安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録 後編 松澤祐然述「3 たのむは要らぬ証拠はあるか」

※このエントリーは、「以名摂物録 後編(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそのまま掲載しています。

3 たのむは要らぬ証拠はあるか

第二には、親様の真実ありたけを打ち明かして。他力たのみを勧める場合に於いて。たのむも信ずるも要らぬ、と言ってみたいことがある。

そのわけは皆様もよく考えて見てください。言葉や文句は何とあろうと。大体弥陀のお慈悲の腹底に据わってみたときに。実際衆生のたのむ一念が要るであろうか、要らぬであろうか。此のことは前にもくわしく、お話をしておいたことであるが。


可愛い我が子を助ける親が、我が子に頼ませてから助けるというような。気違いじみた味わいが、あるべきことか無いことか、馬鹿でも分かる事である。


皆様は夜中に懐から、抜け出て寝ておる我が子をば。見つけたときはどうなさる。
「こりゃ坊や、そのように抜け出て寝ていては風邪を引いて死んでしまうぞ。我を一心にたのめよ、かならず抱いて寝るぞ。」
と呼びかけて、そこで坊ちゃんが。
「親なればこそ。」
とたのむ思いの起きたとき、抱いてやるのでありますか。内の嬶はそうではない。抜け出た我が子の罪も咎めず、我が身の油断をしていたのが残念で残念で。
「あら、まぁいつの間に抜け出ていたやら。」
とかき取るように抱きしめて、暖めてやるのが、親の親切でありますぞ。


凡夫同士の親でさえ、これじゃのに。大慈大悲の親様が、可愛い衆生を助けるに。たのむ一念が起こらねば、助けられぬというような、訳は微塵もありますまい。


然らばたのむ一念は、全く要らぬのでありますか、と聞きたい御方もあるでしょうが。それほどたのむ一念に執着して御座る御方には。目の覚めるように、私は確かにお答えいたします。
「要りませんとも、要りませんとも、たのまずとも必ず助かります。」
「これは珍しい、そしてそのたのまずとも助かる証拠はあるか。」
「あるともあるとも。」
「何処にある。」
「越中にある。」
「何時あった。」
「去年の六月11日。」
「これはいよいよ面白い、どういう具合で助かった。」
さらばくわしく物語ろう、確かにこれをお聞きなさい。


抑頃は大正丙辰。水無月中の一日のこと。私は越中の石動より魚津へ引き移るので。午前十一時二十分石動発の列車に乗っておりました。その列車がまさに魚津へ到着せんとする、八丁ばかり手前のところで。どうした弾みか、非常に動揺してきたので。乗客一同、スワ大変と驚くうちに。後部の貨車から脱線し始めて。遂に角川という川の中へ、ボーギ式の客車が一つ。実に恐ろしい勢いで、鉄橋上より真っ逆さまに落ちてしまった。


幸いに連結器が切れてくれたので。私どもの乗っていた列車は、無事でありましたが。さぁその落ちた列車内は、忽ちに阿鼻叫喚の大騒ぎ。何分逆さまに落ちたものじゃから。列車の窓は水に嵌まっておるので何としても出ることが出来ぬ。

そこで機敏の魚津警察署では急に消防夫を集めて馳せつけて。列車の腰板を斧で漸う打ち破り、遭難者を順々に引き出した。手の折れておるもの、足の折れておるもの。頭の欠けた人、耳のちぎれた人乱髪の女に、半死の男。うめく老婆に、叫ぶ子供。何れを見ても、濡れた着物に、滴る血潮。

さすがの地獄も、此の上のことはあるまいと、思われるほどの、惨憺さる有り様。そこへそろそろ死人が引き出される。担架は走る、医者は来る、白衣の看護婦、黒衣の役場員。上を下へと応急手当て。
一先ず済ませてみたところが、乗客合計四十一名で。無残の即死が十一名、重軽傷か二十八名。
無事に居たのが母に死なれて泣いておる、四歳の少女と。これも仏のお陰様じゃと、喜んでおる老尼の、二名のみであった。


くわしいことは、当時の新聞紙上で、報道せられたこと故に。皆様の中にも、記憶して御座る御方もあるであろう。わたしはこの恐ろしい現場に遭遇して実際に見ていたのだ。
これ皆様よ、お聞きください。それほどまでに大騒ぎして、遭難者を助けましたその時に。たのむ一念のお調べなどは、一向微塵ほどもありませなんだぞ。疑わしくは、魚津警察へ照会して御覧なさい。
さぁこれが正しく、たのみもせずに助かった現の証拠というものであります。