南無阿弥陀仏をそのまま聞いて、南無阿弥陀仏となってください。

感応感応 2013/05/04 03:38 中里介山の「法然行伝」にこういう下りがある。


或修行者が浄土教の教義は分っていたが、まだ信心が起らないので嘆いていた。或時東大寺に参詣すると、丁度棟木を挙げる日で、おびただしい材木をどうして引き揚げるのかと心配して見ていると轆轤(ろくろ)を使って大木をひき上げ、思う処へどしどしと落し据えた。それを見て成程良工の謀(はかりごと)はうまいものだ。まして況(いわ)
んや、弥陀如来の善行方便をやと思って疑いが晴れて信心が決まった。この時はかねて法然から三宝に祈請(きしょう)すべしということを教えられて東大寺に参詣しての思わぬ獲物であった。


自分が何に引っかかっているのか、自分では見えないものです。引っかかりを取り除くのもまた、阿弥陀仏にまかせるつもりで、有縁のことどもに仏性を求めていくことが、南無阿弥陀仏に飛び込むことにつながるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏

しかばねしかばね 2013/05/04 07:52 『先手の本願』の意味がわかりません。
私が“南無阿弥陀仏”に飛び込もうと思う前に、
“南無阿弥陀仏”の方が、先に私に飛び込んでいて下さいました。
このことが『先手の本願』ということなのでしょうかね?

yamamoyayamamoya 2013/05/04 16:19 先手の本願というのは、私が願うのに先だって本願を建てられたということです。私が助かろうと願って先手をうって、それに答える形で助けてくださる分けではありません。阿弥陀仏の助けるぞが先手で、私はそれをお受けするだけです。だから、阿弥陀仏の本願が先手で、私は後手となります。

しかばねしかばね 2013/05/05 08:00 山も山さんへ

有り難うございました。
私には、そもそも(信心決定したい!)という気持ちすらないことが知らされましたので、
聞く気もない私に聞く気を起こさせて・・・本当に、先手も後手もすべて阿弥陀様のお一人働きだったんですね・・・。

南無阿弥陀仏

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