Hatena::ブログ(Diary)

安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-09-26

「助かる・助からないの結果は後からついてくる、もっと言うなら阿弥陀様が勝手にやってくれることなので、結果にこだわるのは止めよう。そんなことより、この身がある限りこの法を聞かせていただこう。これだけを心に生きていこうと思います。これで良いでしょうか?」(みそみそさんのコメントより)

みそみそ 2017/09/24 19:06

お返事いただきありがとうございます。

もうどうやったら助かるのか、どうすれば助かるのか腐心し悩むのは止めようと思います。

だだ、「何があっても絶対に助けるぞ」と私に呼びかけてくれる、そんな存在があるというだけで充分だと思います。

助かる・助からないの結果は後からついてくる、もっと言うなら阿弥陀様が勝手にやってくれることなので、結果にこだわるのは止めよう。

そんなことより、この身がある限りこの法を聞かせていただこう。これだけを心に生きていこうと思います。

これで良いでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20170918/1505688465#c1506247616

みそみそさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

「どうすれば助かるのか」という手立てをあれこれ悩むのは止めようとのことですが、それはよいことだと思います。なぜなら、あれこれ悩んだところで「助かる手段」というものがないので、ないものを探しても見つからないからです。

以前は、それでも何かあるはずだと思われて、「あるはずなのに見つからない」ということで悩んでおられたんだと思いますが、止めるにこしたことはありません。

ただ、「助かる・助からないの結果は後からついてくる」に関しては、そうではありません。「助かる」というのを結果とすると、その結果はいまあるものです。後からついてくるものではありません。悩むのをやめた結果が、お助けであり、その結果は後からついてくるというのものではありません。

御文章の聖人一流章でいうと、

もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ(御文章五帖目十通)

https://goo.gl/aA478m

ということです。もろもろの雑行をなげすててというのは、コメントの言葉でいうと「どうすれば助かるのか腐心し悩むのは止め」ることです。そうしてそのうち、一心に弥陀に帰命するのではありません。常に阿弥陀仏は助けると働いておられますので、あれこれ悩むのをやめるということは、そのまま一心に弥陀に帰命することになります。また、「仏のかたより往生は治定せしめたまふ」のも、そのうちにあることではなく、一心に弥陀に帰命するままが、阿弥陀仏の方から浄土往生をただ今定めてくださいます。


お助けも、お救いも、後からついくるのではなくただ今のことです。自分で助かる手段について悩むのをやめられたのでしたら、お助けは目の前にすでに働いておられます。南無阿弥陀仏をただ今助ける法だと聞いて、ただ今救われてください。

みそみそみそみそ 2017/09/27 21:05 有難うございます。
しかし、もう救われる方法にこだわるのは辞めよう。「私を救ってくれる」「どんなときも見捨てないでいてくれる」そんな存在がいると言うだけで充分じゃないか。
そう、言い聞かせれば言い聞かせるほど、心の中は空っぽになります。

阿弥陀佛の大悲を全く感じることが出来ません。

YGMYGM 2017/09/28 08:32 「いま称える念仏には、御あるじありて、称えさせたまふなり」

自分で自分に言い聞かせていていてもらちがあきません。もし言い聞かせられたとしてもそれは自力です。
そう言い聞かせているのは「御主ありて」です。
必ずたすける阿弥陀仏のいますことを信ぜしめるためにさまざまに法が説かれているのです。
http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E7%A7%B0%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%BE%E3%81%AB%E6%9C%AC%E9%A1%98%E3%82%92%E8%81%9E%E3%81%8F
↑読んでみて下さい。

→←→← 2017/10/01 04:15 聞けば聞くほど、阿弥陀仏の救いは間違いない。
なのに聞けば聞くほど、私には全く信じる心がない。

そもそも私には何かを信じることなど出来ないのではなかったか。
おのれの命も、この世界のことも、一寸先さえ信じるべき根拠がない。
まして弥陀の本願など、あるのはわかるが自分の中に信じるよすががない。

こんな私が南無阿弥陀仏?
「阿弥陀さま、私はあなたを信じます」とか、唇寒いばかり。
念仏称える資格さえないのが私なのに。
そんな者に念仏が与えられているのだと、空念仏称えて何になるのか、と思いますが、、、

まさに、そんな者のためのお念仏なのでした。
必ず阿弥陀様はお救いくださいます。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

yamamoyayamamoya 2017/10/01 05:09 みそみそさんへ

阿弥陀仏の大悲を感じることができないというのは、有る意味想像上の阿弥陀仏のお慈悲を感じられないということではないかと思います。
言い聞かせるのでは、それは自分の願望でしかありません。阿弥陀仏の本願力は、願望とかいう以前に現在働いておられます。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証