Hatena::ブログ(Diary)

安心問答(浄土真宗の信心について) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-08-14

「生死を離れたことが何らかの形であらわれないと本願通りに救われたかどうかわからないと思うのですが、どういった形であらわれるものなのでしょうか。」(sさんのコメントより)

s 2018/08/13 23:34

早速お答えいただきありがとうございます。

生死を離れると聞いてまた疑問が出てきました。

生死を離れたことが何らかの形であらわれないと本願通りに

救われたかどうかわからないと思うのですが、どういった形で

あらわれるものなのでしょうか。

それがないと人ごとに救いの中身が違ってもわからないと

思うのです。

「弥陀をたのむ」ことと「生死を離れる」ことは切っても

切れない自明の関係なのでしょうか。

それとも間接的に「生死を離れた」とわかるのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180813/1534133102#c1534170892

「生死を離れたことが何らかの形であらわれないと本願通りに救われたかどうかわからないと思うのですが」とのことですが、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなしとなれば、そういう疑問は起きません。


その理由は、生死を離れたといっても、煩悩具足の凡夫であることは臨終の一念にいたるまでかわりません。そんな凡夫が、生死を離れたかどうかを知る「智慧」は身に付くものではありません。ただ、南無阿弥陀仏に疑い無いという点で、「あは、はやわが往生は成就しにけり」(リンク先参照)ということがあります。


その意味では、人ごとに救いの中身が違うことはありません。なぜなら、自分の心をみるのではなく、南無阿弥陀仏を聞いて疑い無いという、いわゆる法を仰ぐという意味では違いはありません。例えば、どんな人がいたとしても、月を眺める時はその月が人によって満月もあれば、三日月もあるというように変化することがないのと同じです。


「弥陀をたのむ」ことは、私を生死から離れさせ浄土に生まれさせ、仏にするという阿弥陀仏をたのむわけですから、「生死を離れる」ことになります。


私が分かるとか分からないということはあまり問題ではありません。本願に疑心があるかないかが問題です。疑心といっても、本願にあれこれ自分の意見を入れるか入れないかということですから、本願に誓われた通りで疑い無いなら、生死を離れることも疑いないということになります。

4101114080
新潮社 原田康子
購入: 1人 クリック: 7回

ss 2018/08/14 16:59 引き続き、ありがとうございます。
>仏願の生起本末を聞きて疑心あることなしとなれば、そういう疑問は起きません。
それ以外の疑問は起きることがあるということでしょうか。

>南無阿弥陀仏を聞いて疑い無いという、いわゆる法を仰ぐという意味では違いはありません。
では、その仰ぐ法に違いがないことはどうしてわかるのでしょう。
自分が仰いだ法と親鸞上人が仰いだ法に違いないことはどうわかるのでしょう。
南無阿弥陀仏を聞いて疑いないから、同じに違いない(凡夫ではわからない)ということでしょうか。
安心決定鈔を引用されましたが、根拠の引用というのは、常識的に言うと、何かしら根拠に対する理解がないと出来ないことだと思いますが、その理解は凡夫としての理解でしょうか。阿弥陀仏の智慧によるはたらきでしょうか。
もし前者なら、阿弥陀仏の本願や親鸞上人の信心について何かしら思考による理解があるでしょうし、後者なら、阿弥陀仏の智慧を通して生死を離れることについてもわかると思います。

rr 2018/08/15 01:57 s様

たくさん質問しておられますが、まず本願疑惑心を破られないことには、答えが出ないものも多いです。それにどれだけ答えを得て納得しても、またぞろ別の疑問が沸いてくるものです。
 
質問して答えを得て・・・と、脳の理解に頼っておられるようですが、私たちの脳みそはいずれ焼かれて灰になります。
 
私たちの命には限りがあり、観念的な疑問に足をとられているヒマはありません。
 
自分の力をたよりとするのではなく、はやく阿弥陀仏をたよりとしてくださいませ。
 
南無阿弥陀仏

ss 2018/08/15 04:05 r様
おっしゃりたいことはわかりますが、阿弥陀仏をたよりとする前と後で何が違うかということは大事ではないでしょうか。そのことを聞きたいだけです。
そうでなければ勘違いすることもあるのではないでしょうか。
勘違いのまま一生終わってもいいのでしょうか。

>まず本願疑惑心を破られないことには、答えが出ないものも多いです。それにどれだけ答えを得て納得しても、またぞろ別の疑問が沸いてくるものです。

本願疑惑心を破られたら答えが出るということでしょうか。それとも疑問が沸くことがなくなるということでしょうか。

お盆も忙しい獄卒お盆も忙しい獄卒 2018/08/15 08:30 お盆でガラガラになったからか獄卒の小鬼が一匹暇つぶしの最中のようじゃの。
どこぞの老鬼が言うとったが「どれだけ聞いた、読んだ、知った、覚えた、理解した、は一切間に合わなんだ」という体験だったそうな。言語に乗らないことを無理に言語にすれば、必ず無理が形になるだけで堂々めぐりじゃな。誰の益にもならん。
あげられた例文を見て「典拠を示せるんだぞ」と知識をご披露したからには、真摯な問答者のフリはもうご無用じゃな。なにがしか手柄を上げたい程度なら、想定外の事態もあるぞよ。謗法の罠には気をつけなされや。

ss 2018/08/15 10:53 お盆もなんとかさん
私のことを言ってるのか知りませんが、典拠は書いてあるのを読んだだけですよ。リンク先見ましたか?

ss 2018/08/15 11:04 「どれだけ聞いた、読んだ、知った、覚えた、理解した、は一切間に合わなんだ」という体験をしたから救われたに違いないという人も居るかもしれませんね。

rr 2018/08/15 12:21 s様

貴方の質問程度でしたら、仏教系大学(龍谷・大谷・仏大)を出て得度合宿を経たまじめな僧侶であれば、たいていの方が答えてくださると思います。近くのお寺を訪ねれば答えてくださるでしょう。また梯実圓師などの本にも書いてあります。少し調べれば分かることです。
 
ただ拝見していると、どうも質問のための質問をしておられるようにも見えます。
もしご自分の後生の一大事でなく、知的理解を満足させたいだけでしたら・・・、せっかく人間に生まれて仏法を聞き開くチャンスが目の前にあるのに、本当にそれでよいのかどうか、一度考え直していただきたいと思います。無常迅速であり、あなたもいつまでも生きられるわけではないはずでしょう。脳みそからいくらでも沸いてくる疑問に振り回されていると、その分、時間を浪費してしまいます。
本質的にs様ご自身の後生とは関係ない質問には、この際、見切りをつけてください。聞法の焦点を絞っていただきたいと思います。
 
 
ちなみに、

>阿弥陀仏をたよりとする前と後で何が違うかということは大事ではないでしょうか。そのことを聞きたいだけです。
 
これは疑蓋が除去されます。本願疑惑心が消え去ります。仏願の生起本末を疑い無く聞かせてもらえるようになります。

チュウビチュウビ 2018/08/15 12:42 こんにちは。質問を拝見しますに、仏法を聞く目的があやふやな感じがします。何の為に聞くのでしょうか?後生の一大事の解決が親鸞聖人の教えです。安心問答の過去ログをじっくり読んでいただきたいなあと思いました。信心決定したい!救われたい!その気持ちが聞法のスタートだと思います。

スナオスナオ 2018/08/15 12:46 sさんへ

sさんの質問を拝見して、とても良い質問があがったと思いました。
「弥陀の救いとは、何から救われることなのか」・・・こういう質問は素朴だけど核心をついていると思います。山も山さんがどうお答えになるかと思って興味深く読ませて頂きました。端的にその答えを教えて頂きました。「弥陀の救いとは、生死離れる道」 なるほど、そのとおりでした。それ以外にはありません。

「親鸞聖人の信仰と、自分の信仰が、なぜ同じだと分かるのか」
この質問も良い質問だと思いました。もし、私なら「私にとっての生死離れる道は念仏一行」と定まった。「だから念仏一行を勧める法然上人や親鸞聖人と同じ信仰です」と答えます。

上のコメント欄を見ると、「理解」とか「体験」という言葉が出ていますね。
「疑い晴れる」とは「理屈を聞いて納得して疑い晴れる」のか、「特殊な体験によって疑い晴れる」のか、について書きます。「自分の頭で納得した結果、疑い晴れる」でもなく、「自分の五感で何かを体験した結果、疑い晴れる」のでもないと私は思います。それらの考えは、「自分の頭や五感をたよりにしている」ということであり、「弥陀をたよりにしている」のではありません。rさんがコメントにて「やがて焼かれていく」とおっしゃっているとおりです。「納得する」や「体験する」が「疑いを晴らす」ことにはなりませんが、「疑い晴れた状態」については納得も体感もできます。明らかにちがいます。「自分をたよりにしている状態」から、「弥陀をたよりにしている状態」に変わった、と私の場合は感じます。

それ以外のsさんの質問やお考えにはピンと来ませんでした。正直に言ってしまい、申し訳ありません。きっと「生死を離れる道」から脱線した内容だからだと思います。これも、rさんがおっしゃっているとおりです。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/15 13:58 ツイッターで呟いたのですが・・・
煩悩即菩提となったかどうかで分かります。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/15 14:15 一応読みましたけど・・・
いやはや難しい(´;ω;`)

生死・・・苦しみ


煩悩・・・苦しみ、障り

菩提・・・喜び、楽しみ

スナオスナオ 2018/08/15 14:49 コメント長いから読んでません さんへ

誰かと思ったら、親鸞会の愚逆さんでしたか!暑い中、書き込み中ご苦労様でした。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/15 16:48 スナオさんへ

親鸞会の?愚逆は親鸞会って言ってたの?誰誰??

台風のお陰でか知らんけど・・・暑くは無いですよ〜♪多少ジメっとしてるけど・・・

スレから外れてm(__)m

林遊@なんまんだぶ林遊@なんまんだぶ 2018/08/15 16:58 ども、林遊@なんまんだぶです。

浄土真宗は「現当二益」のご法義ですから、絶対の幸福とやらを求める高森親鸞会の人には理解不能でしょうね。
「現当二益」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E5%BD%93%E4%BA%8C%E7%9B%8A

で、浄土教では「救い」を強調するのですが、この救いとは輪廻からの解脱をいいます。蓮如さんは救いを強調されたので誤解されやすいのですが浄土真宗は仏教ですから輪廻からの解脱である「正覚」を目指す仏教です。
「済度」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%B8%88%E5%BA%A6

その正覚へ至る道が、「念仏成仏これ真宗」p.569 というご法義なのでした。

御開山は、
 「「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。」p.251

と、「聞即信」という聞の仏教ということをあらわして下さいましたが、なんまんだぶという「本願招喚の勅命」を聞いていることが「信心正因」という意味であって、不可思議な体験や己の心に思い描く妄想を信とはいいません。先人はこれを「勅命のほかに領解なし」と言われたものです。「信心正因」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%AD%A3%E5%9B%A0

ですから、御開山は第十八願を「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。」p.211 と言われたのでした。

人が物を理解するには、見て知る(眼見)と聞いて知る(聞見)という知り方がありますが、経典に「如是我聞(かくのごとく、われ聞きたてまつりき)」とあるように我々は聞いて知るのでした。
「聞見」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%81%9E%E8%A6%8B

それを先人は「浄土真宗は聴聞に極まる」と言っていたものです。

ともあれ、浄土真宗のご法義は、「今晩聞いて今晩助かる」なんまんだぶを称え聞くご法義であって、真剣な求道の果てに「救済」があるというご法義ではありません。ある意味では「易往」であるが故に信じがたいご法義ですが、これが御開山が示して下さった浄土を真実とするご法義でした。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/15 18:07 今晩聞いて今晩助かる!Σ( ̄□ ̄;)
ひょっとして土蔵秘事???ww

今聞いて今助かる・・・なら・・・

聞其信の一念・・・かと・・・・

ってスレからまたまた外れてm(__)m

スナオスナオ 2018/08/15 18:19 「コメント長いから読んでません」の愚逆さんへ

真宗での煩悩即菩提とは、親鸞会で言うような

 生死・・・苦しみ
 煩悩・・・苦しみ、障り
 菩提・・・喜び、楽しみ

こういう、子供だましの教えではないですよ。

「妙好人の研究」で大変有名な鈴木大拙先生(親鸞会の人は高森顕徹先生しか知らないかな?)は、「煩悩即菩提」についてこのように言っています。

「二元対立的な分別意識にもとづく一切の相対性、対立、矛盾を包み込み、根底で支えている永遠無限なるはたらき」

 煩悩…二元対立的な分別意識にもとづく一切の相対性、対立、矛盾を抱えた存在
 菩提…煩悩を包み込み、根底で支えている永遠無限なるはたらき

つまり、「損得」「怨親」「生死」といった「二元的な考え方しかできない者」を「煩悩」というんです。
さきほどのコメントで愚逆さんは「煩悩…苦しみ、菩提…楽しみ」と二つに分けましたよね?そうやって物事を二つに分ける考え方しかできない存在を親鸞聖人は「煩悩」とおっしゃっているんですよ。その「煩悩」を包み込み、根底で支えているはたらきを「菩提」というの。だから「菩提」というのは知恵と慈悲のかたまりなんですね。そのはたらきに煩悩である私が包み込まれ、支えられたならば、その自覚があるのは当然です。その点では「煩悩即菩提の自覚」も疑い晴れたひとつの現れとしてはハズレてはいないと思います。

ですが、「愚逆さんの煩悩即菩提の理解や説明」が本来の真宗とは全く違う、子供だましの真宗。なんちゃって真宗。親鸞会だけで教えられている事。なので、その点は間違っていますよ、と私はハッキリと言いたいですね。

ちなみに、さっき挙げた鈴木大拙先生は真宗の僧侶ではないですよ。派外の学者です。派外の人でさえこのように的確に真宗を理解しているのですから、愚逆さんも、高森先生も、親鸞会の会員さんたちも、もっと勉強なさらないといけないと思います。あんな煩悩即菩提の解説をしていたら、真宗からも派外からも笑われちゃいますよ。

コメントは長いから読めないのではなくて、会長以外の人の言葉に耳を貸すことに嫌悪感があるからだと思います。貴方がもし親鸞会会員でなかったとしても、すでに会員と同じようにばっちりと染まっています。「会長の言うことだけが正しい」という会長信仰が貴方にもあると思いますよ。

今回の記事の主題からそれて煩悩即菩提の話になってしまいました。このあたりで終わりにします。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/15 19:04 >「愚逆さんの煩悩即菩提の理解や説明」が本来の真宗とは全く違う.

衆禍の波転ず。と言っても全く違うと?

「罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし」と言っても全く違うと?

・・・このあたりで終わりにします。

コメント2個目で・・読みましたと書いたのですが・・・
・・・難しいと感じたから難しいと申したまでで^^

スレが・・・
「生死を離れたことが何らかの形であらわれないと本願通りに救われたかどうかわからないと思うのですが、どういった形であらわれるものなのでしょうか。」(sさんのコメントより)

コメント長いから読んでません 2018/08/15 13:58

煩悩即菩提となったかどうかで分かります。

スナオ 2018/08/15 18:19
>その点では「煩悩即菩提の自覚」も疑い晴れたひとつの現れとしてはハズレてはいないと思います。

んでいいんですよね?

ss 2018/08/15 19:09 スナオさん
ありがとうございました。
>「自分をたよりにしている状態」から、「弥陀をたよりにしている状態」に変わった、と私の場合は感じます。
スナオさんはこれによって煩悩的な葛藤が菩提によって昇華される身なのだとわかりました。
スナオさんの念仏一行は南無阿弥陀仏、「弥陀をたのんだ姿」と捉えましたが違ったらまたおっしゃってください。
ちなみに、「弥陀をたよりにしている状態」では「自力を起こしたくても起こせない状態」あるいは「対象を伴う行為ができない状態」とは違うのでしょうか。
質問ばかりしていて申し訳ないですが、他の方に対してもですが、お聞きしたいのはその「弥陀をたよりにしている状態」のことなのです。
ピンとこない質問と感じられましたら流してください。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/15 20:46 sさんへ
弥陀をたよりにしている状態
でスレ作ってもらった方が良さそうですね!

スナオスナオ 2018/08/16 01:07 sさんへ

1.「自力を起こしたくても」とはどういうことですか?
2.sさんにとって「自力」とはどのようなものですか?
3.また、sさんは「自力を起こしたい」のですか? 
4.「対象を伴う行為」とは具体的に何をおっしゃっているんですか?

逆質問をするのは嫌いなのですが、私には理解できなかったのでこのような返信になりました。

あと、みなさんに聞きたいこととして「弥陀をたよりにしている状態」をあげていらっしゃいますが、なぜこれを聞きたいのかを教えて頂きたいと思いました。

チュウビチュウビ 2018/08/16 01:12 阿弥陀様をたよりとしている状態とは、阿弥陀様と親子名乗りをあげている関係性です。私がいかに阿弥陀様なんて親ではない!といおうとも、親さまは親さまでした。嫁の実家では、いいとこ見せよう、こんなことしては駄目だ、キチンとしとかないと、緊張を伴い寛げませんが、実家に帰ってなにも忖度も駆け引きもなしに、裸で寛いでいる状態です。ちょっとsさんの言葉が難しいので私なりに答えてみました。

スナオスナオ 2018/08/16 08:26 「コメント長いから読んでません」の親鸞会の愚逆さんへ

> スナオ 2018/08/15 18:19
> >その点では「煩悩即菩提の自覚」も疑い晴れたひとつの現れとしてはハズレてはいないと思います。
>
> んでいいんですよね?

いいです。
愚逆さんに誤解させると申し訳ないので、私の信仰をきちんと言いますね。
【「親鸞会がいう煩悩即菩提とはまったく違う、鈴木大拙先生がおっしゃるところの煩悩即菩提」の自覚は、疑い晴れた結果として現れてきます】です。
妙好人研究をした鈴木大拙先生が「他力」のはたらきについて 「二元対立的な分別意識にもとづく一切の相対性、対立、矛盾を包み込み、根底で支えている永遠無限なるはたらき」と一文でまとめてくださった。このように他力が客観的に定義づけられたのは重要だと私は思うんですよね。というのは、鈴木先生が関わった妙好人や多くの念仏者のことばから導かれた「共通項」が先の一文だからです。念仏者ひとりひとりの「味わい」や「生き方」は様々です。ですが、「その念仏者たち全員に共通しているものがあるよ」と。「それを一文でまとめたよ」と。だから、安心問答さんのブログを読んでいる念仏者も、このブログを知らない念仏者も、みなが共通して自覚していることではないかな、と思います。他人の心の中は私には分かりませんので、あくまで私個人の信仰を述べました。鈴木先生のした仕事はすごいことだと思います。

愚逆さんは、この鈴木先生の言葉を聞いてどう思いますか?高森先生の方が的確に事実を示していると思いますか?
私は高森先生の法話を聞いても著書を読んでも核心部分がぼんやりしていてちっとも理解できないんです。そんな私のために愚逆さん、親鸞会の煩悩即菩提をもっと詳しく説明してくれませんか?
高森会長は、「菩提」のことを「幸せよろこぶ功徳」と説明していますが、何だかぼんやりしていて分かりません。

1.ここでの「幸せ」とはなんですか?
2.よろこぶとは誰がどのように喜んでいるんですか?
3.功徳とはなんですか?

愚逆さんは教行信証と高僧和讃を根拠を重ねて挙げることで、「それでも高森会長の教えが間違っているというのですか?」と私に尋ねられていますが、私には会長のいう煩悩即菩提がちっともわかりません。高森会長は鈴木先生のおっしゃる煩悩即菩提と「同じこと」を「ぼんやりと」教えているんですか?それとも「全く違うこと」を教えているんですか?愚逆さんのご意見を聞かせてください。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/16 09:08 「それでも高森会長の教えが間違っているというのですか?」

私そんな事一言も申してません。

生死を離れたら・・・を受けて

煩悩即菩提
衆禍の波転ず
氷と水の喩え

・・・続く

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/16 09:42 本来の真宗のは全く違うと申されるので・・・

煩悩即菩提と言っても、衆禍の波転ず、氷と水の喩えでも、言葉違えど
生死を離れた状態ならば・・・味わい(よくこういう言葉使われるので)は一緒なので・・・

全く違うと?と言う問いに成りました。

・・・続く

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/16 10:10 移動中にて携帯でチマチマ打ってるので・・・m(__)m

1、ここでの「幸せ」とはなんですか?

1つ上げれば・・・弥陀の本願の正客は私の事でありました!と喜ぶ心

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/16 10:29 2.喜ぶとは誰がどのように喜んでいるんですか?

私が・・・弥陀の本願まことであった!と喜んでいる

煩悩具足の凡夫と知らされ、本願の相手が我が身であったと喜んでいる

親鸞さまは・・・弥陀五劫・・・親鸞一人がためなり・・・と

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/16 10:48 3,功徳とはなんですか?

功徳でググってみた
1善行 2ご利益

とあった・・・が

ここで言う功徳とは?
喜びの種と言っていいものかどうか・・・

ニュアンス的には支障無いかと・・・

高森会長が菩提の事を幸せ喜ぶ功徳と説明しているかどうか分かりませんが

幸せ喜ぶ種と言い換えると・・・煩悩即菩提の煩悩を差すと思うし・・・

続く?どうかな?時間有れば♪

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/16 11:05 幸せ喜ぶ・・・が・・・菩提

コメント長いけど読んでますコメント長いけど読んでます 2018/08/16 11:34 コメント長いから読んでません
から名前変更しましたm(__)m

弥陀をたのむ

そのたのむ心は弥陀が(*^^*)用意して下さって、一念で与えられる、仏心と凡心とが一体になる。

信心という文字をばまことのこころと読めるなり、まことのこころと読むゆえは、凡夫自力の迷信に有らず、まったく仏心なり(誤字脱字あったらすいません)

善悪の凡夫、ともに仏のかたよりたまわる信心なれば・・・

続く

コメント長いけど読んでますコメント長いけど読んでます 2018/08/16 12:00 鈴木先生の・・・包み込む・・・根底で支える・・・
平易な言葉使われてるけど

みょうこうにんの研究されてて・・・そういう表現しか出来なかったんでしょうね!

鈴木先生がみょうこうにんの一人と成られてれば・・・良かったけど・・・残念!

「煩悩即菩提」をWikipediaで調べたけど・・・残念!

弥陀よりたまわる信心、回向されてれば・・・煩悩即菩提、読んで字の通り!って!

衆禍の波転ず、氷と水の喩え、そうや!そうや!って

チュウビチュウビ 2018/08/16 12:03 親鸞会職員の愚逆さん。大変立派な破邪顕正活動してますね。活動する事により親鸞会がカルトと印象つけてくれることに感謝します。あなたが証拠として出したのだから、親鸞会流の煩悩即菩提が、生死を離れたる証拠(信心決定)という理由を、きちっと教えてくださいませ。親鸞会流の廃悪修善の理屈でいうと、苦しみ(因)より菩提(仏果)が得られるとなりますけど。天台宗ですか?浄土真宗といえるのですか?解釈違いますよ。解釈出来ないのは、信心決定したフリをしているからです。我が身の後生の一大事を解決してください。あ!そういえば解決済みでしたね。苦しい活動目標提示され、そして転じて、頑張って達成して高森先生に感謝して喜びになりました。ああ煩悩即菩提となってる!信心決定した証拠だ!こういう理屈でしたね。親鸞聖人の教えを卑近して自己満足の解釈してますね。浄土真宗では生死即涅槃なりと証知せしむと同じです。正信偈にあるとおりです。苦しみが楽しみとなったのが証拠ではありません、世の中そのようなことはカルト現場ではまま有りますよ。

コメント長いけど読んでますコメント長いけど読んでます 2018/08/16 13:59 親鸞会職員?愚逆が?ww
誰??そんな事言ったの?ww

私・・・証拠なんて言いました?

なったかどうかで分かります。とは言ったけど・・・
それを・・・「証拠」って・・・

なったら本人は分かるし・・・
なってなければ分からないし・・・

なっているよって公言した人がいても・・・だからといってその人がなってるなってないの証拠にはならない・・・

当の本人しか・・・知るよしもない・・・

sさんの問いに対して答えて

第三者が念仏者を見て判断する、チュウビさんの言う証拠(勘違いならm(__)m)には・・・遠くおよびません。

廃悪修善の理屈?菩提即菩提?転悪成善?

苦しみより菩提が得られる・・・

罪障功徳の体とチュウビさんなってないの?

チュウビさんコメント読んでます?

スナオさんの1,2,3の問いにコメントしましたが・・・伝わらなかったみたいね(汗

続く??

コメント長いけど読んでますコメント長いけど読んでます 2018/08/16 14:12 チュウビさん
生死即涅槃なりと証知されてないの?

これ言ったら生死即涅槃の御解説が始まるんでしょうね♪

スナオスナオ 2018/08/16 16:03 「コメント長いけど読んでます」に変更した親鸞会の愚逆さんへ

高森会長は、「菩提」のことを「幸せよろこぶ功徳」と説明していますが、私には何だかぼんやりしていて分かりませんという私の疑問に、愚逆さんは、

1.ここでの「幸せ」とは「弥陀の本願の正客は私の事でありました!と喜ぶ心」
2.「私」が「弥陀の本願まことであった!」と喜んでいる。煩悩具足の凡夫と知らされ、本願の相手が我が身であったと喜んでいる。
3.功徳とは「喜びの種」

と答えて下さいました。お答え頂きありがとうございます。

つまり、愚逆さんがおっしゃる「菩提」とは「私が喜ぶこと」「私の喜び」ということですか?(ひとつめ)

愚逆さんは「弥陀の本願」に対して喜んでいるそうですが、弥陀の本願とは何ですか?親鸞会の言うように、「絶対の幸福にする御約束」ですか?それとも、信楽の心にするお約束ですか?それとも、往生成仏させる御約束ですか? 弥陀の本願以外に対しての喜びも「菩提」ですか?(ふたつめ)

sさんが最初に質問された「救われたかどうかわからないと思うのですが、どういった形であらわれるものなのでしょうか。」に対する、愚逆さんの返答は「私が喜ぶこと」「私の喜び」として現れる。ということでよろしいですか?(みっつめ)

「功徳とは喜びの種」だとおっしゃいますが、高森会長は「煩悩が喜びの種」だと説明しますよね。まったく逆の説明なので、私は何度も読み返してしまいました。親鸞会の人が高森会長の説明に反したことは言いませんもんね。謗法罪になるっていわれてるんですよね。だから愚逆さんは親鸞会の人ではないのかなと思いました。そして、「功徳」についてやっぱりよく分からないのでもう一度教えて下さい。(よっつめ)

「鈴木先生・・・残念!」 と愚逆さんがおっしゃるということは、「鈴木先生のおっしゃる他力」は他力ではないし、そのような自覚は高森会長とその教えに従う愚逆さんには無いということでよろしいですか?(いつつめ)

追伸1.

>> 「それでも高森会長の教えが間違っているというのですか?」
>
> 私そんな事一言も申してません。

おっしゃるとおりです。愚逆さんはそのようには書いていらっしゃいませんでした。申し訳ありません。

追伸2.

> 高森会長が「菩提の事を幸せ喜ぶ功徳」と説明しているかどうか分かりませんが

愚逆さんと同じように高僧和讃をあげて、「菩提」を「幸せよろこぶ功徳」とイコールで教えていますよ。私は「その「菩提」ってなんなんですか?」と疑問に思っていました。言葉を言い換えるだけでは「説明」とは言えませんよね。そこは愚逆さんも分かるでしょう?高森会長の説法は「言い換え」ですよね。「言い換え」に時間をかけて、核心にせまらない。核心がぼやけている。そして、愚逆さんに説明をしてもらいましたが、やっぱり「菩提」=「功徳」の部分がよく分かりません。そこが分からないから、愚逆さんから「煩悩即菩提」とだけ言われてもそれがどういうことなのか分かりません。

追伸3.最近の親鸞会の善知識はWikipediaですか?グーグルですか? 時代が変わりましたね。

コメント長いけど読んでますコメント長いけど読んでます 2018/08/16 16:44 ひとつめ
仏心と凡心とが一体になった私(阿頼耶識)

ん・・・おそらく伝わらないかも・・・

しかし・・・こう書くしか・・・m(__)m

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/16 19:34 コメント長いけど読んでますさんの主張には、根拠がないですよね。あると思っているのでしょうが、意味が違う訳ですわ。
断章取義で、こういう意味だ、と考えているのが、哀れ。
根拠だと思っている御文の前後をしっかり読めば、恥ずかしい主張だと簡単にわかるよ。

仏凡一体とは、信心を獲たことと同じ意味であり、特別な喜びが起きることではないし、生死即涅槃も信心を獲たことを言うのであり、喜びとは関係ない話。
罪障功徳の体も同じことで、信心を獲ると八十億劫の罪が消えて往生成仏の種が頂けることを表したものであり、喜び云々とは関係ない話。

関係する根拠の前後をしっかり読みましょうね。

チュウビチュウビ 2018/08/16 21:27 親鸞会会員の愚逆さんへ。火星人さんと似たようなこといいますね。流石カルトです。
 そもそもsさんの質問に対して安心問答さんの答えが、あなたが気に食わなかった、いや信心決定を詐称しているだけだから意味がわからないが、正しいかな。なので「煩悩即菩提」をだして、苦しみ転じて楽しみと書いたわけですね。で安心問答よりすごい答えかいてやったと自己満足している。そもそも真宗解釈じゃなくて高森解釈だからね。恥ずかしげもなくよく披露出来ますね。
 で「罪障功徳の体となる」になってないチュウビは未信であるということだそうで。いやーあなたの説明なら、私は、全くなってないですわ〜。あなたは、なっているのですね〜素晴らしいですね。親鸞会の広報活動苦しい厳しいですね、お疲れ様です。目標数達成できましたか?喜びの功徳なんですよね。こちらに書き込んで、安心問答まちがいだわ〜愚逆さんの説明正しいわ!となってくれる人がいたら良いですね。
 私が煩悩即菩提を生死即涅槃といったのも、親鸞会嘘さまが言われるように、喜び云々の話しではなく、凡夫が信心決定すると、浄土にいけば、このような仏の悟りを証知しますよ。ということです。苦しみだ喜びだの話ではないのですよ。あなたが根拠をあげて鬼の首とった気になっても、訳して書いてくれないと意味ないですよ。高森訳が特殊で間違いなのだから。高森訳が正しくて本願寺派訳が間違いというのを指摘してくれないとね。鈴木大拙先生は間違いというなら、そりゃそうでしょうよ高森教の信者じゃないのだもの。どうか周りを否定して内側に閉じこもり高森のみ正しいの善知識頼みの異安心から抜け出てくださいませ。

ss 2018/08/16 22:06 スナオさん

>1.「自力を起こしたくても」とはどういうことですか?
 2.sさんにとって「自力」とはどのようなものですか?
 3.また、sさんは「自力を起こしたい」のですか? 

ここでの自力は字のごとく自分の力と考えてください。自分の力と考えられるもの全て含むと思ってください。「起こしたいのですか?」という問いに対しては、「何の宗教とも関わりのない人たちは自分の力を使って生きているのではないでしょうか」と答えます。浄土とか関係なく、日常生活を送るのに使う力です。多種多様にわたるので、まとめさせて頂きました。もともとそういうものを持っていない人には関係のない話ですが。


>4.「対象を伴う行為」とは具体的に何をおっしゃっているんですか?

読んで字のごとくです。これ以上の具体化は自分の知っている言語では無理ですのでこう書かせて頂きました。


>あと、みなさんに聞きたいこととして「弥陀をたよりにしている状態」をあげていらっしゃいますが、なぜこれを聞きたいのかを教えて頂きたいと思いました。

一言で言うと、精神の変容の先達を見つけたいと思いました。

ss 2018/08/16 22:20 チュウビさん
ありがとうございます。親子名乗り、は一旦置いといて、なぜ寛げるか、考えたことはありますか?
考えてくださいという意味ではないですが。。。
でも自分の言葉で表現できるというのは素晴らしいことだと思います。

rr 2018/08/17 00:28 sさま

sさまは真面目な方のようですね。でも何かに引っかかって悩んでおられるように思います。
 
>精神の変容の先達を見つけたいと思いました。
 
うーん、先達を見つけたい・・・。先達を見つける必要性を感じておられる、ということでしょうか。
 
素朴な疑問がありまして1つお聞きしたいのですが、sさまは獲信者ですか? それとも未信者ですか? ご自分の思いでけっこうですので、どちらかを教えてくださいませ。

コメント長いけど読んでますコメント長いけど読んでます 2018/08/17 08:49 今から出かけるので手短で申し訳ないのですが・・・

追伸1.

>> 「それでも高森会長の教えが間違っているというのですか?」
>
> 私そんな事一言も申してません。

おっしゃるとおりです。愚逆さんはそのようには書いていらっしゃいませんでした。申し訳ありません。

ご返信有難うございます。

追伸3.最近の親鸞会の善知識はWikipediaですか?グーグルですか? 時代が変わりましたね。

誰も・・・Wikipediaが善知識とは・・・申してません^^
語源、現在使われてるところの意味を調べたかったからですよ^^

shinrankaiuso 2018/08/16 19:34
仏凡一体とは、信心を獲たことと同じ意味であり、特別な喜びが起きることではないし、生死即涅槃も信心を獲たことを言うのであり、喜びとは関係ない話。
罪障功徳の体も同じことで、信心を獲ると八十億劫の罪が消えて往生成仏の種が頂けることを表したものであり、喜び云々とは関係ない話。

若不生者(にゃくふしょうじゃ)のちかひゆゑ
信楽(しんぎょう)まことにときいたり
一念『慶喜』(いちねんきょうき)するひとは
往生(おうじょう)かならずさだまりぬ            (「註釈版聖典」五六一頁)
http://komyouji.com/hougocalender/2017%E5%B9%B43%E6%9C%88%E3%80%80%E4%B8%80%E5%BF%B5%E6%85%B6%E5%96%9C%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%80%E5%BE%80%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%9A%E3%80%80%E3%81%95.html

続く・・・しばしお出かけ^^

チュウビチュウビ 2018/08/17 09:07 sさんは親鸞会会員ではなさそうですけど、何やら難しいことを考えてますね。スナオさんのコメントに対しても理解しようとしてコメントしているのにまるで理解出来ないこちらが悪いかのようなズレた返信ですね。ここで意地悪な質問して、私たちの信仰の程度を試しているようですね。本物か偽物か。
 なぜ実家のように寛げるか考えたことあるか?ですね。答えはないです。順逆の問題です。どうやったら寛げる身(信心決定)になるか?が最初にありました。しかし、阿弥陀様のお慈悲に触れてみれば、その気持ちはすっかりなくなりました。というのが寛げる状態ですね。それが信前信後の境があるということで精神の変容がある(難しい言葉使いますなあ(笑))お分かりですかね?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 09:54 だから断章取義だって。
慶喜は信心の意味だよ。
仏凡一体、生死即涅槃、罪障功徳の体については、わかったんだね。
一歩進歩できたじゃないの、喜んでいいよ。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 10:10 親鸞聖人も蓮如上人も、信心獲たら往生が定まると頻繁におっしゃっていることくらいは知っているでしょう。
一念の信心を獲た人は、往生必ず定まる
こういうこと。
それとも、土蔵秘事なんかで、一念で飛び上がって喜んだ人は、往生必ず定まるの?

少しは、頭を使ってみたらわかるのに。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 10:24 追伸2について

なるほど・・・

私も菩提の事を幸せを喜ぶ功徳とコメントで有って・・・ここで言う功徳とはなんぞや?と思ったので、現在の功徳の意味、使われかたは?とwikipediaで調べた結果

以前のコメントで書きましたが

1,功徳を積みなさい、というような使い方で使われる功徳(善行)



2,利益

とが有ったので

あっ!Σ( ̄□ ̄;)
喜びの種っコメントしましたが・・・ニュアンス・・・外れてる??

ググった時も・・・善行と言うよりご利益と言う意味かな〜って思ったのにm(__)m

続く

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 13:09 >shinrankaiuso 2018/08/17 09:54

>慶喜は信心の意味だよ

「慶」は、うべきことをえて、のちによろこぶこころなり。
「喜」はこころによろこばしむるなり

追記
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/56024/meaning/m0u/

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 13:14 『唯信鈔文意』

この信心をうるを慶喜といふなり。慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。慶はよろこぶといふ、信心をえてのちによろこぶなり、喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ、うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり。


しっかり読みたまえ
「この信心をうるを慶喜といふなり。」

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 13:24 しかれば願成就(第十八願成就文)の「一念」はすなはちこれ専心なり。専心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ深信なり。深信はすなはちこれ堅固深信なり。堅固深信はすなはちこれ決定心なり。決定心はすなはちこれ無上上心なり。無上上心はすなはちこれ真心なり。真心はすなはちこれ相続心なり。相続心はすなはちこれ淳心なり。淳心はすなはちこれ憶念なり。憶念はすなはちこれ真実の一心なり。真実の一心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ金剛心なり。金剛心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心すなはちこれ大菩提心なり。この心すなはちこれ大慈悲心なり。(信巻)

一念=専心=深心=深信=(略)=大慶喜心=真実の信心=(略)

土蔵秘事に類する者には理解できないのが、真実の信心で大慶喜心

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 13:25 >shinrankaiuso 2018/08/17 10:10
>土蔵秘事なんかで、一念で飛び上がって喜んだ人は、往生必ず定まるの?

土蔵秘事は・・・一念を説くの?

shinrankaiusoさん『一念』を乱用しないで頂きたい!一念の意味知らない人なら・・・無理もないけど^^

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 13:30 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120207/1328603109

土蔵秘事に類する者は、とりあえずここでも読んでおくことですな。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 13:31 >土蔵秘事は・・・一念を説くの?

説くよ、知らないの?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 13:33 >『一念』を乱用しないで頂きたい!

親鸞聖人のお言葉を出したら乱用だって、流石は土蔵秘事に類する者の言い訳だね。

一念=専心=深心=深信=(略)=大慶喜心=真実の信心=(略)

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 13:50 いつの間にか・・・名前変わってるしww

ま〜今はコメント全部読んでないから・・・いっか〜

>shinrankaiuso 2018/08/17 09:54

>慶喜は信心の意味だよ
shinrankaiuso 2018/08/17 13:14
>しっかり読みたまえ
>「この信心をうるを慶喜といふなり。」

どこをどう読んだら慶喜は信心の意味になるの???

『信心をうる』を『慶喜』といふなり。

shinrankaiusoさん『うる』は?

慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。

慶はよろこぶといふ、『信心をえて』のちによろこぶなり、

喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ、うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり。

>shinrankaiuso 2018/08/16 19:34
>仏凡一体とは、信心を獲たことと同じ意味であり、特別な喜びが起きることではないし、生死即>涅槃も信心を獲たことを言うのであり、喜びとは関係ない話。
>罪障功徳の体も同じことで、信心を獲ると八十億劫の罪が消えて往生成仏の種が頂けることを表>したものであり、喜び云々とは関係ない話。

『喜びとは関係ない話。喜び云々とは関係ない話。』

shinrankaiusoさん、ご自身で根拠上げておいて・・・よく言いますね^^

信心をえてのちによろこぶなり

うべきことをえてのちに、身にもこころにもよろこぶこころなり。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 14:00 ふむふむ
大慶喜心=真実の信心

ここから、慶喜は信心の意味だよ、って言われたのね^^

勝手に・・・ww

大慶喜心=真実の信心

これはこのまま、大慶喜心は真実の信心のことです。と読まれてないのね^^

もうちょっと一字一句大事に読まれることを念じます。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 14:04 >どこをどう読んだら慶喜は信心の意味になるの???

これ読めないの?

一念=専心=深心=深信=(略)=大慶喜心=真実の信心=(略)

キミが言ったのは、

「一念慶喜するひとは」の話だよね、忘れたの?

この「慶喜」が信心だと言ったんだけど理解できない?小学生でも分かると思うよ。

>『喜びとは関係ない話。喜び云々とは関係ない話。』

これも
仏凡一体
生死即涅槃
罪障功徳の体
の話ね。

信心をえてのちによろこぶなり


仏凡一体
生死即涅槃
罪障功徳の体
とどんな関係になるの?

信心をえて
=仏凡一体になって
=生死即涅槃になって
=罪障功徳の体になって

その後の話。

日本語分かる?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 14:06 >もうちょっと一字一句大事に読まれることを念じます。

真実の一心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心はすなはちこれ真実信心なり。(親鸞聖人の直のお言葉)

親鸞聖人のお言葉を高森フィルター、土蔵秘事フィルターなしで読まれることをお勧めします。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 14:11 土蔵秘事の読み方では、

真実の一心はすなはちこれ慶喜と異なる。慶喜はすなはちこれ真実信心と異なる。

こういうことね。
そんな土蔵秘事の教義は一般の同行には理解できないわ。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 14:22 どうせ先のリンク先を読んでいないだろうから、ここに引用しておくね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
踊躍は「天に踊る地に踊る」とあるからといって、南無阿弥陀仏を疑いなく聞いた一念に踊りだすのではありません。もし、そんなことがあったらそれは一念とは言えません。その「踊躍」を「よろこぶこころのきはまりなきかたちなり」と言われています。ここに「かたちなり」とありますから、形容詞ということです。仮に実際に踊るのであるなら、踊らない人は救われていないことになります。

本願力にまかせた状態の安心は、これ以上のものはほかにないということの形容詞として、教行信証では「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。」と言われています。

歓喜とあるから喜ぶのだろう、天に踊り地に踊るというからとんでもない喜びがわきおこるのだろうと思うのは間違いです。喜びがおきるとしても、それは救われた一念の後のことであり、また、「歓喜」とあるのは本願力にまかせた心であって、実際に天に踊り地に踊ることをいわれたものではありません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「慶喜」は形容表現で、信心を顕わしている訳よ。
だから

真実の一心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心はすなはちこれ真実信心なり。(親鸞聖人の直のお言葉)

と仰っているのさ。
これを、我々の心が慶喜することと勘違いするから、アホな主張になるんだよね。
慶喜は阿弥陀仏の心を頂いたこと、その結果として、我々のお粗末な心でものちによろこぶことになるのであって、我々の心が慶喜になるのではないのよ。

土蔵秘事には理解できない真実信心の話でした。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 14:40 親鸞聖人のお言葉を否定する土蔵秘事の者には関係ないだろうけど『浄土文類聚鈔』から

「能生清浄願心」は、これ凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なるがゆゑに清浄願心とのたまへり。しかれば、「一心正念」といふは、正念はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ念仏なり。一心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ堅固深信なり。堅固深信はすなはちこれ真心なり。真心はすなはちこれ金剛心なり。金剛心はすなはちこれ無上心なり。無上心はすなはちこれ淳一相続心なり。淳一相続心はすなはちこれ大慶喜心なり。大慶喜心を獲れば、この心三不に違す、この心三信に順ず。この心はすなはちこれ大菩提心なり。大菩提心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。
度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して、安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心はすなはちこれ畢竟平等心なり。この心はすなはちこれ大悲心なり。この心作仏す。この心これ仏なり。


略すと
大慶喜心=真実信心=この心これ仏なり

信心を獲たら心が仏になると勘違いしているのが仏凡一体の曲解であり、
同じことで
信心を獲たら心が大慶喜心になると勘違いしたのが、キミら土蔵秘事の者なんだな。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 14:44 ついでに二河白道の譬えで

仰いで釈迦発遣して、指へて西方に向かへたまふことを蒙り、また弥陀の悲心招喚したまふによつて、いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること、なんぞ極まらんと喩ふるなり。


我々の心が慶喜するのはいつか?
「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する」

分かったかな?
土蔵秘事は教学を嫌うから、この程度にしておくわ。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 15:38 >我々の心が慶喜するのはいつか?

いつですか?
死んでからですか?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 15:42 「捨命以後かの国に生ずることを得て」

これ読めない?
命が終わって、浄土に生れて

この程度の古文も読めなくて、お聖教が読めるかってことだわさ。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 15:46 歎異抄も読めないだろうけど、1文だけ紹介。

踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと

我々の心が「踊躍歓喜のこころ」になったら、「煩悩のなきやらん」だってさ。

キミ程度は話にならないから、W部さんをここへよんできなさい。
完膚なきまでに論破してあげるから、かつてのように。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 15:47 >我々の心が慶喜するのはいつか?

だっじゃらさんは

>慶喜 は信心の意味だよ

ってコメント有りますが!

我々の心が信心するのはいつか?
という事ですか?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 15:52 >我々の心が信心するのはいつか?
>という事ですか?

意味不明。

信心を頂くのは、弥陀の喚び声を聞いた平生の一念。それ以上何が知りたい訳?
信心をいただいたのと、我々の心が仏心になるのは違うし、我々の心が慶喜するのも違う。踊躍歓喜のこころもない。

分からなかったら、まずは日本語の学習からだな。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 15:53 だっじゃらさん

カミソリでお怪我を・・・

山も山さんに介抱してもらったら?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 15:56 毎度毎度の負け犬の遠吠え。

W部さんに換わって。
W部さんも大したことないけど。
会長が理想だけど、絶対に出てこないし、キミが会長と話ができるとも思っていないから言わないだけだよ。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 15:56 >慶喜は信心の意味だよ

と・・・だっじゃらさんのコメント・・・

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 15:58 それで?

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 16:00 捨命

信受本願前念命終

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 16:06 「捨命以後かの国に生ずることを得て」

これが平生だと言っているなんて、キミだけだわ。
「かの国」ってどこの国だと思っているの?

少し教えてあげると

善導大師は「前念命終」を死んで命が終わってからという意味で使われたのを、親鸞聖人が信心を獲たときのこととして意味を替えられたなんだな。

二河白道の譬えは善導大師の作られたもの。善導大師の仰る「捨命」は、肉体の死以外にはあり得ないのよ。「かの国」も阿弥陀仏の浄土に対して「かの国」と仰っているのも知らない大馬鹿者だな。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 16:07 かの国に生ずることを得て

即得往生後念即生

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 16:08 はいはい。土蔵秘事はこの程度のことしか言えないって事だわさ。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 16:13 一念多念証文

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。
かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。


この「臨終」は、肉体の臨終だね。それとも心の臨終だと思っている訳?
「かならず安楽浄土へいたれば」これが平生だと思っている訳?
アホ過ぎ。

キミの土蔵秘事教義を聞かされてもね。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 16:17 即得往生住不退転

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/17 16:24 ひらかしむるをむねとせしむべし

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 16:26 意味不明のコメントで誤魔化すしかないわな。

負け犬の遠吠えに勤しみたまえ!!

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 16:32 善導大師 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)

土蔵秘事 白道の途中で慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)

アホ過ぎ

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/17 17:44 サルでもわかるまとめ

大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************

ss 2018/08/17 21:17 rさん
>うーん、先達を見つけたい・・・。先達を見つける必要性を感じておられる、ということでしょうか。
 
必要かどうかと言われると、絶対に必要というわけではないです。コミュニケーションは創造の源泉です。

>素朴な疑問がありまして1つお聞きしたいのですが、sさまは獲信者ですか? それとも未信者ですか? ご自分の思いでけっこうですので、どちらかを教えてくださいませ。

今のところお答えできませんが、質問させて頂いた目的は上のとおりです。悪戯等ではありません。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 04:37 >s 2018/08/17 21:17
>rさん
>>うーん、先達を見つけたい・・・。先達を見つける必要性を感じておられる、ということでしょうか。
 
>必要かどうかと言われると、絶対に必要というわけではないです。コミュニケーションは創造の源>泉です。

sさんへ

先達のことを善知識といいかえると・・・sさんの言う先達の意味合い変わってきます?

先達のことを妙好人といいかえてみた場合はいかがです?sさんの言う先達の意味合い変わってきます?

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 04:37 >s 2018/08/17 21:17
>rさん
>>うーん、先達を見つけたい・・・。先達を見つける必要性を感じておられる、ということでしょうか。
 
>必要かどうかと言われると、絶対に必要というわけではないです。コミュニケーションは創造の源>泉です。

sさんへ

先達のことを善知識といいかえると・・・sさんの言う先達の意味合い変わってきます?

先達のことを妙好人といいかえてみた場合はいかがです?sさんの言う先達の意味合い変わってきます?

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 04:38 >s 2018/08/17 21:17
>rさん
>>うーん、先達を見つけたい・・・。先達を見つける必要性を感じておられる、ということでしょうか。
 
>必要かどうかと言われると、絶対に必要というわけではないです。コミュニケーションは創造の源>泉です。

sさんへ

先達のことを善知識といいかえると・・・sさんの言う先達の意味合い変わってきます?

先達のことを妙好人といいかえてみた場合はいかがです?sさんの言う先達の意味合い変わってきます?

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 04:55 >s 2018/08/17 21:17
>rさん
>>うーん、先達を見つけたい・・・。先達を見つける必要性を感じておられる、ということでしょ
うか。
 
>必要かどうかと言われると、絶対に必要というわけではないです。コミュニケーションは創造の源>泉です。

sさんへ

sさんの言われる先達を・・・善知識、又、妙好人と言い換えたら・・・意味合い全く変わってきます?

以下添付
せん‐だつ【先達】

1 他の人より先にその分野に進み、業績・経験を積んで他を導くこと。また、その人。先輩。せんだち。「先達に学ぶ」
2 山伏や一般の信者が修行のために山に入る際の指導者。せんだち。
3 道などを案内すること。案内人。また、指導者。せんだち。「登山の先達をつとめる」
「少しの事にも―はあらまほしき事なり」〈徒然・五二〉

コメント長いから読んでません コメント長いから読んでません 2018/08/18 06:05 >スナオ 2018/08/16 16:03
>追伸2.

>> 高森会長が「菩提の事を幸せ喜ぶ功徳」と説明しているかどうか分かりませんが

>愚逆さんと同じように高僧和讃をあげて、「菩提」を「幸せよろこぶ功徳」とイコールで教えていますよ。

ある書籍に書かれていました^^

罪障功徳の体となる
氷と水のごとくにて
氷多きに水多し
障り多きに得多し(高僧和讃)*

*高僧和讃 親鸞聖人が7人の高僧を賛嘆された詩。

弥陀に救い摂られると、助けようのない煩悩(罪障)の氷が、幸せよろこぶ菩提(功徳)の水となる。大きい氷ほど、解けた水が多いように、極悪最下の親鸞こそが、極善無上の幸せ者である。

九章で言えば、こうなろう。
「喜ぶべきことを喜ばぬ心(煩悩)」が「氷」であり、「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候えの喜び(菩提)」が「水」に当たろう。
無尽の煩悩が照らし出され、無限の懺悔と歓喜に転じる不思議さを、
「煩悩即菩提」(煩悩が、そのまま菩提となる)
とか
「転悪成善」(悪が、そのまま善となる)
と簡明に説かれる。
喜ばぬ心が見えるほど喜ばずにおれない、心も言葉も絶えた大信海*に、
「ただこれ、不可思議・不可称・不可説の信楽(信心)なり」(教行信証)
ただ聖人は、讃仰されるばかりである。

*大信海 阿弥陀仏から賜った信心の世界。
*讃仰 尊く仰いで、褒め称えること。


菩提(功徳)・・・とあります。

スナオさんが仰られる「菩提」を「幸せよろこぶ功徳」の「幸せよろこぶ〇〇」ついてですが・・・

1、「喜ぶべきことを喜ばぬ心(煩悩)」

2、「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候えの喜び(菩提)」

上記の1,2をふまえたうえでの「幸せよろこぶ〇〇」・・・を
高森会長が高僧和讃をあげて、「菩提」を「幸せよろこぶ功徳」とイコールで教えていますよ。(スナオさんのコメント)

といわれれば・・・スナオさんの申される通りでしょう。

追記
(添付)
【註釈版本文】

 念仏申し候へども、踊躍歓(ゆやくかん)喜(ぎ)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころに候はぬは、
いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、
 親鸞もこの不審(ふしん)ありつるに、唯円房(ゆいえんぼう)おなじこころにてありけり。
よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。
よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為(しょい)なり。しかるに仏かねてしろしめて、
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかなくのごとし、われらがためなりけりとしられて、
いよいよたのもしくおぼゆるなり。
 また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労(しょろう)のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、
煩悩の所為なり。久遠劫(くおんごう)よりいままで流転(るてん)せる苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、
いまだ生まれざる安養浄土はこひしからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう)に候ふにこそ。
なごりをしくおもへども、娑婆(しゃば)の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。
いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲願はたのもしく、
往生は決定(けつじょう)と存じ候へ。 踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、
煩悩のなきやらんと、あやしく候ひまなしと云々。



これにつけてこそ、いよいよ大悲願はたのもしく、
往生は決定(けつじょう)と存じ候へ。・・・と有り・・・

「の喜び(菩提)」は著者が書き加えられたもの(異をとなえる方は・・・どうぞ出版社へ^^)

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 07:21 高森会長の駄作を根拠にしている時点で、レベルの低さがわかるわ。
駄作が出版された以降に、何十冊も歎異抄の解説本がでてるから、そちらを読んで勉強しなさい。

スナオスナオ 2018/08/18 07:59 >「の喜び(菩提)」は著者が書き加えられたもの(異をとなえる方は・・・どうぞ出版社へ^^)

歎異抄9章原文に親鸞聖人は「喜んでいる」とはおっしゃっていない。
それを改ざんしているのが高森会長。
退会者に反論するために真剣に読み直したら気づいちゃったんだね。
改ざん先生についていく?それとも真宗を学び直す?
shinrankaiusoさんに良書を紹介してもらうといいと思います。

コメント長いから読んでません コメント長いから読んでません 2018/08/18 08:51 >shinrankaiuso 2018/08/17 16:13
>一念多念証文

>「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。
かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。


>この「臨終」は、肉体の臨終だね。それとも心の臨終だと思っている訳?
>「かならず安楽浄土へいたれば」これが平生だと思っている訳?
>アホ過ぎ。

>キミの土蔵秘事教義を聞かされてもね。


臨終の一念にいたるまでとどまらず

この臨終は肉体の臨終






一念とは?

だっじゃらさんコメント無いけど・・・

お先にコメントしておきますね♪

・・・・
添付
大辞林 第三版の解説

いちねん【一念】

? 深く思いつめた心。一筋の思い。一心。 「合格したい−でがんばる」


? ?仏?

? きわめて短い時間。六十刹那せつな、または九十刹那とされるが、単に一瞬の意で用いられることが多い。


? 一つの心のはたらき。一瞬の意識。


? 一度の念仏。多く、阿弥陀仏を念ずること。また、南無阿弥陀仏と唱えること。


? 主として浄土真宗で迷いなく仏を信ずること。
・・・・

臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず

ここで使われてる一念とは

単に一瞬の意

の事







願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふ

だっじゃらさんコメント無いけど・・・

これも、お先にコメントしておきますね♪

願力・・・人々を救済しようとする阿弥陀仏の誓いの力。(添付)

白道・・・極楽浄土に通じる白い道とされ、極楽往生を願う信心にたとえられる。(添付)

一分二分・・・一分二分は十分の一か十分の二の意味です(添付)
引用先http://www.sennen-ji.jp/zendou.html

やうやう・・・以下記載の、意味3やっとのことで、かろうじて。・・・かと思います。

副詞
■意味1
だんだん、次第に。
■意味2
そろそろと。
■意味3
やっとのことで、かろうじて。

無碍光仏のひかり・・・阿弥陀仏の光明

御こころ「に」・・・阿弥陀仏の願心

をさめとり・・・摂取

弥陀の光明願力に摂取される

無上覚にいたるべき心のおこる

引用添付

如来の誓願を信ずる心のさだまる時と申すは、
摂取不捨の利益にあずかるゆえに、
不退の位にさだまると御こころえ候うべし。
真実信心さだまると申すも、金剛信心のさだまると申すも、
摂取不捨のゆえに申すなり。
さればこそ、無上覚にいたるべき心のおこると申すなり。
これを、不退のくらいとも、正定聚のくらいにいるとも申し、
等正覚にいたるとも申すなり。

(御消息集・善性本・第二通)




がゆゑに


かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむる・・・成仏

をむねとせしむべし

むね・・・むね【旨/宗】1 中心となるもの。また、重要なもの。(添付)

せしむべし・・・させるべきだ/させないといけない(引用添付https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104198075?__ysp=44Gb44GX44KA44G544GX)

長くて読みづらくなってしまい申し訳ありません。

コメント長いから読んでません コメント長いから読んでません 2018/08/18 09:02 だっじゃらさんへ

ある書籍に書かれていました^^

とコメントしましたが・・・

shinrankaiuso 2018/08/18 07:21
>高森会長の駄作を根拠にしている

え?根拠?
私・・・根拠なんて一言も言ってないですよ。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 09:09 スナオ 2018/08/18 07:59
>退会者に反論するため

スナオさんへ

退会者・・・書き間違えですよね?〇〇者に反論の〇〇とは・・・

教えて頂ければ幸いです。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 09:14 相変わらず何が言いたいのかよくわからんね。
捨命、かの国が、平生か死後かの話で、キミの
ダラダラ書いたコメントに何の意味があるわけ?

煩悩があるから、慶喜の心は起きない、
煩悩がなくなるのは、肉体の死後に浄土に往ってから、

この単純明快な理屈が理解できないアホコメントをいつまで書いているの?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 09:27 善導大師 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)


サルでもわかるまとめ

大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************


上記に異論があるなら、どこがどう違うというのか、お聖教上の根拠をもって説明せよ。

キミの知能では話にならないから、W部さんかK田さんでも連れてこい。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 09:36 スナオ 2018/08/18 07:59
>改ざん先生についていく?それとも真宗を学び直す?

改ざん先生についていったのが、真宗を「学び」直したのが、他力の信心ではないので。

当方誰にもついていきません。
弥陀は摂取して下さったし、神々は守らせて下さいってお願いしてくるし〜
逃げ場が無くて(汗

教学は好きですよ〜
いよいよ頼もしく・・・

狂学は・・・嫌い

スナオスナオ 2018/08/18 09:53 歎異抄9章原文に親鸞聖人は「喜んでいる」とはおっしゃっていない。
それを改ざんしているのが高森会長。
それに気づいても疑問に思わず異もとなえられない程度の人。
つまり改ざん先生と同じ信仰でしたか。獲信者の割には当の質問者のsさんからは一言も質問されない。他人の揚げ足を取るだけ。あわれですね。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 09:54 狂学の前に、狂脳を心配したまえ

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 10:04 添付
大辞林 第三版の解説


たのもしい【頼もしい】




( 形 ) [文] シク たのも・し

〔動詞「頼む」の形容詞化〕

? 頼りにできそうで心強い。頼れる様子だ。 「味方として−・い男」 「彼も−・い青年に成長した」


? 将来に期待がもてる。将来が楽しみだ。 「御かたちもいと清らにねびまさらせ給へるを、うれしく−・しく見奉らせ給ふ/源氏 賢木」


? 経済的に心配がない。裕福だ。 「我は若かりし折はまことに−・しくてありし身なり/宇治拾遺 10」

[派生] −が・る ( 動ラ五[四] ) −げ ( 形動 ) −さ ( 名 )

私「も!」日本語から勉強せんなんww

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 10:15 単なる構ってちゃんかよ。
他の掲示板にでも行きたまえ。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 10:27 スナオ 2018/08/18 09:53
>歎異抄9章原文に親鸞聖人は「喜んでいる」とはおっしゃっていない。
>それを改ざんしているのが高森会長。
>それに気づいても疑問に思わず異もとなえられない程度の人。

気づいて(「おゃ」と思っただけ・・)
>九章で言えば、こうなろう。
>「喜ぶべきことを喜ばぬ心(煩悩)」が「氷」であり、「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願>は頼もしく、往生は決定と存じ候えの『喜び』(菩提)」が「水」に当たろう。
                   ↑ここね♪

>いよいよ大悲大願は『頼もしく』
            ↑ここちゃんと読んでたから「おゃ」だけ・・・

>つまり改ざん先生と同じ信仰でしたか。
私・・・同じとも・・・同じ信仰・・・ともコメントしてないですが・・・

真宗の「信仰」、又「同じ信仰」、はスナオさんの判断で決まるものなのですか?

コメント長いから読んでません コメント長いから読んでません 2018/08/18 11:09 shinrankaiuso 2018/08/18 09:27
>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

だっじゃらさんの慶喜は臨終後だそうな。

添付
慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、楽はたのしむこころなり、これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。

うべきこと・・・浄土に往生?

正定聚の位をうる・・・臨終後?


添付
「即得往生」といふは、「即」はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなP--679り。
また「即」はつくといふ↓、その位に定まりつくといふことばなり。
「得」はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなはち無碍光仏の御こころのうちに摂取して捨てたまはざるなり。
摂はをさめたまふ、取はむかへとると申すなり。
をさめとりたまふとき、すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚ワウジヤウスベキミトサダマルナリの位につき定まるを「往生を得」とはのたまへるなり。

「得」はうべきこと・・・の、うべきこと・・・浄土往生?

真実信心をうれば・・・ってあるけど・・・臨終後?

をさめとりたまふとき、すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まる・・・だっじゃらさん、いつ?

平生業成
臨終を待つまでもなく、平生に他力の信心をえたそのときに浄土に生れることが確定すること。引用添付
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%B9%B3%E7%94%9F%E6%A5%AD%E6%88%90

スナオスナオ 2018/08/18 11:20 それで?

歎異抄9章原文に親鸞聖人は「喜んでいる」とはおっしゃっていない。
それを改ざんしているのが高森会長。

という事実は変わらない。

あいかわらず揚げ足取りに終始してますね。おつかれさま。

スナオスナオ 2018/08/18 11:20 それで?

歎異抄9章原文に親鸞聖人は「喜んでいる」とはおっしゃっていない。
それを改ざんしているのが高森会長。

という事実は変わらない。

あいかわらず揚げ足取りに終始してますね。おつかれさま。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 11:53 コメントで書いた意味も理解できない知能なら、はなしにならないので、W部さんに
代われって言っているの。
キミでは、日本語が通じなさすぎる。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 11:55 善導大師 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)


サルでもわかるまとめ

大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************


上記に異論があるなら、どこがどう違うというのか、お聖教上の根拠をもって説明せよ。

キミの知能では話にならないから、W部さんかK田さんでも連れてこい。

チュウビチュウビ 2018/08/18 12:07 愚逆さんがこすずるいのは、FBなど僧侶を批判していること、親鸞会を是非とも来てくださいなんて書いていて、誰にもついて行ってないとあくまで一般人を装う(笑)工作員ですね。根拠は全部高森解釈だし。それでいて誰かの本とそこだけ根拠ぼかしている、他はちゃんと書いているのに。ミエミエ、モロバレ、親鸞会に益することになるのですか、その活動は。
 「言ってないです」と言いながらそのように誘導してますよね。消防署の方から来ましたと言って売る、詐欺の消火器販売員と同じ。お寺の方から来ましたと言って、お寺関係と誤認させて親鸞聖人のアニメを売る親鸞会と同じ手法です。今でもそのようにしているのですね。親鸞会職員の愚逆さんは(書いてませんね、私の邪推ですよ)結局何を主張したいのですか?場を荒らしたいだけかな。
 最初のあなたのsさんに言いたかった主張は、煩悩即菩提。というのは苦しみが楽しみになる、それがそうなっていたら救われているということ、証拠(証拠なんて書いてないのでしたよね、でもそう読めますよ)じゃなければ、sさんに言うことないじゃん。因みに安心問答さんは、仏願の生起本末を聴きて疑心あることなし、という状態のことと書いてます。喜ぶのが信心でなくて、信後に喜ぶですよ。自分で矛盾してるの分かってますか。あとあなたの書き方は高森解釈で一益法門になってます。親鸞会嘘さんは、ちゃんと二益法門で説明してます。揚げ足とらないでちゃんと法論しましょう。話が進まないです。

コメント長いから読んでませんコメント長いから読んでません 2018/08/18 12:36 shinrankaiuso 2018/08/18 11:55
>善導大師 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
>親鸞聖人 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>土蔵秘事 白道の途中で慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)


>サルでもわかるまとめ

>大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
>踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

>***************************************************************************
>信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
>信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
>***************************************************************************


>上記に異論があるなら、どこがどう違うというのか、お聖教上の根拠をもって説明せよ。



>大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)


>信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心




>大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
>信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心





大慶喜心=真実信心(信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心)=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)

????サルしかわからん




大慶喜心



真実信心『仏心凡心一体の信心』
(喜ぶべきことを喜ばぬ心) 『凡心からの告白』、
(これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候え) 『仏心からの告白』



この心仏なり


追伸

>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

原文でつか?意訳でつか?

サル以下の私に教えて頂ければ幸いです。

サルでもわかるさんでも、スナオさんでもいいのでm(_ _)m

コメント全部は読んでませんコメント全部は読んでません 2018/08/18 12:49 チュウビ 2018/08/18 12:07
>愚逆さんが・・・・親鸞会を是非とも来てくださいなんて書いていて、・・・
え?何処?
チュウビさんの邪推?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 12:53 サルならわかる。サル未満のキミには分からんは

コメント全部は読んでません コメント全部は読んでません 2018/08/18 12:57 チュウビ 2018/08/18 12:07
>喜ぶのが信心

私のコメントで、喜ぶのが信心と誤解させてしまったら申し訳ない。

チュウビさんの邪推でなければ・・・ですが

コメント全部は読んでません コメント全部は読んでません 2018/08/18 13:04 shinrankaiuso 2018/08/18 12:53
>サルならわかる。サル未満のキミには分からんは

山川草木でもわからないかと・・・

原文か意訳かさえも、サルでもわかるさん答えてないんですもん。

スナオスナオ 2018/08/18 13:53 揚げ足取りの愚逆さんへ。

真実信心=『仏心凡心一体の信心』と変換するところが間違い。

shinrankaiusoさんから何度も言われているのに、分からない人・・・

スナオスナオ 2018/08/18 14:00 あなたの「仏心凡心一体の信心」の理解が曲解であり間違い。
以下にあるとおり。これが読めないんだね。高森教にすっかりそまっちゃった。あわれ。

>大慶喜心=真実信心=この心これ仏なり
>
>信心を獲たら心が仏になると勘違いしているのが仏凡一体の曲解であり、
>同じことで信心を獲たら心が大慶喜心になると勘違いしたのが、キミら土蔵秘事の者なんだな。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 15:09 ついでに二河白道の譬えで

仰いで釈迦発遣して、指へて西方に向かへたまふことを蒙り、また弥陀の悲心招喚したまふによつて、いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること、なんぞ極まらんと喩ふるなり。

意訳
そこで、釈尊が西方浄土へ往生せよとお勧めになるのを受け、また阿弥陀仏が大いなる慈悲の心をもって浄土へ来れと招き喚ばれるのによって、今釈尊と阿弥陀仏のお心に信順し、貪りや怒りの水と火の河を気にもかけず、ただひとすじに念仏して阿弥陀仏の本願のはたらきに身をまかせ、この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。このことをたとえたのである。



我々の心が慶喜するのはいつか?
「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する」

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 15:12 この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。

これが、現世のことと言っている知能で、真宗教義が理解できるか?
山川草木が理解できるか?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 16:02 踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと

意訳
おどりあがるような喜びの心が湧きおこり、また少しでもはやく浄土に往生したいというのでしたら、煩悩がないのだろうかと、きっと疑わしく思われることでしょう。

キミには煩悩がないのだろう(笑)
或いは、日本語を理解する知恵がないのだろう

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 16:13 浄土文類聚鈔

一心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ堅固深信なり。(略)淳一相続心はすなはちこれ大慶喜心なり。(略)大菩提心はすなはちこれ真実信心なり。真実信心はすなはちこれ願作仏心なり。願作仏心はすなはちこれ度衆生心なり。
度衆生心はすなはちこれ衆生を摂取して、安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心はすなはちこれ畢竟平等心なり。この心はすなはちこれ大悲心なり。この心作仏す。この心これ仏なり。


意訳
「一心」 とは深い心、 すなわち深心である。 この深心は堅く信じる心、 すなわち堅固深信である。 (略)この淳心・一心・相続心は広大な法を受けた喜びの心、 すなわち大慶喜心である。 (略)この大菩提心はまことの心、 すなわち真実信心である。 この真実信心は仏になろうと願う心、 すなわち願作仏心である。 この願作仏心はすべてのものを救おうとする心、 すなわち度衆生心である。 この度衆生心はすべてのものを安楽浄土に生れさせる心である。 ^この心は自他にとらわれない平等の真理をさとった心、 すなわち畢竟平等心である。 この心はすべてのものを慈しみ哀れむ心、 すなわち大悲心である。 この心はさとりを開く正しい因であり、 仏のはたらきそのものである。

大慶喜心=真実信心= 仏のはたらきそのもの

「慶」= 仏のはたらきそのもの
「喜」= 仏のはたらきそのもの

われわれの心が「慶」「喜」の心になるなら、その時点で仏になっている

だから、そんな「慶喜」になった人は「煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなまし」なんだな。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 16:22 「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。
かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、かならず安楽浄土へいたれば、弥陀如来とおなじく、かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。

意訳
「凡夫」 というのは、 わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、 欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、 まさに命が終ろうとするそのときまで、 止まることもなく、 消えることもなく、 絶えることもないと、 水火二河の譬えに示されている通りである。 このような嘆かわしいわたしどもも、 二河にはさまれた一すじの白道すなわち本願のはたらきの中を一歩二歩と少しずつ歩いていくなら、 無礙光仏と示された光明のお心に摂め取ってくださるから、 必ず浄土に往生することができる。

白道を一歩二歩と少しずつ歩いている時は、まだ浄土に往っていない。浄土まで一歩二歩と少しずつ歩いていく。
煩悩は、臨終までとどまらずきえずたえず。

信心を獲ても、煩悩はとどまらずきえずたえずだから、「踊躍歓喜のこころ」はない。
煩悩が無くなるのは、浄土に往ってからだから、「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する」



犬でもわかるようにしたわ。

善導大師 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 白道を渡りきり西岸に至って、慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)


犬でもわかるまとめ

大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 18:08 人間にしか通用しない三段論法で。

信心を獲ても死ぬまで煩悩は無くならない。
煩悩があると踊躍歓喜のこころは起こらない。
よって、信心を獲ても生きている時に踊躍歓喜のこころは起こらない。


信心を獲ても生きている時に仏には成れない。
大慶喜心は「この心仏なり」で、煩悩具足のわれわれの心ではない
よって、信心を獲ても生きている時にわれわれの心が大慶喜心になることはない。


信心を獲た人が死後に浄土に往って仏になる。
仏とは大慶喜心である。
よって、信心を獲た人が死後に浄土に往って仏になり、心が大慶喜心そのものになる。


人間界の論理学を学んだ人にしか理解できない内容。

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/19 08:02 shinrankaiuso 2018/08/18 15:09
>ついでに二河白道の譬えで

>仰いで釈迦発遣して、指へて西方に向かへたまふことを蒙り、
>また弥陀の悲心招喚したまふによつて、いま二尊の意に信順して、
>水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、
>捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること、なんぞ極まらんと喩ふるなり。

邪推
>そこで、釈尊が西方浄土へ往生せよとお勧めになるのを受け、
>また阿弥陀仏が大いなる慈悲の心をもって浄土へ来れと招き喚ばれるのによって、
>今釈尊と阿弥陀仏のお心に信順し、貪りや怒りの水と火の河を気にもかけず、
>ただひとすじに念仏して阿弥陀仏の本願のはたらきに身をまかせ、
>この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。このことをたとえたのである。



>我々の心が慶喜するのはいつか?
>「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する」


shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/18 15:12
>この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。

>これが、現世のことと言っている知能で、真宗教義が理解できるか?


「捨命以後かの国に生ずる『ことを得て』、 仏とあひ見て『慶』喜する」
               ↑ここ邪推で抜かしてる     ↑現在のよろこび


仏とあひ見て・・・◆仏身を観るものは仏心をみたてまつる

火炭不離の喩え
は、
「仏身を観るものは仏心を見たてまつる。仏心といふは大慈悲これな
り」
(観経)
に続く御文だった。
ところが、観経の元の御文
「仏身を観るをもってのゆゑにまた仏心を見たてまつる。仏心と
は大慈悲これなり。無縁の慈をもって諸々の衆生を摂したまふ。

一念帰命の信心をおこせば、まことに宿善の開発にもよほされて、
仏智より他力の信心をあたへたまふがゆゑに、『仏心』と凡心とひとつになるところをさして、
信心獲得の行者とはいふなり。(御文章2帖目9通_忠臣貞女・外典)

『御文章』二帖目第十通(真聖全三―四四〇)に、
さらに一念も本願をうたがうこころなければ、かたじけなくもその心を如来のよくしろしめして、
すでに行者のわろきこころを如来のよき御こころとおなじものになしたまうなり。
このいわれをもって、仏心と凡心と一体になるといえるはこのこころなり。
これによりて、弥陀如来の遍照の光明のなかにおさめとられまいらせて、
一期のあいだはこの光明のうちにすむ身なりとおもうべし。(*)



『慶』とは信心を得てよろこぶ心。http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%85%B6%E5%96%9C
現在のよろこび
「慶」はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、楽はたのしむこころなり、これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。(一多 P.685)
といわれるように、既にわが身の上に実現している事柄をよろこぶ場合に用いられるのであった。
慶喜とは、実現しなければならないことが、すでに実現して今も持続している現在形の喜ぶ言葉であるといわれるのである。
(梯實圓和上著『一念多念文意講讃』を参照した)

これが、来世のことと言っている知能で、真宗教義が理解できるか?(だっじゃらさんのお言葉の転用)


追伸
スナオ 2018/08/18 13:53
>真実信心=『仏心凡心一体の信心』と変換するところが間違い。

>shinrankaiusoさんから何度も言われているのに、分からない人・・・


スナオスナオ 2018/08/18 14:00
>あなたの「仏心凡心一体の信心」の理解が曲解であり間違い。
>以下にあるとおり。これが読めないんだね。高森教にすっかりそまっちゃった。あわれ。

>>大慶喜心=真実信心=この心これ仏なり
>>
>>信心を獲たら『心が仏になる』と勘違いしているのが仏凡一体の曲解であり、
          ↑邪推

>>同じことで『信心を獲たら心が大慶喜心になる』と勘違いしたのが、キミら土蔵秘事の者なんだな。
           ↑(>>大慶喜心=真実信心=この心これ仏なり)      

仏心と凡心とひとつになるところをさして、
信心獲得の行者とはいふなり。(御文章2帖目9通_忠臣貞女・外典)

続く

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 08:29 同じことの繰り返しで進歩がないね〜

17日の14:22のコメントでこう書いた
********************************************************************************
これを、我々の心が慶喜することと勘違いするから、アホな主張になるんだよね。
慶喜は阿弥陀仏の心を頂いたこと、その結果として、我々のお粗末な心でものちによろこぶことになるのであって、我々の心が慶喜になるのではないのよ。
*********************************************************************************

「慶喜」は真実信心であり仏の心。
真実信心を獲たことによる我々のお粗末な心もよろこぶことはある。
しかし、それが「慶喜」ではないと言っているのが分からないんだな。

仏凡一体について、信心を獲たことだと言ったけど、理解できないようなので、


法蔵比丘として難行苦行・積功累徳したまひしとき、未来の衆生の浄土に往生すべきたねをばことごとく成就したまひき。そのことわりをききて、一念解了の心おこれば、仏心と凡心とまつたくひとつになるなり。(存覚上人・真要鈔)


法蔵菩薩の「難行苦行・積功累徳」によって「未来の衆生の浄土に往生すべきたね」を成就された、そのことを聞いて、それをそのまま聞いたことを「仏心と凡心とまつたくひとつになる」と仰っているのであって、われわれの心が仏になるのではない。

法蔵菩薩が我らが往生する因を法蔵菩薩が御修行によって用意されて、その通りと聞いたことを真実信心と言い、仏凡一体と言うわけだ。

存覚上人とは蓮如上人が「前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。」
とまで仰った方なんだね。
存覚上人の仰ったことは、無条件に正しいとね。

キミの頭で言う、凡心と仏心が一体となったら、仏になるってことだよね。
仏の種を頂いたことと、仏になることとは違うことも分からない訳だ。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 08:37 >「捨命以後かの国に生ずる『ことを得て』、 仏とあひ見て『慶』喜する」
>               ↑ここ邪推で抜かしてる     ↑現在のよろこび

>仏とあひ見て・・・◆仏身を観るものは仏心をみたてまつる

キミの日本語は完全におかしいね。

「捨命以後かの国に生ずる」を抜かしているのがキミだ。
死んだ後に浄土に生れて、それを「得て」「仏とあひ見て」だ。

「捨命以後かの国に生ずる」は、二河白道の譬えでは西岸に到達したこと。
この大前提さえも否定するなんてね。
梯師が、「捨命以後かの国に生ずる」を現生と言っているなら示したまえ。
高森会長が、「捨命以後かの国に生ずる」を現生と言っているなら示したまえ。

キミには、日本語の理解力も、論理的な思考力もない。

断章取義で、単発的な言葉を拾って、「こうだ!」と喚いているだけ。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 08:43 犬でもわかるようにしたわ。

「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること」

善導大師 白道を渡りきり西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 白道を渡りきり西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で仏を見て慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)


犬でもわかるまとめ

大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 08:46 安心論題の仏凡一体よりhttp://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%AE%89%E5%BF%83%E8%AB%96%E9%A1%8C/%E4%BB%8F%E5%87%A1%E4%B8%80%E4%BD%93

仏凡一体というのは、衆生の心にいただかれた法の徳(法徳)としていわれるのであって、衆生の現実のすがた(機相)の上でいわれるのではありません。
 もし機相の上で凡心が仏心に転成するのであれば、獲信と同時にこの世で仏になるという一益法門になってしまいます。


この基本中の基本が全く理解できていないんだな。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 08:57 キミの頭の悪さに付き合うのも面倒なので、

「捨命以後かの国に生ずる」

これが現生のことだというお聖教上の根拠を出して、説明せよ。
これだけ。

話が散漫でキミ自身も訳が分からなくなっているだろうから、

「捨命以後かの国に生ずる」が現生こととという根拠

これだけを示せ。

元 2018/08/19 09:50 「捨命以後かの国に生ずる」が現世のことだなんて、高森会長でも言わんだろう。

何十年も会員をやっていても、こんなおばかさんばかりでは、親鸞会も終わりだわ。

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/19 11:13 「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること」

『捨命以後かの国に生ずる』・・・死後

「捨命以後『かの国に生ずることを得て』・・・平生





「歓喜」・・・将来の喜び

「慶」・・・現在の喜び


http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%85%B6%E5%96%9C











仏とあひ見て慶喜する・・・・


根拠提示する際、前後ちゃんと読んでください。

二益法門二益法門 2018/08/19 11:20 捨命以後かの国に生ずる



親鸞会ではこれを現生で考えるようになったのですか?
完全に一益法門ですね。
二益法門とは、
現生で、信心を獲て往生が定まるが、浄土にはまだいけない
来世で、浄土に往って慶喜して仏になる

仏凡一体で言うなら、
現生で、仏になる種を頂くが、煩悩があるままなのでまだ仏になれない
来世で、煩悩がなくなり、慶喜して仏になる

簡単至極なことですが、カルト脳では分からないみたいで、哀れ哀れ。

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/19 11:21 修正

「捨命以後『かの国に生ずる』ことを得て・・・平生

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 11:23 >『捨命以後かの国に生ずる』・・・死後

>「捨命以後『かの国に生ずることを得て』・・・平生

この根拠を出せと言ったの。
関係ない根拠を出して、何言っているの?

キミ、日本語分かる?

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/19 11:26 二益法門 2018/08/19 11:20

>来世で、浄土に往って慶喜して仏になる

>来世で、煩悩がなくなり、慶喜して仏になる

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%85%B6%E5%96%9C

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 11:28 二河白道の譬えで、「捨命以後かの国に生ずることを得て」は

1.西岸に到達した時
2.白道の途中

キミの答えは2だということだね。
残念だね。
善導大師は

一心にただちに進んで道を念じて行けば、須臾にすなはち西の岸に到りて、永くもろもろの難を離る。善友あひ見て慶楽すること已むことなからんがごとし。

西の岸に到りて慶楽すると仰っているんだな、もちろん親鸞聖人も。

答えは1しかないの。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 11:37 ネコでもわかる解説

(譬え)
一心にただちに進んで道を念じて行けば、須臾にすなはち西の岸に到りて、永くもろもろの難を離る。善友あひ見て慶楽すること已むことなからんがごとし。

(譬えの解説)
かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する

西の岸に到りて慶楽する
=捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する

「浄土に往って、仏と遭って慶喜する」

白道の途中で慶喜するとの表現は皆無

二益法門二益法門 2018/08/19 12:22 完全に詰んだ。

親鸞会の会員が、退会者に勝てるわけないでしょうに。

悔しかったら、W部さんを呼んできてください。

二益法門二益法門 2018/08/19 13:08 安心論題から引用します。

天におどり地におどるといのは、必ずしも実際におどりまわるということではなくて、喜びの形容と見るのが穏当でありましょう。と申しますのは、「よろこぶこころのきわまりなきかたちなり」とか、「正定聚のくらいをうるかたちをあらわすなり」と示されていますし、『歎異抄』の第九章に(真聖全二―七七七)、

天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたもうべきなり。
等と述べられていることからも、そのことが窺われます。



喜びの形容を実際に天に踊り地に踊るのだと勘違いしたのが、土蔵秘事ですね。
二河の譬喩をしっかり読めば分かることですが、日本語が不自由な土蔵秘事の信者には理解不能なのですね。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 13:48 形容なんて難しい日本語表現が、土蔵秘事一益法門の親鸞会会員に理解できるわけもなし。


総まとめ

「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること」

善導大師 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で仏を見て慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)



大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)
必ずしも実際におどりまわるということではなくて、喜びの形容と見るのが穏当(本願寺通説)


***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/19 16:01 >親鸞聖人 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)

仏とあひ見て=臨終現前?

親鸞聖人は平生に弥陀に値ってないのね

親鸞聖人は平生に喜んでないのね


だっじゃらさんは平生に弥陀に値ってないのね

だっじゃらさんは平生に喜んでないのね



追伸

>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

んで・・・原文は???

二益法門二益法門 2018/08/19 17:08 二河白道のたとえさえ読めない知能
で、観経が読めるかよ

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 17:15 >親鸞聖人は平生に弥陀に値ってないのね

>親鸞聖人は平生に喜んでないのね

二河白道の譬えについては、

「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること」

善導大師 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で仏を見て慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)

これで異論無し。

これが最終決着です。

仏に遭われるのは、浄土に往ってから。平生に本願に遭ったはと仰っていますが。
それが阿弥陀仏の喚び声を聞いたことです。
阿弥陀仏に遭うのは、西の岸、つまり浄土でと二河白道の譬えでありますがね。

土蔵秘事の一益法門で、ネコ未満の知能では分からない話でした。

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/19 17:17 >>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)

>んで・・・原文は???

一念多念証文を挙げたのも関係ないとしか理解できない、知能と言うことですわ。
ちなみに、浄土で煩悩がなくなるのは、スーパーウルトラ常識なので。
高森会長でもそのくらいのことは知っているよ。

一益法門では非常識でしょうがね。

二益法門二益法門 2018/08/19 17:29 >>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)
>
>んで・・・原文は???

いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること、なんぞ極まらんと喩ふるなり。

あなたは、アホですか?アホでした。
二河は、煩悩ですから、白道を渡りきったら、二河も渡りきったってことです。
二河を渡りきったら西の岸、浄土です。
一益法門さんは、二河に挟まれた状態で浄土に往ったと解釈しているのですよね。
こんなのは、親鸞会でさえも言わない無茶苦茶な解釈ですよ。
恥ずかしいないですか。

二益法門二益法門 2018/08/19 17:29 >>煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)
>
>んで・・・原文は???

いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること、なんぞ極まらんと喩ふるなり。

あなたは、アホですか?アホでした。
二河は、煩悩ですから、白道を渡りきったら、二河も渡りきったってことです。
二河を渡りきったら西の岸、浄土です。
一益法門さんは、二河に挟まれた状態で浄土に往ったと解釈しているのですよね。
こんなのは、親鸞会でさえも言わない無茶苦茶な解釈ですよ。
恥ずかしいないですか。

元 2018/08/19 17:41 >『捨命以後かの国に生ずる』・・・死後

>「捨命以後『かの国に生ずることを得て』・・・平生

この根拠を出せなかった時点で終わりですよ。

ネット対策ご苦労様でした。

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/20 11:48 1、大慶喜心=真実信心・・・・というだっじゃらさん

慶喜は信心の意味だよ。 shinrankaiuso 2018/08/17 09:54

大慶喜心はすなはちこれ真実信心なり。(親鸞聖人の直のお言葉)
shinrankaiuso 2018/08/17 14:06

「慶喜」は形容表現で、信心を顕わしている訳よ。
shinrankaiuso 2018/08/17 14:22
『浄土文類聚鈔』から
大慶喜心=真実信心
shinrankaiuso 2018/08/17 14:40

大慶喜心=真実信心(教行信証・浄土文類聚鈔)
shinrankaiuso 2018/08/18 11:55
shinrankaiuso 2018/08/18 16:22
shinrankaiuso 2018/08/19 08:43
shinrankaiuso 2018/08/19 13:48

大慶喜心=真実信心
shinrankaiuso 2018/08/18 16:13








2、平生、真実信心を頂く・・・・というだっじゃらさん

信心を頂くのは、弥陀の喚び声を聞いた平生の一念。
それ以上何が知りたい訳?
shinrankaiuso 2018/08/17 15:52







3、死後慶喜する・・・・というだっじゃらさん

我々の心が慶喜するのも違う。踊躍歓喜のこころもない。
shinrankaiuso 2018/08/17 15:52
我々の心が慶喜するのはいつか?
「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜する」
shinrankaiuso 2018/08/18 15:09
この世の命を終えて浄土に往生し、仏とお会いしてよろこびがきわまりない。
shinrankaiuso 2018/08/18 15:09
shinrankaiuso 2018/08/18 15:12
これが、現世のことと言っている知能で、真宗教義が理解できるか?
山川草木が理解できるか?
shinrankaiuso 2018/08/18 15:12
われわれの心が「慶」「喜」の心になるなら、その時点で仏になっている
shinrankaiuso 2018/08/18 16:13
浄土に往ってからだから、「捨命以後かの国に生ずることを得て、
仏とあひ見て慶喜する」
shinrankaiuso 2018/08/18 16:22





4、真実信心を獲ても大慶喜心になるのではない(大慶喜心≠真実信心)・・・・というだじゃらさん

慶喜は阿弥陀仏の心を頂いたこと、その結果として、
我々のお粗末な心でものちによろこぶことになるのであって、
我々の心が慶喜になるのではないのよ。
shinrankaiuso 2018/08/17 14:22
信心を獲たら心が大慶喜心になると勘違いしたのが、
キミら土蔵秘事の者なんだな。

心を獲たら心が大慶喜心になると勘違いしたのが、
キミら土蔵秘事の者なんだな。
shinrankaiuso 2018/08/17 14:40
信心をいただいたのと、我々の心が仏心になるのは違うし、
我々の心が慶喜するのも違う。踊躍歓喜のこころもない。
shinrankaiuso 2018/08/17 15:52

信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
shinrankaiuso 2018/08/18 11:55
信心を獲ても、煩悩はとどまらずきえずたえずだから、
「踊躍歓喜のこころ」はない。
shinrankaiuso 2018/08/18 16:22
信心を獲ても生きている時に仏には成れない。
大慶喜心は「この心仏なり」で、煩悩具足のわれわれの心ではない
よって、信心を獲ても生きている時にわれわれの心が大慶喜心になることはない。
shinrankaiuso 2018/08/18 18:08

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/20 12:20 意味不明の負け惜しみコメントご苦労様です。


総まとめ

「捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見て慶喜すること」

善導大師 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
親鸞聖人 西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
土蔵秘事 白道の途中で仏を見て慶喜する(平生に浄土に往って慶喜する)



大慶喜心=真実信心=この心仏なり(教行信証・浄土文類聚鈔)
踊躍歓喜のこころがあるのは、煩悩のなきやらん(歎異抄)
煩悩がなくなる臨終後に浄土に往生し慶喜する(観経疏・教行信証)
必ずしも実際におどりまわるということではなくて、喜びの形容と見るのが穏当(本願寺通説)


***************************************************************************
信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きないのが、真実信心
信心を獲たら、自分の心が慶喜の心になると思っているのは、一益法門・土蔵秘事
***************************************************************************

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/20 12:36 無益法門さんの喜びの形容は?

あぁ・・無益でしたね!

二河の喩のどのあたりですか?

二尊の意に信順されました?

shinrankaiusoshinrankaiuso 2018/08/20 12:38 負け惜しみしか言えないので、単なる荒し。

こちらは、お聖教の根拠に基づいて書いている。
キミは、体験至上主義で根拠なしの土蔵秘事一益法門

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/20 12:47 総まとめ

shinrankaiuso  西岸に至って、浄土で仏とお遭いして慶喜する(死後に浄土に往って慶喜する)


***************************************************************************
shinrankaiuso  信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きない
***************************************************************************

コメント少ししかよんでませんコメント少ししかよんでません 2018/08/20 12:53 信心を頂くのは、弥陀の喚び声を聞いた平生の一念。
shinrankaiuso 2018/08/17 15:52

***************************************************************************
shinrankaiuso  信心を獲ても、煩悩があって自分の心に慶喜の心が起きない
***************************************************************************
弥陀の喚び声を聞いてなく
大慶喜心≠真実信心

みっともない愚逆みっともない愚逆 2018/08/20 12:54 みっともないよ、愚逆さん
見苦しいコメントはやめたら

みっともない愚逆みっともない愚逆 2018/08/20 18:25 愚・・・おろか
逆・・・頭下足上

悲しきかな・・・愚逆

なもあみだぶ

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証