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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-03-22

「仏の加威力によらねば信心は生じないとのことですから、我々に早く本願を聞いて下さいと要求するのはおかしくないでしょうか? 」(ミウラさん)「お念仏は自然にでるのだが、これで本当に救われたのかどうだか、さっぱりわかりません。疑いしか無い。 」(振興ホームさん)

ミウラ 2017/03/20 22:00

仏の加威力によらねば信心は生じないとのことですから、我々に早く本願を聞いて下さいと要求するのはおかしくないでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20170320/1489998115#c1490014828

私が本願を聞いて下さいと書いているのは、「聞くという行為を要求」しているのではありません。本願を聞いて疑い無いのが信心ですから、信心決定の身になってくださいと、信心を勧めているだけです。


振興ホーム 2017/03/21 02:15

>ただ今本願を聞いて下さい。ただ今救われ、報土往生させて頂けます。

最後の一行だけがどうもよくわからない、お念仏は自然にでるのだが、これで本当に救われたのかどうだか、さっぱりわかりません。疑いしか無い。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20170320/1489998115#c1490030103

これで救われたかどうかということは、本願を聞いて疑い無いということ以外には特段自分で決められるような基準はありません。

どちらかと言えば、「これで」私は救われたという「これ」が自分の心の善し悪しで意ッ要るのなら間違いです。例えば、嬉しいから救われた、楽しいから救われた、申し訳ないの気持ちが出たから救われたというのは、自分の感情が信心かどうかの基準になっています。

そのような自分の感情は、日々変わるものですからそれで信心が決まるのなら、いつどうなるか分からない信心となってしまいます。

誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。 (教行信証 総序)

ここで、聞思して遅慮することなかれと親鸞聖人はいわれています。聞思とは、「本願のいわれを如実に聞いて思いをめぐらすこと(浄土真宗辞典)」です。また、如実に聞くとは、「真実・真如のとおりに、あるがままに(同)」聞くということです。

つまり、「摂取不捨」と私を摂めとって捨てられないという阿弥陀仏のまことの言葉を、そのまま聞いて、聞いた通りに思うということです。そこに対して、遅慮することなかれと言われていますから、あれこれと疑いためらってはならないと疑いをいましめられています。


最初に誠なるかなと言われていますが、分からないことが分かったのではありません。アルキメデスが、アルキメデスの法則を発見して「ユーレカ!(分かった)」と風呂から飛び上がったような信心ではありません。知らないことを知ったのではなく、聞いたことを聞いた通りに聞いたのです。ただ今助ける南無阿弥陀仏と聞いて疑いないのが信心です。

ただ今助けるとそのまま聞いて見れば、ただ今助かるとなります。何かが分かったのではなく、聞いた通りに聞いただけです。さっぱりわからいのが現在でも、必ず聞いて疑い無いと聞くときがあります。ただ今聞いて救われて下さい。

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