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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-01-29

阿弥陀仏はただ今救うとか、南無阿弥陀仏が証拠といわれても、目の前に現れるわけでもないわけので、私にとっては遠くにおられるとしか思えません。(頂いた質問)

阿弥陀仏はただ今救うとか、南無阿弥陀仏が証拠といわれても、目の前に現れるわけでもないわけので、私にとっては遠くにおられるとしか思えません。(頂いた質問)

阿弥陀仏は、どこにおられるかといえば、私が称える南無阿弥陀仏がそうなのです。

質問される方が疑問に思われるのは、阿弥陀仏といえば経典上では

「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。(阿弥陀経)

と遠く極楽というところにおられる仏として説かれています。

また、目の前に現れられても、途方もないお姿で説かれています。

この語を説きたまふとき、無量寿仏、空中に住立したまふ。観世音・大勢至、この二大士は左右に侍立せり。光明は熾盛にしてつぶさに見るべからず。百千の閻浮檀金色も比とすることを得ず。 (観無量寿経)

(現代語)無量寿仏が突然空中に姿を現してお立ちになり、その左右には観世音、大勢至の二菩薩がつきそっておられた。その光明はまばゆく輝いて、はっきりと見ることができない。黄金の輝きをどれほど集めても、そのまばゆさにくらべようもなかった。

https://goo.gl/WPU8he

このようなお姿の阿弥陀仏なら、私も拝見したことがありません。

しかし、この観無量寿経では、韋提希夫人がそのあと述べているように「われいま仏力によるがゆゑに、無量寿仏および二菩薩を観たてまつることを得たり」とあるように、お釈迦さまのお力によって阿弥陀仏を拝見することができたのであって、今日の私たちには同じことは出来ません。

では、私たちには阿弥陀仏とあうことは出来ないのかといえば、そうではありません。

観無量寿経で、「仏、まさになんぢがために苦悩を除く法を分別し解説すべし」とお釈迦さまが説かれたあと、阿弥陀仏があらわれて下さっているのは、阿弥陀仏が「苦悩を除く法」そのものだからです。


阿弥陀仏は、その本願で「全ての人の苦悩を除いて浄土に生まれさせる」と誓われています。その阿弥陀仏の本願が成就した姿が、南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏とは何かと言えば、名前であり声です。私の苦悩を除く法は、今日の私には南無阿弥陀仏という「名前」となってあらわれて下さっています。

その南無阿弥陀仏という「名前」が、阿弥陀仏のただの「名前」ではなく、阿弥陀仏そのものなのです。

名体不二の弘願の行なるがゆゑに、名号すなはち正覚の全体なり。(安心決定鈔)

https://goo.gl/Py7lmC

南無阿弥陀仏の名号(名前)は、そのまま仏の覚り(正覚)の全てであるといわれています。


ですから、私が南無阿弥陀仏と申すこの念仏は、阿弥陀仏そのものです。そのように思えるかどうかは、私の側の問題です。阿弥陀仏はどこにおられるというよりは、南無阿弥陀仏と口にするときその声であり、名前が阿弥陀仏なのです。

阿弥陀仏を遠くにおいて眺めるのではなく、この南無阿弥陀仏が阿弥陀仏と聞いて救われて下さい。

名無し名無し 2017/02/11 20:07 南無阿弥陀仏とは一種の自己暗示なのではないのかと思っています。
南無阿弥陀仏と唱えることによって阿弥陀如来に生死の問題を丸投げして
単に思考停止している状態を仮に獲信と呼んでいるのかなと思います。
そして実際に生死の問題されたかどうかは誰にも分からないし、確認のしようがない。

本当に自力では生死の問題をどうすることも出来ない者にこれ以上生死のことで悩み、迷う必要のないよう「釈尊が創作した単なるおまじない」でしかないのかも知れないなと思うのですがどうお考えですか?

本来地獄も、浄土もなくて、死ねば肉体は焼かれて自然の一部となり、魂だの自我と言ったものは最初からどこにも存在していなくて、あくまでこれは「私という漠然とした概念」を便宜的に定義する為だけのもので、死ねば霧散してしまうもの。

つまりもしかしたら、死後、悟りもなければ、浄土もない、死後に残るものなど何一つ存在せず、
そもそも救いの対象たる「私」すら存在せず、
ただ、生死の問題を解決できないもののために今生〜臨終まで南無阿弥陀仏の名のもとに
助からないものに対しての自己暗示なのではないのかと思っています。

YGMYGM 2017/02/13 10:09 我々人間は、生死の生のことしかわかりませんので、死ぬんじゃない浄土に生まれるんだといわれると、思考の回路がなく、自由にいろいろなことを想像して名無しさんのコメントのようなことを思ったりするわけです。わからないことなのでしょうがないことです。
ひとたび阿弥陀さまの慈悲にふれたら、自己暗示など不要ですから、むなしく人生を終わってまた永久にむなしい流転を繰り返すことから離れましょう。

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