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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-01-01

東堂の前東堂の前 2017/01/01 14:06 いつも尊い話を分かりやすく教えて頂きありがとうございます。

真剣に聴聞することは大切です。
南無阿弥陀仏は無条件の救いと聞かせて頂きますが、
聴聞がなくて救われることはないと教えて頂きます。

では、私が真剣に聞けば救われるのでしょうか?
言い換えれば、真剣さが足りないから
いま阿弥陀さまの呼び声が聞こえないのでしょうか?

たとえ大宇宙が猛火に包まれようとも、
そのなか押して南無阿弥陀仏のいわれを聞く人は、
永久に変わらぬ幸せに救われるのである。
と教えられます。

こう言われると、阿弥陀仏の救いは、
猛火に包まれた大宇宙の彼方にあるように聞こえます。

阿弥陀仏の救いは、そんな遠くにあるのでしょうか。

でも、私には猛火に包まれた大宇宙を超えて聞く、
そんな根性も求道心も真剣さもありません。

横着にあぐらをかき開き直て言うのではありません。
実際に弱い心で、それすら無いかもしれません。


私の救われる教えを聞かせて頂きたいと思っています。

∞ 2017/01/01 16:00 『たとえ大宇宙が猛火に包まれようとも、
そのなか押して南無阿弥陀仏のいわれを聞く人は、
永久に変わらぬ幸せに救われるのである。』


「でも、私には猛火に包まれた大宇宙を超えて聞く、
そんな根性も求道心も真剣さもありません。
私の救われる教えを聞かせて頂きたいと思っています。」

きんかんきんかん 2017/01/02 10:54 YoutubeにNHKの100分de名著・歎異抄4回分がアップされてます。
非常に判りやすく浄土真宗のエッセンスが説明されていると思います。
親鸞会に毒された頭を切り替えるに役立つかもしれません。
第1回watch?v=kRKO1Pu6QxA
第2回watch?v=MlyN2mPPzA4
第3回watch?v=g03D0wK1Xis
第4回watch?v=MtShpj0kqFs

∞ 2017/01/03 03:19 たとひ大千世界にみてらん火をもすぎゆきて
仏のみなをきくひとはながく不退にかなふなり

我々の煩悩熾盛のこの世の様を「火宅」と言われますが
ここでは「大千世界」と大宇宙にまで広げられています。
すなわちこの身一つではなく、生まれ変わった先の身と世をも含めて、
煩悩熾盛で苦しみから逃げ場のない我々の様を表されているのです。

いま南無阿弥陀仏をお聞きしながら、聞き切れないと言って次生に逃げたり、
南無阿弥陀仏のほかに救いを求めたりしても、そこもまた炎逆巻く火宅に過ぎないとおっしゃるのです。

遠い宇宙にまで出て行って真剣に聞けとか、真面目に求めよ、ではないのです。
煩悩熾盛のこの身のままで、いま、南無阿弥陀仏を聞き抜け、との御教えです。
いろいろな障りがあって苦しかろうが、その苦しみの中も聞こえて下さるのが、
南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏しかなく、また、いましかないのです。
どこにも逃げ場はありません。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

東堂の前東堂の前 2017/01/03 11:33 NHKの100分de名著・歎異抄の第1回を視聴しまた。
良い番組を紹介して頂きありがとうございます。

以前親鸞会の二千畳に仏教を聞きに行っていた頃、阿弥陀仏の救いは一生や二生で聞けるものではない、多生の目的という教えが蔓延していました。
聴聞帰りの車中や支部長からも聞きましたし、高森会長の説法の中にあった記憶があります
この世はできる限り自力で宿善を求めて、臨終の息の切れ際にでも救われることがあったら人生は大成功である。
もし救われなくとも今生の善は決して無駄にならない。
これでは次生に逃げていて平生業成の教えでありませんでした。

ただし、これは過去の話しです。現在親鸞会でどう教えているか知りません。
「今救われる」ことを正しく教えていてくれたら良いです。

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