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安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-02-11

「結局その焚き火とやらに当たるにはどうしたれ良いでしょう?信心決定したいと思い聞法しダラダラと何年もの長い歳月が流れました。(略)もう無理です。私には信心決定できません。」(みそみそさんのコメントより)

前回のエントリー常夏さんとみそみそさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

以下、みそみそさんのコメントについてエントリーを書きます。

みそみそ 2018/02/10 21:10

結局その焚き火とやらに当たるにはどうしたれ良いでしょう?信心決定したいと思い聞法しダラダラと何年もの長い歳月が流れました。信心決定にこだわって現実に迫っている問題から背を向け続けていたた、いつの間にかその現実がもう目の前に迫ってきて居ました。

このままでは信心決定する前に現実に押しつぶされてしまいます。

もう無理です。私には信心決定できません。私にはもう阿弥陀様の本願は救いどころか呪いです。

記事やコメントを何度も読ませていただきましたが、結局のところ何一つ意味が分かりません。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180208/1518027162#c1518264627

前回、阿弥陀仏のお働きをたき火に例えましたが、どうしたらあたれるのかについては、あたるしかありません。これは例えなのでたき火でなくてもいいのですが、すでに電源がはいっているエアコンの前で「どうしたらエアコンにあたれますか」と聞いているようなものです。


みそみそさんのコメントの言葉でいえば、たき火と私のあいだにまだ何かがあるという前提で考えておられるのではないかと思います。そのような前提を設けて、自分でなんとかしようとあれこれするのを自力といわれます。

自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。(一念多念証文 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P688)

https://goo.gl/mfKeMP

みそみそさんは、これまで「わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ」してこられたと思います。その結果の現在は、「もう無理です。私には信心決定できません」でした。それは、「自力では」無理です。自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつらねば、信心とはなりません。


自力を捨てるとは、について親鸞聖人は以下のように書かれています。

自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。(唯信鈔文意 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P707)

https://goo.gl/QNCDHB

「みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず」と言われています。こうしたら助かるというこころを捨て、また「自分は駄目だ」というこころを顧みないということです。コメントで「もう無理です。私には信心決定できません」と書かれているのは、自分で自分に決着をつけようとしている心です。これは卑下であって、また卑下慢といわれるものです。自分で自分をなんとかしようにも、何ともならないので苦しくなります。やがて、自分は駄目なものなのだと自分を縛りつけるようになり苦しいばかりで救いはありません。


だから「あしきこころをかへりみず」と言われています。それではどうすれば助かるのかと言えばひとすぢに「無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽」することだといわれています。


もう自分では信心決定できないと分かられたなら、自分で何とかしようという自力は捨てて、南無阿弥陀仏を聞いて下さい。南無阿弥陀仏はただ今救うと喚ばれるお働きですから、必ずただ今救われます。

淳心房淳心房 2018/02/11 06:21 自力では無理だから弥陀をたのむしかありません。「南無阿弥陀仏」(必ず助けるから安心してまかせなさい)という勅命をそのまま受け容れるよりありません。では弥陀をたのむとはどういうことかというと、ただ念仏するよりないのです。

・極重の悪人はただ仏を称すべし。(正信偈)
・なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに(行文類)
・親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。(歎異抄第二条)

信心決定したい、弥陀に救われたい、そのお気持ちは結構なことですが、善知識方はこのように仰せです。ただ南無阿弥陀仏のすがたを心得て念仏するより他に信心も安心も無いのです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称える一声一声が、みそみそさんを必ず助けるぞよとの阿弥陀仏の喚び声であります。どうかただ念仏して弥陀に助けられて頂きたく思います。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・

みよひろみよひろ 2018/02/11 09:12
当たるにはどうしたれ良いでしょう?→あなたになにができますか?
あなたの良し悪しをとわないといわれてる仏様
なぜならあなたがだめだから、
私の力で救うといわれている仏様です

なのに今はだめだがどうしたらいい?いうあなた
自分の良し悪しを問題にするあなた
あなたはたすかりません。かわれないからどんなに求めても。
因果の道理で悪人はたすかりません。
それが真実です。
たすからないものを助けたい。
それも真実です。
今までそれだけをきいてきたのではありませんか?

信心決定したい→求道して信心を勝ち取ると思っておられませんか?自分で仏様を信じるには仏様の智慧が必要です。
それには菩提心を起こして修行して智慧をおこさなければなりません。つまり信心決定したいは、聖道門の求め方。
それができないから仏様になられた阿弥陀さまだから
あなたが信心決定したいとおもうのは
阿弥陀さまに逆らうことです。
なかなか気付かない所ですが
仏様の手を振り払い、自分はできると逃げ、
その上仏様を呪う。
でもそんなやつだとすべて知った上で
あなたを救いたいと阿弥陀様になられました。

勝ち取るのではなく負けるのです。
助かるではなくたすからない。だからたすける。

負けて信をとるべし。

あなたのなかには助かるものはなにもありません
探しても無駄です。
あなたの長い求道は
ないものを探してきただけじゃないですか?




信心決定にこだわって現実に迫っている問題から背を向け続けていたた、いつの間にかその現実がもう目の前に迫っ
記事やコメントを何度も読ませていただきましたが、結局のところ何一つ意味が分かりません。

RCRC 2018/02/11 14:27 みそみそさま。
南無阿弥陀仏について わからないことは、やはり お取次してくださる方に 直接お聞きする方が、いいように思います。
今度の日曜日、「埼玉恵日会」に足をお運びになられませんか?
もしかしたら、埼玉は近くはないかもしれませんが。
何でも質問して 頂けます。
みそみそさまに、南無阿弥陀仏を聞かせるために 阿弥陀さまが ご用意されたご縁だと思います。

勉強会は、
日時 : 2月 18日 (日) 14:00〜17:00
場所 : 熊谷ロイヤルホテルすずき 会議室
(JR熊谷駅 南口 徒歩2分)

講師: 阿部 信幾 先生
(本願寺派補教 )

チュウビチュウビ 2018/02/11 17:47 みそみそさん、はじめまして、みそみそさんのこれまでの長い間の書き込みをみせていただいて、私もそんな気持ちがありましたから心中お察しします。
私は信心決定したい病でした。私の、信心決定したい心を捨てて、既に阿弥陀様はみそみそさんを念仏を称えさせて浄土に生まれさせるぞと誓われておられる願心を南無阿弥陀仏を、受け取って、念仏申してください。ただ念仏してです。阿弥陀様の願いを聞いてください。信心決定が目的ではありません。阿弥陀様の願いを聞いたことが信心決定したことです。なんまんだぶなんまんだぶ。

ショウショウ 2018/02/11 23:03 みそみそ 様

信心決定したいと思って聞法されてきたことは、尊いことだと思います。当方の考える「あと一つの方法」として浄土真宗で選択するということが教えられています。「私が好むのは、わたしにふさわしい行である。あなたの求めるものではない。あなたが好むのは、あなたにふさわしい行である。」と云われているように、自分にふさわしい行や本願を選択しないと救われません。このことから、知識も選択するということがありえます。悪知識を選択することは論外ですが、善知識、知識も説き方、導き方、その人の能力、経験、性格、性別もさまざまです。最高の善知識は仏様なのですが、今の世にはおられないと思います。また、善知識のなかには、法を説かれない方もおられるかもしれません。このことから、みそみそさんが好む善知識に遭われるのが良いと思います。

そして、他力の教えは「信心決定にこだわらないと救われない」というわけではないので、現実の生活を大事にしていくなかで、たまたま起きるであろう「阿弥陀仏のお働き、お育てを感じとる」という時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

rr 2018/02/12 13:30 山も山様、はじめまして。このような貴重な場所があること、喜びながら見させていただいておりました。

みそみそ様のコメントを読み、どうしてもコメントしたくなりました。私が感じたのは、みそみそ様はおそらく、仏願の生起本末を正確には聞いておられないのだろう、ということです。

というのは、仏願が小さなものになってしまっているからです。阿弥陀仏の本願は無条件の救いなのですが、みそみそ様の脳内で「条件付の救い」に変換されている気がしてなりません。


みそみそ様

みそみそ様はすでに念仏をとなえておられるでしょう。時々、口にお念仏をとなえておられると思います。

しかし、

>私には信心決定できません。私にはもう阿弥陀様の本願は救いどころか呪いです。
>記事やコメントを何度も読ませていただきましたが、結局のところ何一つ意味が分かりません。

とのことですが、それは阿弥陀仏の救いには関係ありません。妨げにはなりません。そのままのみそみそ様でよいのです。

なぜなら「私には信心決定できません、もう阿弥陀様の本願は救いどころか呪いです、・・・という者は救わない」という本願ではないからです。

「記事やコメントを何度も読んでも結局のところ何一つ意味が分からない・・・という者は救わない」という本願ではないからです。


簡潔にいえば、あくまでも「念仏となえるみそみそ様をかならず浄土に生まれさせ、仏にさせる」ということです。



このように、本願は無条件です。しかしよくあるのは、脳内で条件つきの本願に変質させてしまうという間違いです。

みそみそ様の中の「●●●でなければ救われないはずだ」という思い込みを、一度、洗い出しみてはいかがでしょうか?

常夏常夏 2018/02/12 16:29 みそみそさま
私のコメント文が下手で、却ってわからなくさせて申し訳ありません。
無条件とかそのままというのは、本当に言葉通りの意味だと気がついた、と書きたかったのです。
「少しは何かあるはず。いくらなんでも本当にこのままの訳がない」と思っていたけど、その「このまま」でした。
だから、どうもしなくていいんです。焚き火の解釈の違いかもしれませんが、私にはみそみそさんがもう火に当たっていると思えてなりません。
南無阿弥陀仏は届いていませんか。
とどいたものが自分のイメージと違うので気がつかずに、まだかまだかと思っておられるのではありませんか。

今まで現実に問題を抱えながらも、それを後回しにして信心決定を優先してこられたのでしょうか。とても真面目に努力されたのだと思いますが、もう阿弥陀さまにお任せして大丈夫です。と、阿弥陀さまが言っておられます。
私も、現実の生活を大事にしていただきたいと思います。

みそみそみそみそ 2018/02/12 22:45 そもそも質問なのですが、他力の信心と念仏がセットになって往生が定まるのではないのですか?
私はそう理解しているのですが、皆さんは無条件の救いとおっしゃいます。どっちなんですかか?

私は今他力の信心という荒唐無稽な雲をつかむようなモノを得ようと必死になっています。

信心と念仏があって救われるのですか?それとも念仏さえ称えていれば無条件で往生できるのですか?

rr 2018/02/13 00:16 >私は今他力の信心という荒唐無稽な雲をつかむようなモノを得ようと必死になっています。


こう書かれたということは、阿弥陀仏のお誓いがみそみそ様の中で以下のように変換されている、ということだと思います。


阿弥陀仏のおっしゃること 「念仏となえる者を必ず往生させ、仏にする」

  ↓

(変換)

  ↓

みそみそ様が聞いたこと→「他力信心というモノを得なければ往生はできない、と阿弥陀様はおっしゃっている」「阿弥陀仏の本願の内容は、他力信心を得た者のみ往生させ仏にする、という条件つきの救いである」



阿弥陀仏は、念仏となえるみそみそ様を必ず極楽浄土に生まれさせて同じ仏にする、と誓っておられます。これはつまり、どうあがいてもみそみそ様は極楽往生して仏になってしまう、というのが仏願の内容だということです。


まずは「他力信心を得ないと」「獲信しないと」という思いは横に置いておいて、仏願の内容を正確に把握してみてください。

一向一向 2018/02/14 01:35 ーー「結局のところ何一つ意味が分かりません」

意味が分かって助かるのではない。
意味が分からんから助からんのではない。
先生が、朋友が、分からんことを分かるようにしてくれないから、助からんのではない。
あんたを助けると言っている阿弥陀仏の方に、まっすぐ向かわんから助からん。
助けるのは周りでない、阿弥陀仏ご自身だ。

阿弥陀仏にまっすぐ向かうとは、
分からんまんま、信じて念仏することだ。
それ以外に、ない。

RCRC 2018/02/14 07:25
みそみそさま。

埼玉恵日会てまは、
⚪「念仏で 救われるのか?」「信心で救われるのか?」
⚪念仏往生と、平生業成との違いは?
⚪歎異鈔と、御文章の違いは?
⚪往生は「念仏申さんと思い立つ心が起こる時」に決まるのか、「 名号のいわれを聞いて自力のはからいを離れた時」に決まるのか?

などの質問は、繰り返し 出ていて、その度、阿部先生から、丁寧にわかり易くお答えをいただいています。

お聞きしたことを、ここに書こうかと、試みましたが、なかなかうまく書き上げられないので、やはりみそみそさんに、埼玉恵日会に ご参加いただくのがいいかと思います。

お待ちしています。

みそみそみそみそ 2018/02/15 22:40 皆さんコメントいただきありがとうございます。

RCさま
埼玉恵日会ですが、その日また別の場所で仏法のお話を聞く機会があるので今回は残念ながら行くことはできません。
ですが今度機会があれば是非行きたいです。

一向さま
>阿弥陀仏にまっすぐ向かうとは、
分からんまんま、信じて念仏することだ。

それができません。阿弥陀仏にまっすぐ向き合えるような殊勝な心はありません。
信じる心もカケラもありません。あるのは気づいた時に出る空念仏です。

rさま
>まずは「他力信心を得ないと」「獲信しないと」という思いは横に置いておいて、仏願の内容を正確に把握してみてください。
分かりました。ありがとうございます。

>みそみそ様の中の「●●●でなければ救われないはずだ」という思い込みを、一度、洗い出しみてはいかがでしょうか?
・阿弥陀仏の本願に対する疑いが消え去らなければ救われないはずだ
・阿弥陀仏に後生のことを任せ切らないと救われないはずだ
・ある日突然今まで阿弥陀仏に抱いていた心が根底からくつえるような神秘的な体験が獲信にはあるはずだ
・「仏さまに出会わせて頂く」と行くようなリアリティのある生きた体験が伴っていないと獲信したとはいえないはずだ
こんなところでしょうか

常夏さま
>とどいたものが自分のイメージと違うので気がつかずに、まだかまだかと思っておられるのではありませんか。
少なくとも獲信とはある日突然阿弥陀仏の本願をそのまま信じられる心が降ってくるものではないのですか?

ショウさま
私にあっている善知識とは一体何なんでしょう

チュウビさま
今まで阿弥陀仏の本願をきいて幾度と無く念仏してきましたが自分の心の中は何一つピクリとも動きませんでした。

みよひろさま
>信心決定したい→求道して信心を勝ち取ると思っておられませんか?自分で仏様を信じるには仏様の智慧が必要です。
それには菩提心を起こして修行して智慧をおこさなければなりません。つまり信心決定したいは、聖道門の求め方。

そもそも方向性が違って居たのですね。ですが「負けて信を取るべし」の意味が分かりません

淳心房さま
では本当に念仏を唱えるだけで助かるのですか?

rr 2018/02/16 10:59 みそみそ様

お返事ありがとうございました。正直に自分の思いを打ち出す勇気、素晴らしいと思います。誤魔化さずに、分からないことを分からないと言えるのは大事なことです。


では、阿弥陀様はどう誓っておられるかということを、お伝えさせてください。


・ ・ ・ ・ ・


「阿弥陀仏にまっすぐ向き合えるような殊勝な心は無い」というみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「信じる心もカケラも無い。あるのは気づいた時に出る空念仏」というみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「阿弥陀仏の本願に対する疑いが消え去らなければ救われないはずだ」という思いを持つみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「阿弥陀仏に後生のことを任せ切らないと救われないはずだ」という思いのあるみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「阿弥陀仏にまっすぐ向き合えるような殊勝な心は無い」みそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「ある日突然今まで阿弥陀仏に抱いていた心が根底からくつがえるような神秘的な体験が獲信にはあるはずだ」と思っているみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「『仏さまに出会わせて頂く』というようなリアリティのある生きた体験が伴っていないと獲信したとはいえないはずだ」と思っているみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「今まで阿弥陀仏の本願をきいて幾度と無く念仏してきましたが自分の心の中は何一つピクリとも動かなかった」みそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


「本当に念仏を唱えるだけで助かるのですか?」という思いを持つみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。


・ ・ ・ ・ ・


そもそも阿弥陀仏は「念仏となえる者を必ず極楽に生まれさせ、成仏させる」と誓っておられるだけです。

(つまり「獲信しろ」「不思議な体験をしろ」とはおっしゃっておられない、ということです)


「獲信しなければ」「他力信心を得なければ」「●●●でなければならない」という自分の思い込みをいったん横に置いて、阿弥陀仏のおっしゃることにほんの少しだけ耳を傾けてみてください。



すでにみそみそ様には、念仏という合格通知が届いているのですから・・・、すこし落ち着いて、自分の口から出ている念仏(たとえ空念仏だと思えても)にはどんな意味があるのか? 阿弥陀仏は何とおっしゃっているのか? みそみそ様を救わないといっているのか、救うといっているのか? それだけでも確認してみてくださいませ。

スナオスナオ 2018/02/16 13:08 みそみそさん、こんにちは。

みそみそさんは親鸞会で聞いてきた人ですか?お寺で聞いているのか親鸞会で聞いているのか私には分かりません。もし親鸞会で聞いている場合には真宗の教えについてのいくつかの誤解をすでに埋め込まれていますので、まずそこをひとつずつ解消していくことも必要かと思います。私は本願について、念仏について、大きく誤解をしていた(させられていた?)元親鸞会会員です。(みそみそさんが今までどこで聞かれていたのか、お答え頂かなくても大丈夫ですからね。)

1.主体の転換

皆様が念仏を勧められていらっしゃいます。皆様のおっしゃる通りです。もうひとつ皆様が勧められているのは、「主体の転換」です。主体の転換とは「私が」から「弥陀が」への転換です。私はその話しにふれたいと思います。

2.「私が」=「方法論」

いま、どのようなお気持ちで聞法していますか?「私が〇○したら信心決定できる」「私の心が〇○になったら救われる」という方法論をお探しになってこちらに質問されていると思います。ですが「私が〇○したら」という方法論が「ひとつもない」と教えているのが仏様です。「方向が間違っていた」のではなく、「進む方向がない」ということです。私が信心決定できる方法はひとつもありません。(それを知らされたときが「負けた」ときです)

3.唯一の方向は、「聞法」

聞法とは、「法」とは「阿弥陀仏が私にかけた願い」であり、「仏願」といいます。それを「聞く」のが聞法です。つまり、「私がどうしたらよいのか」という方法論を聞くのが聞法ではありません。「誰が私にどんな願いをかけているのか」をお聞きするのが聞法です。

4.四つの聞き方

みそみそさんがもし親鸞会で聞いていたとしたら、4つの聞き方というのをご存知だと思います。

1 衣食忘れて聞け
2 骨折って聞け
3 間断なく聞け
4 忘れた時は思い出せ

これ、でたらめです。これには続きがあって、5つめに「念仏称えて聞け」があります。しかし高森会長はこれを隠していますので会員さんは知りません。

以下、親鸞会が隠している4つのこと

1.親鸞会では「先哲」と言っていますが、教えたのは大谷派の布教師、香樹院徳龍師です。
2.香樹院師と弘海(禅宗の修行を断念して真宗に帰依した人)との問答を会長の都合で4つにまとめたものが「四つの聞き方」
3.弘海は5つめの「念仏聞けよ」の言葉によって初めて目が覚めた!と述懐している。
4.つまり、親鸞会が勧める「四つの聞き方」では、最も大切な部分が抜けている。

みそみそさんと同じような悩みに対して、答えています。以下参考になるリンクはりましたので、お読みください。
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2012/01/30/称えるままに本願を聞く/

5.「念仏称えて聞けよ」とは

念仏を称えて聞けよ、とは「この念仏をどなたが成就して下さったのか」「だれの為に称えさせてくださっているのか」「何の為に称えさせてくださっているのか」を聞けよ、です。
 つまり「阿弥陀如来が、どのようにして私を往生させようかと身も心も砕かれたこと。そしてその方法はすでに成就していて、私にそれを受け取らせようとしていること。」それを、常に称えて、常に聞けよ、のお勧めです。

6.「私目線」から「弥陀目線」への転換

この問答で、弘海は何を知らされたのでしょうか。それは「我、どのようにして如来の本願を聞き受けるか」から「如来、どのようにして我に聞かせしめんとしているか」への転換です。今っぽく言えば、「私目線」での聞き方から「弥陀目線」での聞き方への転換です。

7.正しい聞法と間違った聞法

【まちがった聴聞】

だれが・・・・私が
どのように・・遠くまで行って
       何度も聞法して
       無常や罪悪に驚いて
       真剣に聞いて
なにを・・・・弥陀の作った名号を
どうする・・・獲る

こういう聞き方は間違いでした。

【正しい聴聞】

だれが・・・・阿弥陀如来が
どのように・・法蔵菩薩になりさがって
       苦しみ悩む人を救いたいと願いを起こして
       五劫の思惟をして
       兆載永劫の修行をして
       名号を成就して
        光明の働きによって名号を回向して
なにを・・・・出離の縁手がかりのない私を
どうする・・・出離させ、弥陀の浄土に生まれさせる

ということを聞かせて頂く。それがそのまま「仏願の生起本末を聞く」ということなのでした。

正しい聴聞をした時に、ハッキリしない、ぼんやりとした、心があります。仏願の生起本末を聞いてもおとぎ話にしか聞こえない、西方十万億土の遠い話にしか聞こえない。しかし、その心が晴れます。「私一人のための仏願だった」と喜べます。皆さまがおっしゃることを別の角度から書かせて頂きました。

「私」が主語になっている親鸞会のご法話をどれだけ聴聞しても、絶対に信は獲られません。

みそみそみそみそ 2018/02/16 23:04 r樣
お答え頂きありがとうございます。
>「阿弥陀仏にまっすぐ向き合えるような殊勝な心は無い」というみそみそ様に念仏をとなえさせて極楽に生まれさせ、必ず成仏させます。・・・

ということは既に私は信心決定しているということでしょうか?

rr 2018/02/17 00:17 みそみそ様

阿弥陀様はみそみそ様になんと誓っておられますか?

常夏常夏 2018/02/18 10:54 みそみそさま
返事がおそくなりすみません

>少なくとも獲信とはある日突然阿弥陀仏の本願をそのまま信じられる心が降ってくるものではないのですか?

ある日突然降ってくるという表現が適切かどうか解りませんが、少なくとも阿弥陀さまから賜るのは「信じられる心」ではありません。みそみそさんもご存知と思いますが、ご文章に「まことのこころと読めるなり」とある信心で、全く仏心です。私の認識にのるものではないので、それ自体「あっ今降ってきた」とは解りませんが、それを、私の口から出て耳に聞こえるようにして下さったのが南無阿弥陀仏です。

常夏常夏 2018/02/18 11:38 みそみそさんにお返事を書いているうち、自分自身が質問したいことが出てきたので宜しくお願いします。

最近はあまり獲得!とか決定!とか意識していなかったのですが、信心獲得や信心決定といった言葉はどのタイミングを指して言われたものでしょうか。
南無阿弥陀仏が私に届いたことか。南無阿弥陀仏ひとつで良かったんだなあーと気づかせていただいたことか。はたまた全く違うことをいわれたのでしょうか。

チュウビチュウビ 2018/02/19 06:20 常夏さん。はじめまして。念仏者になられてる方に失礼とは思いますが、、、決定!と意識されてなかった。どのタイミングだったのだろう。それで良いと思います。高森会に有りがちな信心決定病、信心の予定概念を抜けられたということですね。信心とはお念仏に疑心がないことなので、今お念仏を称えていることに余念がないのが往生が決定しているということです。
信心決定したとおもわれる(本当は速すぎてよく分からないのに)過去のある一点に執着しますと、そこにはその瞬間の神秘体験談などが出てきてそれを証だと掴んでしまう恐れがあります。永らく親鸞会にいましたらどうしても高森爺さんがその時の自覚を強調するので、自ずからその時の自覚が無ければならない!と考えてしまいます。一念覚知の異安心ですね。
今、真偽検証さんのところに書き込んでいる人で、高森会にて信心決定した。会長は間違ってないと言う人。過去の体験談「地獄の底に叩き落とされて子どもの小さな声でそのままだぞと言ってくれた。その後喜びに溢れた」それのみしか語らない人がいます。一年前から色々なブログで披露してますが抜け出れないようです。過去を捨ててお念仏に全託してほしいです。すみません最後ちょっとそれましたが以上です。

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